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岸本晃の住民プロデューサーNEWS

ドラマのはじまりは平成元年(東峰村特集5)

東峰村のドラマからちょっと寄り道しますが、わたし自身がドラマを監督することになったのは平成元年でした。当時熊本のテレビ局で7,8年目を迎えていた頃です。98市町村の2週目も終わりの頃だったとおもいますが、同僚の園田さんからお誘いがありました。「自分たちでドラマを作ってみたい、岸本さん監督やってよ。」という話でした。園田さんはすでに自分でシナリオを書いているようで熊本の市電を扱ったタイムスリップもので親子の愛情がテーマでした。

その頃は自分がドラマ監督!?なんて考えもしなかったので提案に驚きましたがこの園田さんの提案に動いた佐竹さんという営業マンがいました。いつもわたしの無理を聞いて走り回ってくれた貴重な存在でした。が、その後わたしが企画する番組の営業はわたし自身がするということを許してくれた名物営業マンです。嫌味ではなく本当に自分で予算を取ってくるということがここから始まり、わたしの地域づくりプロデューサー?!のはじまりになったのです。

結局園田原案・脚本、岸本監督、佐竹営業というトリオで日本初の手作りドラマは実現しましたが総予算は約500万円、会社に利益を残さないと次が無いので、実質ドラマ制作に使ったのは350万円ほどでした。面白いということでスタッフはほとんど弁当と交通費だけで協力してくれました。ドラマを作ると3000万円が常識の時代に10分の1の予算での制作です。結果も好評で何よりも舞台となった新市街商店街の若手の皆さんが楽しんで協力してくれました。新市街は24時間テレビでいつも協力してもらっていたこともあってコミュニケーションもスムーズで、ドラマ作りの予算も捻出してくれました。

出演者は全員熊本県内の劇団からオーディションで募り、わがテレビ局員も大勢出演、報道のフロアもロケで使いました。このドラマ制作だけで20も30もドラマが書けるほどの生活ドラマを経験し手作りドラマの魅力、地域づくりへの有効性を丸ごと体感しました。今思えばこの経験が地域住民と番組制作することに地域づくりの可能性を見出す大きなきっかけとなっていました。

ドラマ作りは地域のアイデンティティを取り戻す作業でした。東峰村の地域SNSドラマは平成元年の体験から約20年たって作ったものですが、何と1日半ほどで作ってしまったのです。3年かけて住民ディレクターが何人も育っていたからだといえます。目的が地域SNSを理解してもらうためにということもあってささっとやってしまおうと実験的にチャレンジしたのですがこの手法は様々な分野で有効なプロセスを含んでいます。地域づくりで難しいのはその当事者の皆さんがやられたことの大きな意味が地元での評価につながらないと逆作用があることです。

先日博多の天神で開催されたフォーラムでご一緒した元NHKアナウンサー木村太郎さんが東峰村の映像コンテンツの豊富さに本当に驚かれていましたが、外からの評価は非常に高くても村内の広報が最も大きな課題になっています。外国の評価で初めて日本のアーティストが国内でも認められるという構図がそのまま地域に当てはまります。

@写真は東峰村「地域SNSドラマ」のワンシーン
八百万人紀行で東峰村特集 http://www.yaoyorozu-hito.jp/

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