Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めてⅢ

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印が趣味です。
生きた証として好き勝手に書いております。(笑)

昭憲皇太后 伏見桃山東陵(2019年3月16日参拝)

2019年04月07日 | 旅行・その他


明治天皇伏見桃山陵から緩やかな坂を5分程下って行くと、
昭憲皇太后伏見桃山東陵があります。

いかに明治天皇の皇后の陵墓といっても、
さすがに大きく無いだろうと思っていたが、
それはとても立派なものだった。



所在地:京都府京都市伏見区桃山町古城山
埋葬:大正3年(1914)
被葬者:昭憲皇太后


【昭憲皇太后】
明治天皇の皇后。

嘉永2年(1849)4月17日、左大臣一条忠香の三女として生まれる。

慶応3年(1867)6月女御となる。
この年、天皇との年齢差3歳の年長を、世俗四つ目と称してこを忌むとして、
1年遅い嘉永3年を公式の生年とした。

嫡妻として明治天皇の側室柳原愛子が生んだ嘉仁親王(大正天皇)を養子とした。

勧業博覧会や各種共進会、富岡製糸場などに行啓して産業を奨励し、
華族女学校、東京女子師範学校などの設立援助、開成学校、
学習院への行啓等教育の振興にも努めた。

また博愛社の設立、日本赤十字社、慈恵病院、愛国婦人会への援助等、
社会事業に力を注いだ。

能楽、美術、工芸の発展にも心を配り、
日清・日露戦争には出征軍人や傷病兵に下賜品を与え、慰問使を送った。

和歌や古典文学に造詣深く、特に作歌では3万6000首にも上る歌を残し、
昭憲皇太后御歌集はその片鱗を示すものである。

大正3年(1914)4月11日崩御、昭憲皇太后と追号され、
翌年5月1日に、明治天皇と共に明治神宮の祭神とされた。


【制札】



【境内】


とても落ち着いた雰囲気です。


【鳥居】




明治天皇に匹敵する規模を誇る陵墓ですね。

正直驚きました。


【陵墓】



【参道】



【石段】


違うルートには石段がありました。

どうやらこちらから行くのが正規ルートのようですね。


これにて本日の参拝終了。

寒いからもう帰る。(笑)

近くには桓武天皇柏原陵や伏見桃山城があるが、
次回に持ち越しです。


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