磯のすーさん あれこれ

江戸から16里ほど離れた海辺の田舎に棲む地味で怠惰なオイチャンのあれこれ。 中身は勝手気まま=自然体で~す。

京都 長岡京ガラシャ祭

2010-11-15 10:37:19 | ともちゃんからの画像投稿



ガラシャ祭期間 2010年11月3日(祝)~14日(日)  行列巡行・楽市楽座 11月14日(日) 


京都の南部 長岡京市にお住まいの旧友TFさんから画像投稿を頂きました。


細川忠興とガラシャの銅像


長岡京ガラシャ祭の始まり(参考)

京都府長岡京市は、市内全域が長岡京跡に覆われ、多くの古墳群、神社仏閣や城址が存在し、古代から中世、近世
にいたる日本の歴史の主要舞台となった事物が多く集積しています。

平成4年、長岡京市の歴史遺産の一つである、勝竜寺城跡を整備し、市民が憩える勝竜寺城公園が完成しました。

その完成を記念して、市民の方から今から約400年前に織田信長のすすめにより、細川氏に嫁いできた明智光秀の娘「玉」の

輿入れの様子を再現する行列巡行を開催しようという提案がありました。

それが以後、「長岡京ガラシャ祭り」として、広く市民に親しまれています。

                                   (ネットから)
 























細川ガラシャさん 登場!




細川ガラシャ夫人という人物  (1563~1600)

明智光秀の娘「玉」、天正6年旧暦8月、織田信長の命により政略的に当時乙訓一帯を支配していた戦国大名の細川藤孝の息子、

細川忠興のもとに嫁いできました。

 彼女が細川家へ嫁いで数年後、父明智光秀が主人、織田信長を倒すという、日本の歴史上の大事件が起こりました。


 それ以後彼女は中世の戦乱の歴史の大きな渦に巻き込まれ、自分の肉親兄弟を失い、子どもとも引き離され、丹後の山奥に幽閉されるなど、

苦難の生活を送ることになります。 

しかし、そんな中においても、貧しく弱い人々に身分の分け隔てをこえた人間愛の心を常に持ち続け、そして彼女はキリスト教に心の平安を求め、

ついに洗礼を受け、細川ガラシャ夫人と呼ばれるようになりました。 


 やがて、関が原の戦いで石田三成の人質になるのを拒み、家臣小笠原少斎の刀をうけて悲劇的な最期を遂げました。



















 
TFさん 投稿有難うございました。


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2 コメント

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Unknown (southfellow)
2010-11-15 12:00:44
長岡京市はこのまえ行った向日市のお隣ですね。かなり雅な行列で驚きました。
いろいろな所に面白いエベントがあるものですね。
返信する
長岡京 (磯のすー)
2010-11-16 01:40:12
southfellowさん

はい、平城京から平安京に遷都する前に一度、長岡京を経由したそうです。
なかなか歴史のある土地みたいです。
返信する

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