音更町発祥の地の碑
明治15年に依田勉三と鈴木銃太郎が、下帯広の開拓地選定で7月15日に案内したのが、大川宇八郎です。彼は3年前から日高を越えてこの地にやってきた。「半農半商」の開拓者で交易あるアイヌの人々に信頼され、嫁もアイヌ娘であった。
妻のオイカサンは唇にアイヌ女性の既婚者の印である「刺青」をしていた。
彼女は娘とお祭りで歩くときに「私と離れて歩きなさい」と言った。
娘は「どうして、私は気にしない。大好きなお母さんだもの・・・」と応えた。
大川牧場で馬を育てたが、アイヌに無償でわけ与えたり、飢えた彼らの食用になった。
晩年の大川宇八郎は、他人の保証人になり、担保の土地が奪われて、貧乏な生活をしたという。依田勉三ほど十勝では有名ではないが、詳しく調べたい偉人です。