
旧狩勝線を楽しむ会(竹田英一代表)のフットパスに参加。落合側から入り、線路跡をひたすら歩いた。途中の風景や隧道の遺跡を見つめ、その難事業を想像しながら約10km歩いて3時間後に狩勝峠にゴール。疲労は快かった。

全員集合で出発です。







田舎に住んでいたら、つい車に頼って(つまり忙しい生活なので)歩くのは無駄に考える。家から車で買い物するときも、スーパーの店の玄関のいちばん近くに停車するごときである。文明の利器は人に歩くことを無駄と意識させている。ふと、昔の生活は何もかも不便であったが、それゆえに体を使い、よく歩いていた。それが健康を維持していた。そんなことを考えながら歩く、歩く~。
狩勝峠側の隧道(ずいどう)は3年半も費やして明治38年に完成。(詳細は看板の画像をクリックしてください。拡大になります)。この日、陽光はやさしく、微風が吹き、フットパス日和だった。峠の食堂や休憩所に分かれておにぎりや弁当を広げて昼食となった。
釧路から参加したご夫妻のご主人は「かつて狩勝信号所の地域に住んでいた。学校もなかった・・・」と聞いて驚いた。中学まで落合の学校へ汽車で通学していた。高校は富良野高校だったとか。人生の変遷をへて、彼は妻とふるさとを訪れたのだった。隧道(トンネル)の穴に向かって、彼は「お~い、帰ってきたぞう~」と叫んでいた。胸にぐっとくるものを私は感じた。

狩勝峠からの十勝平野の眺望(狩勝峠の標高は644m。1927年に日本新八景に「平原」の部門として選出された)
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