これは9月初めに「渓流釣り」をした画像です。北海道ではサクラ鱒の子を「ヤマベ」と呼ぶが、本州では「ヤマメ」と呼ぶ。見た目はサケ科の「アマゴ」に似てるが朱小点がない。
釣果のヤマベが蕗の葉にならぶ。
上がナラの実(どんぐり)左上がクルミ。左下がコクワ(キュウイフルーツの味)。本流にゆけば17㎝前後の良型のヤマベが釣れるが、同行者が76歳の方ゆえ、小さな川での釣りになる。崖を登り、草やぶ越えて、熊に遭遇するような所の沢に尺ものヤマベがいるが、もうそれは昔のこと。大物狙いよりも、ただ川を歩くだけでも満足するようになった。釣りは、誰とゆくかで選ぶ川もちがってくる。(画像をクリックすると拡大されます)
釣りの初心者で「上達する人」かどうか、なんとなく予測できる。
上達する人は、必ず名人の仕事ぶりから学ぶ。よく観察している。天気、季節、水の量など状況によって魚の行動もちがってくる。ヘタな初心者は釣りのコツを会得するのが遅い。
それは、何事にも通じるかもしれない。仕事のできる人は「新しい仕事への対応も早い」。だが、仕事を把握できない人は、ことごとく遅いし、チームワークを乱す。(教えられたことを記憶できないのならメモをとり、マニュアル本を読むべき)
我流に解釈するなら「釣りも、相手がある恋愛だ」。自己中心では相手が理解できない。相対化、対自できなければヤマベの心が分からないと思う)
釣りも、勘とデーターが活きるものだと思う。
同じポイントを餌を3度流してみると、魚がいれば、まず1度は当たりがある。野球の打者でいえば、相手投手が投じた3球のうちの打ちごろの球を見送ったら、もう決して甘い球はこない。釣りも3割打者の境地か?。チャンスを活かさないと、もうヤマベは用心して素早く逃げてしまう。知恵があり、用心する大物ヤマベこそ、生きのびてきた証なのである。だからこそ釣り人も細心で繊細にヤマベに向き合う態度が必要になる。
自然は恵みの神、そうアイヌ民族が考えたように、「恵みに感謝する心」が生じ、自然と溶け合う自分がいる・・・。初秋の渓流を歩いてリフレッシュできた。
ヤマベの唐揚げ。私は、油で2度揚げしている。山ワサビをつけながら食うと最高。
禅的思想をつづった「菜根譚」に釣りに関して、こんな文があった。
「水際で糸をたれて魚を釣るは、いかにも世間ばなれしていて気楽で風流なようであるが、魚を生かすも殺すも思いのままである。また、囲碁なども、いかにも上品な遊びのようであるが、勝負という競争意識をはたらかせている・・・」
釣りは「生殺」の心、勝負事は「戦争」の心を宿すという。しかり、とうなずいた。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます