ニライカナイへの憧れ

沖縄への思いを自分なりに綴った日記

旅人であり続けること。

2009-09-30 | その他
「ニライカナイへの憧れ」を始めるにあたっては、あるキッカケがありました。

私には学生時代に出会った、2人の沖縄出身の親友がいます。

1人は東京で音楽活動をしています。
夢に向かって常に突っ走っています。
お互いに忙しいので、何年かに一度しか会えませんが久し振りに会ってもあの頃のまま。。。
最近では2年前に会ったのが最後でしょうか?
今まで沖縄の話はあまりしなかったのですが、その時何故か沖縄の話になり
私が熱く語っていると
「沖縄出身の立場から言えない事もあるから、kukuruみたいな立場の人から
言ってくれるのは有難いと思う。」と。
でも、その時は何から行動していいのかわからず漠然としていました。

もう1人の親友は沖縄へ帰り忙しくしています。
私が沖縄に行った時、時間が合えば会う事がありました。
しかし、そんな親友「T」と数年前に大きな喧嘩をしてしまいました・・・。

今から13年前、東京にいた時Tは「東京にいると自分が外国人みたいに感じることがある。」と
言ったことがあり、その意味が全く当時は分かりませんでした。
何でそんなこと言うのか悲しい気持にもなりました。
Tは私にとっては当時とても大きな影響を与えてくれた人で
恥ずかしがり屋だった私に「人と話す時は目を見て話す!」とか
「人目ばっかりを気にしないで行動する!」とか真っ直ぐにアドバイスをいつもくれました。

でも人の事は言うくせに、自分の事はほとんど語らず・・・。
弱味を見せずにいつも格好つけて、自分が苦しい時も私の事を
優先に話を聞いてくれる優しい人でした。
Tが沖縄に帰ってから始めてその優しさに気付き、私は色々Tから
もらったのに私は何もしていなかった・・・と反省しました。

自分も少しは大人になり、ゆっくりTと話をする機会ができた時
若い頃には話してくれなかった家の事や今抱えている悩みなど始めて打ち明けて
くれました。
何でもっと早く話してくれなかったの・・・と思いましたが、あの頃は
私に余裕がなかったのだと思います。
何年も掛かりましたがやっとTが自分の事を話してくれてとても嬉しかったのです。

東京にいた頃のTと沖縄に帰った後のTでは明らかに違いました。
東京にいた頃のTは、多分私に合わせていたのだと思います。
合わせていながら沖縄の気持ちだけはずっと持っていて、その気持ちに
私は影響を受けたのだと思います。
沖縄に帰った後のTが実は本当のTで。
今まで語らなかったT自身の話を沖縄で聞いた時、やっと本当の親友になれたと私は思っていました。

しかし。。。
喧嘩です。
何年も経って初めて心を開いてくれたTに
「もっと沖縄のことわかりたい」と私は言いました。
それに対してTは「kukuruには絶対に理解できない」と言われました・・・・。

悲しくて悔しくて泣きじゃくりました。
何でそこまで突っぱねる??何故私には理解できない??と。
ようやく近づいたと思ったのに一気にまた大きな壁を作られた気がしました。

その時、もう私からは連絡しない。。。と決めました。

でもTとは深い縁があると信じていて。
誰とも分からないこのブログをいつかきっと見つけてくれるかもしれない・・・
と始めたのがきっかけでした。
読まれることのない日記をT宛のメッセージがわりにして。。。


そんなことがきっかけでありながら想像以上に
沢山の沖縄の方と知り合い、自分の知らない沖縄をここで知ることができました。

そのお陰で今になってやっと少しだけTが沖縄のことを
「kukuruには絶対に理解できない」と言った理由がわかるようになりました。
見えない「壁」がここまで厚かったとは全く知らなかったのです。
逆に知らなければよかった・・・と思うほど苦しいこともあります。

Tと今度会う機会があった時はもっとマシな自分でありたいと思うのでした。

学生時代に影響を受けた2人の沖縄の親友がベースにありますが
ここで出会えた沢山の沖縄の皆さんにとても感謝しています。

私が知る何百倍も歴史的な背景や今の現状、想像もできないようなことが
沖縄にはあった、そしてあるのだと思います。

私達観光客は「沖縄」は「沖縄」だと思う人が多いです。
沖縄と言っても土地土地で言葉や風習も違うこと
第一にそこに生活があることを忘れてはいけないと私は思います。

私にとって大切な人が沢山いる沖縄。
私が国の代表なら色々なこと、土下座して謝ります。

沖縄に住みたいと思ったことも正直あります。
でも憧れでいいのです。
旅人であり続ける方が私には向いています。















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8 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
おはようございます^^ (幸四郎)
2009-10-01 04:59:54
いつかこの記事をTさんが読んでくれると
いいですねぇ~

きっかけや、そのプロセスは人それぞれで
今、現在、沖縄を想ってくれるKukuruさんに
うちな~ちゅとして感謝です。
沖縄を好きでありがとうございます。

10月も宜しくで~す^^


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はいさい! (ちゃんぷ)
2009-10-01 23:24:52
南国沖縄からちゃんぷるーやいびん!

Tさん、kukuruさんがオキナワを理解したい!という気持ちがうれしかったのでは?
私も、見える部分を紹介してますが見えない部分(ウチナーンチュの悪いところ)は放置したままです。
1人でも多く 沖縄に興味を持って頂くこと、すごくうれしいです
ウチナーンチュから見たオキナワ、本土の人から見るオキナワはそれぞれの見方があります。
そのごく一部、とあるウチナーンチュとして
Tさんがkukuruさんに知ってほしかった情報に近づけるようにお手伝いできればと思いましたー。
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幸四郎さん (kukuru)
2009-10-02 08:04:50
おはようございます!
そうですね、いつか読んでくれることを願っています。
それまでにはもっと勉強しなければいけませんね。
こちらこそ今月も宜しくお願いします(^-^)V
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ちゃんぷさん (kukuru)
2009-10-02 08:12:10
おはようございます!
沖縄に興味がある方、本当に多いと思います。
ただマナーが悪いと思うのです・・・。
沖縄へ観光した時の「開放感」は分かるのですが
何しても良いわけではないと思うのです。
その部分を同じ立場の観光客として
もっとうまく伝えられる方法はないか・・・?
と模索中です。

親友Tとはまた会ったら必ずいい友達になれると思っています。
それまでに私も成長しなければなりません。
ちゃんぷさん、いつもありがとうございます(^-^)
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親友Tさん (にらい)
2009-10-02 22:06:51
kukuruさん、

親友Tさんには、きっとお会いできますよ!


Kukuruさん、
心優しいブログを読ませてくれてありがとうございました!


>>それに対してTは「kukuruには絶対に理解できない」と言われました・・・・。


こんなこともあります。(古い記事です)

遺族年金、受給者10年で半減
2007年4月27日

http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-23317-storytopic-1.html


記事には関係ないですが・・・

父母は寿命を全う、男兄弟すべて戦死、残った姉と妹の場合、姉がその年金を独り占め・・。
そういうこともあるってことがわたしんちの場合かも・・・。

「金、かね、カネ」の亡者もいます。

親戚づきあいはなるべく遠慮したいにらいです。

恐ろしい「負」の遺産を残してくれたもんだ「沖縄戦」と思うこの頃です。


sincerely yours,




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いつかきっと… (scorp)
2009-10-02 23:04:43
Kukuruさん、こんばんは。

私は県外の方に言われたことがあります。
「絶対理解できない」と…。
壁はあるんだな~と思いました。
県外の方から学ぶことも多く、地元の人からも学ぶこともあり、地元にいながら私にできるのは何だろうと私も模索中です。

いつかTさんも解ってくれる時はあると思いますよ♪それを信じて沖縄を想って下さいね。
私は沖縄を想う人がいるだけでも嬉しいですよ~♪
これからも宜しくお願いしますね☆
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にらいさん (kukuru)
2009-10-03 18:59:36
にらいさんこんばんは。
親族間でのお金の問題は嫌なものですね・・・。
戦争の傷はいつになれば癒されるのでしょうか。
何世代も先の話にならないよう、すぐに手を打てる所から
国には対処してほしいと願うばかりです。

Tにも複雑な事情があるようでした。
お互いの事、きちんと向き合える日が
いつか来てくれる事を信じています。
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scorpさん (kukuru)
2009-10-03 19:20:39
scorpさんこんばんは。
逆のこともあるのですね・・・。
歩んできた歴史が違うとこうも違うのか?と
最近改めて感じる事が多いです。

琉球、沖縄の文化や思想には深い感銘を受けます。
尊敬する気持ちが強いので、ズカズカと土足で
踏みにじるようなマナーの悪い観光客などを見ると
ん?と思うことが多々あり。。。
そんなだから一向に「うちなー」と「内地」の
距離が縮まらないのではないか、と考えるのです。
勿論それだけではないことは分かっているのですが(^-^;)

scorpさんありがとうございます。
こちらこそ宜しくお願い致します♪
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