岐阜遠征から帰った翌日22日の深夜。
実家の母親から1通のメールが。
「田舎の婆ちゃんが亡くなりました」と。
母の田舎は山口県にある小さな漁村。
何年振りかな・・・。
兄はよく来ていたけれど、私は数えるほどしか来ていません。
元気で働き者の婆ちゃんでした。
「婆ちゃんだけは死なないと思っていたんだけどね。」と母。
96歳でした。
爺ちゃんは47歳で亡くなり、その後5人の子供を婆ちゃんが一人で育てました。
思い出は沢山はありませんが上京した時、新宿駅構内の人ごみをかき分けて
田舎の人とは思えないほどサッサッサと歩く姿や
冬に毎年送ってくれた手作りのあんころ餅の味は忘れられません。
婆ちゃん家は出るとすぐ港です。
子供の頃、ここでハゼを沢山釣ったのを覚えています。
爺ちゃんは私が生まれる前に亡くなっていたので
勿論会った事もなく、今まで母から話を聞く事もありませんでした。
婆ちゃんが亡くなったのは22日ですが、爺ちゃんの命日は23日。
何かに導かれたように。
小さい頃見た事があったかもしれないけど覚えていなかった爺ちゃんの遺影。
端整な顔立ちですが、左目に眼帯をしていました。
母に「お爺ちゃん目が悪かったの?」と聞くと
「沖縄戦で目を失ったのよ」と。
知らなかった・・・・・・。
命こそ落とさなかったにしても、爺ちゃんが沖縄戦に徴兵され何らかの攻撃を受け左目を失明。
終戦後、山口に帰って来ても目がグジュグジュと腐り周囲からは避けられるようになったと。
あまりものをしゃべらない人で、母からしてみたら怖い存在だったようです。
何で今まで知らなかったんだろう。
婆ちゃんは爺ちゃんの人生の倍を生きました。
風力発電の風車がある位、風が強い地域なのですが
この日は前日の風もおさまり、波ひとつない穏やかな海でした。
急な知らせではありましたが
この海と同じようにとても穏やかな顔で、長い眠りにつきました。