ふろむ播州山麓

旧住居の京都山麓から、新居の播州山麓に、ブログ名を変更しました。タイトルだけはたびたび変化しています……

河合寸翁と酒井抱一(5)計里

2024-08-08 | Weblog

 杜甫の詩に「白鳧行」があります。抱一の号「白鳧」(はくふ)は、ここからとったのでしょうか。ちなみに杜甫は唐代の詩人、712年~770年。また杜甫の号のひとつに杜陵野老がありますが、「杜陵」は酒井抱一の号です。このふたつの重なりは、偶然でしょうか? 抱一は意図的に杜甫から選んだ、とわたしは思っています。

 

 さて杜甫の詩「白鳧行」769年全八句を、一行紹介します。

<化為白鳧似老翁/化して白鳧と為りて老翁に似たるを…>

 後藤秋正氏は「杜甫はどこに逗留している時でも渡り鳥でもある鳧の姿に自身の姿を重ねていた。その到達点が『白鳧行』として結晶している。…羽の白くなった鳧は杜甫が新たに造形したものであったが、この白鳧は杜甫の自画像となったのである。」

 波に浮かぶ鳥の姿は、世の中の流れに従って浮沈している自身の姿。年月を経れば、いつか真っ白の鳥になり、老いた翁そのもののような姿になるのでしょうか。

 

 ところで、杜甫がいう「鳧」は、実は鴨(かも)なのです。中国語「鳧」字には、鳥「ケリ」の意味、呼称も面影も微塵の欠片もありません。なぜなのか? 関係の鳥文字を、辞典でいろいろ調べてみることにしました。    <鳧  鶩  鴨  計理>

 まず現代日本の漢和辞典では、

 「鳧/漢音:フ 字義:かも・けり」

 「鳧/①かも鴨、カモ科の鳥 ②けり、チドリ科の鳥」

 「鳧/①かも、のがも。②あひる。/国訓:けり。しぎに似た水鳥。」

 「鳧/過去の助動詞の「けり」にあてて用いる。転じて、決着。きまり。かた。鳧がつく。」

 「鴨/文字義⓵水鳥の一。②あひる、人家に飼う水鳥の一。」

 「鴨/かも ①野鴨 ②あひる家鴨」

 「鶩/音:ぼく 訓:あひる」

 

 

 中国清代に編纂された『康煕字典』。難解な本ですが完成は1716年。

「鳧(読み:フ)、鴨(オウ)なり。」「鳧ハ鶩。」

「野にある鳥は鳧(アフ/註:かも)といい、家にあるのは鴨(註:あひる)と呼ぶ。」/

 同じく清代の『杜甫詳注』には「鴨は水鳥なり。野を鳧といい、家を鶩という。」

 野生鳥と家禽とを、区別しているのがわかります。次に日本の古い字書をみてみます。

 

「鴨/和名・加毛」<本草和名>918年/

「鴨/(音:押おう)野にある鴨は鳧(音:扶ふ)、家におる鴨は鶩(音:木ぼく)。」(注:鶩は和名、阿比留アヒルです。)

「鳧、野鴨名、家鶩鴨名、」「野鴨為鳧、家鴨為鶩、」「野鴨曰鳧、家鴨曰鶩、」<倭名類聚抄>平安時代中期/

「鴨は鶩を俗にアヒロ(注:アヒル)といふもの、鳧はカモといふものなり」<東雅>新井白石1717年/当時では最高の鳥字解釈ではないでしょうか。また前年1716年に、清の『康煕字典』が完成しています。/

 計里(けり)万葉集に鳧の字を用いている。鳥の計理の大きさは鳩に似、頭背は黒い灰色、腹は白色、翼は表裏ともに白いが、端は黒い、…その肉の味は甘美でうまい、秋にこれを賞す。<和漢三才図絵>江戸時代中期/食した記録はまだ、これのみにしか出会っていませんが、きっとおいしいのでしょうね。この記述はかなり正確にケリの姿を描いています。またケリの鳴き声が「ケㇼィ、ケㇼィ」と聞こえるところから「計理」の字があてられています。ただ、わたしには「ケッ、ケッ」と聞こえます。和製語ですが、現代の辞典や鳥本にも「計理」がいくつか出てきます。/

「けりに鳧字をあてたのは、鳧の類にけりという鳥があったので、借用された。また鳴き声が『けりけり』と聞こえるので、けりと名づけられた。」<倭訓栞>江戸時代後期/「鳧の類にけり云々」には納得がいきません。/

 参考までに、杜甫詩「鳧」について。大家のおふたりは「かも」とルビをふるだけです。吉川幸次郎も鈴木虎雄もともに、鳧字についてなぜか、一言の注もないのです。

 

 付録のような扱いですが、「鶩」アヒルのこともいくつか紹介します。

「鶩(安比呂)」<多識編>林羅山17世紀

「鴨(アヒロ)」<和爾雅>1694

「鴨カモ/アヒロとはアは足也、ヒロは潤也、」<東雅>1717

「アヒロ・アヒル」<重修本草綱目啓蒙>1847

「唐家鴨。唐人食物に長崎へ持渡る也、天明年中、紅毛人長崎へ持渡、」<飼鳥必用>江戸時代後期

「鶩(ボク)/鳧(あひる)也。鴨也。以為人所畜」<康煕字典>1716

「鶩/ボク・ブ・あひる。家畜に飼いならした真鴨の変種。」<新漢和辞典>大修館1982

 アヒルがいつ日本に持ち込まれたか、ですが、天明年間(1781~1789)よりも古く、おそらく16世紀半ばまでには長崎に入ったと考えています。

 

 ところで長ながと、鳥談義を続けてしまいましたが、最後に鳧についてまとめ、ケリをつけます。

 日本に鳧字が入ってきたとき、おそらく字義不明でした。鴨(オウ・かも/加毛)と同じ意味だと判断すればよかったのに、間違ってチドリ科の鳥「ケリ」として使ってしまいました。そのため、鳧は鴨や鶩などと混乱が生じてしまった。鳴き声から誕生した和製語「計里」をもっと普及させておれば、このような無用の混乱は起きなかったのに、と思う。

 それと鳧字を上下に分解すると、鳥と「几」(キ)の組み合わせです。几が長いニ本足に見えませんか? チドリ科のケリの足も長いのです。

 今回の掲載は、ここまでにします。暑いです。夏バテ要注意ですね。

 

参考:後藤秋正「杜甫の詩に見える『鳧』について」中国文化:研究と教育75巻2017年 Web版

<2024年8月8日 南浦邦仁>

 

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