初めてヴァチカン美術館に行った10年前。
チケットを買うときからもう長い列、中に入っても人・人、人。
館内に満ち溢れる世界中の人たちの熱気。
それはシスティーナ礼拝堂の最後の晩餐と対面する頃に最高潮に達し、僕の中に強い印象を残しました。
なので、それから8年後、二度目のヴァチカンでは、混乱を避けて朝一番に向かったのです。
「あれっ、空いてる」
あっさりチケット買い中へ入ると人もまばら。
10年前は一直線に礼拝堂にめけて流れていた人の流れはなく、行ったり来たりしながらじっくり絵画を鑑賞する余裕さえありました。
これは狙い通りと言えば、狙い通りだったのですが、少し寂しくもありました。
10年前のあのエネルギーが、想い出の中で増幅されていたせいもあると思いますが、早起きして観た美術館に僕は抜け殻のようなものを感じてしまったのです。
想い出という幻想が産んだ抜け殻。
最初の衝動に勝つ衝動はなかなかありません。
でも一番怖いのは、表面をみただけで、ああこんなもんだなと、今までの経験から決め付けてしまうことだと思うのです。
深いところにはたくさんの驚きが眠っているかも知れないのに、表面だけ見て、その奥には目をつぶってしまう。
初めてのヴァチカンと二回目のヴァチカンの差が、25歳と33歳の差だとしたら・・・
経験が産み出す退屈。
でもまだ何も知らないのに知った気になって本質に目を瞑っていたらそれこそ悲劇です。
何歳になっても、ありのままを受けとめて、
「はぁ」とか「ひぃ」とか「ふぅ」なんて元気のないため息をついたりしないで、「へぇ」「ほぉ」っ思う好奇心と驚きを忘れないでいたいって思います。
対象は、昔と変わっていないのに 観る人の方が変わったのでしょうか?それとも単に思い出が美化されてしまったのでしょうか。
aonumaさんのように いろいろな海外行っていると 良いところに行き過ぎて 不感症になりませんか?
国内旅行で20年前に行ったとこと今では感動が違います。
その当時見えなかったものが今は見えるんです。
絵もまたそうです。
何度見てもいいものは感動します新たな感動があります
最近は年のせいか、絵を見ても、素晴らしい景色を見ても することがしばしばです。
時を経てまた同じ所を訪れるのもいいですね(^^)
経験や知識を得て初めての時と違う感じ方ができるのは成長のひとつと旅の自己評価として楽しみたいと思っています。
ただ慣れや思い込みで感度が鈍くなってしまうのとは雲泥の違いですから常に好奇心と気持ちの感度は上げておきたいですね。
ぎょ・・・今は20歳のほぼ2倍の歳になりますが
たぶん日曜日だったのだと思います。
ヴァチカンに着いた時にミサが始まったのか賛美歌が聞こえました。まるで周りの女神が歌っているようで厳粛なでもちょっと怖かったのを覚えてます。
教会によっては人の念を感じ中に入れなくて飛び出してしまう所もあったのですが、モスクでは今のところ一度もないです
トレースというか、何かを求めすぎると駄目ですね。
期待しすぎるとっていうのは人間関係と同じかも。
不感症。
はずれの日もあるけど、全体を通してみると、毎回いい想い出が残ってます。
rokoさん
歳を重ねて見えなくなったものもあるけど、逆に見えてくるものもありますよね。
昔は庭園なんて退屈だと思ってたのに、最近その美しさが少しわかったような気がします。
ひろぽんさん
僕も二回行ってるところは経由地で1日だけ滞在ってところだけです。
あとは仕事でも行ったアメリカくらいかな?
ちなみにローマはチュニジアに行くときの経由地でした。
かじさん
10日くらい旅していると、1日くらいは乗りの悪い日もあります。
心がオーバーヒートして、入ってくるものを拒んでしまうような。
次の日にはまた好奇心がもりもり湧いてくるのですが。
たまには好奇心も休ませないとってことでしょうか?
naogonさん
調べてみたら2004年2月23日の金曜日でした。
なのでミサで空いていたわけではないようです。
モスクと教会。
どっちがどっちというのは言いにくいけど、僕もモスクの方が落ち着きます。
教会の宗教画の苦痛に満ちた顔、あまり好きじゃないんですよね。
やっぱり最初しか味わえない感動です。
2回目以降同じ感動は確かに味わえないかも知れないけど、
私の場合は、1回目のような感動をしていない自分に酔っちゃいます(笑
「私ってば、こんなに憧れていたものを目の前に、初めてじゃないから舞い上がってない!舞い上がらず見ている自分に感動!」って感じなのです。
単純なのか、幸せなのか…おばかさんなのか…
初めてのところはワクワクとドキドキと
いろいろな感動を経験できて楽しいですが、
2回目3回目のところもまた別のワクワクがあったりして、、、旅はやめられないです^^;
ちなみに、私は何故か同じところにいってしまう傾向にあります。。。
私もキリスト教の宗教画は、「原罪」という思想があまり好きではありませんので、単純に「美しい」と思いますが「共感」はあまりしません。
若かりし日の自分と見るトレド。
しかもその横にはエル・グレコ。
いいですねぇ。
トレドは日帰り客が帰った後が良かったです。
あと○十年経ってもトレドはトレドなんだろうなぁ。
りみかさん
庶民の味方32インチです。
間違えても65インチなんて買えません。
「舞い上がらずに見ている自分に感動」、そういう考え方もあったんですね。
いろんなことに幸せや喜びを見出せるのって、最高の才能だと思いますよ。
SuuSuuさん
ヴァチカンのときは、忘れ物を探しに行ってしまったのが良くなかったのかな?
どんな探し物かは心の奥にそっとしまっておきますが(笑
僕は、始めてのところに行きたがる習性があるようです。
年取ったら気に入ったところを、再訪してみようと思ってます。