歌の思い出

2017年03月09日 | 日記
昨年入門されたKさんという知的で柔和な40代の美女がおられます。ずっと歌の道に憧れていらしたようで、毎回ノートを取りながらレッスンを受けられるほどの熱意です。そして「ああ、すごく嬉しい!声ってこんなふうに出すんですね!」といつも感激してお帰りになります。Kさんは歌の道に進んでもよかったんじゃないかと思うほどの美声なんですが、昨日レッスンに見えた時、「私、音大に行きたかったんです。でも歌で評価されたことが一度もなくて、諦めました」と仰いました。かなりの美声の持ち主で、高校時代はコーラスをやっていらしたというKさん、誰も声楽の道を勧めなかったというのがむしろ不思議な気がするぐらいですが、なんだか私の経験ともオーバーラップするなあ、と思いながら話を聞いていました。というのも、私も小さい頃から歌や音楽全般が大好きでしたが、歌で評価された経験がほとんどなかったからです。まず最初の挫折は小学生低学年の頃。児童合唱団の入団試験に落ちました。中学校でコーラス部に入りましたが、上手な友達が大勢いて私は全然ぱっとせず、声楽を始めてからも独唱のコンクールにはことごとく落選。家族や身内からも「音楽は才能の世界だから」と音大進学に反対されました。今、曲がりなりにも歌を続けていることが我ながら不思議でならない時があります。
だいぶ前になりますが、障がい者福祉サービス事業所のニューズレターに、頼まれてエッセイを寄稿したことがあります。題して「歌の思い出」。Kさんと話していて、このエッセイのことを思い出しました。少し長くなりますが、ここに転載します。

歌の思い出

歌はいいものだ。小さな声で歌っても大きな声で歌っても元気が湧いてくる。二人で歌えば心がつながるし、みんなで歌えば多少の憂さは吹き飛んでしまう。コーラスやカラオケが人気なのもむべなるかな、だ。
いい歌を聴けば心が動くと知ったのは、まだ小学校にも上がらない子どもの頃だった。父がお風呂の中で歌ってくれた「灯台守」の歌。♪凍れる月影空に冴えて...しみじみと歌いあげる父の声を聴いているうちにじーんと来た。思わず涙がこぼれてびっくり。この気持ちは何だろう。感動という言葉は知らなかったが、心に何かが起こったのはわかった。
歌が心を明るくしてくれると知ったのも、子どもの頃だった。私は食が細くて偏食もかなりひどく(今ではすっかり変わったが)、方向音痴の運動音痴で(これは全然変わらない)、みんなが楽しみにしているお弁当や外遊びの時間が苦手、いつも何となく鬱々とした子だった。ところが、母が掃除をしながら口ずさむ♪うるわしの白ユリ...とか、♪...シャロンの野ばらよ~、なんて素敵な讃美歌が聴こえてくると、不思議と霧がすーっと晴れるような気持ちになったものだ。 
余談だが、「この子は音楽が好きらしい」と思った保育園の先生が、両親に「音楽教室に通わせてみては?」と勧めて下さった。しかし、内弁慶の私は音楽教室のグループレッスンがダメで、1ヶ月で挫折した。オルガンの個人レッスンに切り替えたが、手先が不器用でちっとも上達しない。親としてはかなり期待が外れたようだったが、レッスンはともかくも続いた。
さて、小学校に上がり、入学式で初めて「校歌」なるものを聴いた。弱起で始まり、リズムに変化があり、だんだん盛り上がって終わる。歌詞も童謡や歌謡曲とは違う。未知の世界の扉が開いたような気持ちになった。1年生の途中で転校したので、この校歌を歌ったのは数回だけだったはずだが、なぜか今でも歌える。
校歌と言えば、中学校の入学式の思い出はもっと鮮烈だ。驚くなかれ校歌が混声4部合唱だったのだ。上級生の高らかな歌声に度肝を抜かれた。それだけではない。この学校では朝夕のホームルームでも各クラスで合唱をする習わしだった。毎日校内のあちこちからきれいなハーモニーが響く。体育大会でも団ごとにかっこいい応援歌を歌ったし、校内合唱コンクールにもみんなで燃えた。一年中歌に満ち溢れた環境の中で、私はだんだん歌にハマっていった。コーラス部にも入った。一日たりとも歌わずにはいられなくなった。
高校でも当然コーラス部に入った。と言うより、コーラス部に入るために高校に行った。ある時部活で、合唱用にアレンジされた九州民謡を歌うことになった。熊本民謡の「キンキラキン」、宮崎民謡の「ひえつき節」、博多民謡の「どんたくばやし」。いつも歌っている西洋音楽とは一味違う。何だか日本人の血が騒ぐ。考えてみれば、私たちは日本人なのに普段西洋の歌ばかり歌っている。ヘンと言えばヘンな話だ。でも、今の私たちには日本古来の民謡より外国の音楽の方がよっぽど身近だし。そんなことに漠然と思いを巡らせた。言うなれば歌を介して社会学的、文化学的な問題意識に目覚めたわけだ。とは言え、そんな難しいことをどう考えたらいいのかわからない。現実離れしたいろんな問いにしばしばとらわれながらも、ともかく照る日も降る日も歌い続けた高校時代だった。
歌好きが嵩じて音大の声楽科に進んだが、その後30年近くの歌との関わりは決して楽しいばかりではなかった。何の道でもそうだろうが、専門にしてしまうと苦しみの方が多くなる。自らの才能のなさに絶望し、それでも歌に執着する自分を持て余し、いっそ歌をどこかに捨ててこようと国外脱出さえした(しかし結局持ち返った)。ところが、あまりに不器用な私を見かねたミューズの神のお計らいか、40歳近くになって人生最大のエポックメイキングな出来事が起こった。現在の歌の師匠との出会いである。解剖学や生理学の講義のような科学的な説明、次々繰り出される効果抜群の発声法。自分の声じゃないみたいないい声がどんどん出てきて、我ながらびっくり。長年のストレスが一気に解消し、歌う喜びを取り戻した。ネクラで引っ込み思案で人見知りで神経過敏で自意識過剰だった私が、喜びのあまり「うーばんぎゃー」の権化のようになった。かつては桎梏だった歌が、今では逆に、この世の軛から心身を解き放つ自由の使者になったのだもの。
歌を学び始めて以来、数々の名歌に触れてきた。典雅なイタリア古典歌曲、精神性高きドイツ歌曲、情緒豊かな日本歌曲。他にもいろんなジャンルの歌が無数にある。古今東西、人間の暮らしは常にとりどりの歌に彩られている。ジャズもロックもゴスペルもシャンソンも讃美歌も流行歌も民謡も、どれもみな、人間の日々の営みの中から生まれた、ほとばしる生命力の美しい結晶である。そして、人は歌う時、目に見えない翼を拡げて広大な世界を羽ばたくことができる。これこそ人間の人間たる証であろう。わが座右の詩「うたをうたうとき」に見事に表現されているように。

うたをうたうとき
                     まど みちお

  うたをうたうとき / わたしは からだをぬぎます
  からだをぬいで / こころひとつになります
  こころひとつになって / かるがる とんでいくのです
  うたがいきたいところへ / うたよりもはやく
  そして / あとからたどりつくうたを / やさしく むかえてあげるのです
  うたをうたうとき / わたしは からだをぬぎます
  からだをぬいで / こころひとつになって / かるがる とんでいくのです

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