ベル・カント

2012年01月06日 | 日記
16世紀末にイタリアで興ったオペラ。オーケストラの伴奏にも消されず、野外劇場での公演にも耐えうる発声法。イタリア語で「美しい歌」を意味する「ベル・カント」唱法の起源はそこにあります。
今日、以前に私の講座を何度か受講されたUさんという男性がレッスンにみえました。現在は東京にお住まいで、明日にはまた東京に戻られるそうです。短い帰省期間中に時間を作ってわざわざレッスンに来て下さって感激でした。Uさんは福祉関係のお仕事をされていますが、劇団にも所属し、作曲をしたり歌ったりという活動もなさっているアクティヴな方です。発声の理論の話をもう一度聞きたいとおっしゃるので、呼吸、発声、共鳴の仕組みについて講座で話すような内容を一通りお話させて頂き、独習できるようなエクササイズの方法もいくつかお伝えし、実際に声も出して頂きました。Uさんは美声の持ち主で、歌のレッスンの経験もお持ちです。そういう方に共通の傾向として、Uさんもまた、(声帯を引っ張ったり呼気を高く飛ばしたりするための)筋力とのバランスからすると大き過ぎる声を出していらっしゃいます。そこで「そんなに大きな声でなくていいですよ」と申し上げると、「必要な筋力がついてきたら自然に大きな声になるのでしょうか?どんなトレーニングをすればよいのでしょうか?」と訊かれ、ハッとしました。この質問には、「大きな声」とは何なのか、そもそもヴォイス・トレーニングはどんな声を目指しているのか、という大切な問いかけが含まれていると感じたからです。
私たちが目指しているのは、「近くで聴いてもうるさくなく、しかも遠くまで通る声」です。ところが、いわゆる「大きな声」はしばしば「近くではうるさいが、遠くへは飛ばない声」です。業界用語ではこれを「側鳴り(そばなり)の声」と言います。体を使わずに喉だけで出している声です。体の筋肉を必要十分に使って出す声は、聴いていても心地よく、本人も気持ちが良く、遠くまで無理なく響きます。
さて、「遠くまでよく通る声」は大きく3種類に分類できます。一つは、声帯の上にある喉頭蓋を閉じ気味にして、声帯を通り抜けてきた息(喉頭原音)の通り道をわざと細くして出す声です。ちょうど、ホースの先をつまんで水の出る勢いを強くするような感じです。日本の演歌や浪曲などの発声法はこれです。声の通り道が細いため、金切り声に近くなります。息が喉に残るので、声帯にも負担がかかりがちです。
二つめは、ベル・カントの一つの流派で、声帯自体を鳴らす、つまり声門(左右両側から隆起して中央で合わさる声帯の間の空間)閉鎖の力加減やタイミング、呼気の圧力などによって声帯自体を鍛えて出す声です。太くて強い声帯を持っている人は、このやり方で非常に輝かしい、パンチの効いた声が出せるようになります。イタリア人は人種的に声帯が丈夫な人が多いそうで、だからこのやり方で成功する人も多いのでしょう。しかし、このメソッドで喉を壊した人が、私の知人だけでも数人います。北欧からイタリアに勉強に行った声楽家の多くがこの発声法で喉を壊したそうです。声帯自体がよほど強くないとこのメソッドには耐えられないのかもしれません。
これに対して、もうひとつのベル・カントは「どんな声帯の人でもできる発声法」、すなわち、声帯自体を意識せず、空間の共鳴を最大限に活用する方法です。体内の共鳴腔(下咽頭腔、口腔、副鼻腔)を十分に響かせ、骨伝導を通して全身を響かせ、さらには頭部共鳴を活用して、歌っている場所(ホールや部屋)自体を共鳴空間にします。
空気のある所は共鳴空間です。つまり、空洞はすべて共鳴空間なのです。下咽頭腔の共鳴をよくするには、喉頭蓋をしっかり開けなければいけません。口腔の共鳴をよくするには、軟口蓋を十分に引き上げて口の中を広くしなければいけません。副鼻腔の中で一番大きい蝶形骨洞に響かせるためには、呼気を垂直に上へ飛ばさなければいけません。これらのことはすべて、全身の筋肉の運動を必要とします。そして、蝶形骨は9つの骨に接しているので、そこに呼気がしっかり当たれば頭蓋底全体が振動し、その振動が天井や壁、床に伝わって反射し、空間全体に響きが運ばれていくのです。
私が東京の師匠にこの10年来習っているのは、この「空間の共鳴」を生かす方法です。私はもともと声帯が薄く、音大受験前に耳鼻咽喉科で「あなたの声帯は普通の半分ぐらいしか厚みがないよ。本当に声楽科を受けるの?やめた方がいいんじゃない?」と言われたほどですから、声帯自体を鳴らすメソッドには全然向いていません。これは今になってみれば幸いなことだった、と思います。万人向けのメソッド、自然なメソッド、あまりパンチは効かないけれど癒し系のメソッド、その価値がわかるためには、このハンディキャップが必要だったと思うからです。
人間万事塞翁が馬。ピンチはチャンス。発声に限らず、私の人生はこのことわざを地で行っている、と思うことがよくあります。新年にふさわしいこんな感慨をもたらしてくれたUさん、ありがとうございました!

最新の画像もっと見る

コメントを投稿