のりぞうのほほんのんびりバンザイ

あわてない、あわてない。ひとやすみ、ひとやすみ。

優しくしてください。

2019年04月02日 07時00分45秒 | 日常生活
義父が亡くなりました。
この一か月は平日も仕事帰りにお見舞いに行き、生まれる前から楽しみにしてくれていた孫の顔をできるだけ見せるようにしていました。

お見舞いに行くと、全身が痛いにも関わらず、ユーモアいっぱいのこちらが笑顔になる反応を返してくれていた義父でしたが、最後の一週間は目を開けるだけでやっとの状態でした。それでも私たちのほうに顔を向けてくれたり、うんうんと何度も頷いてくれたりしていました。
義母は「最後はもう意識がなかったもんね。」と言っていましたが、私たちがお見舞いに行ったときには、ちゃんと意志を見せてくれていたし、何らかの反応を見せてくれていたので、きっと最後まで意識はあったんだと信じています。

最後の瞬間には間に合えませんでした。
前日、病院からは「あと2、3日だと思います。昨日、お見舞いに来てたんだったら、明日でもいいと思いますよ。」と言われ、夫さんが体調を崩していたこともあって、その日はゆっくり休んで、明日の仕事帰りに向かうことにしました。が、翌日の朝に急変。
私たちもお義母さんも間に合いませんでした。

きっとお義父さんは体調が悪い夫さんを気遣って、一日行くのを待ってくれていたんだろうな、と思っています。

義父が亡くなる前々日の朝。
うちの息子さんは起きてすぐに「おばけさんがきとるよ。はしりよったよ。」と言っていました。そんなこと、一度も言ったことがないのに。

そして亡くなる前日の深夜2時過ぎ。
息子さんはいつもの目を閉じた状態で足をじたばたさせながら泣く夜泣きではなく、目を開けて体を起こし、「ママ、おきて!ママ、おきて!あっちのおへやにいこう!」と泣きながら1、2時間ほど私を起こし続けていました。
眠くて眠くて、最後には「もう!夜、寝らん子はお母さん、好かんよ!」と無理やり寝かしつけましたが、葬儀の日、夫さんが「もしかして、あれはお父さんがお別れに来てくれとったんかも。」と言い、そうかもしれないなぁ、そうだったらうれしいなぁ、と思いました。

お通夜は家族だけでゆっくりと過ごしました。
義父はきつかった闘病生活を微塵も見せない穏やかな顔で、息子も怖がることなく、何度も顔を見に行き、「おじいちゃん、ねとるねぇ。」と言っていました。

いつも仏壇に手を合わせるときは「ひいじいじ、ひいばあば、こんにちは。だよ。」と言っているのですが、「おじいちゃん、ゆっくりやすんでください。だよ。」と伝え、息子は何度もおじいちゃんの顔を見に行っては「ゆっくりやすんでください。」と言っていました。

たまに「ゆっくりやすんでください」という言葉が思い出せなくなるらしく、そのときは「おじいちゃん、やさしくしてください。」とお祈りしていました。

おじいちゃんはずっとずっと優しいおじいちゃんだったよ。
初めての男の子の孫だったせいか、君のことをすごくすごくかわいがってくれていたよ。
君が会いに行くのをいつも楽しみに待ってくれていたんだよ。

ということを、これからもずっとずっと伝えていこうと思います。
息子の記憶におじいちゃんのことは多分残らないと思うから。

お別れはとても寂しいけれど、ずっとずっととても苦しそうだった義父の顔が穏やかになって、ほっともしました。
お義父さん、ゆっくりお休みください。