7月4日(月)
ホテルの窓からの景色
ついにティエーネを去る日が来た。
ホテルから見た景色は、こんな感じだ。
下に街が広がるが、基本、トウモロコシとブドウ畑、そして、牧草地ばかりである。
人口2万3000人。
私は、テーィエーネ市について聞かれた場合、入間の「元加治」 「仏子」に例えたいと思う。
なだらかな丘陵が広がる田舎であり、低地に少し街がある。
畑地は土ではなく、ぶどうやトウモロコシや野菜が植わっている。そして、それ以外は地面はすべて牧草がおおう。
だから、みどり一面である。
また、丘陵を自転車を楽しむ人がたくさん走っている。
その点でも ハイキングを楽しめる「元加治」「仏子」っぽいのだ。
初日の朝、窓をあけて眼下を望む。 ほら、「元加治」「仏子」でしょ。
丘陵中腹のホテルから望む パノラマで撮ってみました
お年寄りがみんな自転車に乗ってました それもマウンテンぽいの
道しるべ もう一歩もう30分行ってみたくなる仕掛け
街中にはまだポスターが
ジャンピ・ミケルージ新市長はまだ当選したばかり。
以前は 前市長の文化面の審議会メンバーを担う一人であり、
昨年のローマ東京間飛行達成100周年記念式典では、所沢市長からのメッセージを読み上げる役も務められた。
その点で、所沢市・ティエーネ市の友好交流の意思はすでに継承されていた。
今回の訪問では、市が用意した行事に加え、
商工業界から「ぜひ日本の市長に見に来てほしい」とオファーがあって、
用意された訪問先も急きょ増えたのだ、と聞く。
文化面で学ぶところ多いイタリアだが、商工業面でも所沢商工会議所とつながれ、発展をみたら素晴らしいと思う。
(イタリアは自転車の国でもあり、だから、三ケ島製作所の宣伝も存分にしておいた。)
もちろん、スポーツ面での交流は今後も続くだろう。
(イタリア国は所沢の早稲田の施設が、縁起がいいと高く評価しているらしい。
オリンピック直後に予定された世界水泳も大阪で開催なのに、練習は所沢を希望された。
残念ながら世界水泳はコロナで中止になったが。)
ただ、一方で、
ティエーネ市も昨年の100周年記念事業と今年の所沢市歓迎で、ほっと一息、という面もあろうと感じる。
これだけの大歓待・・・、きっと大仕事だったに違いない。
だから一息つけば、それで済んでしまうかもしれない。
コツコツと市民レベル、企業レベルの縁を紡いでいかねば、今回の訪問は無駄になってしまう。
アルトゥーロ・フェラーリンの存在が(100周年で)着目され、そこにティエーネ市が関与した。
日本の航空発祥の地としての所沢、いまでもフェラーリンの偉業を展示評価している航空発祥記念館をもつ所沢 として、ティエーネ市も所沢市に縁を感じた。
(到着した代々木でも歓迎会を催した大阪ほかでもよかったはずだが、やはり、「所沢」だった)
さらに、そこに アニメの巨匠 宮崎駿監督作品が大いにそこにかかわっていた。
そして、一方では、東京オリンピックのイタリアチームのホストは、所沢市が務めた。
この奇縁をどう育んでいくのかいかないのか、物語をどう発展させていくのかは、
歴史をどう扱うかの態度に似て、所沢・ティエーネ2つの市ともに今後、試されることになる。
最終日は、職員たちは市役所を訪問。
私も訪問してしまうと、また大ごとになってしまうので、私は街を散策することにした。
同じ職員として市役所訪問、懇談は有益だったという。
市職員同士の懇談
私の方は、今日は市(いち)がたつ日であり、旧市街の路上は市でいっぱいになるという。
そういう日が毎週設定されているのだそうだ。
食料品から衣料用品まで何でもそろう市(いち)
ジプシーが出現すると放送でジプシー警報が出るという
(ジプシーは国を流浪する民。幼児から大人まで集団で取り囲んでスリ行為に及ぶこともある。)
マルシェ(市)をもっとやっていこう!
「人を中心にしたマチづくり」、いやそれ以前の市長になったばかりの時から、
掛け声はかけているが、まだまだ、規格化されていない。反省である。 これも進める!
さて、ティエーネ市では、その他、映画祭を公園でやったり、スポーツフェスタをやったり、
小さな街なのにやはりヨーロッパなんだなあ、と思う。
7月17日から8月21日まで連日開かれる映画祭のポスター
公園にはすでに銀幕が設置され、椅子も用意されていた
分別箱 半径150m以上一か所 イタリア人の方が辛抱強い
通訳の川崎さんも、 「分別はいいけれど…遠い!」 と嘆いていた。
シェアサイクルもあった
バイオ ヨーロッパは食に対しても有機を追求する力が強い
今までどおりの飼育の卵
バイオ のお墨付き たまご 値段は少し高い
なお、ヨーロッパのほかの国に比べればイタリアの環境配慮意識は低い。
日本と同じかなぁ、と感じた。
さて、私の街歩き、職員同士の懇談も終わって、再び合流。
現地通訳の川崎さん、コーディネーターの道原さんとは、ここでお別れとなる。
感謝しても仕切れるものでもない、そう思いながらティエーネ市を後にし、
陸路1時間半、飛行場のあるベニスに向かいました。
ベニスのそばのホテルに到着午後3時。 明日早朝の飛行機までが自由となる。さあ、バスでベニスに行くぞ!
2両連結バスでベニスへ
まず、バス停がどこにあるか探すことから難儀した。
だが、これぞ、旅の醍醐味(だいごみ)。
ここからは『地球の歩き方』 的になるはず、だったのだが、最近は何でもスマホで調べられる。
若い20代の職員がチャキチャキやる。
私も50歳代職員も、ただ佇(たたず)む。 そして、二両連結のバスを見て 驚く!
JESUS CHRIST! (なんてこった!)
さて、ベニスこそ日本人に最も知られた水の都。 大観光地にして海産物もおいしい都市。
市民友好交流の暁には、ここはセットで訪れることになるでしょう。
コロナ蔓延の最初の年、人間の経済活動が抑えられた時、
ベニス運河の水も澄み、底にいるカニの姿も見えたという。
今はそれもすっかり元に戻り、人でにぎわうベニスであった。
街は運河が網羅され、道は狭く車は通らず、 道は人のため、せいぜい大八車程度が通るだけ。
車よりまちの方が歴史が古く、建物が堅固であれば、
車のための町のつくり、にはならないでしまうのである。
建物は堅牢にして文化財的存在 昔のままの路(みち)になる
有名な橋 水上バスや水上タクシーが行きかう
まだ、夕ご飯を食べていない。 ベニスの店仕舞いは早いと言う。 そして、今日は最後の夜。
午後10時までスーパーは開いているらしい。
店で食べるのはあきらめて、スーパーで何か買って持ち寄ってホテルでみんなで食べることにする。
夜9時半、ホテル近くでバスを降りた。が、スーパーがなく、
途方に暮れて夜の街を40分近く歩き、へろへろになって、でもさいごはホテル近くのBARがあいていて、なんとか最後の飯を食べた。
眠ったのは3時過ぎ、もう4時になろうとしていた。 が、それでいいのだ。
日本時間なら朝の10時。なるべく起きておいて、早朝にベニスを発ち、
飛行機は眠りまくって、翌朝9時ころに成田着。 午後2時からは仕事が入っている。
7月5日(火)早朝、飛行機に搭乗。
案の定、私の方は疲れに疲れて、疲労困憊、
機内でほとんど寝て過ごし、(ウィーン経由、偏西風にのって行きより帰路の方が速い)
7月6日(水)朝
あっという間に成田着、となってしまいました。
帰りは本当にあっという間、でありました。
(以上が、ティエーネ市の訪問の記録となりますが、総括については、後日としたいと思います。)