昨日縷々記事書いてたのが消えて
いじけた
この農場のあとミロは変わったというのだ
この農場の絵は ヘミングウェイが買ってくれたそうで
(ヘミングウェイもまだまだ有名人じゃなく ミロとはボクシング友だちだったそうだ)
それでもミロはまだまだ貧乏だったらしい
この農場の絵は
よくよく見ると
どういう風に描いたのか 想像がつく
一つ一つ しっかり描いて 画面も しっかり構築して
と
そういう描き方は 生涯変らなかったように思う
でも
次からの絵は いわゆる変な絵だったから
シュールレアリズムの擁護者だったという画廊主も
変っていくミロに この農場のような絵に帰るといい と言ったという
なるほどな 人々は やっぱり 何が描いてあるか理解しやすいのが好きなんだ
そういうことに 挑戦的なミロだったようだ
ピカソとはよい関係だったとはいえ
批判的な言辞も残っていて
ピカソが いわゆる ものすごくアカデミックな絵はうまかったことが
人々にとっては
商標になっている
何時でもピカソは アングルみたいな絵も描ける
というようなことを言っているが
ミロは 絶対何が描いてあるかわかりやすい絵には戻らない
と
そういうことが挑戦的 という風に自負していたような気がする
次の年の
耕地という絵
こういう風に変わったと書いているけれど
基本は同じだと思うのだ
一つ一つ具に描いて画面を構築する
ただ その 一つ一つのモチーフが
面白くてたまらない
もう この犬には笑っちゃう
上のは何だ?
ああ 馬がおっぱい飲んでいるのか
右下のとんがり帽子は トカゲだと!
おお!メルヘンチック!
この絵では 現実にある さまざまな対象物を ユーモラスに
表現していて
よくわかるけど どんどん それがエスカレートして
だんだん わけのわからない 抽象的な 記号のような形になっていくのだけれど
膨大なデッサンスケッチを通して
ドンドン 造形主としては 自在になっていったような気がする
で
ヒントは 物のあととか シミとか 具体物は連想しないものから
発想もつかんでいくみたいで
オートマチック って言えば オートマチック
でも
農場の時と同じ 一つ一つ 具に描いていく という姿勢は
持って生まれたものなのだろうと思う
最初に通った ピカソも通った アカデミックな授業展開の美術学校では
合わないで
病気になっちゃったそうだから
そういう いわゆる アカデミックな対象物のとらえ方は
合わない脳みその持ち主だったのだと思う
多分 世の中には
絵を描く人の脳みそにはいくつかタイプがあって
ピカソとミロは そこん所が 違うタイプなのだろう
でもミロが農場には戻らなかったように
ピカソだってクレーだって戻りはしなかったよなと思った