遊工房・雑感

日頃のあれこれを綴る日記です

そっくり

2013-03-28 05:21:37 | 文学

昨日 二つの翻訳文を比較することがあった

そこで思ったこと

昨日はKINU洋画会でご高齢の方が

先生が絵の中にフェルメールの絵を取り込んで描いていらしたのを見て

すごいなあ

どうして あんなにそっくりにかけるんだろう

わたしは 描けないものだから

とおっしゃった

そっくりに描く

というのは

絵の場合だとデッサン習ったりすれば

だいたい誰でも描けるようになるものだ

もっともどうもうまくいかない

という人もいることはいるけれど

若いうちに(たぶん頭が柔らかいうちに)訓練すれば

ある程度は

かけるようになるものだけど

それでも

人間は自分が見たいように見るものだから

どれだけ対象を描いているつもりだって

全てが自画像だ とは よく言う話だけど

そのことを

二つの翻訳文を比較してみて (アハハ なんでもそうなんだ)

と そこから関連して

いろいろ考えた

展覧会なんかやると

これ誰の絵?サイン入れないと誰んだかわかんないよ!

と文句が聞こえたけど

サインなんかなくたって

分かるって

そうです その人の顔しているんだから

翻訳と言えば

画家をテーマにした文学

サマセット・モームの月と六ペンスなんかは

わたしは読むに堪えない

ゴーギャンについての解釈が

気持ち悪いほど違うからで

つまり 私が勝手に解釈してきた ということでもあるんだけど

デッサンというのもそうだ

訓練をすると

対象物についての 自分の勝手な解釈はそぎ落としていって

ひたすら

対象物の中の存在の法則を掴みとろうという風な

謙虚な?姿勢の訓練でもあるのだろうけど

それでも

そっくりに描いたって 自画像なんだよなあ

二つの翻訳文を比べて ひらめいたのだ

 

今みたいに自由な世の中じゃなくたって

絵は

こういう風に描くものです

って

決められて

そのように描かなきゃならないとしても

いくらでも自由にかける

これが絵だよなあ

ゥヒヒ うれしいなあと思う

絵を描いて自分の独特の世界なんて作ろうとする必要はないのだよ

どうせ 自画像だから

自分のものの見方考え方表現の仕方を ひたすらあれこれやってりゃいいのだ

絵に関して色々検索してたら

ある絵画教室では デッサンはその対象物の法則をつかむことですよ

と教えているようだ

それいいじゃないかと思う

私の師は デッサンがなっちょらん学生には

ちっとは 弁証法ぐらい勉強して来い!と叱った

法則をつかむということを

その町の絵画教室では

どういう風に展開しているんだろう?

・・・

大塚先生はそういう風ではないんだよなあ

そういうふうじゃないところが大塚先生の自画像でもあるんだけど

・・・・

クロッキーについても

どうすれば早く描くか じゃないのです

大事なのは中心線を見つけることです

って

そこでは教えている

ホホホ

これも法則なのかもしれない

わたしは

重心線と思っているけれど

同じことだ

垂直線です いえ 鉛直線です でもいいし

それとの関係 でもいいし

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「 カンディード」ヴォルテール

2012-06-02 19:29:02 | 文学

なんとなくピカソかマチスがカンディードという題の絵を描いていたなあ

どんな話なんだろう?

と思って読み始めて

面白くて わくわく

何じゃこれ

ガリバー旅行記みたい!

と思ったが

よくよく調べても絵描きのほうはなかなか出てこない

どうやら クレーらしい

しかも家の本を漁っても画像が出てこない

本が出てこないのかなあ?

20090325_628221

こういう線の絵

クレーは これから抽象画に入っていく

線を抽出して 描いていく味を占めて

線の絵っていっぱいあるよなあ

その発端がカンディードかあ!

K1101012

ところで

このカンディードは1755年のリスボンの大地震が発端らしい

2万人もの人々の命が奪われた震災は

当時の人々に大きな衝撃を与えて

このカンディードの主題のアンチ最善主義に対して

リスボンの大震災に関する詩篇、または『すべては善である』という公理の検討

というヴォルテールが書いたものに

ルソーが異議を唱えたといういきさつもあったらしい

ルソーってねえ フランス革命だの 自然に帰れだの社会契約論だの

高校で習ったけれど

私は 中身は何もわかっちゃいない

でも ヴォルテールとルソーは リスボンの震災問題では

絶交したんだって!

初めて知った

で ルソーは エミールは 読みました

エミールは 20年ぐらい前 教育にかかわる人の間では

バイブルのように読まれていたよ

 

しかし 大震災を巡って

こういう思想対決が出てくる

このルソーの主張がロマン派文学につながるのだそうだ

へえ!?

ともかくカンディードはライプニッツの哲学を最善主義として批判していると

解説に書いてあるけれど

関連事項を検索すると

デマっぽい

 

このあたりの思想的な対立って

凡人の私にはわかりにくいけれど

カラマゾフの大審問官につながってくる

カンディードを掘り起こしてのは

ちょっとした鉱脈だった

このヴォルテールとルソーって

パリのパンテオンに並んで葬られていて

双方フランス革命の英雄ということになって並んでいるのだけれど

絶交した二人だもんね

799pxpantheon_wider_centered
パンテオン

私は行ったことない

ドストエフスキーは行った

で 案内人は二人をほめそやして説明したのに

ドストエフスキーが

妙だね!この二人の偉人は一生涯、一人が相手を嘘つきの悪人だというと、もう一人は相手をいきなり馬鹿と呼んでいたが、ここではこうしてほとんど隣り同士になったわけだね

とからかったんだってさ

ドストエフスキーの二つの対決する思想を噛み合わせてお話を展開していく

こういう対比 論争 みたいな手法

あ 別にドストエフスキー専売でもないか

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しつこく大審問官

2012-04-23 09:01:25 | 文学

大審問官の問題と

東西のキリスト教の関係が知りたくて

関連の本を読んでいたが

15世紀の問題には行き着かず

(大審問官の舞台は15世紀のスペイン)

行き止まりになったので

15世紀の異端審問について調べ始めたら

全く 宗教問題ではなく権力問題ということが

改めて浮き彫りになった

東西のキリスト教問題もそうだ

なんてこった

 

すべての歴史はそういう視点で捉えられるのは当然だけれど

どちらもあまりにも露骨で

気持ちが悪くなる

多分19世紀の知識人はみんなそんなこと先刻承知だったろうし

それでも 宗教を信じる気持ちが亡くならない方が不思議だ

でも 前に朗読でドーデーの「星」について調べ

なんと疑いもなくセントヤコブをスペインの守護神

とか シャルルマーニュを英雄的に語る羊飼いの口調に

同化しながら読んだ自分の気持ちを思うと

人の心情も信条も ま そんなもんだなと思う

シャルルマーニュについてはフランク王国の帝国的建設に

深慮遠謀の策略家と見てもいいわけだし

追い出されたサラセンから見たらどうよねえ

こういうことって 子供時代は洗脳され そのまま大人になるのが普通だ

伊藤博文暗殺者が安重根なんて 記憶になかったし

改めて 韓国の人から見れば 安重根が英雄視されているのは

そりゃあなあ 当然と言えな当然だ

これで イワンという人がまた少しわかってきた

物事が分かるには

私には時間がかかる 

コメント (2)
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大審問官 続き

2012-04-19 22:28:07 | 文学

東西キリスト教の歴史を読んでみたら

私には 全くくだらないことの応酬にしか見えない

宗教論争ではなく

結局背後にある権力闘争ではないか

と考えると ホント 大審問官の言うとおりだと思う

最初 一読したときは 大審問官は 悪魔の論理だと思ったんだがな

私の頭の中も悪魔かもしれない

 

最終的にずっと無言のキリストは 大審問官に接吻

という結末

この話をしていたイワンに

アリョーシャも接吻するんだが

剽窃かよ という展開

ドストエフスキーの中で

神の祝福が 人間の苦悩を救済する

という展開なんだろうなあ

ここでも私は思って

「罪と罰」のおわり ラスコーリニコフが

大地にひれ伏して接吻する場面を思い出す

詩劇 大審問官を作ったイワンは西欧的な学問を身に付けた

インテリ

そういう設定だそうだが(そういう風に解説があるだけで

私は小説の中でそれをどう読み取るのかわかんない)

東西のキリスト教のこと

東西の文化のこと

そういうテーマは大きいような気がする

オルハン・パムクの小説も

西欧化するトルコ という問題が大きかったけれど

西欧的なものの考え方が優位なことと

キリスト教の東西の分裂の歴史は重なって見える

だいたい 文明大国って 傲岸だ

話は飛ぶようだが

尖閣諸島をめぐる中国のやり方

商標登録をめぐる中国のやり方

全く 中華思想の 不遜というか傲岸ぶりじゃないかと

ちょっと ムカついているんだが

文明大国って 当然自分に正義があると 勝手に威張っている感じがする

逆に おごり高ぶってきた日本 というのもあるんだろうな

これからは

先進部分 というのは 深く謙虚に

自然と歴史に ひれ伏さないといけない

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芸術だなあ

2012-04-12 21:49:03 | 文学

結局カラマゾフは 多面的に面白い

こういうの芸術っていうんだと思った

芸術の条件 典型的で 普遍的 民族的で世界的

社会的で歴史的 

その時の現代を反映している表現が 鑑賞される現代も反映する

そう思うと 村上隆も少しわかるかもしれない

D0131874_1810506

って わかってないんだけれど

セザンヌ展を見た後

景色が 全く変わって見え始めて

そんなことを考えたけれど

カラマゾフを読んで

宗教が見えなかった私に何か見え始めた気もするし

分かんないのだけれど

それにしても

宗教も多分 とっても芸術なんだ

キリストにしろブッダにしろ孔子にしろ親鸞にしろ

もろもろの人々

中には うんと古い時代の人なのに

いまだにあれこれそれを種に 今の人に考えさせている

そういう種を 提供できるって

芸術ではないかと思ってしまう

それらは みんな人が作ったものなわけだが

世の中には よく働く頭の持ち主がいるものだなあ

と感心する 面白い

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軽蔑する作家の研究って出来るものなのかなあ

2012-04-10 20:12:39 | 文学

とある人のドストエフスキー研究の本を読んでいたら

その人はドストエフスキーをやな奴で くだらないと思っているんだな

と感じた

崇拝する人と 蔑視する人といるらしい

ドストエフスキーそのもののカラマゾフ的なところを

詰まらん!と思って研究し続けられるものかね

と思った

中にとても面白いことが書かれている

ストラーホフといういくらか年下の人

ドストエフスキーには密着して大いに影響も与えた人のようだけれど

ドストエフスキーの死後思い出を書くように言われて書くとき

大変な嫌悪感を持ったという

二人は影響し合う関係だったかもしれないけれど

違いも多く相いれないものも多かったようだ

そういうことはよくある

それで また何かが浮き彫りになるということでは面白い

でも 嫌悪感を抱く関係のものを

いつまでも考えたら 病気になるよな

病気になりそうな 罵倒 嫌悪感と言うのを

このごろ目にすることが多いからな

そういう場面は避けてごまかして通り抜けたい

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悪魔の所業  大審問官がらみで

2012-04-07 06:15:21 | 文学

世界史で

共産党宣言が出たころ

ヨーロッパで共産主義と言う悪魔が広がるというように警戒されたという話を聞いて

(共産党宣言の序文だっけ?)

資本家たちが敵視して自分の権益を脅かすものとして

こうやって忌み嫌った

と言う風に解釈したけど

元はマタイ伝第4章の悪魔の問いと関係があるんだったのね

大審問官の悪魔の三つの問いもそこからきている

キリスト教徒はよく知っている話だった

だから 共産主義は

人をパンで生きるものとし

(社会の基礎は経済だという説だし)

権力を持って資本家を弾圧することをやってきたし

神秘にかかわるところでは自然を支配しようとすることをさしてもいるんだろうと思った

キリスト教から見れば

共産主義は悪魔の所業だ

カラマゾフの大審問官をのちのロシアの共産主義革命と崩壊を

ここで読み取る人も多いようだ

大審問官の部分を読んで思ったのはカトリック批判だと思ったがな

今の時代を思うと

その三つの悪魔の誘惑

これはまさにその通り 人間はダメだよ

と言う風に思ってしまう

欲望によって権力によって 世界は崩壊しそうだ

でソ連を崩壊させたのはチェルノブイリ事故だというのをよく見るが

福島の事故も 多分今の世界を変えることになる事故だと思う

これは

大審問官のところで 神秘 と言う設定の問題にかかわる

自然に対して 科学と言う名のもとに行った傲慢な人間の所業が産んだ事故だからだ

でも

今現在 人間社会はちっとも目覚めていない

パンと権力の支配のままだ

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異端

2012-04-06 18:24:05 | 文学

異端だという評価が下ると

なんやらつまはじきに会うみたいな

そういう話をよく聞く

遠藤周作の「沈黙」がノーベル賞候補になったとき

異端だと嫌われ排除された と言うのもそうだ

そういう話を聞くと

キリスト教って 自由に考えられない

絶対服従を要求する変な宗教だなあと思ってしまう

だいたい

一神教ってそういう狭苦しい宿命ではないか?

キリストって信仰の自由? 自由な信仰について語っていたの?

でも今や(大審問官の時代では15世紀)自由なんてとんでもなく

権力をもって民衆から自由を奪って パンを与え支配する

それを愚かな民衆は望んでいるのだといい

自由は 異端なんだわ

ヨーロッパの人々にはそういうことが身に備わって自然な感覚の人が

多いのかもしれない

バルバラも 異端だと目されたっけ?

自殺は罪でもあるのだっけ?

ともかく日本人 神存在を感じにくい私には わかりにくい

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大審問官

2012-04-06 09:33:44 | 文学

この詩劇は

異端の火刑が盛んにおこなわれていたセヴィリヤにキリストが表れるという話

ちんぷんかんぷんだったが

ここで大審問官は悪魔の理屈を並べたてて

黙っているキリストを追いつめ

火あぶりにしてやるというんだが

何じゃ?訳わからんと思ったが

大審問官の言うこと

三つ

奇跡 神秘 権力 これが欲望に身をゆだねている

愚かな人間を支配するという説を展開していく

これにまつわる悪魔の問いかけは

聖書にある古い話でもあるらしい

ここでいう悪魔やら大審問官の言っていることは

現代のことでもあるし 当時 革命前夜のロシアでも

イワンのような (ドストエフスキーもそうだろう)予見していたことだったのだ

というのが

分かった

と言うことで

まだ分かりゃしない

ドストエフスキーの創作ノートと言うものは

絵も描き散らしてあるらしく

カラマゾフの兄弟の場合あの正教寺院の玉ねぎの屋根が描き散らしてあるんだそうだ

Img893


その画像を見つけられないが

上のは 悪霊のそれ

玉ねぎ屋根の絵ね

カラマゾフの兄弟は 宗教問題が大事なものだというのだな

だから それは分かりにくい

ロシアと言う国にとって 正教と西欧の文化と

知識人と 無神論とどういう関係なのかわからないと

分からないものだということは分かった

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死刑のこと

2012-04-06 03:47:25 | 文学

死刑がある国って地球上では結構少ない

この間初めて知った

法務大臣になって死刑執行の判を押す立場になるということを想像してみた

 

ドストエフスキーの時代ロシアには死刑がなくて

皇帝を殺すと言うことにかかわると死刑

それで実際はそれには恩赦を適用 と言う仕組みらしい

ドストエフスキーも社会主義に組して皇帝暗殺にかかわるわけだから

死刑を宣告され恩赦があって無期懲役

それもまた恩赦だか特赦で出てきたわけだ

神が居なければ全て許される

と言うのは

人間が神のごとくなって審判を下せるということにつながるから

死刑は 人間の領分ではないということなのかもしれない

無神論者であることと

殺人を犯すことがつながるのかもしれないと思った

バルバラもドストエフスキーも小説の中の殺人は無神論と繋がっている

じゃあ フランス革命の あのギロチンで首をちょん切りまくったのは何なんだ?

大審問官はキリストにあって 異端の中の異端として

焚刑にしてやると言っているわけだ

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