だからこっちに書くんだが
多分Yさんと 北国さんも読みそうでこっぱずかしいのだが
考えることはすぐ書きたい病気だからしゃあない
子供のころ 自分は何をしたいのか
色々考えるではないか
わたしは ともかく本読み人間だったので
中学の時 ただただ面白おかしい子供時代から
色々考える人間になったころ
出会ったのが チボー家の人々だった
本を読んで物をあれこれ考える
友だちと語り合う
そういうことの面白さに目覚めて熱中
教科書には有島武郎の生まれいずる悩みというのが載っていて
宿題の感想文を読んだ先生が
有島武郎の本をもっと読め いろいろ考察して
書いて来いという課題をくれた
おおお書きに書いて 原稿用紙50枚の作文を提出した
それで 一人の作家について考える面白さにも目覚めた
先生は特別かわいがってくれて
ご自身の参加する劇団の公演などにも連れて行ってくださった
(我が家は 映画には連れて行ってくれるが
演劇鑑賞に連れて行ってくれるような家ではなかった)
あとね 学校の鑑賞行事だったと思うが
国立博物館にゴッホ展を見に連れて行ってもらった
(我が家は そういうものに連れて行ってもらえるような家ではなかったので
こういう展覧会は 初体験)
これが衝撃的な体験だったので
幼い私は興奮しまくり
芸術の世界がこの世で一番おもしろいと思ったのだよ
子供の進路は 理系だの文系だの言うけれどね
私の関心は 芸術系に方角は決まった
しかし いかんせん 才能には恵まれていなかったので
呆れかえるような過程をたどったのだが
それは いいのだ
才能って 何よ ないからって何が悪いんだ
人に対して説得力を持てないだけの話じゃないか?
わたしは自分さえ面白ければいいのよ
というわけで 才能はない美術の世界に入り込み
それは実ることもなく根性も足らず
生活に追われ 美術教師として
悪がきを追いかけて
老年期までもたもた来たのだが
今思うに
疑似芸術というのね
ロドルフ(たぶんラ・ボエームの原作者ミュルジュールもこういう考え方だったのでは?
と思うが)のいう
芸術とは欲望と虚栄心を満足させるたかだか一手段にすぎない
こういうのを 多分娯楽芸術っていうんだと思うけれど
それのどこが悪いのさ
(これまた今度書く)
でも 芸術の存在で一番大事なのは
やはり人間の価値観美意識思想などなどに 変革を起こし続ける
ということだと思うのだ
だから 常に変わらねばならない
と思うのだがな
新しい地平を拓く というのが芸術の要件だと思うので
美しいとか 素晴らしいとか
快をもたらす働きが 消費的なら 娯楽芸術ということになるのではないだろうか
そう考えると
その作品が価値があるかどうかというのは
何の価値か というところが問題だし
関係性の問題だと思うのだよな
さて 出かけなきゃ