遊工房・雑感

日頃のあれこれを綴る日記です

クッキーママへ

2014-06-16 19:08:42 | 日本の本

今日はいい加減なことを言ったので調べました

漱石は留学はイギリスだけでした

ドイツ語は堪能ではなかった

牡猫ムルの人生観が日本で翻訳されたのは

1935年ころ

漱石の 猫はその30年前くらい

じゃ どこで漱石がムルを知ったかというと

イギリスで漱石が精神を病んだという話が伝わって

ドイツから何たらいう先生が文部省の帰国命令を伝えに行ったんだって

(命令は取り消されたようだ)0

でその人が文学に詳しく盛んに文学論議をした

ので そこでムルについても伝わったのではないかとか

イギリス文学との関連で ホフマンについてもいろいろ論議もあったろうとか

どこで漱石がムルに出会ったかは

いろいろな話があると分かった

以上  報告なり!

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項羽と劉邦

2014-06-02 17:42:14 | 日本の本

項羽と劉邦 (上) (新潮文庫)

今中断しているが

そもそも発端は

ドラマで見始まった

劉邦はごろつき 村の任侠のあんちゃん

そうなんだ? 史記にもそういう表現なのよね

ともかく知っている話が多いけれど

単純に知ったかなだけで

明治時代に遡る人々のように中国古典に詳しかないしな

細々とはまた味わい直したいと思い

私が知ってるのは何でだ?

と思ったが

史記―中国古代の人びと (中公新書 (12))

この本 若者のころよんだよなあ

武蔵は北方健三で読んだというが それは武帝の話だ

司馬遼太郎の本は 今回読むのが初めてだった

人物描写がものすごく面白い

この頃本なんか読んでないので

とても刺激的だった

劉邦について たとえばよ

こういう記述がある

劉邦の腹の底には海のように広がる無邪気さがたたえられている

なるほどねえ

人物画もこういう風に描きたいねえ

ただ描きゃいいってもんじゃない

そういうことって文学から学ぶのも絵の勉強になるね

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小栗判官

2013-10-29 19:14:49 | 日本の本

ミラクル絵巻で楽しむ「小栗判官と照手姫」―伝岩佐又兵衛画 (広げてわくわくシリーズ)

近くに 小栗というところがあって

お祭りがあるようなのだ

これはいつのことだ?

ともかく多分近隣お方はよく知っているのだろうがわたしは知らない

それで

上の岩佐又兵衛の絵巻物の本を図書館で借りてきた

ウハハ

面白い

主人公は毘沙門天の申し子だという男なのだが

えらいイケメンでモテすぎで問題行動が多く

大蛇の惚れられて

Img674

その時の小栗判官

そのあとああだこうだあって

知行地に流された

という話

照手姫を見染めて結婚の約束をするのだけれど

姫の親?養い親の怒りを買って毒殺されて地獄に落ちるのだけれど

奇想天外な縁を巡って結局蘇生し 姫とも再会して

めでたしめでたしの物語

Img675


話も面白いけれど

岩佐又兵衛の絵も面白い

これは鬼鹿毛という悪鬼のごとき馬を乗りこなす判官に仰天

喝采する群衆

又兵衛の群衆ってすごく面白い

この絵巻き見たいなあと思ったが

持ってるのは宮内庁

三の丸尚蔵館で平成7年に展覧会があったみたいだ

見たいなあ

いつかまたどこかでやるかなあ

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気力がないのでマンガを読んだ

2013-08-31 18:01:30 | 日本の本

六三四の剣 (10) (小学館文庫)

この本が剣道場の子供の間でオオ流行りだというのだ

知ってるか?というが知らないよ

神保町にマンガやがあるから

そこ古いマンガもあるよ 買ってきてあげようか

というとそれほどでもないというのだが

何と 息子の置きっぱなしの本の中にあったんだって

へえ?こういうマンガも読んだのか?

で気楽に 一気に読んだ

武蔵は剣道に行ったが玄関にかぎかけ忘れてったので

かけたら

なんか人の気配

「どなたかいますか?」

と聞いたが返事がない

徘徊人かもしれない

鍵はかけちゃった

おばさんが丁寧にお相手してる

今ミシッと来た

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たけくらべ

2013-08-28 06:22:08 | 日本の本

はなてぼさんちで  たけくらべのことを読んだ

今朝の頭の体操は

15挙げやめて

たけくらべにする

たけくらべ 改めて原文で読んだ

なるほど当時は今言うさいちゅう(最中)をもなかと言ったのか

もなかの月が 15夜のお月様というのも知らなかった

もう というのを 最う と書いてあるのも私には珍しかった

最早 のことだもんね 昔はこう書いたのか?

あ 私がもの知らずなだけか

樋口一葉が本郷に住んでいた場所は

われわれが本郷に住んでいたところのすぐそばで

史跡になっているので

区民は皆知っている

ファイル:The well of ichiyo higuchi 2009.JPG

そこにある 一葉の井戸ったって共同井戸

里山にある井戸とそっくりね

で東京の井戸はこうやって

水の出る袋をかぶせるの

きっと水に鉄分が多いのだわ

文京区の路地は ちょっと入るとこういう井戸があって

井戸端会議 花咲いたろうなあという空間にぶつかる

文京区は史跡が多く

区の歴史に詳しい方たちが歴史散歩というイベントをよく行ってくださった

(前に清瀬の空襲の記録で活躍された定さんと彼の親友のHさんが

中心人物で

歴史に疎い私はいっぱい教わった)

たけくらべの舞台大門あたりの近くが

96歳遺言の久米さん  のお育ちになった近く

浅草のここら辺は

わたしもいろいろ縁がある がまた今度にしよう

一葉が引っ越していった竜泉のあたりは

近くにドヤ街の山谷もある

って わかった風なことを言っているが

わたしは行ったことはない

わたしはどこへでも一人でほっつき歩く子供だったけれど

父が 浅草と歌舞伎町は行ってはいけない

と厳しく言ったので

それらの地区は女一人でほっつき歩いちゃいけないところという

差別的刷り込みが いまだに消えない

ったってねえ お墓は 浅草だよ だいぶ南の方だけど・・

たけくらべを読んで

今回初めて気がついた

美登利は紀州の生まれで

お姉さんが身売りした時 一家そろって上京した

末は遊女になる定めの女の子だったわけ

それで 訛りが残ってて可愛いと言い

また吉原当たりの粋なおしゃれにはうとくて

田舎者とさげすまれていじめられたり

お姉さんの羽振りがいいので

小遣いばらまいて奢りまくったり

きゃんきゃんとおきゃんな娘に育っていく

まさに 江戸東京の物語だ

今だって東京は人々が日本全国から集まってくるところだから

こう

渡り合う文化ってのが東京文化だな

多分

それで

きつかったり おきゃんだったり ポンポンまくしたてる女が多い

(もともと深窓のお嬢で育ったような人は別です)

花てぼさんこれ朗読なさるのだろうなあ

羨ましいなあ

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富士山

2013-07-29 07:50:49 | 日本の本

崋山の本を読んで

北斎の魅力について認識を新たにした

で北斎のことを色々検索して出てくるのが富士山じゃない?

富士山つながりで

秀吉のと伝えられる陣羽織のデザインに行き当った

Ac_img061


ホホ

お洒落!

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儒教的

2013-07-29 00:56:10 | 日本の本

やっと渡辺崋山読み終わった

本を読まない長い期間のあとで本を読み始めたら

いろいろ考えるのが面白くてたまらない

崋山が最後自決してしまうのだけれど

これは結局忠と孝のために自刃に追い込まれたということのようだけれど

それで納得いくんだ!?

崋山もお母さんもドナルド・キーンもそうなのか?

Img475

これは崋山が自決する前の年に描いた

崋山のお母さん

この時お母さんは私と同じ年だ

ドナルド・キーンは

この絵に優しさとか母親らしさとか一切感じられない

と書いている

????
それは思い込みだろうと私は思うよ

よくよく見て見れば

この母の眼差しはどうよ

ドナルド・キーンには見えないのだろうか?

渡辺崋山のリアリズムというけれど

この母の絵は大いにデフォルメされた絵だけれど

母という人の佇まいを見事に表現しているし

優しさ母親らしさをわたしは読み取るがな

武士の母として物置で自刃して果てたわが子が

首を付いたのを見て女みたいな!と嘆いたが身を起こしたら

立派に腹を切っていたので流石わが子と言った

とあるけれどね

わたしにはそういう武士の母とか母への孝養のために

自刃

なんて 本当に変な道徳律だと思うけれど

意外とごく最近までそういうものの考え方が残ってたかもしれない

崋山の時代は

そういう儒教を知らない西洋人は高邁な孔子の教えを知らないから

野蛮人

そう思ってたと書いてあって

仰天した

そっかごく最近まで西洋人は野蛮人って日本人は思ってたのね

鬼畜米英って言ったんだものね

わたしには儒教的なものの考え方

わけわかんない と思ってはいるけれど

実は 深く潜んでいるものはあるかもしれない

この忠孝最優先という考え方は

武蔵の父母はそういう感じ

武蔵の父は昔乳母流れと武蔵は言うのだが乳母だった人の養子になった

(乳母には子がなくて武蔵の父は一人っ子として育った)

で この父はその育ての父母への孝養がまず第一

というものの考え方だったようで

武蔵の母もそれにしたがって舅姑に傅いた という話なのだ

昔の親子って変なのと思った

わたしはかなり野蛮人だ

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蛮社の獄

2013-07-27 20:53:32 | 日本の本

崋山が蛮社の獄に遭った時

巻き添えを食わないように

関係ないふりをしたり

切って捨てたりした人々のことを読んだ

Issai_zou

この佐藤ー斎とか

滝沢馬琴とか

他人事として読めば

きったない!と言いたくなる話だけれど

実際は 世間でもそういうことはたくさんある

初めてそういう大人の事情に触れて仰天したのを思い出す

幼少時からの親友同士が劇団を作って活動していた

その演劇をよく観に連れて行ってもらった

中学生の私は

親友というものに強い思い込みがある時代だったので

幼少時学生時代そして大人になるまで

そういう活動を意気投合してやっていることには憧れを感じていた

然し その劇団を主導していた人がその財政上の問題で詐欺罪に問われて起訴される

という事件が勃発した

わたしは仰天して

その人の親友にあたる人が私から見ると尊敬する恩師だったので

当然 その問われた罪が妥当なものかどうか

彼を助けるために恩師は奔走すると思ったが

しなかった

自分の立場 公務員という身分 そういうことを考えると

動かない方がいいという判断だ

とおっしゃったので 子供の私は釈然としなかった

大人を一途に尊敬もできないという気にもなった

これまで

私たちの生きてきた時代はかなり自由だし

物言えば唇寒し というようなことはあるにせよ

表現の自由思想信条の自由というのは基本的人権だと思っているけれど

今日この頃はそれが 危なくなってくる感じもする

自由とはいっても職場の中やいろいろな組織のなかで

自由にふるまえない圧力というのは常に存在する

然しなあ 潔く生きていきたいよなあ

蛮社の獄について高野長英の方から何か読んだことはあるが

鳥居耀蔵が絡んでいるのね

真相は分からないけれど

鳥居耀蔵と言えば陰謀術数すごいあくどい奴というイメージが出来上がってる

誰だっけこの人? 何でわたしがこの名前を知ってるんだ?

あ 遠山の金さんの時の南町奉行か

もう剥がせないレッテルがついている人だ

(子孫は汚名返上したい 名誉挽回したいといろいろ研究しているかもな)

それをさ

上の佐藤一斎に似ていると花てぼさんのいう鶴太郎が演じたことがあるのね

鶴太郎も絵描きだしこの絵を知っていると思うが

自分は似ていると思っているだろうか

鳥居耀蔵を演じたのだからこの人については詳しいだろうし

どんなことを考えたか知りたいものだな

どこかで何かいっているのかな?

すんません

ドンドン ミーハーな方向に話は流れた

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鷹見泉石像(国宝) 渡辺崋山筆

2013-07-26 11:25:37 | 日本の本

Ll_459

国宝のこの絵を描いたとき(天保8年)

崋山は田原藩の家老職にあって民衆の救済に奔走していたときだったそうで

びっくりする

天保の飢饉について調べたら

WIKIにも出てる

大塩平八郎の乱はこれを契機に起こったのだそうで

全国で餓死者が大量に出たが

田原藩は一人も犠牲者を出さなかったそうだ

そういう政治的な重責と絵画制作を並行していたって

どんなふうだったのだろうか?

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鎖国

2013-07-26 06:07:50 | 日本の本

崋山の本を読んでいて

日本が長きにわたって鎖国政策を採ってきたことについて

初めて考えた

島原事件をきっかけにしてか?キリスト教弾圧のすさまじさは

悪としての印象を子供時代から持ってきたが

カトリックがなぜあの頃世界中に進出しようとしてきたか

思いめぐらせると

それから身を守るという選択はよかったかもしれないと思う

日本の産出する銅は金の含有量が多くそれを知らなかった

金を抽出する技術もなかった日本は

無自覚にどんどん自国の銅や金を外国に出してしまった

という経緯もあるみたいだ

鎖国のおかげでヨーロッパの帝国主義の蚕食の餌食にならなかった

と言えば

そういう見方

確かにあるなあ

と思った

現代はTPP喧しいが

金の亡者だ 祖国を餌食にされる と感じて

外国を排斥する意識を持った日本人の感覚は

もう跡形もなく消え

日本自体が金の亡者になって

庶民を苦しめても儲けたい奴らばかりに見える

でもって いたずらに近隣の国にヘイトアクションを執拗に繰り返すようになっている

鎖国のことって

もう一度勉強してみたい気もするけれど

面倒くさい気もする

年だ

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