遊工房・雑感

日頃のあれこれを綴る日記です

 安達が原の鬼婆

2011-12-28 21:59:46 | 

久子さんのところで 安達が原の鬼婆のお話を作って語っている方を知りました

そのお話は

http://www.fukushima-net.com/sites/other/7

こちらで↑

この方の活動は↓

http://www.fukushima-net.com/sites/content/136

鬼の話は

色々探っていくと

本当に都の恐ろしさの中からはじき出されて生まれ

悪を皆引き受けさせられた存在だと

それが 潜んでいるということに

改めて 感じさせられます

ついでに

私の酒呑童子も原稿は決定したので

載せておきます

Imgoni700

 

かくとだに えやは息吹のさしもぐさ さしも知らじな 燃ゆる思いを
百人一首でおなじみの歌ですが 
この伊吹山にはヤマタノオロチの末裔ともいわれる
伊吹の弥三郎という大男の化け物がいて
麓では
台風が暴れても弥三郎風などと言っては恐れたそうでございます
この男が里の大野木殿の姫君に心惹かれ
見目良い男に化けては姫君のもとへ
夜な夜な通ってきていたそうでございますが
うっかりした事に、母君様も乳母様もこれに全く気付かなかったそうでございます。
ところが、そのうち姫様のおなかが膨れてまいりました。
驚いた母上様は姫様に針のついた苧環を渡し、男の衣の裾に縫いつけるようにとお言いつけになりました。
朝になって帰っていった男のあとを糸をたどっていってみれば
そこは、伊吹の弥三郎のすみかであるとわかったのです。
この弥三郎は何しろヤマタノオロチの末裔といわれるほどですから
大酒のみであるのは有名なことでした
大野木様は大いに酒を用意して、
それをすすめるようにと姫に言いつけました。
その酒を飲みすぎて息吹の弥三郎は死んでしまいます。
姫様が悲しんだかどうかは伝わっておりませんが、
三十三か月のちには異様に大きな男の子が生まれ落ちたのです。
髪は長く、歯は生えそろい、手足も太くたくましい赤子は、乳母に抱かれるや、虎のように光る眼を見開いてあたりを見回し「父は、いづくにましますぞ!」と、いきなりはっきりと話したそうでございます
 さて、大野木殿はこの子があの伊三郎の血を引いていると、思うだけでも恐ろしく、とうとう伊吹山の谷底に捨てたさせたのですが、
谷の底からは童子の泣き叫ぶ声がいつまでも響き渡っていたそうです。

やがてその声は消えていきました。

さて、童子がどうしたかと申しますと、
まあ虎やらオオカミが大事に育て、伊吹山の霊験あらたかという薬草、さしも草の露をすすって育ちまして
人を見抜く力、空を飛び移動できる霊力を得て若々しい童子の姿のままぐんぐん大きくなっていきました。

これが、伊吹山から比叡山へ飛び、そこでは伝教大師と法力争いをして負け
さらに西へと空を飛びあちこちさまよいましたが、京の丹波の大江山に住みつき茨木童子を副将として、
何百匹もの鬼の棟梁 酒呑童子となったのでございます。
 
酒呑童子は黒雲・大嵐ととともに空を飛んでは都に現れ、美しい姫君たちをさらっていくという噂がささやかれておりました。

ある日のこと 池田中納言殿の姫君の行方が分からなくなってしまいました。
都では
かの阿部の清明に頼んで占ってもらったところ大江山に連れ去られいったことが分かりました。
池田中納言は越後の国司として茨木童子のふるさとでたいそうな権力をふるった方で
人々には過酷なまつりごとを行ったということでございます。

姫を略奪したのは池田中納言殿への仕返しかもしれませぬ。

このことは天皇にも奏上され、内裏では源の頼光、藤原の保昌のほか
坂田の金時、渡辺の綱、など四天王と呼ばれた豪傑たちに酒呑童子征伐の宣旨が下されました。
六人は出陣前に三つに分かれ、
熊野、住吉、八幡様に戦勝祈願の祈りをささげ、行く末の加護をお頼みしました。
山伏の姿になって、修験道の霊山大江山に行き
道に迷った風を装い鬼の館に乗り込もうというわけです。
恐ろしいような険しい山 岩の切り立つ崖の道もないようなところを超えて進んでいくと、日もとっぷりと暮れてしまいました。

一行はそこで三人の翁に行きあいました。
娘を大江山の酒呑童子にさらわれたと語るその翁の家に、その晩は休ませてもらいました。

この翁たち、実は出発する前にお参りした熊野、住吉、八幡様の神様の化身だったのでございます。
神様たちは
「この酒は神便鬼毒といい神の方便、鬼の毒酒という意味です、御身たちが飲めば薬となるが、鬼が飲めば毒となりその霊能力を奪うものである」といいながら
それぞれに竹筒に入れて持たせてくれたのです。
さらに帽子兜というものを下さり
これをかぶっていれば正体を見破られない。また身を守ってくれるものだといいます。。三人の神様は、いざというときには必ず手助けをするとまで約束をして頼光一行を送りだし
渡れぬような谷には、大木を倒して橋にしてくれるなど、鬼の館まで行きつけるようにしてくれたのでした。
鬼の館に近づくと、川のほとりで血染めの衣を洗っている美しい若い女房がいました。

一行はこれは鬼が化けているのか?と用心をしましたが

「わたくしは花園中納言の娘ですが鬼にさらわれてこのような情けない有様でございます。どうぞ助け出して都に連れて行ってくださいまし」と切々と訴えるのです。
洗っている衣は池田中納言の姫君のもので鬼にかわいがられている姫君が血を吸われ、肉をそがれてむしられ、血だらけになった衣だといいます。
それでも美しい姫は殺されることはなく酒呑童子のそばに侍らされているというのでした。
花園殿の姫君は頼光たちを鬼の館まで案内をしてきました。
門番の鬼たちに、旅の山伏たちが今夜の宿をお頼みですと取り次いだのです。
鬼たちはこれはうまそうな人間が来た食ってやろうなどと集まってきて騒ぎましたが、頼光たちはびくともせず、酒呑童子殿に会いたいと堂々としているのをみて、
勝手に食ってはまずいことになろう
まずは酒呑童子に知らせねばと奥へと報告に走っていきました。
酒呑童子はこの話を聞いて、
「どのようなやつらじゃ 会おう」といい、
頼光ら六人は中へと招じ入れられました。
酒呑童子は疑り深い目を向け
よもや都から差し遣わされた武将どもではないかと
血の酒が入っている大徳利をもって、
試すように
これを飲めと勧めてきます
杯を受けた頼光は
「これは忝い」と平然と飲み干します。
肴にと勧められた人間の手足の肉も、そぎ取って食べて見せます。
酒呑童子はここまで入り込めるとは大したものだ。噂に名高いかの頼光や綱ではないかとまだ疑いをかけますが、帽子兜をかぶっていますので
酒呑童子にはどうしても見抜くことができません。
頼光たちは、私たちも酒を持ってきた。と
神便鬼毒酒を勧め、
まず、「毒見を」と言って飲んで見せます。
酒呑童子も飲んでは、これはなかなかうまい酒じゃ。
呑兵衛の鬼たちも大喜びで神便鬼毒酒を飲むわ、飲むわ。
酒盛りは続きます。
酒呑童子も普段は酔うこともないのに
いつもとは違いとすっかり酔いつぶれ、
我慢がならず
「一寝入りしてまいる」と寝所に退いてしまいました。
神便鬼毒酒の枯れることのない竹筒から、鬼の子分も、飲む、飲む、飲む。
飲むほどにへべれけ。

とうとうみな酔いつぶれてしまいました。

さあ、頼光たちは帽子兜の上から鎧兜に身を固め酒呑童子の寝所へと向かいます。
そこへ神様が現れ、いくら酔いつぶれていても酒呑童子を侮ってはいけない、と手足を縛って張り広げる綱を四本授けました。
寝所を襲った頼光たちは、酒呑童子の手足を四方に貼り広げて動けないようにしてから寄ってたかって切り付け、エイッとばかりに首を切り落とします。
あたりは血の海。
雷鳴もとどろき閃光が走ります。
胴から離れた首は
カッと虎の目を開いて、おのれ、騙されたとばかりに牙を噛み頼光の頭にがぶりつく。
あわや、
と思いきや
帽子兜を兜の下に重ねてかぶっていたので平気の平左。

館の内外では大乱闘となり茨木童子の首もはね
他の鬼もすべてたたき伏せ
ことごとく捕えました

さらわれてきた姫君たちも探し出して、みなを連れて都へと引き上げていきました。
足の弱い姫君たちを引き連れての険しい山を下りていくのは
それはそれは難儀なことだったそうでございます。

一方
迎える都は頼光の凱旋を一目見ようと大騒ぎ。
大勢の人々の集まる中を酒呑童子の首が行く。
その他の鬼の首もいく。後ろ手に縛られてかなくま童子、いくしま童子も引きずられていく。

童子の目は相変わらずカッと見開いているが
そのまなざしの行先には・・・・・
群衆に紛れてあやしいようすの顔が・・・・・・

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バークコレクション

2011-12-28 16:41:04 | 

この本

確か最近手に持った覚えがあるのに見つからないと

せっせと探していたが見つからず

イライラしていたら

なんてこった食卓の上にあった

あああ

おバカな私

まだ いろいろ文章は読めないがざっと見た感じ

確かにプライスコレクションと風合いが違う

こちらは 格調高い雰囲気だ

時代も網羅されている

またまた

酒呑童子つながりの画像発見

茨木童子が 渡辺の綱に腕を切り取られ 

婆さんに化けて 取り返したところ

Img822_2

柴田是真作

明治時代だ

知らなかった画家です

宗達を研究したそうだ

それは よく読み取れる

おしゃれなばあちゃんに化けても 振り返った顔!

この話もよく知らない

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狩野派の酒呑童子屏風

2011-12-27 21:16:33 | 

狩野元信の絵巻(サントリー美術館にあるらしい)が手本の

屏風

Img804

Img818


Img817



Img813

この屏風は アメリカのジョー・プライスのコレクションだ

このコレクションを見て

日本の絵画がトルコなどの細密画と そっくりに見えた

多分ジョー・プライスの日本画の見方に

私の細密画を見る目と似たところがあるんじゃないか?

と思った。

外国人の目。

そう考えると

日本画って 斬新に見えてきた

 

狩野派って 様式化していてつまんないと思っていたので

いわば 古臭いようなイメージが先行した

 

それは かなり 偏見だ

このジョー・プライス コレクション と言うくくりで見たら 

それを強く感じた

これが面白い

だいたいプライスさんなんて これまで知らなかったし

 

ゆっくり考えてみよう

ともかく 酒呑童子屏風  ふーん

こういう展開か と 面白い

なんてこった 首をちょん切る場面

スルーしている

(・・・・ お姫様が相手か?)

中に面白い虎が居た

Img820

描いたのは

谷鵬(こくほう)という長崎の画家だそうだ

この人も知らなかった

日本画 面白い!

図はクリックで少し大きくなります


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却ってうるさくなったか?

2011-12-14 21:05:57 | 

Img_0029

前のはこうだ

Img_9971_2

ふむ

ブログって便利だ

もう無くなった絵とこうやって比べられる

しかしもう眼がくっついてきた

寝よ

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 イスラム世界にも鬼がいた

2011-11-28 07:31:40 | 

Img774

これはペルシャのものだ。

15世紀のもの 前後の絵を見ると中国の影響を受けている

この鬼さんはもじゃもじゃ髪を二つに縛っているように見える。

私は子供のころから髪の毛がもじゃもじゃで暴れているので

酒呑童子みたいに髪の毛がもじゃもじゃで

といつも叱られていたが

鬼の角って意外とそんなものかもしれない

さてさて

イスラム美術の本をやっと読み終わったが

改めて日本人の私の頭のなかは植民地支配されていると感じた

どうしてこんなにイスラム世界のことを知らないのだ?

美術についてもちらっとしか知らない

情報量が圧倒的に少なかったと思う

でもオスマントルコの時代は

あの国は世界最強だったかもしれないほどだが

忘れ過ぎな気がする

イスラム世界は強固な一神教で

なんか 狂信的?といイメージが私にはあった

それはどこから来たのだろう

私の名は紅」を読んでユダヤ人の小間物売りのおばさんが出てくるのだけれど

イスラム教は異教徒に異常な攻撃をするわけでもなさそうだ

 

で ものすごく緻密な唐草模様などを見て

思い出した

日本に届いているではないか

Img_893299_45101523_8

薬師寺の薬師三尊像が乗っている台座の葡萄唐草紋
東西の文化の交流が

シルクロードを通って

日本まで来ているんだよと さんざん授業でも教えていたのではないか

中国の絵の影響がイスラム美術にあるのにも驚いたが

シルクロード!!タイムマシンに乗ってラクダに乗っていきたいなあ

ついでにこの台座の鬼

Dsc_8263_m

これ

中学生だった私が初めて見たときから忘れられない変な人たち

しかもよ

おへそがハート形なんだよ

もう笑っちゃうよ

これは一二薬叉といって のちには一二神将になって

薬師如来の守り神になるんだが

元はインドの悪鬼神だ

 

鬼だよ~~

タイではヤックっていうんだってさ

450pxgeant_grand_palais

会いたい!

中国とイスラム世界をつないだものはシルクロードもあるけれど

13世紀にはモンゴルの世界征服もあった

その時 モンゴルが中国文化でイスラム世界を席巻したか?

と思うが

思い出せばモンゴルは中国を征服したけれど

文化的には支配した中国文化のほうがモンゴルに支配的になり

それが イスラム世界に流れて行ったというのが 交流のありようかもしれない 

 

ともかく

何も考えずに

ただただ教えられたように育って老いていく私の脳みそも感覚も

西洋やアメリカの植民地になっている!

しみじみ感じた。

エジプトで大変なことになっているが

世界を支配しようとして

うまく機能しなくなった権力機構が

崩壊しつつあるんではないのか?

日本人って お先棒担いでいて

ダメじゃないか?

しかし  ここの所の選挙結果 それが

日本人の選択かあ

いいや

少数意見でも

わめいていよう

 

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あああ私の仕事がはかどらん

2011-11-22 09:42:19 | 

Shutenndouji1

なんか気持ち悪くなってきた

ま気持ち悪いんだからいいか

 

お話を明日までに何とかせねばならないが

あああ

プールから帰ってきたら

また眠くなっちゃうな

ともかく酒呑童子を巡ってはいろいろ出てくる

茨木童子は長岡市の軽井沢が故郷らしいが

軽井沢という地名が

あちこちにあり カルという語は鉱山と何か関係があるらしい

八岐大蛇も鉄を巡る争いが背景にありそうだし

茨木童子 酒呑童子もなにやら 探ると 

鉱物資源を巡る争いにかかわるかもしれない

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認識 と 表現

2011-11-22 09:23:04 | 

コレスポンダンスって何?と調べたら

私という「内宇宙」と世界という「外宇宙」が相互に呼応しあうという

万物照応ということだって

万物照応と言えば分るように思ったが

ミクロの世界とマクロの世界が呼応するというと

宇宙と元素の世界が何と似ているんだろう

と思ってしまうが

・・・

ちがうちがう

書きたいのはそれではない

私は美術教育に携わってきたので

子供の発達の筋道を

認識の発達と重ねて考えてきた

子供の身体運動から

意味づけ期 知覚的的リアリズムから 視覚的リアリズムにかけての発達

ここまでが体系づけてわかっているところだと思ってきたが

思春期の発達課題はどうなのだ?というのがいつも疑問だった

自分の子供が 表現を通しての教育を受けることができる高校に通うようになって

 

この

「内宇宙の解放」という表現を通して獲得する発達課題

というのを見てきたのだった。

「外宇宙」を「内宇宙」に取り込むことを認識とするなら

その発達の筋道というのは 一人の人間と

歴史的な発展と

呼応している

と思ったものだけれど

 

それが 問題だ。

西洋のルネサンス 私はそれがリアリズムへの転換期だと思い

鎌倉彫刻にもそれを見て

それが 順当な 認識と表現の発達の筋道にかなっていると思ったが

これが ドンデンがえらなければいけない

ルネサンスの透視図法の発見は

ニュートン力学みたいなものかもしれない

かなりものの見方を支配する

すごく正しそうだから

 

私の名は紅を読んでいて

イスラム世界の細密画にもそういうことが浮かび上がるときがあったのだな

と改めて思った

イスラム世界の細密画の資料が手元にないのだけれど

WIKIで見るとモンゴルの征服によって中国の画法が入ってきて

細密画が成り立ったようなことが書いてあるし

私自身が世界史で習ったのはチムール帝国のところで

細密画が出てきたぐらいだが

452pxbaysunghurs_shahname_001

↑はチムール朝のもの

 


モンゴルが征服した時に

その前からあった細密画で想定された書物が

チグリス川に捨てられていく場面が出てくる

モンゴル以前にもその歴史があるのだな

私の名は の時代は16世紀

Saimitu
これは

インドのかな?

E0063212_1333535



西洋の影響を受けて

変わっていく

Molla2

語ろうとするものが

変質してしまうだろう

・・

そういうことがあちこちで起こって

キュビズムだの

シュールレアリズムだの

コレスポンダンスだの

ああ 本当は何を語りたいのかと悩んで現代にいたるのだわ

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鬼剣舞

2011-11-18 14:42:20 | 

Img_9665

鬼剣舞を描こうと思ったのは

そういえば二つの面がある

一つは絵の中に動きいとか軽みとか そういうものを描けるようになりたい

ということ

もう一つは 東北や今自分がいる北関東のこの災害を巡る思いは

鬼だよな

と思ったので 表現ということからも鬼だ

ふ~~んそうすると私が描く絵はプリミティヴ・アートンあるのか?

と、思い至った

私はそもそもお祭りとか お神楽とか ただただ血が騒ぐから

好き

絵になるんじゃない?

と聞いたら

「そんなものは絵にならない」とある画家は切って捨てた

フウン

でも

朗読で酒呑童子を読もうと決めて

話も作り始めて

思った

こういうの絵になる

とはいえ

御伽草子の絵はちょっと退屈かなあ

民話とか昔話ってプリミティヴ・ロマンか?

それらは象徴的で暗喩に満ちている

現代の表現になるじゃないか

それってシュールレアリスムではないか?と思った。

こじつけめいているけれど。

でも、自分の場所のプリミティヴなものはそういうところがある。

それと芸術のシュールレアリスムは違うのかもしれないけれど

超現実というものを見慣れた方法ではなく超見出すという作業は

深層心理学なんか関係ない方法でも探っていけるところがあるし

引き出せる真実というものもあるのかもしれない。

それが民族的で歴史的な表現と結びつくと

プリミティヴ・アートとシュールレアリスムが結びついてくるなと

思った

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鬼の館

2011-11-05 12:41:49 | 

時系列は逆に行く感じね

最初北上市の岩崎にある鬼の館に行った

まあ鬼が山盛りいた

世界中に鬼がいるのね

Img_9616

ルーマニアの鬼

Img_9605

オーストラリアの鬼

鬼って乱杭歯が多いなあ

Img_9646


なまはげ

牙はあるが乱杭歯ではないね

鬼剣舞の面も歯並びはいい

チベットやスリランカもいいかな

スイスの魔女はひどい歯だ

Img_9650



鬼というものを

世界中の人たちが生み出してきたのだなあ

人間の暮らしには鬼が生まれるようなものがあるのに違いない

この館からバス停までもかなり歩いた

しかもバスはめったとこない

岩崎橋という停留所

そこでスケッチしてバスを待った

寒かった

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鬼剣舞

2011-11-05 08:24:41 | 

今回の一番の目的は鬼剣舞を見ることだった

Img_9664
酒場にこういう舞台があって

鬼剣舞などいろいろ上演される

数週間前まで

街中で鬼剣舞を見られるというのがあったが

体調が悪くて行かれなかったが

調べたらここに鬼剣舞のグループが来ると分かって見に来た

Img_9659
登場したのは

黒岩鬼剣舞

比較的新しいグループだそうだ

 

岩崎鬼剣舞というのは聞いたことがある

鬼の館は岩崎にある

先頭を来る白いお面の人がリーダーだ

この人だけが大人

Img_9688
この緑の鬼の面が笑っているので

面白くって口を開けてウハウハ見ていたら

鬼さん気がついて
このポーズで

うんうんとうなずいている感じ

やあ

舞台と客と交流があっていい感じ

あとで 寄って行ったら

「絵描いてた人だあ」とそばに来た

Img_9691

やあ!子供だあ

中学生だって

Img_9692

あらこの赤鬼君 同じ顔だねえ

双子ちゃんだってさ

Img_9678_2

この黒鬼君はすごい運動神経だ

刀を持って踊り でんぐりかえったりする

刀はしまいには8本になって一本は咥えて飛ぶ

こういう一切は動画で見たり 舞台で見たりしたことはあるが

肉薄してみると

全くその躍動感が違うなあ

絵を描いたって言ったって

目の前で飛んだり跳ねたりだからね

それを感じた線が飛びまわっただけだ

Img731

Img732

 

Img733

私の子供が通った高校では体育の授業にこの鬼剣舞を取り入れていた

今回中学生や高校生が地域の伝承グループに入って

子供のころからこれを習って受け継いでいる

というのに

えらく感動した

実際 この踊りの激しい動き

体育の授業にって

すごくよいアイディアだと思うが

表現という点で考えても

若者の体だけではなく心を揺さぶり解放するものだと思った

 

表現を通しての教育というのを提唱していた学校だったが

地域の民俗芸能って 学校だよなあ

 

翌日釜石に行く電車が来るまで

花巻で時間があったので

駅でスケッチしていた

111104hn


花巻は鹿踊りだよなあ

宮沢賢治の「鹿踊りのはじまり」を思い出しながら描いていたら

地元の女性が寄ってきていろいろ教えてくれた

この群舞の素晴らしさも

・・

これまた舞台で踊られたのしか見たことがない

何時か行きたい

9月なのよね

9月って出られる時期ではないなあ

 

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