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私の祈り方(神を想う観法)

2020-09-06 21:56:17 | 日記
私は実相独在の真理を探究し、
それの現象顕現を目指して
日夜求道している求道者仲間のために
このブログを書いているのだから、
結局は真理実現が目的という立場であるから、
自分の思ったことだけズバリと書いています。
私は神想観のやりかたというか、内容については、
毎日やりながら研究しさらに改善していますが、
今到達した地点はアディントンが説く“科学的祈り”が
一番良いと感じています。(勿論自分のやり方として)。
宗教的立場など私は無考慮です。だれだってやれます。
段階は①実相独在の真理を認める。
②実相独在の真理(キリスト)を自己に体現する。
観じる言葉は「神の子円満完全」「実相円満完全」です。
③自己の内なる“神の子”に対して、
以上の言葉を念じつつ“神の子”たることを委ね切る。
祈りは神さまに対座して行います。
このやり方が一番自分に合ってます。

信仰とは、その可能の最高限度に描かれたる理想に合致するものが実在するとの信念である。・・・「実相世界」は実在するのである。

2020-09-06 10:36:57 | 日記
実相世界は実在する。
このことを信じることが信仰である。
ところで実相世界は「神の世界」であり、
「いのちの世界」であり、
“いのち”は眼に見えず手に触れることはできないので、
ほとんどの人は
問題にせず一顧だにしないのである。
ここに生長の家の信仰が広まりにくい原因があるのだ。
(人生は心で支配せよ 谷口雅春)
【吾等は吾が思考するところの観念と同じものである。吾等の最高理想とするところに従って吾々の興味を感じる対象も変化し、かようにして、自己の観念内容も変化するのである。吾等の描く理想は吾等の宗教である。吾等は神を見ることは出来ないが、心に描くことは出来るのである。吾等の理想が高ければ高いだけ、吾等の心に描いた神の観念も高いのである・・・従ってその宗教も純粋なのである。理想と信仰とは一つに混じり合ったものである。理想とは可能の最高限度を心に描いたところのものである。信仰とは、その可能の最高限度に描かれたる理想に合致するものが実在するとの信念である。】

すべての創造作用は最も奥底からの感情に伴われていると云うことは、感情が創造の力を有する潜在意識「創造者たる心」の延長であるからだ。

2020-09-06 10:01:13 | 日記
「人間の感情の衷(うち)のは真に聖地がある、そこには創造の力がある」。
すべての情緒及び感情の座である潜在意識は「創造者たる心」の延長である。
実相の現象化の立役者だ。
それ故最も創造力ある感情とあらわれて作用するのである。
潜在意識が実相の真理を受け入れることになると、
実相に裏打ちされた感情がそこからほとばしり出ることになり、
これが大きく現象創造の原動力となるのである。
(人生は心で支配せよ 谷口雅春)
【人間の感情の衷(うち)のは真に聖地がある、そこには創造の力がある。人の心が動けばまず想念となる様に思われているが、想念よりも尚奥深い所にはその想念の本源となるもの、想念を造り出したところの感情があるのである。吾々は感ずるが故に思うのである。創造の力は想念に直接あるのではない。感情に本来あるのである。吾々の語る言葉は創造力ある言葉である。しかしその言葉があらわすところの内容はその言葉を創造したところの感情に他ならない。真に奥底からの感情は最も力強き創造力を有する。愛の情(こころ)から語られたる言葉は、語る人の肉体に調和を与え、環境に平和を持ち来すものである。憎みの情で語られたる言葉は、語る人の血液に毒素を生じ、生理的不調和を来たらしめる力がある。この事は自分が潜在意識の名において「創造者としての心」のことを述べたところを思い返して見らるるならば、一層明らかになるであろう。潜在意識はすべての情緒及び感情の座である。現在意識は既に経験されたる感情の記憶に過ぎない。潜在意識は「創造者たる心」の延長である。それ故最も創造力ある感情とあらわれて作用するのである。
 すべての創造作用は最も奥底からの感情に伴われていると云うことは、感情が創造の力を有すると云うことと同じ意味である。男性と女性との結合は、或いは分子の本能的なる親和力であるにしても、或いは植物の甘(あ)ま芳(かん)ばしい受精作用であるにしても、或いは動物生命の生殖作用にしても、高揚せる情緒の営みであると言わねばならない。】