新約聖書「ルカによる福音書」
第12 章 「愚かな金持ち」のたとえ
15 そして、一同に言われた。「どんな貪欲にも注意を払い、用心しなさい。有り余るほど物を持っていても、人の命は財産によってどうすることもできないからである。」
新約聖書「ルカによる福音書」
第12 章 「愚かな金持ち」のたとえ
15 そして、一同に言われた。「どんな貪欲にも注意を払い、用心しなさい。有り余るほど物を持っていても、人の命は財産によってどうすることもできないからである。」
私たちは肉体人間だと思い込んでいるから、
病気になったり、衰弱したり、疲労困憊したり、
心でそんな状態を作り上げてしまうのだが、
人間観が変われば、
そんな風にならず、
自由で安心できる生活を送れるのである。
それにはものの観方が変わる必要がある。
根本的真理なる唯神実相哲学を
身につける必要がある。
これが本当のことなのだ、つまり
「あなたは神の円満完全なる生命の生きたイメージを、
あなたの肉体に新たに生き生きとして
再現せんとしつつあるのである。」
(参考 奇蹟の時は今 アディントン 谷口雅春訳 日本教文社)
【あなたは“神の子”として聖なる大生命のエッセンスともいうべき実質をもって創造(つく)られたのであるから、決して病気になったり、衰弱したり、疲労困憊したりするようには創造られていないのである。それは永遠に減衰することなき実質であるから精気が抜けたり、消耗したり、老衰したり、憔悴したりすることはナイのである。あなたに宿る生命は老年も病弱も決して知ることなき存在である。神は永遠に若いのであるから、あなたもまた斯くあるのである。今、この瞬間、あなたは神の円満完全なる生命の生きたイメージを、あなたの肉体に新たに生き生きとして再現せんとしつつあるのである。あなたの肉体のその各部を祝福しなさい。それは、そのまま“神の生命”なのである。あなたの生命は神の栄光をあらわすために此の世に生を享けたのであるから、その生命を祝福しなさい。“起きよ、汝の寝床をとり上げて歩めだ。何故なら、あなたは何ものにも縛られず自由であるからである。】
肉体は“完全なる霊”の
地上で“神の栄光をあらわす生活”を
送るための媒体である。
“霊”の完全さを心が自覚するとき、
肉体も完全になるのである。
肉体が健全さを現わしていない状態が
如何なるものであろうと、
“霊”は完全なのであると言う真理に立脚して
まずは実相の顕現を考えるべきである。
肉体の状態がよくなくても
そんなものを本当だと考えてはならない。
(参考 奇蹟の時は今 アディントン 谷口雅春訳 日本教文社)
<英語で“存在”を意味する語Beingは動詞である>
【“Being”は動詞である。あなたは“聖なる完全なる霊的存在”である。エマソンは「“霊”はそれぞれ、それみずから一個の“住む家”を建設する」、パウロは「天上の体あり、地上の体あり」(コリント前書第15章40節)と書いているのである。あなたは此の肉体という道具を“神の栄光をあらわす生活”を送るための媒体として与えられたのだった。その存在目的を知ってそれを称め讃えよ、人体は霊が創造せるもののうち最も荘厳なる創造なのである。それは神の霊が自己顕現せるところのものだといわなければならない。それはまた他の如何なるものよりも素晴らしい構造をもっているのである。
わたしの信ずるところでは、われわれの霊魂は常に“永遠の時”を通じて、何らかの自己表現するための“体”と称するある種の道具を有つにちがいないのである。わたし達は先ず今生の生活において自己の肉体と称する道具に感謝し、それが本来あるべき筈の健康状態を維持するようにつとめなければならないのである。】