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つれづれなるままにパソコンに向かいて旅日記・斜読・よしなしごとを綴る

スペイン・バレンシア大聖堂はロマネスク様式で着工、ゴシック様式で完成、バロック様式で改修

2017年04月20日 | 旅行

スペインを行く46 2015年ツアー12日目 聖母教会堂 アルモイナ博物館 大聖堂 パラウの門・使徒の門・鉄の門 ミゲレテの塔 /2017.4記
 ビルヘン広場の泉の隣に屋外作品が展示されていた(写真右手前、奥の建物は聖母教会堂)。高さ3mほどの茎?の先に穂?がついている。稲穂からの発想だろうか。池+ポセイドンと8体の女神がトゥリア川と8本の運河の象徴だから、肥沃な流域での稲作による繁栄を意図したインスタレーションであろうか。説明はなかった。

 写真奥は見捨てられた者たちの聖母教会堂Basilica de la Virgen de los Desamparadosで、1652~1666?1667?年に建てられた。外壁は赤みを帯びた仕上がりで、付け柱風の角柱が並び、窓上部は古典的な様式でデザインされている。ルネサンス様式に見えるが、ガイドは外観はゴシック様式、中はバロック様式と説明した。外をバロック様式でつくると、隣り合う大聖堂と調和しない。中は当時流行のバロック様式でつくり、外観は大聖堂になじませたのであろう。それにしてもゴシック様式は間違いだと思うが・・。


 堂内は、矩形のバシリカ式平面の中央に楕円形のドームが乗っていて、鮮やかなフレスコ画が描かれていた(写真)。奥の祭壇に飾られている像が聖母デスパラドス=見捨てられた者たちの聖母でバレンシアの守護聖母だそうだ。
 バレンシアでは、春にスペインの三大祭りの一つとされるファラス祭Fallas=火祭りが開催される。イベントの一つに炎の行進があり、クライマックスに高さ10mほどのバレンシア人形を燃やすことから火祭りと呼ばれる。ファラス祭では、民族衣装で着飾った女性たちが花束を持って街をパレードしたあとビルヘン広場に集まり、聖母デスパラドスに花を捧げるイベントも行われるそうだ。かなりの賑わいになるらしいが、今日はイベントもなく、堂内は静かだった。

 聖母教会堂と大聖堂のあいだを抜けると、建物で囲まれた広場に出る。中ほどに四角い大きなプール?がある(写真)。のぞくと、底はガラス張りで、地下室が見える。これがアルモイナ博物館Centro Arqueológico de l'Almoina で、紀元前139年ごろの古代ローマの町の遺構が復元展示されている。
 古代ローマの町は、東西の大通りディクヌマス・マクシムス(ラテン語Decumanus Maximus)と南北の大通りカルド・マクシムス(ラテン語Cardo Maximus)を町の骨格にしていて、交叉点に公共の広場フォロforo=英語フォーラムや神殿などが配置された。
 カエサル(BC100-BC44)とポンペイウス(BC106-BC48)との戦いのときに古代ローマ・バレンシアの町は破壊されたが再建され?、いつの間にか忘れられ、埋もれてしまったらしい。トゥリア川の氾濫?だろうか。
 その遺構が発掘され、アルモイナ博物館として復元展示されている。地下室のところどころに復元模型や復元図が展示されている(写真)。復元図から、直交する大通りに建物が整然と並び、通りは排水のできる車道?馬道?と庇のかかった歩道に分けられている。現代にも通じる、当時の都市計画のレベルの高さをうかがうことができる。

 復元図の整然とした道路と比べ、いまのバレンシアの道はけっこう入り組んでいる。これは、イスラム時代の都市計画であろう。

 アルモイナ博物館を出る。空はどんよりしているが雨は上がった。博物館前の広場に、大聖堂の半円形の祭壇アプスが面している。大聖堂Catedralはモスクの跡に建てられていて、北東-南西軸のため、アプスは北東端に位置する。大聖堂には3カ所の入口があり、南東側には13世紀・ロマネスク様式のパラウの門が設けられている(上写真)。素朴な飾り迫り縁アーチヴォルタで彫刻は飾られていない。木製の扉は閉まっていた。
 もう一つの入口はビルヘン広場に面していて、使徒の門Perta de los Apostolesと呼ばれる(中写真)。15世紀・ゴシック様式で、尖塔アーチ型の飾り迫り縁アーチヴォルタには12使徒?、扉上部ティンパノ=フランス語タンパンには聖母子像と音楽を奏でる天使の彫刻が彫られ、バラ窓も設けられている。
 入口は、正面ファサードとなる南西側に設けられた18世紀・バロック様式+新古典様式の鉄の門Puerta de los Hierrosになる(下写真)。細身に見える円柱はアカンサスの葉飾りをつけたコリント式オーダーで古典的な様式をとり入れ、壁面、は司祭?、使徒?、天使、女神、最上部のペディメントは聖母被昇天の立体的な彫刻で飾られている。華やかな印象のバロック様式である。

 入口の両脇に聖ヴィセンテ像が飾られている。一人は州の守護聖人、もう一人は町の守護聖人だそうだ。スペインを行く14・ツアー4日目に、アビラのサン・ヴィセンテ教会の前でバスを降りた。聖ヴィセンテはサラゴサで生まれ、ディオクレティアヌス帝の時代に迫害にあい、2人の妹ともにアビラで殉教した。その聖ヴィセンテの墓がバレンシアにあり、バレンシアは聖ヴィセンテの信仰の中心になったそうで、州も町も守護聖人にしているらしい。

 大聖堂の着工は1262年、アラゴン王ハイメ1世(1208-1276)による1238年のレコンキスタから24年後になる。当初はロマネスク様式で工事が進められた。しかし、工事がなかなか進まず?、大部分は経済的にも芸術的にも黄金時代といわれる14~15世紀にかけ、ゴシック様式で建築された。一時、経済が衰退するが、17世紀の絹産業で経済が復活し、18世紀にはバロック様式+新古典様式で改修されたそうだ。3つの門は大聖堂の変遷を分かりやすく見せている。

 堂内は天井の低いゴシック様式で、束ね柱が天井に伸びていき、ヴォールト天井のリブなっている(写真)。身廊は、壁画、天井画は描かれておらず、ステンドグラスもなく、簡素な作りである。対して、写真奥の祭壇画はイエスと聖母マリアの生涯が鮮やかな配色で仕上げられ、縁取りには金箔が施されているし、ドームの天井画は青を基調にして天使が楽器を奏で、リブには彫刻が施されている。祭壇は後期ゴシック様式~バロック様式に改修されたのかも知れない。聖杯礼拝室にイエスが最後の晩餐で用いた杯が飾られているそうだが、見落とした。

 鉄の門の隣に八角形平面のミゲレテの塔El Migueleteが立っている(写真)。14~15世紀に建てられ、高さは51mあり、207段を上るとバレンシアの町が一望できそうだが、次の予定があるので、通り過ぎた。

コメント
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