2022年(令和4年)5月16日(月)
朝5時頃、犬の散歩に出掛ける。歩きながら槇の木を見ていると森の中にいるような気持ちになった。上から涼しい風が吹いていたからだ。上から冷気が静かに降りているようだった。木の根元にはユキノシタの模様の入った丸い葉が見えた。
犬に少しでも後ろ足を使ってもらいたい。それが散歩に出掛けた理由だった。足を折って眠っているだけなら足は時間と共に弱るだけだ。立たせておかねば。歩かせねば。無理のない範囲で。
糞の処理に便利屋さんを頼んだ。土曜から新聞紙をかぶせて放置したものだ。15分位の処置で1万円弱。すっかり反省してしまった。人に頼むまい。相場を知りたいという気持ちはあったけれど。小倉から来た親戚は交通費プラス100円で喜んですると言った。いつも嫌な仕事を押しつけているのでこれ以上は頼めないという気持ちはずっと持っている。いわば頭が上がらないのだ。だから外部に頼んだのだが、何でもない仕事ほど代償は高くなるのだ。相場がないからだ。恣意的な値段をつけられる。勿論、業者には当然の言い分はあるだろうが。
兎に角、この歳になっても学ぶことはあるのだ。それが、どうしてもお金がらみになるのは致し方ないことだろう。外に重要なことを絡める要素はないのだ。世の中、金金金金金金なのだ。こう言っては元も子もないが、金が絡まないことは自分の中では価値観的にずっと低位なものになってしまう。そういう価値観の中に現実的に生きているのだ。
ラブちゃんはこういう現実的な人間と毎日接しているのだ。その影響を受けていないことは明らかだろう。犬の股間や足などを丹念に拭う小倉からの親戚に対する犬の信頼は若干の嫉妬を感じながら認めるしかない。何度もやってくれている。犬は具体的に自分についての親切をちゃんと理解している。これからは自分も頑張るぞ。自分でやるんだ。綺麗は汚い。汚いは綺麗、である。Macbethの冒頭だったと思うが、3人のwitchの台詞にfair is fou, foul is fairというのがあった。英文、和文共に見事に頭韻を踏んでいる。
老犬になったラブのお世話は本当に毎日、毎日大変だとお察しします。
頑張って!という言葉は、とても無責任のような気がするし、かと言って、ラブのいなくなった生活を想像すると、ぽっかり穴があいたようになるのではと、それもまた心配です。近いうちにまた、訪問させてください。