やおよろずの神々の棲む国でⅡ

〝世界に貢献する誇りある日本″の実現を願いつつ、生きること、ことば、子育て、政治・経済などについて考えつづけます。

【中学歴史教科書8社を比べる】201 ⒅ 日朝関係(戦後)の描き方 20 <Ⅴ 日韓基本条約 1:基礎知識>

2017年06月04日 | 中学歴史教科書8社を比べる(h28-令和2年度使用)

 きょうはこれから【教育再生・経世済民フォーラム(JC第42回佐賀ブロック大会)】に出かけます。佐賀市アバンセホールで、午前中の部の「日本の誇りある歴史と文化」というパネルディスカッションで、白駒妃登美さん・三井陽一郎さん(JC国史教育委員会委員長)といっしょに少しお話をさせてもらいます。(午後の部は藤井聡さんの講演など)

 日本青年会議所のみなさんはほとんどが若い経営者・・・政治経済の分野で、これからの日本を背負っていく若者たちに招かれてともに勉強できるのは、とてもうれしいことです。

 

Ⅴ 「日韓基本条約(のころ)」の描き方のちがい

① 基礎知識 その1 

 「日本国憲法」を全文読んだ日本人は少ない(らしい)、と同じように、「日韓基本条約」の内容をよく知っている人も少ない(※私も)と思われる。そこで、実物コピーを読む前に、知識を深めておきたい。

 ※調べるにつれ、《現在、韓国・中国人により世界のいたるところで起こりつづけている”日本非難運動”や”個人賠償訴訟” など》が、この日韓基本条約ととても深い関係があることが分かった。したがって、”現在形の紛争”への理解を深めるために数回に分けて勉強する。

 

ウィキペディア:日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約>より

 

・「日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約(昭和40年条約第25号)/ 韓国語:대한민국과 일본국 간의 기본 관계에 관한 조약 (大韓民國과 日本國 間의 基本關係에 관한 條約) は、1965年昭和40年)6月22日日本大韓民国との間で結ばれた条約。通称日韓基本条約

 日韓国交樹立、日本の韓国に対する約11億ドルの経済協力、両国間の請求権の完全かつ最終的な解決、それらに基づく関係正常化などが取り決められた。なお日韓併合の有効性は「もはや無効」の表現で事実上先送りされた。また竹島(韓国名独島)問題は紛争処理事項として棚上げされた。」

 

・「昭和26年(1951年)10月20日の交渉から1965年の日韓基本条約締結までの会談を日韓会談、日韓国交正常化交渉という。

 交渉では、日韓併合により消滅していた国家間の外交交渉の回復方式、「李承晩ライン」以降韓国が不法占拠を続けていた竹島(独島)をめぐる漁業権の問題、戦後補償(賠償)の問題、日本在留の韓国人の在留資格問題や北朝鮮への帰国支援事業の問題、歴史認識問題、 文化財返還問題など多くの問題を含んでおり、独立運動家として日本を敵視し続けていた李大統領の対日姿勢もあり予備交渉の段階から紛糾した。

 しかし、最終的には冷戦での安全保障、アメリカの希望もあり、合意にいたった。韓国は当時「戦場国家」であり、日本は「基地国家」であった。

 

・「「2次会談] 
 
第2次会談は1953年4月15日-7月23日に行われた。しかし、第2次会談直前の日韓関係は険悪化し、1953年1月5日から7日までの非公式訪日のさいの吉田茂と李承晩の直接会談も非常に険悪なものであったとされる。

 第2次会談では、韓国は韓国国宝などの目録を提示し、日本は調査中と答弁した。1953年4-7月の非公式会談で広田アジア局第2課長は日本渡来の経緯に種々あり、古く渡来したものもあれば正当な価格で購入したものもあるので、これを網羅的にとりあげることは困難と答弁した。

 韓国軍による日本漁船銃撃と竹島上陸 
 
また第2次会談と平行して、韓国が一方的に宣言した李承晩ラインの問題も深刻化し、会談直前の1953年2月4日には韓国海軍によって日本の民間の漁船が銃撃され、船長が死亡する第一大邦丸事件が発生した。

 また、第2次会談が開始直後の4月20日には韓国の民兵独島義勇守備隊島根県竹島駐屯した。なお、1953年7月27日には朝鮮戦争が休戦した。」

 

・「久保田発言
 1953年10月15日の会談で、韓国側が、日本の在韓財産はアメリカが接収したのであり本来なら韓国は36年間の日本の支配下での愛国者の虐殺、韓国人の基本的人権の剥奪、食料の強制供出、労働力の搾取などへの賠償を請求する権利を持っていると述べたところ、久保田貫一郎が日本は植林し、鉄道を敷設し、水田を増やし、韓国人に多くの利益を与えたし、日本が進出しなければロシアか中国に占領されていただろうと反論し、また米国による日本人資産の接収は国際法に違反していないと考えるし、違反してたとしても米国への請求権は放棄したと回答した。

 この久保田の発言に対して、「植民地支配は韓国に害だけを与えたと考えている」韓国側からは、妄言として批判され、日韓会談は中断した。」

・「久保田発言は1957年12月31日藤山愛一郎外相と金裕沢大使との会談で撤回された。」

~以上引用~

 

 「撤回」…? 

 このころから最近にいたるまで、なぜか ”不合理な対韓国譲歩と、対北朝鮮譲歩” がつづいてきたが、その理由はなんだろう?

<参考>
 「譲歩」と関係あるかどうか分からないが、朝鮮人(=韓国人+北朝鮮人)の資金力が急速に増大したのがこの時期。

 つまり、《朝鮮人と朝鮮人系経営者がほとんどを占めるパチンコ業界》の売り上げが急激にのびたのが、「昭和20年代の半ば」。(※以下、「 」内は、<パチンコ業界への理解を深めるWEBサイト パチンコ業界WEB資料室>より引用)

・昭和20年代(1945-1954)に「第一次パチンコブーム」。「昭和20年代の後半には・・・パチンコブームはさらに加速し、最盛期には全国に4万5,000軒以上が林立しました。」

 

 ※この業界の売り上げは今でも信じられないほど多い。《業界の実態が広く知られるようになり、また、日本人の ”嫌韓や反韓の感情” が過半数をこえたこのごろ》になって、以前の年間約30兆円から約20兆円になったようだ。
 (よく知られていることだが、日本(世界)IT業界の雄:ソフトバンクの孫正義氏の起業資金は父親のパチンコ業やサラ金業での稼ぎ、と言われている。)

 

~つづく~ 

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