1997年、未だインターネットの前段階ともいえるパソコン通信華やかなりし頃、私が某パソ通にあったパティオという内輪の掲示板みたいなところで、音楽その他についていいたい放題書きたい放題していたのですが、その中でもけっこう印象に残っている文章がこれです。
私は当時森高千里の大ファンだった訳ですが、彼女は既にその頃音楽活動を停止していたので、ファンだった私としても彼女の活動の総決算みたいなものを書いてみたいという欲求があったのか、もともとはパフィーについてのりとりをしていたところ、どういう訳かこの文章に発展しました。今回はその序文です。
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私にとって、森高千里はキワモノである。キワモノの定義は別のところに書いたから省略する。以下の文章は森高千里というキャラクターがいかなる経緯でキワモノとなり、それを謳歌しつつ、次第に衰退していったかを音楽面で解析しようとする試みである。
筆者はいわゆる芸能界のチャートやヴィジュアルにはとんと疎いので、どの曲がCMに使われて大ヒットしたとか、あのビデオ・クリップが傑作だったというようなところはあまり考慮に入れていない。
したがって、森高の極めて側面的な評価にならざる負えないという、ある種の負い目はあるのだが、まぁ、この文章自体がアカデミックなふりをしたキワモノなのだから、それもまた一興であろう。では、ザ・キワモノの軌跡のはじまりはじまり!。
私は当時森高千里の大ファンだった訳ですが、彼女は既にその頃音楽活動を停止していたので、ファンだった私としても彼女の活動の総決算みたいなものを書いてみたいという欲求があったのか、もともとはパフィーについてのりとりをしていたところ、どういう訳かこの文章に発展しました。今回はその序文です。
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私にとって、森高千里はキワモノである。キワモノの定義は別のところに書いたから省略する。以下の文章は森高千里というキャラクターがいかなる経緯でキワモノとなり、それを謳歌しつつ、次第に衰退していったかを音楽面で解析しようとする試みである。
筆者はいわゆる芸能界のチャートやヴィジュアルにはとんと疎いので、どの曲がCMに使われて大ヒットしたとか、あのビデオ・クリップが傑作だったというようなところはあまり考慮に入れていない。
したがって、森高の極めて側面的な評価にならざる負えないという、ある種の負い目はあるのだが、まぁ、この文章自体がアカデミックなふりをしたキワモノなのだから、それもまた一興であろう。では、ザ・キワモノの軌跡のはじまりはじまり!。