湘南徒然草

湘南に生まれ、育ち、この土地を愛し、家庭を持ち、子育てに追われ、重税に耐える一人の男の呟き。

明智光秀の書状のほとんどは捨てられた・・・歴史の考察

2017-09-13 18:55:23 | Weblog
私は、歴史学の素人です
専門家になる気はありません
そこで、専門家の論には謙虚であろうとしています
しかし、どうしてもツッコミを入れたくなってしまいます

「その議論はおかしいよ!」

と、言いたくなるのです

歴史の真実は、誰にも分かりません
タイムマシンが発明されない限り、実証できません

議論は議論ですから
皆さん、それなりの証拠を出してくるわけです
しかしながら、一つの証拠からだけ導き出した結論は
別の証拠が出てくれば、覆されてしまう可能性が高いのです
まして、既出の証拠と矛盾しては、話になりません

私は、本能寺の変には、ずっと興味があって
自分なりに調べ、考え続けています
変の真相については、自分なりの説さえ持っています

”論より証拠”という言葉があります
しかしながら、証拠から、いかなる結論を導くか
その議”論”こそが大事なのです

この度発見された明智光秀の書状についても
たった一つだけ出てきても、それが重要な意味を持つとは思えません
なぜ、もっと多くの書状が発見されないのかが不思議です

関ヶ原の戦いの前に
徳川家康は、大名達に、書状を書きまくりました

孤立無援の明智光秀は、当然、書状を書きまくったでしょう
本能寺の変の目的が、足利幕府再興ならば
光秀は、大名クラスの武将には、ほぼ全員に書状を送ったはずです

おそらく、実際に、明智光秀は多くの書状を書いたはずです
ところが、受け取った側からは、まともに相手にされず
ほぼ全て、捨てられてしまったのです

光秀から書状を送られた武将達にしてみれば
うっかり書状を保存しておいて、露見したりすれば
光秀の一味と見なされ、自分が窮地に陥るからです


コメント (2)
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