湘南徒然草

湘南に生まれ、育ち、この土地を愛し、家庭を持ち、子育てに追われ、重税に耐える一人の男の呟き。

正義の熱狂

2018-10-31 19:26:23 | Weblog
時代の変化は、受け入れなければなりませんが
時に、それは不道徳にすら思えます

最近では
”性的少数者”への差別の問題が顕著な例です
昔、不道徳とされたことが
今は、それを不道徳とすることが不法で不道徳とされています

「新潮45」

という月刊誌が
性的少数者に批判的な言論を乗せたということで
休刊になったほどです

しかし、こうなると
”言論の自由”という原則はどうなるのでしょう?
民主主義の根幹に関わる問題です

かくのごとく、時代の流行は怖ろしいものです
ある種の価値観が支配的になると
別の価値観が、隅に追いやられてしまいます
しかし、まさか
言論の自由が、あっさり放棄されるとは思いませんでした

私は”正義”に対しては、警戒心が強いです
自分自身の正義にすら、時に、懐疑的になるのです
私にとって、正義とは
絶対的なものではないし、相対的なものですらありません
正義は、あくまで、暫定的なものなのです

正義を振り回す時
人は、思考から解放され、熱狂します
薬物のような効果が、正義にはあるのです
薬物である以上、注意深く扱わないと危険です

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仕事と夢

2018-10-30 19:46:07 | Weblog
このところ、朝方冷え込んだりするので
少々、風邪気味なのかもしれません
毎朝、頭痛がするのです
それでも、起きてしまえば、すぐに治まります
そして、仕事に出てくるわけです

忙しいので、休みたいという気持ちは、いつもあります
しかし、現実には、休んでしまう方が体調を崩します
そこで、毎日、仕事に出てくるわけですし
人と会う約束も、躊躇無く、予定に入れていきます

毎日、仕事があることが、私にとっては、充実した人生です
その仕事とは、商売や金儲けのことだけではなく
子育ても、親戚や近所付き合いも含むものです
私は、その点では、かなり妻任せになってしまっています・・・
しかし、これも、得意分野の分担と解釈しています
自分の苦手なことは、やはり、誰かに任せたいのです

自分が出来ることを、自分なりのペースでこなす
そんな風に、一生、仕事と関わりを持ちながら生きられたら、素敵です
それ以外の、具体的な夢は、私にはありません
私は、そもそも、仕事に夢を見ることは少ないですが
その理由は、仕事とは人々に夢を与えることであって
自分が夢見ることでは無いと考えるからです

ただし、仕事が
夢や想像から始まるのは確かなことです・・・
夢を見ることではなく
夢の実現が、私の仕事です
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桐蔭学園高校野球部”秋期関東大会優勝”おめでとう!!

2018-10-29 15:35:19 | Weblog
桐蔭学園高校野球部の皆様

”秋期関東大会優勝”

おめでとうございます!!

まさに、名門復活です
ここ何年間かの低迷を思えば、嘘のような成果です
これで春の選抜出場も決まりですから
今後への期待が膨らみます

それにしても見事な復活
私自身、予想だにしないことでした
そもそも、関東大会出場すら、まったく予想外でした
何度か夏の県予選をテレビで観ましたが
プレーもコメントも、つまらないものでした
やがて、観る気も無くなりました

5年ほど前だったでしょうか
桐蔭学園で野球部の練習を見たという人が言っていました
フライを落とした選手に向かって、監督が

「そういうプレーが試合を壊すのだ!」

と、怒鳴っていたと

その話を聞いて
私は、桐蔭の野球部はダメだと思いました
エラーをしたくてする選手はいません
エラーの責任を強烈に印象づける指導をすれば
試合の緊迫した場面で、選手を萎縮させてしまいます
実際のところ
かつての名門は、見る影も無い惨状に陥りました

桐蔭学園野球部といえば
かつては、キャプテンがギターを持って甲子園入りするような
自由な気風のチームでした
しかも、それで初出場初優勝を果たしたのです

監督も替わり
桐蔭学園高校野球部は見事な復活を遂げました
私としては、ただ強くなるだけではなく
かつての自由な気風も復活させて欲しいと願っています
教育の一環である学校スポーツには
勝つこと以上に大事なことがあるからです








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西澤潤一先生の偉大さ

2018-10-28 15:24:54 | Weblog
西沢潤一先生がお亡くなりになりました

先生の業績については
私は、光ファイバーの発明者として存じていました
まだ、光ファイバーが実用化されるずっと以前
先生ご自身がテレビに出て
実物を見せて解説していたのを憶えています
その時は、凄い発明だと思いました
ずっと、忘れることはありませんでした

その記憶が鮮明であったため
NTTが光ファイバーを導入すると聞いて
私は、真っ先に採用しました
少なくとも、藤沢市では、私が一番早かったはずです

当時は、まだISDNが出たばかりで

これからはADSLの時代だから
光ファイバーなど導入すればADSLが使えなくなる

・・・と
コンピューターに詳しい人から反対されたのを憶えています
私は、光ファイバーの原理的優位を信じていたので
まったく躊躇せず、光導入に踏み切りました

その後、光通信は、さらなる容量アップがなされ
そのための変更に手間や経費がかかってしまいました
何事も、早すぎてもいけないという教訓ですが
私に後悔はありません
未来が、私の予想通りに展開したのですから・・・

そんなこともあり
私は西澤先生を大変尊敬していました
先生は、光ファイバーだけではなく
光通信に必要なシステムの全てを、一人で発明されたということです
まさに、光通信の生みの親なのです

また、その後
青色発光ダイオードの実用化でノーベル賞を得た中村修二氏も
西澤先生の下で学んだことがあることを知りました
西澤先生は赤色発光ダイオードの発明者でもあり
青色発光ダイオード開発の道筋を示されていたということです

先生はノーベル賞こそ受賞していませんが
その業績は、ノーベル賞十個分とも言われています
92歳というご高齢ではありましたが
日本は、偉大な科学者を一人失うことになりました
誰か、先生の業績を分かりやすくまとめて
本にしてくれるとありがたいです



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文教大学湘南キャンパスの学園祭

2018-10-27 17:59:13 | Weblog
今日の午前中は
文教大学湘南キャンパスの学園祭を観に行きました

今年
長女は、この大学を卒業し、ここの大学院に進学しました
次男は、大学に入学し、学園祭の実行委員をしています
そんな関係で、我が社は協賛企業に名を連ねました

まだ、早い時間でしたから
学生達は準備中のところが多く
お客さんの出も、これからというところでした
それでも、若者達の元気がこちらに伝わってきます

文教大学湘南キャンパスは、茅ヶ崎市の丘陵部の中にあり
単科大学的な、コンパクトにまとまった感じと
古典的な外観には、私は、いつも好印象を抱きます

私は、この先の茅ヶ崎北陵高校の出身なものですから
この地域には親しみがあります
自転車で通った道の途中です

もともと、この辺りは
茅ヶ崎市の海沿いの地域とは違い
純粋に農業地帯と呼びたいような所でした
しかも、山村的な雰囲気さえありました
私が高校生の頃の話ですが・・・

テーマパークのような可愛い建物のキャンパスと
情報学部という、現代的な学問の組み合わせも面白いです

子供達のためにも
この大学が、いつまでも
地元の人々に愛される存在であることを願っています

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秋に想う

2018-10-26 18:18:14 | Weblog
いつの間にか、秋らしく、なりました
私には、まだ、暑い夏の記憶が残っています
太平洋上には、大きな台風もあると聞きます
秋は、どのように深まっていくのでしょうか?

毎日のように、人と会い
新しい出会いが、新しい仕事を作っていきます
そして、いつの間にか、縁が薄くなっていく人もいます
それを意識した時、私は秋を感じます

流れる時の中で
自分の進む方向と、人の進む方向が
重なる時もあれば、離れる時もあるわけで
ある時は、仲間を得た喜びを感じ
ある時は、孤独を噛みしめることになります
そして、そんな時も、私は秋を感じます

木々が葉を落とし
木枯らしが頬を撫でる季節になると
私は必ず、過去を想います
具体的な思い出よりも、漠然とした季節の記憶です
60年以上生きてきましたが
やっぱり、秋は秋なのだなと・・・




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レーガン大統領の故知

2018-10-25 18:58:27 | Weblog
「財界」創刊65周年記念号に掲載されている
堺屋太一氏の連載

創業の時

「三度目の日本」を創ろう

を読み、感銘を受けました
”レーガン大統領の故知”と題された一節です
その内容を、簡単にご紹介します

レーガン大統領がカーター政権から政権を渡された時
アメリカ経済は苦境にありました
製造業は衰退、新規技術は育たず、貿易は大赤字でした

これら問題に対し、カーター政権の処方は
国防費の縮小、東側ソビエト陣営との妥協、国内市場の統制規制でした
いかにも官僚とエリート学者の模範解答でした

これに対し、レーガン大統領は
国内の航空や陸運の規制撤廃、外国からの輸入の規制緩和
労働の流動化強化、全米にカジノとストリップの大幅解禁・・・でした
要するに、アメリカを、真面目な国から楽しい国に変えたのです

ハーバード大学の先生や東部のマスコミは大反対でした
レーガン大統領を支持したのは
クリスチャンサイエンスモニター紙と
ミルトン・フリードマン教授くらいでした

世界の国々は「買ってくれるアメリカ」に殺到し
たちまちにして、ソ連陣営は孤立しました
もちろん、アメリカの応益収支は大赤字、財政も大赤字になりました

しかし
レーガン大統領は、大して気にしませんでした
財政赤字などは
大統領が1ガロンのガソリンに1ドル税金を掛ける決断すれば解決する
政治家が決断すれば解決するような問題などは、大した事ではない
政治家が決断したぐらいでは解決しない問題こそ重大である

堺屋氏も出席した大統領候補の夕食会で
レーガン氏は熱弁を振るいました

「それは”世界の冷戦”と”アメリカ国内の犯罪多発”である」

「私は、この二つの解決に全力を挙げる」

実際、レーガン大統領は
冷戦の終結と犯罪の減少に見事な成果を上げました
ソ連は解体し、東側陣営は崩壊しました
アメリカ国内の犯罪は、大幅に減ったのでした


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徳川家康の遺訓

2018-10-24 18:45:57 | Weblog
毎日、何か重い荷を背負って歩いているような感じがあります
徳川家康の遺訓に

人の一生は重き荷を背負うて遠き道を行くがごとし
急ぐべからず(急いてはならず)

というのがあります

毎日、その額を眺めながら仕事をしているので
いつの間にか、洗脳されたのかもしれません
確かに、その通りではあるのでしょう・・・

焦らず、諦めず
今できることを、今、確実にこなす
それが仕事の極意です・・・少なくとも、私にとっては

焦っていいことはありませんし
慌てていいこともありません
落ち着いて、今できることを、今する
そして、まず、自分でできることをする
自分でできないことは、人に助けを求める
あるいは、相談する

一つ一つは、そんなに難しいことは無いはずですが
何事も、初めてのことは簡単にはいきません
・・・特に、仕事に関しては

歳を重ねると、新しいことへの挑戦が億劫になりますし
新しいことを憶えるのも、時間がかかります
それでも、今日一日、何か一つを身に付ければいい
何か一つが前へ進めばいい
そんな思いを抱いて、日々を生きています




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忙しさの中で、仕事とは何かを考える

2018-10-23 18:50:33 | Weblog
本日、昼はキャピトル東急のランチ会
急いで帰り、午前中できなかった仕事を片付け
夕方には、警察の方とお話し・・・

私も、いろいろ、忙しいです

こういう一日は
自分でも、オレは一体、何をやっているんだ?
と、怒りとも嘆きとも言えない感情に襲われます

そして、反省します

「これが仕事なのだ!」

そう、自分に言い聞かせるのです

直接の金儲けだけが仕事ではありません
幅広い交流の中で、人間関係を広げ
その中で、新しい仕事のヒントを得る
さらに、社会的な問題にまで関わる・・・

自分を取り巻く複雑な状況を知り
その中で、自分が何をすべきか、何ができるのか
・・・それを考え、行動に移すのが”仕事”なのです

仕事とは
社会の中で、自分の役割をこなすことなのです
ただし、それは、自分で考え、選ばなければいけません
そして、評価は、社会が一方的に下すのです
人は、それを受け入れなければいけないのです
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下村脩博士と生物の発光現象について想ったこと

2018-10-22 18:59:39 | Weblog
ノーベル化学賞受賞者の
下村脩博士が亡くなりました
90歳ということですから、私の父と同い歳です
十代のど真ん中を戦争の時代として過ごした人です

私の父は、日本の敗戦と同時に大学をやめ
戦後は、ずつと農業をしていました
父の本音は農業を継ぐことではありませんでした
家が貧しかったことと、日本が戦争に負けたことが
父の向学心を奪ったのです

下村博士も、おそらく、大変なご苦労をされたことでしょう
しかし、どんな苦労にもめげず、偉大な研究成果を挙げ
世界の医学や生物学に大きな貢献をしています

STAP細胞の騒ぎの時
細胞が光るとか光らないとかいう話が出た時
たぶん、下村博士の研究と関係があるのだろうと思いましたが
ついに、そうした解説には出合いませんでした
どうだったのでしょう?

私は、博士がノーベル賞を受賞する少し前に
新聞記事で、博士の業績を知ったように記憶しています
おそらく、その記事を書いた新聞記者は
博士の将来のノーベル賞受賞を予想していたのでしょう

私はそれまで
下村博士のことは、まったく知りませんでした
個人的な記憶として
高校生の時に、夏休みの自由研究として
発行バクテリアの研究をしたことを想い出しました

私のやった実験は
魚屋からイカを買ってきて、それを茶箪笥に入れておき
翌日見ると
表面に青白く光る部分が現れるというものでしした
姉からもらった生物の参考書に出ていた実験でしたが
首尾良く成功しました
生物の先生もほめてくれました

たったそれだけのことですが
同じ研究をした同級生はいませんでしたし
教科書には、そうしたテーマの項目はありませんでした
私は、ただ、生物の発光現象に興味があっただけです
その点だけが、少年の日の下村博士と共通でした

そんなわけで、博士の受賞は
個人的に、ちょっぴり嬉しかったのです

下村脩博士のご冥福を心よりお祈り致します
深い尊敬の念をこめて・・・
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