神の道に逆らう生き方をしているとは思いませんが
なぜえか、災いは降りかかってきます
それが運命であり、そこを生き抜くのが人の使命です
何か意味があると考えるしかありません
人がこの世に生まれ、喜怒哀楽の中で生き抜くことには
なにがしかの意味があるうはずです
神が定めた意味が・・・
そう考えて、日々を生き抜きます
不平不満を述べたところで、誰が助けてくれるわけでもなく
まず、自分が前向きに通り組まなければ、誰も手を差し伸べてくれません
まず、自分が動くことが、運命を動かすのです
”勇気を失うことは全てを失うことだ”
ゲーテの言葉の一部だそうです
心がくじけ、投げやりな気分に陥るとき
私はこの言葉を思い出します
それとともに、冒頭に記した運命論を思うのです
全ては神が課した運命であり、これを乗り越えろと神が命じているのです
YouTubeで、来日外国人の日本評を観ると、概ね好評です
まあ、悪評は出さないのでしょう
そして実際、多くの外国人にとっては
旅行先としての日本は良いところらしいです
私は民泊を始めたので、この種の情報に敏感になったのです
外国人が、どの様に日本をみようと、それは私にはどうでもいいことでした
それが、商売が絡むと、そうとばかりも言っていられません
人は現金なもので、私とて、例外ではありません(笑)
私は、外国人に日本を褒められても、あまり嬉しくないのですが
とはいえ、批判されるよりはいいですが・・・
第二次世界大戦以降、日本は世界中から誹謗中傷されてきました
その名残意外意外にもアジア、特に韓国中国・・・そしてインドネシアに残っています
それ以外のアジア諸国にも、日本批判はあるでしょう
ただ、余りにも時間が経ち、多くの人が直接日本を知るに及んで
反日感情は、徐々に少なくなってきたのです
残るのは、政治的意図を持った反日言論だけです
過去の日本政府の対応に問題があり
アジアの反日世論に上手な対応ができませんでした
間違った歴史教育と言論機関の偏向が日本の国益を損なってきました
今さら、どうなるものではありませんが、強硬策も必要でしょう
突き詰めれば
日本は、自国をアジアの一員と考えるのをやめた方が良いかもしれません
私達の歴史も文化も、アジアよりも欧米と相性が良いのです
無理にアジアの仲間入りする必要は無いでしょう
気分が落ち込み、何事もやる気が起きない時
やらなければならないことがあると、しんどいものです
しかしまた、反面、そのことで救われる場合もあります
良い例が葬式です
悲しみの真っ最中、煩雑な手続きをしなければなりません
連絡しなければならない関係者も多いです
それを、時に、事務的にこなさなければなりません
それが遺族の務めです
面白いことに
そんなことに忙殺されているうちに、悲しみが和らぐのです
そして、人が集まると、嬉しくなってしまうほどです
葬儀の場で笑うのは不謹慎ですが
久しぶりに知人に会えた喜びで、笑顔になってしまう人もいます
話がはずんで、笑いが出てしまうことさえあるのです
不謹慎ではありますが、よくあることです
それが人間だと思います
人との関係が悲しみを和らげるのです
それは、けして悪いことではなく、明日への生きる力になるのです
悲しみは悲しみとして、人は、一日たりとも、寝て過ごすわけにはいきません
健康である限り、日々、やることに追われ、悲しみに浸っていられる時間は少ないのです
体力の衰えというより、肉体の衰えと言ったらいいのでしょうか
自分の肉体が、徐々に退化していくのを、日々、思い知らされています
人との関係も、徐々に途切れて行きます
人生の終わりに向かって、静かな歩みを続けるのが人生なら
それを確実に実感するのが晩年というものでしょう
そして、老年期が晩年とは限らないのが、人の人生です
若くしてこの世を去る人もいますが
100歳の長寿を全うした人は、ずいぶん長い老年期を過ごしたことになります
今の70歳は、あまり老人ぽくない人もいますが
今100歳の人は、60歳定年時代の人達ですから
40年以上も、リタイア生活をして、事実上、老人として生きてきたのです
もちろん、働き続けてきた人も多いでしょうが
いずれにしろ、世間的には、老人として生きてきたのです
40年も残りの人生がある老年期は、けして晩年とは言えません
今の私は、自分の人生を晩年とは思えません
体調はイマイチですし、生きているのが嫌になることも多々ありますが
それでも、まだ、死にそうもありません
早く人生の終わりが来ればよいと思うことはしばしばですが
でも、まだ死にたくないとも思います
その日は、早いいか遅いか分かりませんが
いつか必ず来るのですから、急ぐことはないとも思うのです
生きていれば、嫌なことはあります・・・私の人生も、例外ではありません
時々、生きているのがい嫌になります
自分では、悪意など持たずに生きているうのに、嫌な思いをします
そして、自分が他人に嫌な思いをさせてしまうこともあるのです
ミスをする人を批判しても、自分もまた、同じ様なミスをすることがあります
この世の中はお互い様なのです
強く自己主張をすることは、自然に少なくなります
自信に満ちた態度もとりにくくなります
私は、知らぬ間に、少しだけ、性格が謙虚になりました
こんなに嫌な思いをしながら
人生は、はたして、生きる価値があるのだろうかと、疑問を感じたりします
私は仕事が生き甲斐です
仕事を取り上げたら、ほとんど無趣味な男です
仕事をしながらでも続けられるような趣味しかありません
健康を壊してしまったので、あまり、行動的には生きられません
それに、まだ社会人になっていない子供が3人もいるので
好き嫌いに関係無く、仕事は続けなければなりません
結局、少々嫌なことがあっても
生きていくしかありませんし、仕事を続けるしかありいません
私は家族を大事にしていますが、今後、家族がどこまで私を大事にしてくれるか・・・
身近な親族を見ても、人間関係は難しいと思います
皆、自分のことで精いっぱいですから・・・
鈴木学さんが動画で言いたかったことの中に
貧富の差の解消があります
富裕者はますます豊かになり、そうでない人は貧しくなる
この悪循環を何とかしたいという思いがあるのです
それに関しても、私に考えがあったのでコメントしておきました
私は、貧国は問題だと考えますが
所得格差や資産格差は解消する必要は無いと考えています
富裕者と普通の人との格差は問題にする必要は無いという意見です
普通の人が普通に働いて普通に暮らせる社会なら
格差は問題にする必要は無いからです
自由な社会とは普通の人が自由な社会です
地中海にクルーザーを浮かべ、美女を侍らせ
高級シャンパンを空ける自由など、庶民には要らないのです
ファーストクラスや五つ星ホテルを使わなければ
普通のサラリーマンでも、世界旅行ができる
高級車は買えなくとも、大衆車は買える
それが自由社会です
庶民にも、実質的には、金持ちと変わらぬ自由があることが大事なのです
貧富の差は問題ですが、富裕者と普通の人の
「富普の差」
は、問題無いので、解消する必要も無いのです
私の友人に国際不動産エージェントの鈴木学さんがいます
彼とはFacebook上で頻繁にやり取りをしています
その中で、私は「義賊ビジネス」について話したのです
彼はそれを一つの動画にまとめました
「義賊ビジネス」は私が考えた言葉です
意味するところは、義賊と呼ばれた鼠小僧治郎吉になぞらえ
金持ちの金を庶民に循環させる商売のことです
すなわち、金持ち相手の商売をして稼ぎ
働く人や取引業者には、しっかり支払いをするというビジネスモデルです
コスパばかり狙う貧困ビジネスの反対です
私は、自分の仕事に”金持ちの金を庶民に循環させる”社会的機能を持たせたいのです
それが名付けて「義賊ビジネス」なのです
鼠小僧治郎吉は大名屋敷ばかりをねらい、盗んだ金を庶民にばら撒いたのです
実際には、大名屋敷は金銭の防備が甘い上不祥事を秘密にする傾向があって
犯罪が表面化しにくかったからです
盗んだ金も、直接庶民に配ったのではなく、金遣いが荒かったので
結果として、庶民の収入になったということのようです
しかし、結果としては
鼠小僧は義賊と同じ働きをしていたことになるわけです
商売も、自分の利益を図りながらも、結果として義賊と同じになればいいのです
いっそ、「義商」とでも名付けましょうか・・・
従来、外貨獲得と言えば、輸出でした
しかし、輸出が貿易問題を引き起こす以上、あまり頼りにできません
貿易均衡を考えなければならないので、全体としての外貨獲得にはならないのです
輸出入のバランスを考える以上、稼いだ分の外貨は別の支払いのために使わざるを得ないからです
貿易問題は解消しても、日本には資源問題が残ります
外貨は、稼がなければならないのです
こうなると、製造業による輸出に頼るばかりでは駄目なのです
そこで注目すべきが観光業です
最近では「インバウンド」と呼ばれる外国人の日本観光です
日本に観光のために来る外国人は、日本人の経営する宿に泊まり
日本人の日本日本料理を、日本人のサービスを受けて食べたいのです
日本らしい経験のできる場所を訪れ、日本製の土産を求めるのです
そのたびに、彼らは手持ちの外貨を日本円に交換しなければなりません
日本人は、日本に居ながらにして、外貨を獲得できるようになったのです
日本政府が色めきい立つのは当然です
「インバウンド、インバウンド・・・」と、急に騒ぎ始めました
ところが、これは、政府のキャンペーンで起きた現象ではありません
インターネットの発達によって、国際的口コミが日本観光ブームを作ったのです
インターネットによる自由な情報空間が、日本を観光大国に押し上げようとしているのです