湘南徒然草

湘南に生まれ、育ち、この土地を愛し、家庭を持ち、子育てに追われ、重税に耐える一人の男の呟き。

文明社会の秩序は理性による区分けで維持される

2010-08-31 10:38:46 | Weblog
戦争中、食糧難のため
やむなく殺処分された悲しい動物園のゾウの話は
今でも、時々、どこかで聞きます

私は、この手の話は大嫌いなので
ほんとうに、うんざりします
動物を擬人化し、それへの共感を口にすると
なんだか優しい人のように思われるようですけれども
本当は冷酷な人が多いのです

人と動物は違います
家族同然の扱いをしていたペットに対しては
家族同然の感情が生じます

しかし・・・人と動物は違うのです

感情レベルでは同等でも
人は、理性によって、そこに画然とした違いを想定できなければいけません

感情レベルで行動すれば
ペットのように子供を愛する親が出てきます
そして、ペットを捨てるように子供を捨てたり
捨てることができないばかりに、子供を虐待する親が出てくるのです

実際のところ
殺されたゾウに同情する人々も
宮崎県の肉牛の大量殺処分に反対することはありません
どうせ、いずれ、殺されて
食肉にされる運命の牛になど同情できないということでしょうか?

農家だって、自分が育てた牛が殺されることは悲しいのですよ
でも、そこは理性によって、人と家畜の違いを理解しているのです

理性こそが、文明社会の秩序を支えているのです
安易な感情論は、大変な危険をはらんでいることを
文明人は知っておくべきです
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口蹄疫の馬鹿騒ぎ

2010-08-30 18:06:03 | Weblog
今年、宮崎県で
肉牛の”口蹄疫”という病気の大騒ぎがありました

抵抗する農家や宮崎県の東国原知事に対し
国は全頭殺処分という恐るべき命令を強制しました

なんと、非情冷酷な処置でしょう!

口蹄疫は人間には、ほとんど無害なのです
そして、罹った家畜も、成牛なら死なずに治癒するのです
なんで、あんな大騒ぎをする必要があったのでしょう?

私は
鳥インフルエンザの時も
豚インフルエンザの時も
騒ぎ過ぎだと批判しました
大したことはない、と警告しました

今回も、なにか変だなと思いつつ
知識が無かったものですから、黙っていましたが
WiLL10月号の記事で
上記の事実を知り
ここに、皆さんに紹介する次第です
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”弱い者イジメ”は動物の行動原理

2010-08-29 15:28:57 | Weblog
”弱い者イジメ”というのは動物的行動の典型です
人がケダモノ化すると、真っ先にイジメ行動を始めます
弱い者を皆で集中的に攻撃するのです

閉鎖社会は弱い者の逃げ道がないので
弱い者イジメの温床となります
昔の軍隊がそうでしたし、連合赤軍事件もそうでした

閉鎖社会では
強い者に従うしかありませんから
一番弱い者が、皆から集中攻撃を受けるのです
ここでの行動原理は、強者への服従と、弱者への虐待です

動物の行動原理とは
まさに閉鎖社会の人間の行動原理と同じです
自分より弱いとみれば、これに攻撃をしかけ
自分より強い相手からは逃げるのです

静岡県裾野市や三島市で
人家に近いところに現れた猿に
50人以上の人がかまれるという被害が出ています
同一の猿の犯行とみられています
被害者は年配女性や幼児が多いということです
猿もまた、弱い者を狙うのです

サラリーマン時代
酒を飲みながら会社の不満など言う者の話を聞いていると
問題のある上司の悪口を言うのではなく
弱そうな上司の悪口を言う者が多いことに気付きました
自分より若い者と飲んでいる時です

会社の問題点を指摘するのではなく
自分より弱そうな上司を攻撃しているのです
要するに、自分より弱い奴が自分の上にいるのが許せないのです
業務上の能力ではなく、人間的な強弱です
若いサラリーマン達もまた、ケダモノの行動原理しか持ち合わせていないと
私には見受けられました

私は、サラリーマン時代
徒党を組むことなく、孤立もせず、誰とでも調子を合わせていました
”心情的に徒党を組むこと”に興味が無かったからです
前向きな営業努力や、業務改善の意欲であれば共有したかったのですが・・・

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広島県民の気質・・・全国中学水泳大会3

2010-08-28 18:01:47 | Weblog
広島の思い出について、少し語りたいです

まず、広島の人達はおだやかで、やさしい人ばかりでした
そのために、旅の途中でいやな思いをすることがありませんでした
私の広島県人に対する印象はとても良いものです

しかし
不思議なこともありました
不思議というより、不可解というべきか・・・

私は毎日、自動車に乗って広島県内を移動していました
そして、広島のドライバーの不可解な運転に気付いたのです
それは、多くのドライバーが

”方向指示器を出さずに路線変更する”

という事実です
一般道でも高速道路でも同じです
少し車間距離が空くと、いきなり割り込んできたりするのです

やがて、私は広島のドライバー達の運転の癖の理由が少し分かるようになりました
彼らは、車線を譲るということを、ひどく嫌うのです
私が方向指示器を出して、車線変更しようとすると
いきなり突っ込んできて、それを邪魔するのです

最近は首都圏でも、この傾向があります
広島は、この傾向が、さらに徹底していました
こうなると、方向指示器を出さずに
隙あらば、いきなり車線変更する方が、かえってスムーズに事がはこびます

広島県民は方向指示器を出すこと自体を嫌っているわけではありません

その事例は
3車線も4車線も指定方向の矢印の付いた左折や右折の交差点があります
並んでいるすべての自動車が左折ないし右折するような場所です
そのような交差点でも
すべてのドライバーが律儀に方向指示器を出すのです

ほとんど無意味な行為を律儀に守りながら
重要なドライバー同志のコミュニケーションは無視する
広島県のドライバー気質は好きになれません

そういえば
宮島に着いた、その日
船着場の駐車場で戸惑う私達の後ろを
猛烈な勢いで通り過ぎた地元の小型トラックがありました
とても、駐車場内で許されるスピードではありませんでした

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大会運営の問題点・・・全国中学水泳大会2

2010-08-27 19:54:21 | Weblog
広島の全国中学水泳大会を観戦して
気付いたことをいくつか報告します

まず、駐車場が足りないのは初めてでした

全国中学観戦は、もう3回目になります
いままでは充分な量の駐車場が確保してあったのですが
今回はまったく足りませんでした

私が事前に問い合わせた時は
充分な台数の駐車場が確保してあります・・・ということでした
過去の大会の実績がありますから
私は安心していたのですけれど・・・

会場は大会開催に合わせて若干はリニューアルした模様です

しかし、新品のはずのコースロープは
普通はセンターの3本は色違いにするのですが・・・全部、同じ色です

大会旗や国旗が
電光掲示板と同じ高さに吊るされているため
そちら側の席からは
電光掲示板が隠れて見えませんでした

プールの両サイドに観客席があるのですが
正面入口付近にしか飲み物の自動販売が設置してなくて
あの暑さの中、飲み物を確保するのも大変でした

撮影許可証は午後4時30分までに返すように書いてあります

娘達の400mメドレーリレーの決勝は
前の種目が4時45分に終わり
やれやれ、やっと始まるのかと思っていると
わざわざ、午後5時から行なうと場内放送がありました
当然ながら、撮影許可を返すわけにはいきません

・・・と、いうようなわけで、大会運営には疑問符の多い大会でした

しかし、実際には
撮影許可証を午後4時30分過ぎに返しても
何の問題もありませんでしたし
飲み物の自動販売機の場所を熱心に教えてくれる親切な係員な方もいましたし
暑い中で、一生懸命駐車場の番をしている方にも頭が下がりました
どの方達も素晴らしい、優しくて親切な人でした
私の広島県人に対する印象はとても良いものになりました
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女子400mメドレーリレー5位入賞!・・・全国中学水泳大会

2010-08-26 18:18:24 | Weblog
この夏は広島に家族旅行をしました

8月19日に、こちらを発ち
神戸で一泊、その後、宮島で三泊して
8月23日の夜遅く、帰宅しました

私達夫婦と3人の子供、そして私の父、計6人でのドライブ旅行です

目的は、娘の全国中学水泳大会の観戦と応援です

娘の出場した種目は

400mメドレーリレー
400mフリーリレー

・・・の2種目です

結果は

400mメドレーリレーは・・・決勝進出!5位入賞!
400mフリーリレーは、予選16位で決勝進出はなりませんでした

娘としては、必ずしも満足のいく結果ではなかったでしょう
特にメドレーリレーは3位以内に入りメダル獲得を目標にしていましたから
悔しい思いもあったようです
フリーリレーも、決勝進出が目標でしたから
やはり、悔しかったはずです

メドレーリレーの決勝が終わった時
リレーメンバーの全員が泣いていました

それは
メダルを逃した悔し涙であると同時に
初めて、全国大会の決勝に進出し、5位入賞という結果を残せた
喜びの涙でもあったはずです

県予選から、ここまで共に闘ってきた仲間達との達成感に
リレーメンバー全員が感極まったのです

残念なのは400mフリーリレーでした

自分達で考えたリレーオーダーを
後から来た監督に勝手に変えられてしまい
リレーメンバーは動揺し、不安に陥ってしまいました
結果として、県中学校総合体育大会でのタイムを超えることもできず
予選敗退となってしまいました

馬鹿監督の余計な指図がなければ
決勝進出の可能性は充分あったと思います
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表紙は相武紗季さん、週刊朝日9/3号・ポコチェ09SEP2010

2010-08-25 05:00:00 | Weblog
今、発売中の週刊朝日9/3号74頁に
当社と私に関する記事と
南藤沢の新築マンションの入居者募集の案内が出ています

表紙は相武紗季さんです

皆さん、読んでくださいね!

そして偶然ですが・・・同じく相武紗季さんの表紙で
ポコチェという、主に、都内で置かれているフリーペーパーにも
私のマンションの紹介記事が出ています

こちらも、ぜひ、どこかで探して、読んでくださいね!
カラー写真がとても綺麗ですよ!

ポコチェは女性向けの雑誌ですから
女性の皆さんには、他にも参考にできる記事が出ていると思います
ぜひ、読んでください!

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宗教と禁忌・・・言葉と記憶3

2010-08-24 16:15:30 | Weblog
自然の持つ反復性の中に
人は、神の真理を見
そして自然の持つ突発性や非連続性の中に
神の感情を見たのでしょう

たとえば
台風や雷に、神の怒りを感じるのです

そして
陽光や慈雨に、神の慈しみを感じるのです

自然が感情を持ち
それは神の感情なのだと理解することが
人間が宗教を持つ契機であったと考えられます

神との約束は、必ずしも正確に履行されません
毎年、同じ様に勤勉に働いても
豊作の年もあれば、不作の年もあります

しかし
人は、神が契約違反をしたとは考えませんでした
自分達が何か過ちを犯し、神がペナルティーを与えたと解釈したのでした

そうしたなかで
宗教的な儀式や禁忌が生み出されたのでしょう
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神との約束・・・言葉と記憶2

2010-08-23 07:39:48 | Weblog
記憶を持つことにより
人は、反復する現象を認識するようになります
そして、反復現象の中から
真理の概念が成立します

まずは、自然の中に真実を発見し
法則性のある反復現象の中から、人は真理を発見するのです

自然の中に生きながら、人は自然が裏切らないことを発見します
人力を超えた自然の力に平伏しながらも
そこに法則性があり、人を裏切らないことを知るのです

”神”の概念の成立の契機かもしれません

たとえば、毎年同じ場所に実のなる植物が生えることを知れば
人は、自然の持つ法則性の中に、人と自然の約束事が成立することを知ります
それはまた”神との約束が成立すること”と解釈されて当然なのです
人は自然の法則性の中に”神との約束”を想像したのです
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言葉と記憶

2010-08-23 07:19:18 | Weblog
何が本当で、何が嘘なのかという問題を考える前に
そもそも、嘘という概念が成立した過程を考察してみたいと思います

人には知性があります
知性を成立させるための根本は記憶力です
もし、人に記憶力が無いとしたら
知性もまた存在しません

記憶力のない人に嘘をついても
嘘をついたことは露見しません
嘘を見破るには記憶力が必要です

嘘という概念は
人が言葉を獲得し、記憶力を持った状況で成立します
言葉と記憶が嘘を発見します
このことは、反対から考えれば
言葉と記憶により、人は真実という概念を得たということもできます

言葉と記憶の能力を使って
人は虚偽と真実を識別するようになったのです
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