湘南徒然草

湘南に生まれ、育ち、この土地を愛し、家庭を持ち、子育てに追われ、重税に耐える一人の男の呟き。

コミュニケーション能力

2019-05-31 18:54:18 | Weblog
人が、人として生きていくうえで
最も重要な問題はコミュニケーションです

自分の思いが相手に上手く伝わらない
あるいは、誤解されてしまう
その一方で
相手の言うことが、よく理解できない
あるいは、誤解してしまう

これらが、人間関係の苦しみの主因です
人間の悩みの多くは、この部分にあると言えるかもしれません
最近では、就職や、進学でさえ
コミュニケーション能力を問われるといいます
社会全体の重要関心事になっているのです

なぜ、このような事態になったのでしょう?
私は、その原因は
コンピューターの発達にあると考えています

蒸気機関や内燃機関、電気モーターの発明により
人間の労働の中に占める力仕事の割合が大幅に減りました
人間の労働の中心が知的労働に変わったのです
そして、コンピューターの発達により
人間の知的労働の内、形式的機械的処理の作業を
コンピューターが肩代わりするようになったのです

人間の労働の内人間でしかできないのは
人の心を理解すること・・・すなわち

”コミュニケーション能力を必要とする仕事”

だけになりつつあるのです

教科書を読むだけ、教師の話を一方的に聞くだけの
従来型の日本の教育スタイルで
はたして
コンピューター時代の労働スタイルに適した人材を
養成できるものでしょうか?

単純に、記憶をしたり、検索したり、計算する能力は
パソコンは、すでに、人間の能力を大幅に超えてしまっています
どんな秀才でも、パソコンに太刀打ちできません

これからの人類に必要とされる能力を身に付けるには
従来型の教育システムには根本的な変革が必要になっているのです
対話能力や想像力を鍛えるには、どうしたらよいか?
教育関係者だけではなく、人類全体のテーマとなったのです
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吉田茂の憲法9条擁護

2019-05-30 18:44:14 | Weblog
吉田茂の憲法9条擁護論についてふれておきましょう
吉田茂が憲法9条改正に反対したことは有名です
宮田修氏は、その理由として

1,国民の厭戦気分
2,反戦ムードのマスコミ
3,政治経済状況の不安定
4,国会の3分の2条項

を挙げています

私は、これには同意できません
吉田茂が、そんなつまらない理由で憲法改正を避けたなら
昨今の腑抜け政治家と変わりないことになります
吉田茂は、そんなちっぽけな政治家ではありません

吉田が憲法9条改正に反対したのは
日本人がアメリカの傭兵にされて
アジア地域で米軍の代わりに戦わされる事態を避けるためでした
日本人が血を流し、生命を犠牲にして
しかもアジアの人々からは嫌われるという
日本及び日本人にとって何のメリットも無い事態を避けるためです

この点で、吉田茂は老獪であり
本物の愛国者あり、政治家でした
憲法9条をダシに使って、アメリカを手玉にとったのです

そもそも、吉田が憲法9条を受け入れた背後には
当時のシナ大陸の状況がありました
毛沢東率いる共産党と蒋介石率いる国民党が死闘を演じていたのです
吉田は、これにアメリカが介入すれば
日本人が、米軍の指揮下
シナ大陸で戦わされる危険を予想したのです

シナ大陸の内戦は1949年の共産党の勝利により終わりました
吉田に言わせれば、そんなものはいつまでも続くまいということです
吉田茂はシナ大陸での外交官経験が長く
吉田の知るシナとは、軍閥が割拠し、永遠に泥沼の内戦が続く世界です
そんなところに日本人が巻き込まれるのは断固避けるべきなのです

その後、朝鮮戦争、ベトナム戦争と
日本はアジアの戦争に巻き込まれることを避けられました
憲法9条サマサマです
ベトナム戦争までを予想していたかはともかく
吉田茂の洞察力は見事としか言いようがありません

朝鮮戦争勃発後、アメリカは吉田茂に憲法改正を迫ります
吉田は、これを拒否します

「そこが吉田さんの偉いところなんだ」

と、田中角栄は評価しています
憲法改正論者の田中ですが
吉田の隠された意図を理解していたからです

吉田茂自身の本音の憲法観は

”新憲法 棚の達磨も 赤面し”

という句に明らかです
恥ずべき憲法と考えていたのです
吉田の9条への態度は、国際情勢と国益を考えたものだったのです

話は変わりますが
宮田修氏は、田中角栄が

「ヨッシャ」

と言ったと書いていますが
これは、記憶違いではないでしょうか?
田中角栄は「ヨッシャ」とは言わないそうです
越後弁には、そういう言い方が無いそうです
頼み事を即座に引き受けるのは間違いありませんが
そういう言い方では無かったはずです


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田中角栄の憲法改正論

2019-05-29 14:04:03 | Weblog
昨日買ってきた

月刊「Hanada」7月飛燕号



「田中角栄の憲法改正論」宮田修

という文章が掲載されています

実は、この文章が読みたくて「Hanada」を買ったのです

私は、以前から、小選挙区制について
田中角栄は、憲法改正を目的として
この制度の導入を図ったと考えていました

しかし私は、そのことは
憲法改正が成るまで、書かずにいようと考えていたのです
憲法改正反対派にとって最大の敵が
小選挙区制だということがばれてしまうからです

若き田中角栄の有名な演説”若き血の叫び”

「三国峠を切り崩し、新潟に雪を降らせる季節風を関東にやってしまおう」

という話は、聴衆の心を掴む前振りであり
その後は、本論の自主憲法制定論を主張したそうです
田中角栄は、最初に立候補した時から
憲法改正こそ、最大の政治目的だったのです

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勇気と決断力

2019-05-28 18:42:39 | Weblog
休みなく予定がつまり
ゆっくり考える余裕もなく
次から次へ、業務を処理していきます

それはやむを得ないことなのですが
実は、今の私を襲っている多忙は
ルーティンワークではありません
初めの経験として
一つ一つ考えなければならない事案なのです

それを通常の事務処理のようなスピードで片付けることには
自分でも、抵抗があります
もっと、じっきり考えるべきでないかと・・・

しかし
経験から言えば
新しいことをする時ほど
仕事のスピードを上げなければいけません

処理すべきこと、考えるべきことが次々と現れ
のんびりしていては、間に合わなくなってしまうからです
いくら考えても、経験の無いことに、正解はありません
とにかく、その時点で分かっている範囲で、決断しなければなりません
決断力の無い人は、新しいことへの挑戦は無理です

決断力とは勇気のことでもあります
失敗を恐れない勇気です
しかし、徹底的に考え尽くすことのできる意志も必要です
そうでないと、ただの博打になってしまいます
正解の無い問題を徹底的に考えて、自分なりの答を見つけ
決断し、行動に移すことが真の勇気なのです
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オムニコンプへの関心は年齢に反比例

2019-05-27 17:34:00 | Weblog
土日両日はとても忙しかったです
私は、実は、体調がかなり悪かったのですが
そんなことは、おくびにも出せません
平然と、全身営業マンになるだけです
仕事とは、そういうものです

この藤沢産業フェスタでは
多くの人から手助けや応援を受けました
妻も、子供達も、よく手伝ってくれました
私としては、頑張るしかありませんでした
皆様に感謝です

今回、あらためて
オムニコンプに子供質が夢中になることが確認できました
その反面、大人、特に中高年の人々には
既存のブロック玩具との違いがよく分からない人が多かったです
これも、以前から、私が感じていたことです

オムニコンプへの関心は
年齢に反比例するようなところがあります
大人よりも子供が関心を持つのは当然として
大人でも、中高年よりは、若者の方が積極的な興味を示します
それも、若ければ若いほど、強い興味を示すのです




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藤沢産業フェスタ最終日

2019-05-26 18:14:42 | Weblog
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藤沢産業フェスタ初日、多くの人々との交流

2019-05-25 18:30:08 | Weblog
初めての藤沢産業フェスタ参加です
いままでは、見物したこともありませんでした
想像以上に規模が大きく
これは本当に”祭り”だと思いました

当社のブースは
お客様の切れることが無く、盛況でした
皆様のおかげです
ご来場者の皆様、フェスタ運営のスタッフの皆様
本当に、ありがとうございました

当社のブースのお客様は、ほとんどが子供達です
一旦オムニコンプで遊び始めると
なかなか席を離れようとせず
親に促されたり、急かされたりして、離れるのですが
中には、泣きながら席を離れる子供もいました

子供達がオムニコンプに夢中になってくれることは確認できました
これは昨秋の多摩大での経験と同じです
男の子だけではなく、女の子も。熱心に遊んでいました
そして、見事な作品を作ります

多摩大の学生さん達もブースを持っていて
彼らと交流できたのも収穫でした
今後は彼らのボランティア活動にも協力したいと思っています

藤沢工業高校の学生さんもブースがあり
彼らも遊びに来てくれました
藤沢工業高校の皆様とも
今後、何か交流の機会を作れたらよいなと思っています

取引先企業も何社か出展していて
挨拶を交わしました
信金の支店長は、お休みのところを
わざわざ、奥様とご来場いただき、感謝感謝です

湘南工科大学の渡辺学長とは
せっかう名刺交換ができましたのに
私が急いでいたばかりに
ゆっくりお話しができず、残念でした
今度、ゆっくりお話しする機会が持てればと思います

書きたいことは、まだまだありますが・・・
とりあえず、初日は終わりました
実り多き一日だったと思います
また明日があります
さらに充実した一日になることを!

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藤沢産業フェスタ会場設営

2019-05-24 18:03:47 | Weblog
明日から二日間

「藤沢産業フェスタ」

が開かれます

当社は秩父宮体育館の1階で展示をしています
初めてのことで、何かと戸惑うことも多く
それでも何とか、簡単な設営が終わりました

当日は、実際にオムニコンプに触れていただき
その面白さを理解していただこうと思っています

直売もしています
27000円と、ちょっと高いですが
よろしくお願いします
会場で、サービス券がもらえると
500円安くなるそうです

一人でも多くの皆様のご来場をお待ちしております
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縄文時代から弥生時代への変化・・・歴史の考察

2019-05-23 20:18:31 | Weblog
縄文時代から弥生時代にかけて
何があったのか?
私は以前から、ずっと考え続けています

縄文人を弥生人が駆逐したと考えれば、分かりやすいですが
どうも、そうではないらしく
同じ日本人の縄文社会が弥生社会に変わったのです

縄文時代末期の土器を見ますと
明らかに、弥生時代的形状への変化の端緒があり
それまでの縄文土器より
日本人の伝統的美意識に直結する形になっています
弥生式土器のルーツは縄文土器なのであり
その形状や美意識はその後の日本文化に連綿と受け継がれているのです

縄文式土器と弥生式土器の極端な形状の違いは
両者の生活感の違いによるものであり
制作者の遺伝的要因よりも
彼らの生きた時代の、社会的文化的要因の方が大きいのです

つまり
縄文人の子孫が弥生人になったのです
この変化は、日本民族の自発的変化なのです

あらためて、その理由を考えますと
まず、気候の変化という自然的要因が考えられます
狩猟採集生活が維持できなくなったのです
それと、もう一つは、シナ大陸の政情不安です
大量の難民が、持続的に日本列島に漂着したのです
いわゆるボートピープルです

農耕社会は耕作地の拡大とともに人口が増えます
逆に言うと、人口が増えれば、耕作地の拡大が必要になります
人口と耕作面積の関係は、ニワトリとタマゴの関係になるのです
どちらが先とも言えません・・・

はっきり言えることは
未開拓地の多かった当時の日本列島は
難民受け入れの余地が大きかったということです
大量の大陸系難民が日本に帰化して混血し
日本人の遺伝子構成を変えました

日本列島の、急速な農耕社会への移行は
自然的条件と社会的条件が重なって起こり
日本人に、縄文から弥生へと、文化の劇的変化をもたらしたのです
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縄文人と弥生人・・・歴史の考察

2019-05-22 18:00:13 | Weblog
縄文人とか弥生人とか
私自身が、そのように表現していますが
この定義は、どういったものになるのでしょうか?

私が考える、最も明確な定義は
縄文人とは、縄文時代の日本人であり
弥生人とは、弥生時代の日本人ということです
どちらも日本人であり、私達の先祖です

それでいながら
これまた、私自身が
縄文系とか弥生系という表現を使います
両者の違いは何なのでしょう?

まず、両者には
顔つき、歯、体格に違いがあるようなのです

縄文人が狩猟採集生活をし
弥生人は農耕生活をしていました
両者の外見上の違いが
生活スタイルの違いだけによるものではなく
遺伝的にも若干違いがあるらしいのです
これはどういうことでしょうか?

私の解釈は、こうです
縄文人は、狩猟採集だけではなく、定住し、農業もしていました
そこへ、大陸から移民してきた人々が加わったのです

やがて、気候異変等もあり、狩猟採集生活は苦しくなります
一方、農耕民は、耕地を拡大させ、人口が増加しました
その結果、日本列島では、農耕民の人口比率が大きくなり
農耕民に混じった大陸系の遺伝子を持つ人々の比率も増えたのです

けして、大陸から大量の移民があったわけでは無きのです
その証拠は、日本に大陸系の言語は残らなかったことです
日本に来た大陸系の人々は、日本に帰化し
日本人となり、混血し、日本人の中に遺伝子を残したのです

弥生人は大陸から渡ってきた別人種であり
彼らが縄文人を殺してしまったと考える人もいます
しかしながら、そうだとすれば、日本語は残らないはずなのです

日本語は、大陸系の言語とは大きく異なり
単語レベル以上の大陸系の言語の痕跡がありません
日本人は、1万年以上の一筋の歴史を持ち
日本列島にやって来た様々な人々と混血し、現在に至っているのです




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