湘南徒然草

湘南に生まれ、育ち、この土地を愛し、家庭を持ち、子育てに追われ、重税に耐える一人の男の呟き。

ドライバーの絶不調・・・ゴルフの練習22

2011-09-30 20:08:25 | Weblog
仕事の合間にゴルフの練習に行きました
アイアンはともかく
ドライバーが最悪でした
練習場にGパンで行ったのも良くありません
下半身の動きが良くありません
私の最大の欠点です

このところ忙しくて
練習に行っていなかったので
本日、一人、行ったわけですが
実際、前途に暗雲のたちこめるような絶不調でした
明朝、素振りから修正するつもりです
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いそがしい!

2011-09-29 20:11:07 | Weblog
あいかわらず、いそがしい
公私に、いそがしい
自分が、どこにいるか分かりません
何をしたいのか、分かりません
このまま、何か馬鹿なことをしなければ・・・と、思います
ほんとは、私は、怠け者なのかもしれません
いや・・・ずっと、自分では、そう思っていました
しかし、やらなければならないことが、いっぱい、あるのです!
さぼれないのです!
ああ!
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税金と法律の不合理

2011-09-28 16:30:39 | Weblog
「政治」は、どうも好きになれません

私達の社会生の活基本を決める法律を作るのも
私達が納めた税金の使い道を決めるのも「政治」です
そんなわけで「政治」に無関心ではいられません
特に、重い税金と不合理な法律に苦しめられている身として、はなおさらです

しかし「政治」の、なんと空々しいことでしょう!

自分が税金を納めない人が「政治」をやること
それ自体が、私には納得がいきません

政治家も役人も、自分も納税者だと言うでしょう
しかし、彼らの納めている税金なるものは
彼らに税金から支払われた金銭の一部を返還しているだけです
形式上の納税に過ぎません

公共事業を行っている企業の納める税金も、これと同じことです

税金からもらう金の方が、納める税金より多い人や法人を、私は納税者とは認めません

税金のほかに
納得のいかないことが多いのが法律です
私の商売でいえば、エレベーターや防火に関する法律や政令です

階段から転落して死亡する人は年間何百人といます
それなのに、法律で階段を禁止しろとはいいません
ところが、エレバーター事故で一人の死者が出ただけで
法律が変わり、既存のエレベーターは現行法では不適格の烙印が押されます
いままで、一度だって、事故など無かったのに!

こんなことでエレベーターの普及が遅れ
結果として、多くの人が階段事故で命を落としています
その中には、愚かな「政治」が無ければ、落とさなくて済んだ命もあったはずなのです
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資本主義とは何か・・・人類にとっての”富”の意味

2011-09-27 15:42:54 | Weblog
私達の住む社会のシステムのことを

「資本主義」

と呼ぶことがあります

”共産主義”と対立する言葉として”資本主義”という言葉を使うなら
それはそれで正しい表現でしょう

しかし、私はこの「資本主義」という言葉が好きではありません
それよりも”自由経済体制”とか”民主主義社会”とか”契約社会”とか呼ぶほうが好きです
私達の経済活動は資本の運用のためにあるわけではありません

自由な経済体制は、自由な資本の動きを可能にし
結果として、豊かな経済社会を実現してきました

なぜ”自由”は”豊かさ”をもたらすのでしょう?

富を物質の数量だと考えるならば
私達が自由に動こうが、拘束されようが、地球上の物質の数量は同じです
地球上の物質の物理的数量は、人類の行動に関係なく、ほとんど一定です
これを人類一人当たりで割るなら、人類の数が減るほど、私達は豊かになるはずです

ところが実際は
人類は人口増にしたがって豊かさも増したのです
大いなる矛盾と言うしかありません

その理由は、人類にとっての富は、人工的に作られたものだからです
そのため、人類の数が増えても、富は減るどころか、増えるのです

豊かさとは、私達が欲しいものが、地球上に増えることです
人類は、石ころを欲しいとは思わなくとも
石ころを原料にして、ICチップを作れば、それを欲しがります

純金は、天然資源そのものが価値を持っているように見えます
しかし実際は、純金が貨幣価値を持つ社会システムが成立している状況でのみ価値があるのです
もし、その前提がなければ、ほとんど無価値です
動物に金塊を投げ与えても見向きもしません
肉塊を投げ与えれば、飛びつきます

人類の富とは
人工的に作り出されたものが、社会的に価値を維持されている状況で成立します
つまり”文明社会”でのみ、成立するのです

”資本”を富の別名と考えれば
”資本主義”とは”文明社会”そのものを指す言葉ということになります
したがって”資本主義”を否定することは”文明社会”を否定することになるのです
実際に、多くの共産主義国家は、文明社会を否定し、国民に塗炭の苦しみを与えました

石ころを原料にしてICチップを作り、コンピューターを作ることができるのは
自由なる精神が創造した知識が、そこに集約されているためです
行動や発想の自由を制限された社会では、富の創出も、おのずと制限されるのです

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孤独な戦い

2011-09-26 00:31:34 | Weblog
昨日は逗子海岸でバーベキューパーティーをしました
子供達のスイミングクラブのメンバーです
コーチが子供達の指導を兼ねた催しです

親達は安心して、任せていられます

私も、テーブルや椅子を組み立てるのを手伝っただけで
後は、ビールを飲んで、寝ていました
私が寝ているところを、女性コーチに写真を撮られてしまったらしいです・・・

一昨日は、娘の学園祭を見に行きました
娘が書道部で、大きな字を書くパフォーマンスをするので
それを見に行きました

連日、スケジュールは埋まっていきます
仕事の無い日はプライベートなスケジュールでいっぱいになります
実は、仕事も、必ずしも順調ではなく、事務に滞りが出ています
深夜、少しでも取り戻そうと、一人、悪戦苦闘しています

私は典型的な零細企業の経営者です
事業規模も会社も、もう少し大きくしたいと思っています
今のままでは、私の体がもちませんし、将来の不安もあります

息子が手伝ってくれればいいのですが
水泳バカですし、私の仕事には興味が無いようです

私は自分の子供達に大きな期待は持たないようにしています
私も親の仕事を継ぎたいとは思いませんでしたから
息子にも、将来の進路を強制したくないのです

この仕事は自分一代かもしれません
相続税の問題もありますから、跡を継がせるのも簡単ではありません

私自身、今の仕事が好きです
しかし、法律や税金は、とても非合理なものが多くて
正直なところ、事業意欲は減退しています

守れない法律や事業をつぶす税金を、日本人はいつまで放置しておくつもりでしょう?

売国奴のような政治家が跋扈する時代です
そんな連中の応援団がマスコミなのですから、誰を信じたらいいのかわかりません
私は自分を信じ、自分の良心にしたがって生きるしかありません
孤独な戦いは続きます



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喪失感と無意識の想定

2011-09-25 14:17:21 | Weblog
喪失感というものは、心のへこみのような感じです
そこを逆にたどれば、失ったものの形が浮き彫りになるのかもしれません
ちょうどレリーフのような形で・・・

私たちの精神は、強く意識するものだけではなく
多くの、あまり意識しないものたちによって、支えられているのでしょう

日常を支える社会的システムはもとより、人間関係なども
安定していて、確実性の高いものほど
私達は、当たり前のものとして、強く意識することがありません
まるで空気のように、それがなければ生きていかれないほど重要なものであっても・・・

人間は社会的な生き物です
アリやハチのように、社会を形成して生きる生物は存在します
動物は、通常は群れを作って生活するものです
しかし人間ほど複雑な社会を形成して生きる生物は存在しません

人間が複雑な社会を運営できるのは”文化”を継承できるからです
言語をはじめ、生活習慣、モラル、行動様式、価値観、社会組織・・・を継承できるからこそ
人間は複雑な社会組織を維持し、発展させることができるのです

人間の精神の中には、文化を継承させる情熱がプログラムされているはずです
過去を語り継ぎ、体験を共有することが、次の世代へと文化を継承させていきます
そして、人は、漠然と、自分の後継者を想定しているもののようであります

事業の継承者も、遺産の継承者も、後継者には違いありません
それだけにとどまらず、記憶の継承者、体験の継承者を、人は求めているようです
そこに文化は生まれ、継承されていくように私には思えるのです
社会的規模でそれがなされる場合もあれば
小さな家族や親族のレベルで、それがなされる場合もあるのでしょう

姪は、祖父母が健在で、母も健在であった時代の我が家を知る最後の世代です
私の母にとっては、もっとも幸福であった時代であるかもしれません
我が家には病人もなく、経済的にも、まずまず安定し
嫁いだ娘たちが、しょっちゅう孫を連れて家に帰ってくる時代でした

そんな家族の、ささやかな幸福の時代の記憶を
実際に知っている最も若い世代・・・それが姪達であり
おそらく、私が亡き後も、我が家の幸福の記憶をとどめる世代が残ることが
私の無意識の想定であったように思います


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台風15号の風雨の中での出来事

2011-09-24 13:37:12 | Weblog
台風15号は首都圏を含む広範囲の日本列島に被害をもたらしました
あの9月21日は私の姪の初七日でした
私は姪の家にお線香をあげに行くため、長女の帰宅を待っていました

小田急線が止まり
長女が中央林間駅に足止めされているという連絡が入りました

私は自分のBMWに乗って中央林間駅を目指しました
渋滞が予想されましたので、メインルートは避け、やや迂回するコースを選びました
ところが家を出て間もなく、オンボードコンピューターが異常の発生を知らせます

買ったばかりの新車ですし、激しい風に揺られているとはいえ、車は普通に走っています
激しい風や雨による影響をコンピューターが”異常”として感知してしまったのだろうと
私は勝手に解釈して無視しようと考えました
まして、途中にBMWのディーラーはありません
修理のしようがありません

しかし、やはり気になるので、もう一度ディスプレーをよく見ました
コンピューターがタイヤの異常を知らせていることが分かりました
取引のあるトヨタのディーラーは、すぐそこにあるので、とりあえずそこに車を入れました
タイヤならトヨタのディーラーでも治せるからです

トヨタには担当の営業マンもいて、すぐに見てもらえました

パンクでした

曲がったビスのようなものをタイヤの端で踏んでいたのです
暴風のため、いろいろなものが散乱し、路上にもあったわけですから
こうした事態もやむを得ぬものかもしれません

タイヤを応急処置してもらい、家に戻り、別の車で娘を迎えにいきました
今度は小田急線沿いのコースを選びました
緊急事態が発生しても、対応しやすいようにするためです
電車が動いても、途中駅で娘を拾えます

少し渋滞しましたが、無事、中央林間駅で娘を拾うことができました
途中、やまと市役所の横を通った時は、大きな樹木が根こそぎ倒れているのが見えました
今回の台風の風の強さを思い知りました

帰りの道も渋滞気味でした
車のブレーキを踏み、ふと上空をみると、箱のようなものが、こちらに向かって落ちてきます
その動きからして、段ボール箱ではなく、プラスチックの箱のようでした
どうやら、その先に見える7、8階建のマンションの屋上にあったものが風に飛ばされて
こちらに向かって落ちてきたように思えます

まるで恐怖映画のようなシーンでした

箱は車のフロント部分に当たりました
フロントガラスへの直撃は避けられました

翌日見ると、ボンネットにへこみと傷がありました
あと50センチずれていたら、フロントガラスに当たっていました
そして、あと1メートルずれていたら、私の顔面を直撃していたでしょう
ボンネットの傷は、運転席の真正面でした

家に帰っても風雨が激しかったので、姪にお線香をあげに行くことができませんでした

あの日の私は、運が良かったのか悪かったのか・・・
おそらく、とても運が良かったのでしょう
天国の姪が私を助けてくれたように思えます

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文化の継承

2011-09-23 12:16:47 | Weblog
姪を亡くしてから
私は姪のことばかり考えています
あるいは、姪を失ったことの喪失感の大きさに打ちのめされています

おそらく、どの姪や甥を失っても
私は大きな衝撃を受け、深い悲しみを感じたことでしょう
あらためて、姪や甥の存在のことを考えています

姪や甥は、自分の子供ではありませんから
普段は、その存在をあまり意識しません
たまに会えば、それはそれは愛しい、かわいいかわいい存在ではあります
しかし、普段は、その存在を意識することが、ほとんど無いのです

失って、はじめて、その存在の大きさを知る・・・ということは、何事につけ、あるものです

姪、甥の存在とは、そのようなものかもしれません
成長期であれば、会うたびに、大きくなったと驚き
チビの時と同じように接するわけにはいかない、戸惑いのようなものを感じることもあります
会話といっても、通常は、あたりさわりのない内容のものしかしません

これは学校時代の同級生に会った時の感じとも、少し似ています
懐かしくて嬉しくはあるのですが、それで何を話していいのか
お互いの近況を確認した後は、会話も、どこか、もどかしい感じがあります

しかし、血縁の年少者は、これともまた違います
折り目折り目に、お互いの人生を共有しています
婚礼や葬儀はもとより、祝い事や、その他、様々なことで、互いの現状を確認しています
協力して、事をなし、人生の重要な時間を共有します

年少の近親者は、自分の子供とは少し違う意味で、人生の後継者という意味があるのでしょう
共通の記憶を持ち、人生を共有することは、文化を共有することでもあり
広い意味での”後継者”となるからです
家族の”歴史と文化”の後継者なのです

後に続く者に、バトンを継承し続けることが人間の文化です
文化とは、歴史とともに存在するものです
文化の継承は、本来は、文字や観念ではなく
人から人へ、人生経験の共有を繰り返しながら、伝えられていくものでしょう

年少者を失うことは、文化の断絶を意味します

人が野性を脱し、文化のある生活を始めてからずっと
文化の継承こそは、人類の意識にとって、最重要のことだったのでしょう
体験の共有だけでは難しい部分を埋めるものとして
言語が発達し、文字が発明されたのでしょう
そして、跡に続く者達への特別な愛情も強くなってきたのでしょう

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姪の人生と私の人生

2011-09-22 12:38:07 | Weblog
姪が亡くなってから
私は姪のことばかり考えています
姪のことばかりというより・・・私からみた姪の存在の意味を考えています
それほどにも大きな喪失感が私にはあるのです

姪の生まれた時が、私が二十歳で
自分の人生の前途に何の目標も見いだせない時でした

私が、はじめて定職に就いた時が、姪の小学校入学の頃でした

姪が中学3年の時に、私は結婚しました
結婚式では、亡くなった姪を筆頭に、姉達の子供たちから、私たち夫婦は花束をもらったのです
その半年後に、私はサラリーマンを辞めて独立しました
同じ頃、姪は中学校を卒業し、義務教育を終了しました

姪の高校時代の記憶は、私にはありません
こちらは新婚であり、長男が生まれた時期でもありますから
記憶に残るような特別なことは無かったのでしょう

姪が結婚したのは21歳の時だと思います
結婚式で姪夫婦に花束を渡したのは私の長男と長女でした

姪は、結婚して3人の娘を得ました
私の5人の子供のうち、下3人の息子は
姪の3人の娘と、それぞれ、ほぼ同い年なのです

結婚の遅かった私は、一世代ずれて、姪と同世代の子育てをすることになったのです

姪と私の人生は、部分的にシンクロしていました
姪の成長は、私の社会人としての成長とシンクロしていました

私の仕事がジャーナリズムからも取り上げられるようになった時、姪は病を得て
私の記事が英字新聞に、後に首相になる野田さんと同じ面積の写真と記事が、同一紙面に記載された
その1ヶ月後に、姪はこの世を去りました

大げさな表現をすれば
世界が私の存在を知った直後
姪は、この世から消えてしまったのです
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姪が生まれた頃の私

2011-09-21 18:13:13 | Weblog
今日は姪の初七日です
残念ながら、この台風なものですから
お線香をあげに行けませんでした

私の頭は混乱しています
年齢の計算などを、つい間違えてしまいます

姪が生まれたのは、私が二十歳の時でした
大学進学を断念し、途方に暮れていた時期でした
何をしていいのか分からず、焦燥と無気力に支配されていました
誰も私にアドバイスする人はいませんでした

今から思えば、周囲の人々の温かさには感謝感謝です
引きこもり生活といっても
昼間からワインを飲み、オマル・ハイヤームの詩を読んだり
ギリシャ彫刻の写真集に、うっとりと見入っていたりしていたのですから・・・

しかし、私にとっては、間違いなく、苦しい時期でしたから
その頃の記憶は、すっぽりと抜け落ちているのです
この度、姪の死をきっかけに、彼女の幼少期の想い出を思い浮かべると
それがまさに、私の人生の暗いトンネルの時期と、ぴったりと一致するのでした

彼女との幼児期の思い出は、暗いどころか、幸せと明るさがいっぱいのものです
我が家では、母はもとより、祖父母も健在の時でしたから
嫁いだ姉が、姪達を連れて我が家に遊びに来ることは大きな喜びでした
私にとっても、非常に幸せな想い出です

暗い青春の谷間にあって、そこだけは強烈な幸福感があるのです
姪の死をきっかけに、私は自分の人生の谷間の時期の記憶が少しずつ蘇ってきました
精神的には、もっとも苦しかったこの時期が、世俗的には、とても幸福な時期だったのです

あの時期に、私は人生で大切なものが何なのか分かったのです
自分が、何が好きで、何を求めて生きていけばいいのか、それを知ったのです
小さな子供の好きな私は、結婚をして子供のいる家庭を持つことが
人生の最大の目的となっていったのです・・・自分自身では、そのことを自覚しないまま

そのほかにも、この時期の記憶としては
アルバイトで働いた経験は強烈な想い出として残っていますし
自動車が好きで、ドライブが好きで・・・それは今も変わりません・・・楽しい想い出です
さらに、夜の酒場のことなども・・・

つまり・・・私は・・・
家庭の幸福を愛し、車を愛し、酒を愛する、実に平凡な男だったのです

人生行路に迷いながら
私は、自分が平凡な男であり、平凡な幸せを求めればよいということを
当たり前の日常生活の中で、悟っていったのです
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