年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

1ドルが140円台の頃

2022年04月22日 | 宅老のグチ
1ドルが140円台になった時、経理の前任者が退職し二ケ月の期間で引継ぎし、営業補佐から資金管理へ回った。人手が足りず他に適任者がいなかったということもある。引き継いだ後、どこに書類が保管してあるか判らず、スキを狙ったように国税から各種の業務監査が入った。あとから数えたら5か所だった。そのあとの監査は重なることはなく、築地市場での仕事は終わった。
 でも消防や衛生もあって、最後の方は東京都の衛生管理の非常時体制に組み込まれた。めったに連絡はないが、一度だけ韓国と中国の間の寄生虫キムチの問題で、東京都に事前報告をして、都の市場関係者に感謝された。水産系は毒魚の問題、花きの市場は農薬、青果はやはり過剰農薬、東日本大震災以後は放射能の問題でしばしばメ-ルが来ていた。今は多分と思うがこしあぶらという山菜が100ベクレル超えることが多かった気がする。どうやら地中のセシウムを吸い上げ濃縮するようだ。これを食べた野生になった猪もセシウムが出る。まだ10年で先は長い。
 為替が気になるのは中国等の外国から漬物原料を輸入し、決済していた。分割して決済すればマネ-ロンダリングの問題は消えるが、外国送金料が異常に高く、しばしば銀行に送金内容を説明した。塩漬のキュ-カンバ-とか言って説明した。ちなみにナスはエッグプラント。形がタマゴに似ている。大根はラディシュ。
為替が1990年頃が1$144円、1991年1$134円、1993年1$126円、1994年1$111円だった。その後しばらく1$が100円台が続いていて、当時の見解と世間の話では100円以下にはならないといわれ落ち着いた。ある時に取引銀行の人が来て、ドルのデリバティブ取引をしませんかと言われた。話の内容は詳しく思い出せないが毎月500万円を当時1$が110円だったのが1$100円で購入できるという。ただし5年かもう少し長い契約だったか忘れた。その後1$が120円位になったのであの時契約していれば利益が出たと思ったがその後あり得ないと思っていた1$100円以下になり、やらなくてよかったと思った。もし契約していたら、1$が80円の時でも100円で契約履行となるので、財テクの失敗で赤字決算となり、まじめに働いていた社員から非難されると思った。この話は今でもあって、電気の相場に手を出し、高騰した電気料金で難儀している企業もあるようだ。電力の小売事業に参入した新電力会社の経営破綻や事業の休廃止が相次いでいるようだ。クレジットカ-ドのリボルビング支払いは超高金利であることを小さい字で書いてある。金額が少ないといっても年月が経てば大きな金額の利息となる。

 金融機関・生命保険等のおすすめは知識のない人に関与してはいけないと思った。その時の後遺症があって、輸入原料を仕入れた業者から日本国内の送金にも関わらず、ドルで送金された記憶がある。あとで聞くとやはり為替のデリバティブ取引で貯まったドルを使って送金した様だ。
 また銀行が薦めた投資信託も解約した時、毎月毎の解約手数料(12回)と管理費用を引かれ赤字となった。銀行によって貯まった塩漬のドルはようやく帳面上の簿価を超える時が来たようだ。

 金融の商品知識のない人を学歴のある人から攻め込まれる。株式相場の格言で素人が株の話題を出すときは大相場の終わりの始まりという。
コメント
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