池波正太郎記念文庫 東京都台東区西浅草台東区生涯学習センター1階 台東区立中央図書館内
いつも台東区中央図書館の2階で郷土資料を調べていて、1階に池波正太郎記念文庫があっても、チラッと見ただけで過ごしていた。
安藤優一郎著 『江戸っ子の意地』という本を読んでいて、福島事件被告人と原胤昭との記述を読んでいて、原が南町奉行の与力の家に生まれ、明治期に南北会という組織で、町奉行の活躍とか事蹟を書物に残した。多くの時代小説の考証は原とか兄の佐久間長敬の著書からの引用が多いと感じる。原が町奉行与力たちの活躍を称賛すると、引き立て役となった火付盗賊改や関東取締役出役が活躍していないように見える。
長谷川平蔵を小説にした池波正太郎が治安維持者としての火付盗賊改の名誉回復となった。幕臣長井家は御先手弓組で文政元年12月12日から文政8年12月24日まで8年間ほど火付盗賊改の役だった。ところが鶯亭金升日記には自分の父の養父に関して、記述は少なく、『三代キシャ』の家系と書いてあった。今だからこのキシャの家系とは何だった理解しているが、15年前は何の駄洒落か不明だった。
御先手弓組とは騎射ということで、長井五右衛門昌純のこと。
汽車とは明治の初めに鉄道寮に勤めた、父の長井昌言(幕臣時は筑前守)
記者とは東京毎日新聞の記者だった鶯亭金升のことである。
長谷川平蔵で火付盗賊改の職は見直されたが戦前は原胤昭の書籍等でかなり評判が悪かった。その理由として、今の暴力団のイメ―ジのある不良武士。賭博者の取り締まりをするので行き過ぎた行為があって、さらに資金不足を補うため、冤罪をひこ起こした捜査をしばしば起こしていた。世にいう『地獄の沙汰も金次第』は未決囚から金をゆすっていたようだ。犯罪を創り、金を要求する。大原幽学の裁判はこのような観点から見ると理解できる。