東京教組(東京都公立学校教職員組合)

教職員のセーフティーネット“東京教組”

戦争と女性

2013年12月02日 | インポート

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 東京教組青年部の連続講座「戦争と女性~戦時性暴力を考える~」が昨日、開催された。靖国神社とWamという、1つの歴史に対して真逆の価値観をもつ施設をガイドと共に巡り、学んだ。
 Wamとは「women’s  active  museum  on war and peace」の略で、『戦時性暴力』に特化した早稲田にある資料館だ。いつの時代も戦時下では女性は「利用」されてきました。日本に慰安婦問題や沖縄問題があるように、世界中に戦時下の性暴力に苦しむ女性は存在し、今も後を絶ちません。だからこそ、私たちはこの問題に向き合い、戦争や女性への暴力のない社会を築くためにどうすればいいか、考えなくてはいけないのではないかと企画したものだ。
 日本軍「慰安婦」とは、日本による侵略戦争の過程(1931~1945年)で、日本軍が立案・管理・統制した軍慰安所に一定期間拘束されて、日本軍将兵の性行為の相手をさせられ、「慰安婦」と呼ばれた女性たちのこと。「慰安婦」にされたのは、日本及び日本の植民地・占領地の女性だった。具体的には、日本人、朝鮮人、台湾人、中国人、華僑(華人)、フィリピン人、インドネシア人、ベトナム人、マレー人、タイ人、ビルマ人、インド人、ユーラシアン(欧亜混血)、グアム、太平洋諸島の人々、(インドネシア在住の)オランダ人などがいた。
 何人もの「慰安婦」が名乗り出て、その実態が明らかになり、1993年8月に河野洋平内閣官房長官(自民党)が第二次政府調査をふまえて、「慰安所の設置、管理」「慰安婦の移送・募集」への軍関与、募集と慰安所での強制性を認め、「お詫びと反省」を表明した(「河野談話」)。
 「慰安婦」であったことを名乗り出ることには相当の勇気と苦悩があった。「慰安婦」10%ほどが日本人であったが、日本人の「慰安婦」で名乗り出た人は一人しかいない。この事実については、「Fight for Justice 日本軍「慰安婦」―忘却への抵抗・未来の責任」に詳しい。ぜひ、閲覧してほしい。
http://fightforjustice.info/
ムクゲ


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