東京教組(東京都公立学校教職員組合)

教職員のセーフティーネット“東京教組”

運動嫌いを作る?体育の時間

2017年09月27日 | 日記

 小学校1年生まで行わされているスポーツテスト。高学年と組み合わせを作って何とか結果の記録をして、記録の間違いがないか細かくチェックして提出。その結果が最近学校に届きました。

 個人表には真ん中の方に大きくA~Eまでのランキングが表示されています。子どもたちは、そのランキングだけを見て一喜一憂していました。「A」以外の評価の子どもたちはみんな残念そう。E判定の子どもは「やっぱり運動はだめだな。」と肩を落とします。                                

 今年の春に、スポーツ庁長官の諮問機関であるスポーツ審議会が「1億総スポーツ社会」の実現を掲げた答申を発表し、スポーツが嫌いな中学生を現在の半分に減らす目標を打ち立てました。

 ところが、このようなスポーツ庁の動きに対して、インターネットでは反発の声があがりました。とりわけ、「体育の授業が原因で運動嫌いになった」「よけい嫌いになる」「スポーツ嫌いではなくて体育嫌いなだけ」と訴える人が少なくないようです。

 自分の子どものころは、逆上がりができず、登り棒は棒につかまっているだけがやっと、運動会の徒競争は毎回ビリという状態だったので、体育の時間は苦痛でしかありませんでした。しかし、遊ぶことは大好きで、鉄棒では腕の力は必要ないけど度胸だけは必要な「飛行機飛び」や「振り子降り」などを友達と競うようにやっていました。また、ゴミ置き場に置いてあったマットレスをもってきて、出来もしないバク転に何度も挑戦して頭から落ちていたものです。小学校時代の体育の成績はひどいもので体育は嫌いでしたが体を動かすことは大好きでした。

 そんな私は中学に入ると運動系の部活動になぜか入りました。やはり運動が苦手なままなのはくやしかったのでしょう。ところがトレーニングを行うことで筋力が付いてくると、これまでできなかったような運動が急にできるようになりました。また、器械運動が得意になり、体育の成績もずいぶんと向上したのです。つまり、小学生の時に色々な運動経験を遊びを通して行っていたことが大切だったのでしょう。

 そんなわけで、教員になった自分は体育の時間に、子どもたちに「できるかできないかじゃなくて、やるかやらないかが問題なのだ。」と良く言っています。

 競争原理から全く自由な教育実践はできるものではないのですが、自分が子どものころに感じていた「体を動かすのって楽しい」という感覚を共有できるような授業をしていきたいものです。


女性教職員のための夏の講座

2017年09月20日 | 日記

 7月17日、女性教職員のための夏の講座が開かれました。               

  前半は職場の実態アンケートをもとに、職場交流が行われました。勤務時間がほとんどオーバーする、休憩時間がほとんど取れないと答えた人は7割を超え、勤務時間の振替ができない職場は8割以上でした。「疲れている」「忙しい」という訴えも非常に多く、5%の人は通院しながら勤務しています。夏休みは育児・介護以外の理由でも時差勤務の取得が可能となりましたが、今回のアンケートではわずか1%しか取っていないことが分かりました。生理休暇を1日でも取った人が1割程度であることも見逃せません。振替なしの土曜授業の弊害、時間外の会議や研修、職員会議の形骸化、権利に関する管理職の無理解、管理主義的な教育の進行、パワハラ・セクハラなど多くの問題が各職場からあがりました。

 若い教職員に、勤務時間や休憩時間など、労働者としての意識を持つよう働きかけることや、調整を取らせることが管理職の責務であることを明確にすべき等の意見が出されました。組合が勝ち取ってきた諸権利について知らせ、労働時間やジェンダー平等教育についての職場での意識を高めていくことの大切さを痛感しました。

 後半は、在日本朝鮮人人権協会で活動されている宋恵淑(そん・へすく)さんを講師として、「加熱する朝鮮半島報道の裏側で~在日朝鮮人として感じていること~」というテーマでお話を伺いました。「在特会」に代表されるヘイトスピーチや排他主義集団による朝鮮学校襲撃事件の背景には、戦後間もないころからの日本政府による朝鮮学校に対する差別的政策や日本のメディアによる偏った報道の責任があることが分かりました。

 7月28日大阪で、国が朝鮮学校を高校無償化の適用対象外としたことは違法であるとの判決が出されましたが、7月19日の広島に続き、9月13日には東京地裁でも、原告敗訴の判決が出されました。子どもの学習権や民族教育の意義を無視し、司法の責任を放棄した、差別的で不当な判決であると言わざるをえません。政治情勢を「そんたく」するのではなく、法律に則った判決が求められます。


ゲバラと広島

2017年09月13日 | 日記

  58年前の1959725日は、チェ・ゲバラ(エルネスト・ラフアエル・ゲバラ・デラ.セルナ)が広島原爆慰霊碑に献花をした日。58年たった今年の86日、長男のカミーロ・ゲバラさんが、広島慰霊碑に祈りを捧げた。20085月には、長女のアレイダ・ゲバラさんも広島を訪れている。ゲバラは1959715日、キューバの通商使節団を引き連れて日本を訪れる。大阪に泊まった際、広島が大阪から遠くないことを知り「広島はアメリカが10万人の一般市民を殺した場所だ」と言い、日本政府にも言わず極秘に広島に向かったと言う。広島に着くと1500円の献花用の花束を買い慰霊碑に献花する。見学した資料館では、「見たものはただただ恐ろしいものばかりだった」と大きな衝撃を受け、「アメリカが犯した罪、引き起こした惨劇を世界の人々が見るべきだ」というメッセージをカストロはじめキューバ国 民に発する。その後、カストロもこの地を訪れている。キューバ革命の闘士であるゲバラ。

 今回の安倍改造内閣で看板政策として掲げた「人づくり革命」というネーミング。「革命の意味を知らないのか」という声が上がっているそうだ。「革命=体制を転覆」。上から目線の内閣、高慢な人々には人をつくってもらいたくない。


敗れた朝に

2017年09月05日 | 日記

2017年6月15日朝。また一つ日本は大きな曲がり角を曲がったんだ。

民主主義を無視した国会運営によって、民主主義を蔑ろにする法案の成立。その法案の名は通称「共謀罪」。ぼくたちは、この法案に大きな危惧を覚え、反対してきたけど、とうとう成立。7月11日にはもう施行もされたんだ。犯罪の実行がなくって、計画しただけで罪となるっていうのがこの法案の肝。「実行がなくても」ってことは証拠が曖昧になる。だって法廷ドラマでよく見る、凶器とかアリバイとか遺留品とか、そんなもの元からないんだよ。犯行してないんだから。

いや、犯罪しようって考えるだけでも確かに悪いんだけどさ、ぼくが言ってるのはそこじゃない。悪いか悪くないかじゃなくて、曖昧な証拠で罪になっちゃうってことは、本当は悪くない人までつかまっちゃうんじゃないかってこと。特にケイサツとかコッカとか捕まえる側に嫌われてるとさ、例えば「あいつは、俺らに歯向かってる、目障りだ」って思われて「あいつは悪いことを企んでる」って言えば、捕まえられちゃうんじゃないかな。「気に入らない奴だ、牢屋に入れろ!」「俺に逆らうのか!」って悪い王様の典型だよね。日本が本当にそんな国かどうかじゃないよ、それが「できちゃう国」になったってことが一番問題じゃないかな。

でね、ぼくたちは反対してたけど、結局あの朝、法案は成立。まあぼくたちは敗れたってわけ。こんなこと勝ち負けじゃないけどさ。やっぱり敗けたーっていう気持ちはあるよね。中には夜通し国会の前にいた人もいたよ。だって夜通し国会をやってたんだもん。そして朝に成立しちゃったんだ。

でもね、ぼくたちはこんな「敗け」を何度も経験してきたよ。とても立ち上がれないようなショックなこともいっぱいあった。昔でいえば戦争で町が焼かれちゃった。焼き尽くされ、大勢が亡くなった。そのあと瓦礫の町から立ち上がっていくのはとてもとても、頑張る気持ちが言ったと思うんだよね。でも先輩たちは立ち上がったんだ。

それから最近でいえば、自衛隊が海外に行くようになった朝。とても大きな空爆を始めた朝。教育基本法っていう大切な法律がかわっちゃった朝。通称「戦争法」っていって他の国と一緒に戦争できるようにした法律が成立した朝。

オキナワでも、何度も悔しい朝を迎えてきたよ。でもそのたび立ち上がってきた。「負けない秘訣は、諦めないこと」ってね。どうやって立ち上がってきたか。詳しいことは、次回にしようね。とにかく、ひどい法案が法になってしまった、闘い敗れた朝。大きなことだけれど、悔しかったけれど、これからが不安だけれど、負けないぞって気持ちをもって立ち上がった先輩たちを見習って、ぼくたちも立ち上がっていこうと思うんだ。