東京教組(東京都公立学校教職員組合)

教職員のセーフティーネット“東京教組”

戦争法廃止を求める統一署名

2016年01月29日 | 日記

 先日、全国から寄せられた「戦争法廃止を求める統一署名」を集約・整理するボランティア作業に参加した。新聞に意見広告をしたこともあって、新聞に刷り込んだ署名用紙もたくさんあり、10万筆余りの集約作業を終えた。送られてくる署名の中には、カンパや手紙を添えたものも多かった。その中から、いくつか紹介したい。

*室蘭でも毎日集会・デモ・講演等、息なが~く続けています。息切れしないようにお互いに、お疲れ様。今年度の選挙、平和を願う議員を一人でも増やすためにがんばりましょう。
*新聞全面広告を拝読いたしました。政府のなさることは一体…。“強行採決”→“法案成立”は、今までにも幾度とあったと記憶しています。国会前のデモの様子がTVでうつる度、「私も東京に行けたら!デモして、私も叫びたい!」と。生活上、不可能ですが、この署名に、9条と平和への願いをこめたいと思います。
*現政権になってから、国の有様が不気味で危ういものになっていると感じ、不安でなりません。どのように意思表示すればいいのかわからずにいる私たちに、行動の方法を提案してくださる皆様に敬意と感謝をこめて、ささやかながら、できることをしたいと思います。
*在宅介護中で集会、行動に参加できませんが、どうかもっと署名運動を広げてください。

 東京教組も号外で、「戦争法廃止を求める統一署名」を呼びかけ、紙面に署名用紙を刷り込んだ。切り取って糊付けすれば切手を貼らなくても投函できる優れものだ。是非活用して職場や地域で署名を呼びかけてほしい。
 また、署名用紙は東京教組のホームページからもダウンロードできる。署名用紙


遅いことはいけないことか

2016年01月25日 | 日記

 個人面談で「着替えが遅い」「帰りの支度が遅い」と担任から言われたという人がいた。この担任は何が言いたいのかと考えてしまう。
 まあ、学校での様子を伝えてくれるのは悪いことではないが。だいたい子どものやることが遅いか速いかは、言われなくても家で見ていればわかることだ。遅いのが迷惑とか困るとかいうことなら、そう言われた親も困るだろう。することが速い子もいれば遅い子もいる。そういういろいろな子がいることが前提で、学校はあるのだから、そういう速い子や遅い子とどう対応したらよいかを考えるのが教員の仕事である。親に解決を求める話ではない。
 私自身も教員なので大きい声では言えないが、どうも教員は自分の都合だけで子どもを見てしまう=評価してしまう傾向があるように思う。授業中、子どもたちがうるさいと、うるさいのは子どもたちがいけないからだと思ってしまう。学校では騒ぐのはいけないこと、うるさいことはいけないことと、一般に思う人は多い。それは学校時代、ずっと先生たちにそう言われ続けてきたからだ。騒ぐことは悪いことだと。確かに。みんながうるさいと授業はやりにくいので、私も「静かにしなさい」と言うしそれでもおさまらないと怒ってしまったりする。でも。子どもたちがうるさいのは、本当は授業の進め方が悪いからで子どものせいではない。
 落語でも演劇でも、お客が騒いだからといって、それをお客のせいにはしない。上手な落語家は、始める前にざわざわしているお客をいつのまにかし一んとさせてしまう。教員もプロだから本来そうでなければいけない。
 やることが遅いことにしてもそうだ。教員にとってはやりにくいだろうが、そういう子をどう受け入れるかが教員の仕事であるはずだ。
 遅いことはいけないことではない。先生の都合からいえば、みんな同じペースでやってくれればそれは楽だが、遅いこと、ゆっくりということは、それはそれで大切なことだ。何でも速ければ良いというものではない。ゆっくり歩けば。急いでいては気がつかないところにも目が向き、思わぬ発見もできる。その子が遅いことで、ゆっくりペースの子とどういっしょに行動出来るかを他の子も無意識のうちに学んでいくことができる。「道徳」で優しさなんて教えなくても、子どもたちは、優しさを自ら実行してくれる。何でも「速く」が求められる世の中でゆっくりの子がいることで助かっている子も実はたくさんいる。
 私もゆっくりの子がいたことで「待つ」ことの大切さを教えられた。ひとりひとりを大切にするということは、待つことから始まる。着替えが遅かったらその子が着替えるまで待てばいい。どうしても待てなかったらrごめんね、先にやっているから、それがすんだら来てね」という言葉がかけられたら、それだけでも、ほっとする関係がそこに生まれると思う。
(写真=ヒヨドリとシジュウカラ)


信頼関係は教育の要

2016年01月22日 | 日記

 信頼関係とは、当然、教員(担任)と子ども、保護者との信頼関係である。私たちは教育実践によって直接、子どもと保護者と人間的交流のなかで培われるのが信頼である。
 従って教育基本法(旧法)には、「6条:法律に定める学校の教員は、全体の奉仕者であつて、自己の使命を自覚し、その職責の遂行に努めなければならない。このためには、教員の身分は、尊重され、その待遇の適正が、期せられなければならない。」「第10条:教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負つて行われるべきものである。」と規定されていた。
 この「全体の奉仕者」「国民全体に対し直接責任を負って」という部分が、2006年、第1次安部内閣で「改正」された現在の教育基本法では削除された。
 そして今、第2次安部内閣が進める「教育改革」は、凄まじいものがある。
 その内容は、国定教科書化を進める教科書制度、道徳の教科化、学校週六日制の復活、インターン制など教員養成、教員への統制強化、教育委員会の中央集権化など枚挙にいとまがない。
 最も危惧されるのは、教員が子ども、保護者に直接責任を負って教育実践を行い信頼関係を培うことが危機にさらされていることだ。
 岩波ブックレット「安倍政権で教育はどう変わるか」(佐藤学、勝野正章共著)は、この危機を簡潔に解説している。
 その「あとがき」に、この危機を次のように論説している。

 近年の日本の教育改革は、学校と教師に対する批判と攻撃を原動力に進められてきた。その前提となっていたのは、社会からの信頼低下であった。学校と教師に対する管理を強め、説明責任(アカウンタビリティ)を要求する改革は、信頼の回復をキーワードにして進められてきたのである。
 しかし、そこで言われている「信頼」は、教師の日常的な教育実践と、子どもとその保護者たちとの直接の人間的交流のなかで育まれる信頼とは異なる。それは上司からの指示え叩令を遵守することで得られる「信頼」であり、週案や日案を作成し、その通りに教育活動を進行させることで得られる「信頼」であり、教育の成果を無理やり測定可能なものに縮減して公開することで得られる「信頼」である。
 その結果、教師はジレンマを抱えることになった。規則と指示・命令を遵守し、説明責任を果たそうとするほど、子どもとその保護者たちからは遠ざかってしまうのである。教育の大部分は、教師と一人ひとりの子どもとの人格的接触を通じて、高度の専門的能力と見識と判断に基づいて行われている。そのため、教師と学校に対する信頼も、この直接的な人間関係のなかで育まれ、強められるものであるはずなのに、規則や書式や数値から「信頼」が生まれるというのである。
 直接の教育活動から離れたところで獲得されるという「信頼」とは、一体、何なのだろうか。
 安倍政権が進めようとしている教育改革を見ると、結局のところ、教師と学校を信頼していないのは、その中心にいる人々に他ならないことがわかる。さらに問題なのは教育の「責任ある体制」構築を唱えながら、その改革の内容は教師に対する管理を強め、上からの指示・命令を忠実に実行する国家の代理人に変えようとするものであることである。

 まさしく、教え子を戦場に送ってしまった戦前の教師と同じ立場に私たちを追い込もうとしていることに他ならない。


ちゅら海を埋め立てるな!

2016年01月18日 | 日記

 沖縄県の翁長雄志知事が辺野古の埋め立て承認を取り消したにも関わらず、安部首相は辺野古新基地建設を強引に進めようとしている。
 国交省に取り消しの撤回勧告や指示をさせ、拒否されたら翁長知事相手に訴訟まで起こした。辺野古の海では、カヌーや船で海に出て、非暴力で埋め立てを止めようとする人たちに、「海猿」たちが暴力行為を行い、けが人も出ていると聞く。
 また政府は、辺野古への新基地建設を受け入れれば、予定地に隣接する名護市の町内会「久辺三区」に補助金を交付することを表明。地元住民を分断させるために露骨にアメとムチを繰り出してはばからない心根の卑しさにうすら寒くなる。そもそも世界一危険な普天間基地返還の代替地が何故沖縄でなければならないのだ。
 今年の
8月、東京教組のオキナワstudytourに参加した人がこんなことを言っていた。「ここ(辺野古)に来てこの海を見れば、こんなにきれいな海を埋め立てちゃいけないってことは誰だってわかる」
 その通り。でも札ビラで人の顔を叩けば言うことを聞くと思っているような人はこの海を見ても何も感じないんだろう。沖縄の人たちは、そんな連中に本気で立ち向かっている。沖縄のたたかいを、ひとりでも多くの人に知ってほしい。
 2月21日(日)には、「止めよう!辺野古埋立て2.21首都圏アクション国会大包囲」が国会周辺で14:00~15:30に開催される。


安保法制の廃止と立憲主義の回復を求める市民連合

2016年01月15日 | 日記

 昨年末「安保法制の廃止と立憲主義の回復を求める市民連合」が発足した。
 呼びかけは、「戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会」「SEALDs(自由と民主主義のための学生緊急行動)」「 安全保障関連法に反対する学者の会」「立憲デモクラシーの会」「安保関連法に反対するママの会」の5団体有志だ。
 2000万署名を基礎に安保法制廃止に向けて参議院選挙で野党共闘を実現することが市民連合の趣旨だ。
 衆参同時選挙の可能性もでてきた状況で、安倍内閣は景気、消費税増税などの影響をにらみながら明文改憲も視野に入れて解散を判断するだろうが、「アベノミクス」の目くらましに騙された前回の総選挙の轍を踏んだら一気に憲法改悪は目に見えている。食い止めるには、「多弱」の野党が結束して「多強」にならなければならない。
 市民連合の方針には、「教育現場における言論の自由の擁護」「人権の尊重にもとづいたジェンダー平等や教育の実現」なども含まれている。
 市民連合の理念と方針は以下のとおりだ。

【理念】
立憲主義、民主主義、平和主義の擁護と再生は、誰もが自由で尊厳あるくらしをおくるための前提となるものである。私たち市民連合は、安全保障関連法を廃止、立憲主義を回復し、自由な個人が相互の尊重のうえに持続可能な政治経済社会を構築する政治と政策の実現を志向する。
【方針】
1.市民連合は、2000万人署名を共通の基礎とし、
①安全保障関連法の廃止
②立憲主義の回復(集団的自衛権行使容認の閣議決定の撤回を含む)
③個人の尊厳を擁護する政治の実現
に向けた野党共闘を要求し、これらの課題についての公約を基準に、参議院選における候補者の推薦と支援をおこなう。
2.市民連合は、参議院選挙における1人区(32選挙区)すべてにおいて、野党が協議・調整によって候補者を1人に絞りこむことを要請する。候補者に関する協議・調整は、選挙区ごとの事情を勘案し、野党とともに必要に応じて市民団体が関与し、その調整によって「無所属」の候補者が擁立される場合も考えられる(無所属候補者は、当選後の議員活動について、市民連合や関与した市民団体との間に一定の協定を締結するものとする)。さらに、複数区の選挙区においても、先の三つの公約を確約した候補者については推薦し支援する。
3.市民連合は、個人の尊厳を擁護する政治の実現を目指し、
①格差・貧困の拡大や雇用の不安定化ではなく、公正な分配・再分配や労働条件にもとづく健全で持続可能な経済
②復古的な考えの押しつけを拒み、人権の尊重にもとづいたジェンダー平等や教育の実現
③マスコミや教育現場などにおける言論の自由の擁護
④沖縄の民意をふみにじる辺野古新基地建設の中止
⑤脱原発と再生可能エネルギーの振興
などのテーマにおいて政策志向を共有する候補者を重点的に支援していく。
4.市民連合は、「2000万人戦争法の廃止を求める統一署名」の共同呼びかけ29団体の個人有志、また市民連合の理念と方針に賛同する諸団体有志および個人によって組織し、各地域において野党(無所属)統一候補擁立を目指し活動している市民団体との連携をはかる。


瀬戸内寂聴さん

2016年01月08日 | 日記

「源氏物語」などの著作で知られる瀬戸内寂聴さんの最近の様子をドキュメントしたテレビ映像(NHKスペシャル「“いのち”瀬戸内寂聴密着500日」を見た。NHKらしくと言うかどうか彼女の反原発、戦争法反対の活動はなかったが、日常の生活から講演まで元気に活躍されている姿が紹介されていた。そして今、「いのち」と題する予定の小説を執筆していることも知った。今年94歳になる寂聴さん。大病から甦った寂聴さんの新作が楽しみである。
昨年の夏に彼女が語った言葉を紹介する。

不安な恐ろしい時代になりました。前の長い戦争の果の敗戦を経験している私は、まさか、自分の生きている間に、またもや日本が戦争を始めたがる国になろうとは思いませんでした。
釈尊は、虫も殺さない方でした。仏教の根本は“殺すなかれ 殺させるなかれ”という釈尊のお言葉が据わっています。私たちは仏教徒です。こういう危険の迫る国の方針には、誰よりも早く反対しなければなりません。
立ち上がりが遅すぎたと思います。
その分、私たちは仏教徒の誇りを持って、日本の未来を守るため、若者や子どもたちの前途を守るため、手を組んで立ち上がりましょう。
戦争にいい戦争や聖戦はありません。
戦争はすべて人殺しで悪です。


今年こそ、脱・子どもの貧困元年に!

2016年01月04日 | 日記

 「子どもの貧困対策法」が昨年6月に成立した。日本の子どもの貧困率は先進国の中でも高く、15.7%(09年の子どもの相対的貧困率)。相対的貧困とは、社会の中で生活するために、通常得られるものが得られない、できることができない状況を指す。
 例えば、遠足や社会見学など学校のカリキュラムに組まれている行事の費用が工面できない場合、その子に孤立感や疎外感を持たせてしまいます。高校進学も、義務教育ではないから、教育費が出せないなら進学をあきらめさせるというのは、9割以上が高校進学する日本の現状では就労で期待されている最低限の学歴も保障しないことになるでしょう。このように遠足や高校進学の機会が奪われた状態の子どもは貧困である、とするのが相対的貧困だ。貧困率は、世帯所得の中央値の50%以下の層の割合だが、例えば、09年度の場合、中央値が250万円なので、125万円以下(一人世帯の場合)になる。この125万以下の所得の世帯に属する子どもが、全ての子どもの何%であるかというのが子どもの貧困率になる。貧困率は、90年代に入ってから大きく上昇し、95年は12.7%、98年14.2%、01年には15.2%と上昇率は他のどの世代よりも大きい。
 子どもの貧困率が15.7%は、6~7人に一人が貧困ということを示す。それだけ多くの子どもたちが貧困の中で育ったら、社会にはどのような影響が出るのか、私たち教職員ができることは何か、『子どもの貧困――日本の不公平を考える』(岩波新書)の著書もある阿部彩さんは、次のように語っている。

 15%もの人間が自分の可能性を最大限に活かせなければ、経済活動に影響が出るでしょう。優秀な子が経済的理由で大学進学ができなくて、よい職につけなかったり、それほど能力のない子が社会のトップになったりすれば、国の全体的なレベルが下がってくるという弊害もあります。また、貧困は連鎖することが様々なデータからも明らかになっています。つまり親が貧困であれば、その子が大人になってからも貧困から抜け出せず、その子の子ども、次世代まで貧困が連鎖します。また、貧困の若者は、結婚確率も低いので、少子化にも影響します。
 私は2006年に「社会生活に関する実態調査」を東京近郊の地域で20歳以上の男女2,600人を対象に行いました。その調査の中に「15歳時点での生活状況」という項目を設けたのですが、その結果からわかったことは、15歳時点での貧困は現在の所得の低さと強い関連があるということでした。つまり、15歳という義務教育の最終年齢時において貧困だった場合、限られた教育機会しか得られず、その結果恵まれない職に就き、低所得で低い生活水準となってしまう、という図式です。子ども時代の貧困は、その時点だけではなく、将来にわたってもその子にとって不利な条件を蓄積させてしまうものなのです。そしてそれは、次世代にも受け継がれていく場合が多いのです。
 学校現場では、不登校、学力の低下、集金が滞る、空腹による無気力や暴力的態度など、貧困が原因と思われる子どもの様々な教育問題に直面されている教員が多くいます。ただそれが貧困に起因するものかもしれない、と気づいている人といない人がいるようです。教員の皆さんには、児童生徒に問題が起きた時、「もしかしたら背景には貧困があるのでは」と想像力を働かせていただきたいと思います。というのも、今までは日本社会全体が「貧困など、この社会にはない」という前提でしたので、その存在が問題化されにくかったからです。まず貧困の存在を社会で認めること、それが法整備等へとつながり、貧困問題の解決への一歩になります。
 例えば参観日に全く親が来ない子を、ただ「かわいそうに」と思うのではなく、もしかしたら生活が苦しく、親は参観日に休むこともできないほど仕事を入れているのかもしれない、と考えていただきたいのです。特に母子家庭の50%は200万以下の収入しかありません。祖父母と同居していない母子家庭の生活は厳しく、昼も夜も仕事を掛け持ちしているケースが少なくありません。そうすると参観日だけでなく、日常的にも子どもに手をかけられる時間がなく、勉強も見てあげられず学力が落ちたり、満足に食事も与えられずに給食が命綱になったりと、様々な弊害が出てくるはずです。健康についても、自己負担が払えないとか、病院に連れて行く時間がないといったことで、病気になっても満足に医療を受けられないケースもあります。ですから、学校現場では常に、頭の隅に「貧困」という言葉を置いておいてほしいと思います。
 貧困家庭の保護者の中には、就学援助費や生活保護費などについて知らない方もいるので、これら制度があることを教えるだけでも違うと思います。専門的な知識が必要な場合や、先生方の手に余るケース等は、スクールソーシャルワーカーにその家庭をつなぐ、という方法もあります。
 また、公立学校でも、授業料や教科書は無料でも他に様々なお金がかかるもの。それらのうち教材費だけでもなくそうと努力している学校があります。1年間しか使わないものは学校で購入して毎年使い回すとか、朝顔のプランターは新品を購入せず、段ボールやペットボトルを再利用するとか、知恵と工夫で家庭負担の教材費を減らしている事例があります。
 北欧の学校では、鉛筆1本さえも学校負担です。極端な話、子どもは何も持たなくても学校に行きさえすれば、学ぶ環境が整っているのです。日本も予算の問題で限度があるかと思いますが、当たり前のように新品を全員に購入させることをやめるだけでも、家計は助かると思います。
 学力については、できれば早い段階、小学校低学年の頃につまずきのある児童へは丁寧に対応していただければと思います。貧困家庭で育った子どもの中には、中学生でも九九ができない、分数の足し算は分母の数字が異なるともうお手上げ、といった子が少なくありません。そうした子どもでも、中学校は留年や落第がないので卒業できます。しかし、いざ高校進学をと言われても、「これ以上勉強なんてしたくない」となるケースが多々です。その子の将来の選択肢を増やすためにも、貧困の連鎖を断ち切るためにも、最低限高校進学は実現させたいことの一つ。そのためには学力格差をなくす対策は欠かせません。ただこれは、教員の加配など、制度的な問題もあるのですぐには難しいかもしれませんが……。
 子どもが自己肯定感を持つためには、乳幼児期に特別な大人と一対一の関係を持つことが非常に大切であることは、よく知られています。自分に愛情を注いでくれる人がいることで安心感を得て、自分の存在の肯定につながるのです。少し大きくなってくると、例えば積み木のおもちゃで何かを作り上げた時に褒められる経験をすると、達成感を得て、チャレンジ精神ややり遂げる意欲を身に付けていきます。しかし、貧困家庭に育つ子は親が生活に追われていて、子どもとゆったり接する余裕がないため、このような経験がほとんどないままに育ってしまう傾向があります。その結果、自己肯定感が低く、学力も低いまま「どうせ自分は頭が悪いから」などと自己否定してしまうのです。乳幼児期の貧困が後々まで一番影響が強いのはこのためです。


 子どもにとって先生と一対一の信頼関係を築くことは、とても大切な機会です。自分のために親身になってくれる人がいる、ということは、自分の存在が認められているという安心感にもつながるでしょう。先程、高校進学が今の日本ではあらゆることの最低条件になっていると言いましたが、勉強でつまずいている子どもは「高校進学なんて……」と考えがちです。そして、多くは「少しでも家計を助けたいから」と、中学卒業後は就職を希望します。そんな時、例えば中学校で信頼できる先生と出会い、将来のこと、つまり高校進学をすることで開ける未来のことを語ってもらえたら、その子の意識はかなり違ってくると思います。

国がとるべき対策はたくさんあり、例えば低所得層への所得の再分配や、教員の加配等は早急に取り組むべき課題です。ただ、日常的に子どもと接している教員の皆さんが貧困について知ろうとして下さること、知ったことを仲間と共有していただくことも大事。社会全体が貧困に苦しむ子どもたちから目をそらさずに、まずはその子たちの存在を知ることが、解決への第一歩だと思いますから。

 


あけましておめでとうございます。

2016年01月01日 | 日記

 おだやかな新年を迎えられたことと思います。組合員のみなさんに支えられ、東京教組もおかげさまで無事に新年を迎えることが出来ました。ありがとうございます。

 平和で穏やかな毎日、笑いと幸福感に包まれた日常を子どもたちに送ってもらう、これこそが私たち大人の最も大きな責任ですし、教職員組合の大きな使命です。しかし、安倍政権の登場以来この事が脅かされているのではないかという大きな危惧を持って私は新年を迎えました。教育基本法の改悪とそれに基づく諸政策、未だに収拾の目処が立たない福島原発事故と(にもかかわらず)再稼働する原発、6人に1人の子どもが貧困に苦しみ、増え続ける非正規労働者のもとで拡大する格差と貧困、そして、一内閣による憲法解釈の変更と安全保障関連法案の強行成立。戦後、私たちの先輩方が築いてきた日本の当たり前の日常が、砂細工のように壊されていく、その分水嶺に今私たちは立たされているのではないか、そんな思いで新年を迎えました。
 映画『The Lady アウンサンスーチー ひき裂かれた愛』の中に、「あなたが政治を考えなくても、政治はあなたを考える」という台詞が出てきます。アウンサンスーチーが、自分の父(アウンサン将軍)のことばとして、若い軍人に教えます。遠く感じる政治の問題を身近に感じること、誰かがやってくれるという「他人事」ではなく、自らが考え行動する「自分事」にする、それをはたらきかけることを厭わないこと、それがとても大切になってきています。
 幸いにも、希望は育ちつつあります。3.11東日本大震災とそれがもたらした原発事故に触発され芽を出した新しい動きは、昨年の「戦争法」反対運動で着実に育っています。あの8月30日に国会を取り囲んだ人々は、自らの責任と強い思いでそこに立ち、毅然と声を上げていました。私はそこに未来への光を確かに見ることが出来ました。
 今年は、7月には参議院議員選挙があり、18歳の若者たちが投票に行くことになります。政治を「自分事」にすることが出来るかどうか、それはやはり私たちが営む教育にかかってくるのだろうと思います。主権者教育をしっかりとすすめていかなければなりません。
 労働安全衛生法に基づく「ストレスチェック制度」が、昨年12月1日に施行されました。これを起爆剤にして、職場の多忙化と無定量な超過勤務にも何とか歯止めをかけたいと思います。執行部・書記一同、全力で頑張ります。本年もどうぞよろしくお願いいたします。
東京教組執行委員長 土井 彰