東京教組(東京都公立学校教職員組合)

教職員のセーフティーネット“東京教組”

えた村は うき世の外の 春富て

2014年02月03日 | インポート

Photo 江戸時代、士農工商の下に被差別をおく身分制度があったことはよく知られているが、明治維新になり四民平等、解放令があっても差別は、の生業としていた職業までをも奪う過酷さだった。その差別を支えていたのが人々の差別意識である。江戸と明治の俳人の俳句からそのことをうかがうことができるので紹介する。

松尾芭蕉
えた村は うき世の外の 春富て 
(えた村は社会外の社会と言われるけれど、そこに住む人達は、物も心も春のように富んで温かいよ。)

与謝蕪村
村に 消のこりたる 頗狷かな
(『えた村』の人々が祖先の冥福を祈るために使った『頗狷(すこぶけん)=灯眥の火』が、その行事の終わった後も消えずに残っている。『えた村』の人々の信仰心の深さを語っているようである)

小林一茶
えた寺の 桜まじまじ 咲きにけり  
(『えた寺』の桜といえども、堂々とりっぱに美しく咲いている)
えた村や 山時鳥 ほととぎす
(貴族たちが風雅に詠むというほととぎすも、えた村でまるで同じに鳴いているではないか)

正岡子規
鶴の巣や 場所もあろうに えたの家
(世にもめでたい鶴が巣を作ったが、よりによってえたの家なんぞえらばなくてもよいものを……)

 芭蕉、蕪村、一茶など江戸の俳人の温かなまなざしに比べ子規の差別性が際立っていることに、日本の近代の病巣を感じる。
(小石川療養所のあった小石川植物園に遊ぶ小鷺)


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