澎湖島のニガウリ日誌

Nigauri Diary in Penghoo Islands 澎湖島のニガウリを育て、その成長過程を記録します。

西部邁の天皇論

2018年02月14日 09時16分22秒 | 政治

 昨日ようやく、西部邁の最期の著作「保守の真髄 老酔狂で語る文明の紊乱」(講談社現代新書 2017年12月)が手元に届いた。「あとがき」には、娘や長男夫妻、それに編集者への感謝の言葉が書かれている。

『我が娘、西部智子(さとこ)よ、きみに僕の最後のものとなる著述を助けてもらって、大いに楽しかったし嬉しくもあった。これまで頂戴したきみからの助力のことも含めて、心から感謝する。とくに、僕の喋ったことがきみの気に入らないと顔をしかめ気に入ったらニコリとしてくれたのが僕にはとても面白かった。ともかく僕はそう遠くない時機にリタイアするつもりなので、そのあとは、できるだけ僕のことは忘れて、悠々と人生を楽しんでほしい。我が息子一明よその妻光世(てるよ)さんはむろんのこととして、僕の知り合いたちもそうしてほしい。僕がそういっていたと、折があったら、諸氏に伝えてくれ。講談社の岡部ひとみさんに。この本の出版で世話を受けることについて、礼を述べておいてもらいたい。
 ……と認(したた)めて本著述は完了といくはずだったのに、その直後に、述者のある私的な振る舞いの予定日に衆議院総選挙が行われると判明した。で、まず社会にかける迷惑はできるだけ少なくせねばならぬと考え、次になぜその日に総選挙なのかと考えてみたら、朝鮮半島の危機がいよいよもって現実のものになりつつあるという極東情勢の背景が見えてきた。加えて述者の手掛けている雑誌「表現者」の若者たちへの引き継ぎにもなお暫しの務めが必要ともわかった。そういうことなら、事態の成り行きにもう少し付き合ってみるしかあるまい、と考え直すほかなくなった。本書がどんな出来具合のものか、それを述者が自分の目で見る始末となったのはそういう次第からである。
              平成29年11月  西部邁 』

保守の真髄 老酔狂で語る文明の紊乱」(講談社現代新書 2017年12月)

 ここからわかるのは、西部邁が昨年11月の時点で「自死」を決めていたこと、自ら原稿を書けないという病状のため、娘に口述筆記を頼んで本書を著した。「あとがき」は読者への遺書とも読み取れる、ということだろうか。

 この遺作には、MXテレビ「西部邁ゼミナール」において論じたことが主に述べられていて、天皇制、戦争責任などへの直接的言及は見られない。西部は水島総(桜チャンネル代表)のような「右翼」とも交友があり、現に「桜チャンネル」の番組においては水島が西部本人に「西部先生の言われることはわかるが、国家、宗教への言及が少ない」と突っ込んでいる。すなわち、天皇や神道を無条件的に肯定する水島にとっては、西部の言説は物足りない、という意味であった。

 ところが最近、西部追悼の意味を込めてUPされた映像「西部邁ノンストップ(2016年8月13日)」(下記参照)を見ると、西部は天皇制について、思うままを語っている。これは新鮮な驚きだった。昭和天皇の戦争責任、今上天皇の「慰霊」概念への疑義、文芸春秋社と半藤一利を中心とする「平和天皇」論への反発等々、縦横無尽に語っている。萬世一系(血統)はフィクションである、また、昭和天皇が平和主義者であったなどという主張は、あの大戦争の意義をかえって見えにくくさせるものだと批判している。水島のような「行動右翼」の面前でかくもはっきりとモノが言えるのは、西部において他になかっただろう。

 西部の言う「マスメン」(「模型の流行」に惑溺する者)が「真正保守」を自称し、何かにつけ「天皇陛下万歳」と叫びかねない昨今の風潮。そんな中で深く「思索」することの必要性をこの映像は教えてくれているようだ。 

 

西部邁ノンストップ(2016年8月13日) - 大東亜戦争敗戦時の記憶、明治憲法と天皇の在り方、歴史的解釈のしようのない憲法9条2項、御英霊の慰霊と顕彰、皇室典範に対する国民の構え方 ほか



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