澎湖島のニガウリ日誌

Nigauri Diary in Penghoo Islands 澎湖島のニガウリを育て、その成長過程を記録します。

竹田恆和(JOC)と舛添要一に見る「団塊の宿痾」

2016年05月24日 18時20分04秒 | 社会

 舛添要一・東京都知事があらゆる方面からバッシングされて、今やその座を守り続けることができるかどうか、不確実な情勢となってきた。
 一方、海外の報道から、東京五輪招致に当たって、JOC(日本オリンピック委員会)がIOCの幹部にヤミ献金をしていたことが明るみに出た。竹田 恆和(たけだ つねかず)JOC会長は、みずからそのヤミ献金支出を決裁していたことを認めた。

 舛添要一(1948.11生まれ)と竹田恆和(1947.11生)は、ともに団塊の世代の生まれ。まもなく70歳を迎えようとする団塊の世代の中では、両者とも典型的な「勝ち組」と言えるだろう。
 だが今、ともに問題を抱える両者ではあっても、「世間」の対応は鮮やかなほどの対比を見せている。舛添については、「公私混同」がキャッチコピーのようになって、あらゆる罵詈雑言、嘲笑が浴びせかけられているが、竹田の「ヤミ献金決済」については、五輪誘致のため必要悪だったという「世論」が形成されつつある。

 自らの能力だけで這い上がってきた舛添、一方、明治天皇の何とかという出自の竹田。舛添は奨学金を得て最優秀で東大法学部を卒業、フランス留学を経て、母校の助教授に就任したという輝かしい経歴を誇る、団塊の世代のかつてのホープ。対する竹田は、幼稚舎から大学まで慶応義塾、乗馬部の選手として五輪にまで出場している。ちなみに、乗馬は典型的なブルジョア・スポーツだ。知力、能力では、舛添の足元にも及ばない竹田には、庶民には太刀打ちできない「高貴な血」が流れている。似たような疑惑に包まれたとしても、「血筋」故に「世間」が批判を控えるというのでは、まさにこの国は民主主義国家ではない。

 竹田恆和は、「エルケーティー ライゼビューロー ジャパン」という旅行会社を経営している。そのHPには本人の写真入りで、「来たる2020年には東京オリンピックが開催されます。当社のグローバルな視点で「日本から海外へ」のみならず「海外から日本へ」のご旅行の一助となるべく、これからもお客様に寄り添ったサービスの提供を目指して参ります」と書かれている。
 旅行会社を経営する竹田JOC会長

 東京五輪が決まれば、旅行会社には多大な利益が見込まれる。JOC会長の会社ともなれば、なおさらのことだろう。東日本大震災・福島原発事故があってもなお、五輪招致運動をとりやめず、「復興」「絆」のためだと強弁したのは、実はこういうカラクリがあってのことではないのか。JOCの海外出張手続きが、この会社を通して行われているかどうか、情報開示が求められて然るべきだ

 竹田自身は、おそらく港、千代田区あたりの豪邸に住んでいるから、仮に首都圏直下地震が起きても、さしたる被害は受けずに済む。下町や環七沿いの「庶民」ばかりが悲惨な「被災者」となるのは目に見えている。にもかかわらず、国土強靭化、大震災対策という「公」よりも、私利私欲の「東京五輪」を選択してしまった。昭和天皇は、沖縄戦に敗北し、ヒロシマ・ナガサキに原爆が落とされてもなお、「三種の神器」の守護しか念頭になかったという。その昭和天皇の姿を思わずダブらせてしまうほどだ。

 このままでは、自業自得と叩かれる舛添が浮かばれない。三浦瑠麗(国際政治学)によれば、舛添には貴族趣味があって、大衆とは無縁の高貴なものに憧れが強い人だと言う。細川護熙を「バカ殿」と言い捨てた「天下の秀才」舛添には、半面、その出自に強いコンプレックスがあったに違いない。だが、それは舛添の責任ではないのだ。
 マスメディアは、舛添叩きに狂騒するだけでなく、JOC(日本オリンピック委員会)の闇、都民軽視の五輪誘致に鋭いメスを入れるべきだろう。いくら竹田が「高貴」なお方だとしても、法の下でのあまりの不平等は許されないはずだ。 

 

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蔡英文女史が中華民国(台湾)総統に就任

2016年05月21日 14時27分38秒 | 台湾

 昨日、蔡英文氏(民主進歩党)の中華民国総統(大統領)就任式が盛大に行われた。「ひとつの中国」の神話に呪縛され、同時に中共(中国共産党)の恫喝におびえる、日本のマスメディアは、この就任式の模様や、蔡総統就任の背景を詳しく伝えようとはしなかった。

 先ほど、台湾通の友人が総統就任式の特集映像を教えてくれたので、下記に貼付する。中華民国総統府(旧・台湾総督府)で行われた式典には、李登輝氏の元気な姿も見られた。
 各界代表の中には、華やかな民族衣装をまとった台湾原住民の姿も見受けられる。インタビューを受ける市民の姿にも、この国の成熟した「民度」を感じさせる。

 この就任式で、蔡英文・新総統は、あえて「ひとつの中国」に言及しようとはしなかった。(下記「蔡英文総統就任演説」全文参照)そのため、中国側からは台湾への旅行客制限などのいやがらせが始まっていると、早速NHKが伝えていた。「おもてなし」による金儲けと、市民の自由、人権の保障とどちらが大事なのか、CCTV(中国中央TV)の東京支局になり下がったNHKは、お分かりにならないようだ。だが、民主主主義国家としての台湾の実像を極力制限して、一般国民には中国と台湾の違いさえ不明確にさせようとする報道姿勢は、日本のマスメディアの自殺行為と言っておく。

 この映像を見れば、民主主義国家・台湾の姿が一目瞭然。民主的な自由選挙投票で選ばれた女性大統領が、ここに誕生したのだ。その台湾を国家として認めず「一地域」などと呼ぶ、小賢しさと傲慢さを深く恥じ入るべきだろう。

 

蔡英文総統 就任演説 全文  (2016/05/20)

 友好国の元首と貴賓の皆様、各国の駐台湾使節及び代表の皆様、お集まりの皆様、全国の同胞の皆様、こんにちは。

 さきほど、私と陳建仁氏は総統府内で正式に宣誓をし、中華民国第14代正副総統に就任しました。我々は、この土地が私たちを育ててくれたこと、皆様が我々を信頼してくれたことに感謝します。そして最も重要なこととして、この国の民主のメカニズムに感謝します。民主のメカニズムがあったからこそ、平和的な選挙を通して三度目の政権交代が実現しました。そして様々な不確定要素があった、4ヶ月間にわたる政権移行期も乗り切ることが出来、政権の平和的な移行が完了したのです。

 台湾は、我々が「民主人」、「自由人」として固い信念を持ち、自由で民主的な生活方式を守っていくということを具体的な行動で再び世界に知らしめたのです。この道のりには我々一人ひとりが参加しました。親愛なる台湾のみなさま、我々は成し遂げたのです。

 今年1月16日の総統選挙の結果について、私は他の解釈をしたことがありません。それは、人々が新たな総統、新たな政権を選ぶにあたり、期待したのは「問題を解決すること」だということです。今、台湾は苦境に陥っており、絶対に後には引かないという執政者の責任感を強く必要としています。私はこの点を忘れません。

 目の前には多くの難関が待ち受けており、我々にはこれに誠実に向き合うこと、そして共同で立ち向かうことが求められます。ですからこの演説はインビテーションです。私は全国の同胞が一緒に、この国家の未来を担うようお誘いします。

 国家は指導者によって偉大になるのではなく、国民全体が共に奮闘することで偉大になるのです。総統が団結させるのは支持者だけではなく、国家全体です。そして団結は変化のためです。これは私がこの国に抱く最も切実な願いです。ここで私は心から、この国にチャンスを与えてくれるよう呼びかけたいと思います。偏見を捨て、過去の対立を終わらせ、新たな時代が我々に与える使命を一緒に成し遂げましょう。

 我々が共に奮闘する過程において、私は総統として全国の皆様に宣言します。これから私と新政権は、この国の改革をリードし、決意を示し、絶対に退かないということを。

 これからの道は厳しく、台湾は一切の挑戦を正面から受け止める新たな政権を必要としています。そして私の任務はその新政権をリードしていくことです。

 我々の年金制度は、改革しなければ破産します。硬直した教育制度は社会の脈動と乖離し始めています。我々のエネルギーと資源には限りがあります。経済は原動力に欠け、従来型の受託生産方式はすでにボトルネックに直面しています。国家全体は、経済成長の新たなモデルを必要としているのです。また、人口構造の高齢化は急速に進んでいるにもかかわらず、長期ケア体系は不健全です。出生率が低迷を続ける中、完全な託児制度整備のめどは立っていません。環境汚染の問題も今なお深刻です。国家財政も楽観できません。さらに我々の司法は人々の信頼を失っています。食品の安全性問題はすべての家庭を取り巻いています。貧富の差もますます広がっており、社会のセーフティネットにも綻びがあちこちに存在します。

 最も重要で私が特に強調したいのは、若者たちの低賃金問題です。彼らは身動きできません。将来に対する見通しが立たず、ただあきらめるしかないのです。

 若者の未来は政府の責任です。若者にやさしくない構造を改められなければ、個々のエリートがさらに出てこようと、若者全体の境遇を改善することにはつながりません。私は自分に対し、総統任期中に、根本である構造から一歩一歩、この国家的な問題を解決していくことを課しています。

 これこそが、私が台湾の若者のためにしたいことです。ただちに若者の給与を引き上げることは不可能ですが、新政権が直ちに動き出すことを約束します。時間を少しください。そして私たちとこの改革の道を共に歩んでください。

 若者の境遇を改善することは、国家の境遇を改善することです。一つの国の若者に未来が無いならその国の未来も無いでしょう。若者が苦境を乗り切れるよう助け、世代間正義を実現し、より良い国を次の世代にバトンタッチする。これは新政権の重大な責務なのです。

 より良い国づくりのため、新政権は以下の数件のことを行わねばなりません。

 まず、台湾の経済構造を転換します。これは新政権にとって責任逃れの出来ない、最も困難な使命です。自分たちを卑下し、自信を失ってはなりません。台湾には他の国々には無い、様々な優位性があります。我々は海洋経済の活力と強靭さを持っています。優れた資質のマンパワー、実務的で信頼できるエンジニア文化、整った産業チェーン、敏捷で小回りの利く中小企業、そして絶対に屈しない創業精神があります。

 我々が台湾経済を生まれ変わらせるには、まさに今決意してこれまでと異なる道に歩みだす必要があります。この新たな道とは、台湾の経済成長をもたらす新たなモデルを創り出すことです。

 新政権は今後、イノベーション、雇用、分配を核心的な価値とし、持続可能な発展を目指す新たな経済モデルを打ち立てます。改革の第一歩は、経済の活力と自主性を強化し、世界各地及び地域とのリンクを深めることです。多角的、及び二者間の経済協力協定、もしくは自由貿易協定交渉を積極的に進めます。ここにはTPP環太平洋パートナーシップ協定、RCEP東アジア地域包括的経済連携などが含まれます。そしてさらに「新南向政策」を推進することで、対外経済のスケールを広げ、多元性を高め、かつての単一市場に依存していた現象から抜け出すのです。

 この他に、新政権は、新たな成長エネルギーを刺激してこそ、現在の景気低迷を突破できると考えています。我々は輸出と内需を二つのエンジンとし、企業の生産活動と人々の生活を表裏一体として、対外貿易と地元経済を緊密に結び付けます。

 我々は、五大イノベーション研究開発計画を優先的に推進し、これらの産業によって再び台湾の世界的な競争力を生み出します。労働生産性を高め、労働者の権益を保障することで、賃金と経済成長が同時に改善されることを目指すのです。

 今は台湾経済の発展にとって、カギとなる大切な時期です。我々には決意があり、また意思疎通能力も持っています。すでに系統だった計画を立てており、政府各部会が協力するモデルでこの国全体のパワーを集結し、新たなモデルを誕生させるのです。

 経済発展と同時に、我々は環境に対する責任も忘れてはなりません。経済発展の新たなモデルは国土計画、地域の発展、持続可能な環境づくりと互いに結びつきます。産業の展開と国土の利用では、バラバラな計画や目先のみ意識したやり方はやめるべきです。我々は、地域のバランスの取れた発展を常に目指さなければならず、これには中央政府による計画と統合が必要である他、地方自治体による地域での合同運営の精神を十分発揮する必要もあります。

 かつてのように、天然資源と国民の健康を限りなく犠牲にしていくことは許されません。ですから、各種の汚染管理について我々は厳しい態度で取り組みます。台湾をいっそう、循環型経済の時代へと向かわせ、廃棄物を再生資源へと転換していくのです。また、エネルギーの選択について、我々は持続可能性の観念で段階的に調整していきます。新政権は、気候変動、国土の保全、災害防止に関する問題を厳粛に受け止めています。なぜなら地球は一つしかなく、台湾も一つしかないからです。

 新政権が責任もって成し遂げなければならないことの二つ目は、台湾社会のセーフテイネットの強化です。近年、児童や少年の安全を脅かす事件、及び無差別殺人事件がいくつか発生して社会を驚かせました。しかし、政府が驚いてばかりいてはいけません。被害者を思いやることが必要です。被害者の遺族に代わってその痛みに耐えることは誰にもできません。しかし、政府、特に第一線で問題を処理する者は、不幸な事件に見舞われた被害者と家族に、政府は彼らと共にあることを感じさせる必要があります。

 思いやりの心の他、より大切なのは政府が解決の方法を提示することです。悲劇の再発防止に全力であたり、治安、教育、心の健康、ソーシャルワークなど様々な面から、セーフティネットの綻びを繕う作業が必要です。特に治安維持と薬物乱用防止に向けて、新政権は最も厳しい態度と行動で取り組んでいきます。

 年金改革は台湾が生き残り、発展していけるかどうかのカギとなる改革です。我々は躊躇してはなりませんが、拙速に進めてもいけません。陳建仁・副総統が召集人を務める「年金改革委員会」の設置準備が進んでいます。過去の政権もこの問題について一定の努力はしてきました。しかし、社会の参与が足りていませんでした。新政権のやり方は、集団的な協議を発動することです。なぜなら年金改革は話し合いですべての人々を団結させる過程でなければならないからです。

 これこそが、我々が年金改革国是会議を開こうとしている理由です。異なる階層、異なる職業の代表が、社会としての団結を基礎に共に話し合うのです。我々は向こう1年以内に実行可能な改革計画を打ち出します。労働者であろうが公務員であろうが、すべての国民は退職後の生活で公平な保障を受けられなければいけません。

 また、長期ケアの問題について、我々は質が良く、安価で、普及された長期ケアシステムを築き上げます。年金改革と同様に長期ケア体系は社会総動員の過程です。新政権のやり方は、政府が主導、計画し、民間がコミュニティ主義の精神を発揮するのを奨励し、社会の集団的な助け合いの力を通じて適切かつ完全な体系を整えようというものです。高齢者がみな、自分が慣れ親しんだコミュニティで安心して老後の生活を過ごせるようにし、すべての家庭での高齢者ケアのプレッシャーを軽減します。高齢者介護の仕事は完全に自由な市場とするわけにはいきません。我々は責任を持ち、段取りに従って計画し、執行していくことで超高齢社会の到来に備えます。

 新政権が責任もって成し遂げなければならない三つ目のことは社会の公平性と正義です。この問題に関して新政権は引き続き公民社会と協力し、台湾の政策を、多元性、平等、開放、透明性、人権などの価値に合致したものとしていきます。台湾における民主メカニズムをいっそう深めて進化させていきます。

 新たな民主制度をスタートさせるには、過去に向き合うための共通の方法を見つけ出さねばなりません。これから、私は総統府に「真相と和解委員会」を設け、最も誠実かつ慎重な態度で過去の歴史を処理していきます。移行期の正義の目標は、社会の真の和解であり、台湾の人たちすべてにあの時代の過ちの教訓を学ばせることです。

 我々は、真相の調査と整理から始め、向こう3年以内に台湾における移行期の正義に関する報告書をまとめます。我々は調査報告によって明るみに出る真相に基づき、移行期の正義の作業を進めます。真相を明らかにし、傷跡を癒し、責任を明確にします。そしてそれからは、過去の歴史が台湾における分裂の原因ではなくなり、共に前進するためのエネルギーへと転じるのです。

 同じく公平性と正義の問題に関して、私は同じ原則で原住民族の問題に向き合います。今日の就任祝賀大会で、原住民族の子供たちは国歌を歌う前、まず彼らの集落の伝統的な調べを歌ってくれました。このことは我々が、この島の人たちがやってきた順番を忘れてはならないことを象徴しています。

 新政権は謝罪の態度で原住民族に関する問題に向き合い、原住民族の歴史観の再構築、自治の段階的な推進、言語と文化の再生、生活支援の強化に取り組みます。これは私が新政権をリードして進める変化だといえます。

 さらに、新政権は司法改革にも積極的に取り組みます。これは現在、台湾の人たちが最も関心を寄せる議題です。司法が人々から遠ざかり、人々の信頼を失い、犯罪を効果的に防げず、正義を守る最後の砦であるべき機能が失われた。これはすべての人々が感じていることです。

 新政権の決意を示すため、我々は今年10月に司法国是会議を開きます。人々の実際の参与を通して社会の力を呼び込み、一緒に司法改革を推し進めるのです。司法は人々のニーズを満たさねばなりません。法律家だけの司法ではなく、全国民の司法であるべきです。司法改革はまた、司法関係者だけのことではなく、全国民が参与する改革です。これが私の司法改革に対する期待です。

 新政権が責任もって成し遂げなければならない四つ目のことは、地域の平和、安定と発展です。そして台湾海峡両岸関係への適切な対処です。過去30年間、アジアも世界も変動が最も激しい時期でした。そして、世界と地域経済の安定と集団安全保障も各国政府がますます関心を寄せる課題となったのです。

 台湾は地域の発展において常に欠かせない役割を担ってきました。しかし、近年、地域の情勢は急激に変化しており、台湾が自らの実力を活用し、地域での事柄に積極的に参与していかなければ存在感を失うばかりでなく、孤立化し、さらには未来の自主権をも失ってしまうかもしれません。

 我々には危機がありますが、転機もあります。台湾の現段階での経済発展はこの地域にある多くの国との間で、高度な関連性と相互補完性を持っています。経済発展の新たなモデルを築くための努力で、アジア、さらにはアジア太平洋地域の国々と協力し、共に未来の発展戦略を作り出せたとしたならば、地域経済のイノベーション、構造調整、持続可能な発展に貢献できる他、域内のメンバーたちとの間で緊密な「経済共同体」の意識を固めることもできるでしょう。

 我々は他国と資源、人材、市場を共有し、経済規模を拡大して資源を効果的に使用すべきです。「新南向政策」はまさにこのような精神に基づきます。我々は科学技術、文化、経済貿易面における各レベルで地域のメンバーと幅広い交流と協力を行います。特にアセアン(東南アジア諸国連合)、そしてインドとの多元的な関係です。このため、我々は中国大陸とも、地域の発展に共同で参与することに関して忌憚無く意見交換し、様々な協力を実現する可能性を探る用意があります。

 経済発展に積極的に取り組む他、アジア太平洋地域の安全保障問題もますます複雑化しています。そして、台湾海峡両岸関係は、地域の平和と集団安全保障体制を築く重要な部分となっているのです。この体制構築への過程に、台湾は「平和を強く守る者」として積極的に参与していきます。我々は両岸関係の平和と安定を維持できるよう全力を尽くします。そしてさらに台湾における内部的な和解に取り組み、民主メカニズムの強化と共通認識の形成を通じて、対外的に一致した立場を示せるようにしていきます。

 対話と意思疎通は、我々が目標を達成するための最も重要なカギです。台湾はまた、「平和の積極的な意思疎通者」を目指します。このため我々は関係各方面と、常態化した緊密な意思疎通メカニズムを築いていきます。常に意見交換することで誤った判断を防ぎ、相互信頼関係を築いて紛争を効果的に解決します。我々は平和の原則、並びに利益の共有という原則を守り、関連の争いを解消します。

 私は中華民国憲法に基づいて総統に当選したのであり、中華民国の主権と領土を守る責任があります。東シナ海、南シナ海での問題に対し、我々は争いの棚上げと資源の共同開発を主張します。

 台湾海峡両岸の対話と意思疎通では、既存のメカニズムの維持に努めます。1992年に両岸の交渉窓口機関が、相互理解、並びに「合意できる点を探り、立場の異なる部分は棚上げする」という政治的な考え方を堅持して話し合い、若干の共通の認知と理解に達しました。私はこの歴史的事実を尊重します。1992年以降20年あまりの交流と協議の積み重ねで形成された現状と成果を、両岸は共に大切にして守っていかねばなりません。そして今後も、この既存の事実と政治的基礎の下で、両岸関係の平和で安定した発展を引き続き推進していくべきなのです。新政権は、中華民国憲法、両岸人民関係条例、並びに関連の法律に基づいて両岸業務を進めていきます。両岸の二つの政権与党は過去のわだかまりといった重荷を捨て、前向きな対話をスタートさせ、両岸の人々に幸福をもたらすべきです。

 私の言う「政治的基礎」にはいくつかのキーとなる要素があります。まず、1992年に両岸双方の交渉窓口機関が行った会談という歴史的事実と、「合意できる点を探り、立場の異なる点は棚上げする」ことへの共通の認知、次に中華民国の現行の憲政体制、三つ目は過去20年あまりの協議と交流による成果、そして四つ目は台湾における民主の原則と普遍的な民意です。

 新政権が責任もって成し遂げなければならない五つ目のことは、地球の公民としての責任を果たし、外交と地球規模の問題の上で貢献することです。台湾を世界に歩みださせ、世界を台湾に呼び込みます。

 会場には各国の元首並びに使節団が多くやってきています。彼らがこれまで長期にわたって台湾を助け、台湾が国際社会参与の機会を持てるようにしてくれたことに感謝します。我々はこれからも、政府間交流や企業による投資、民間での提携といった各種の方式で、台湾が持つ発展の経験を共有し、友好国との間に持続可能なパートナーシップを築いていきます。

 台湾は世界の公民社会の模範生です。民主化が実現して以来、我々は常に平和、自由、民主、人権という普遍的な価値を堅持してきました。我々はこの精神を守りながら、地球規模の課題に関する「価値同盟」に加わります。我々は引き続き、米国、日本、欧州をはじめとする友好的な民主国家との関係を深め、共通の価値観を基礎に全方位的な協力関係を推し進めます。

 我々は国際的な経済協力、並びにルール作りに積極的に参与し、世界の経済秩序の維持に努める他、重要な地域的経済貿易体系に加わっていきます。我々はまた、地球温暖化防止や気候変動の議題にも断固参与していきます。我々は行政院に、エネルギーとCO2削減を専門とするオフィスを設置します。そして、COP21パリ協定の規定に基づき、温室効果ガスの削減目標を定期的に見直し、友好国と手を取り合い、持続可能な地球の確保に取り組んでいきます。

 同時に新政権は、地球規模の新たな議題での国際間協力を支持し、これに参与していきます。人道救助、医療支援、疾病の防止と研究、テロ防止、国際犯罪の共同取締りなどです。国際社会にとって、台湾を不可欠のパートナーにするのです。

 1996年、台湾では初めて総統直接選挙が行われました。それから今日でちょうど20年経ちました。過去20年、政府と公民社会の努力の下、我々は多くの新興民主国家が直面する難関を乗り越えてきました。この過程では、感動的な瞬間と物語が数多くありました。しかし、一方で他の国々と同じように、我々にも焦り、不安になり、衝突し、対立することがあったのです。

 我々は社会の対立を目にしてきました。進歩と保守の対立、環境と開発の対立、そして政治的イデオロギーの対立。これらの対立は、かつて選挙の時には支持者動員の力となりました。しかし、これらの対立により、我々の民主制度は問題解決能力を徐々に失っていったのです。

 民主は一つのプロセスです。それぞれの時代の政治家はみな、その肩にかかる責任をしっかりと認識せねばなりません。民主は前進しますが、後退するかもしれません。しかし今日、私がここに立っているのは、皆様に告げたいからです。民主の後退は私たちの選択肢には無いのだと。新政権の責任は、台湾の民主を次のステージに押し上げることです。かつての民主は選挙の勝ち負けでした。今の民主は人々の幸福に関係しています。以前の民主は二つの価値観の対立でしたが、今の民主は異なる価値観の対話なのです。

 イデオロギーによって縛られることのない「団結の民主」を作ること。社会と経済の問題に対処できる「効率的な民主」を作ること。本当に人々をサポートしてくれる「実務的な民主」を作ること。これこそが新たな時代の意義です。

 我々が信じてさえいれば新たな時代はやってきます。この国の主が固い信念を持っていさえすれば、新たな時代は必ず私たちの世代の手によって生まれます。

 親愛なる台湾のみなさま、演説はまもなく終わります。そして改革が始まります。今この時から、この国の責任は新政権が担います。私は皆様に、この国の変化をお見せします。

 歴史は我々を、この勇敢な世代を記憶するでしょう。この国の繁栄、尊厳、団結、自信、そして公共の正義はみな我々が努力してきた痕跡です。歴史は我々の勇気を記憶します。我々は2016年、国家を新たな方向に動かしました。この土地にいるすべての人は、台湾の変化に参与したことを誇りに感じることでしょう。

 先ほどのパフォーマンスにあった歌に、私が感動する一言があります。

 (台湾語) 今日がその日だ、勇敢な台湾人よ。

 国民の皆さん、2300万人の台湾の皆様、待つのはもう終わりました。今日がその日です。今日、そして明日、これからの一日一日、我々は民主を守り、自由を守り、この国を守る台湾人になろうではありませんか。

 ありがとうございました

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日向灘M4.7地震が発生 南海トラフ地震の前兆か

2016年05月16日 18時44分27秒 | 社会

 さきほど、日向灘を震源とするM4.7の地震が起きた。気象庁の発表は次のとおり。

平成28年05月16日17時54分 気象庁発表
16日17時50分頃地震がありました。
震源地は日向灘(北緯31.7度、東経132.0度)で、
震源の深さは約20km、地震の規模(マグニチュード)は4.7と推定されます。」


 

 「熊本地震」発生以来、日向灘を震源とする地震は初めて。地震予測を配信している村井・東大名誉教授(測量学)によれば、熊本地震が発生するずっと以前から「もし日向灘を震源とするM5〜6の地震が発生すれば、日向灘が南海トラフの西端に位置することから、東南海大地震の引金となる可能性が高い」という。

 マスメディアは、今日のこの地震を黙殺しているが、それでいいのだろうか。あとになってみれば、「熊本地震」が東南海大地震の引金に過ぎなかったということにならないのか。
 「熊本地震」は死者・行方不明者が50名。「被災者」はまだまだ行政や各地からの支援を受ける余裕がある。一方、東南海大地震が起きれば、死者数40万人、被害総額220兆円という、未曾有の大災害になる。そのとき「被災者」は何の救援も受けられず、日本の太平洋沿岸都市は事実上壊滅する。

 村井教授の見解をぜひ聞きたいものだ。

 
   

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今こそ東京五輪返上を!

2016年05月13日 07時41分09秒 | 社会

 オリンピック・スタジアム、エンブレムなどなど、数々の疑惑、失態で完全にミソをつけたかたちの東京五輪。一方、ブラジルでは、政治の混迷で、リオ五輪の開催さえ危ぶまれている。 
 そこに、タイミングよく伝えられたのが、「東京五輪 招致巡り裏金、仏当局捜査…国際陸連前会長側に」「東京オリンピック招致に買収疑惑 高まる報道不信 名指しされたJOC、電通の反応は?」というニュース。(下記参照)これが事実ならば、東京五輪など、今直ちに返上すべきだと思う。

 そもそも、東日本大震災・福島原発事故があってもなお、「オリンピックで夢を、復興を」という偽善的キャンペーンで招致運動を進めた国=JOCと東京都。四千億円ものスタジアムを作るのなら、何故、震災対策を進めないのかという都民の声を黙殺し続けてきた。

 オリンピックとノーベル賞絡みなら、簡単に国民を騙せると思うのは大間違い。「東京五輪音頭」を踊りながら、「おもてなし」を強要されている間に、次の大災害の危機は、確実に近づいている。もういい加減に、「東京五輪」なんか止めようではないか。

 

<東京五輪>招致巡り裏金、仏当局捜査…国際陸連前会長側に

毎日新聞 5月12日(木)21時26分配信

 【パリ賀有勇】フランス検察当局は12日、2020年の東京五輪・パラリンピックの招致を巡り、招致委員会側から国際陸上競技連盟のラミン・ディアク前会長(セネガル国籍)側に多額の資金が振り込まれた疑惑に関し、汚職や資金洗浄などの疑いで捜査を行っていることを明らかにした。

 東京五輪の招致は13年9月にアルゼンチンのブエノスアイレスであった国際オリンピック委員会(IOC)総会で決まった。ディアク氏は1999年から13年までIOC委員も兼ねており、招致決定当時は開催都市を決める投票権を持っていた。

 仏検察によると、総会が開かれる直前と直後の13年7月と10月、日本の銀行にある口座からシンガポールの会社に、「2020年東京五輪招致」の名目で、280万シンガポールドル(約2億2000万円)が支払われていた。

 英紙ガーディアンによると、送金を受けたシンガポールの会社は、ディアク氏の息子で当時、国際陸連のマーケティング・コンサルタントを務めていたパパマッサタ氏と関係があるという。

 仏検察は15年、ディアク氏が国際陸連の会長時代に、ロシア人選手らのドーピングを黙認する代わりに現金を受け取っていた疑いで捜査を開始。シンガポールの会社への資金の流れが浮上したという。仏検察の男性副検事は、毎日新聞の取材に対し、現在保釈中のディアク氏は仏国外への出国を禁じられていることを明らかにした。

東京オリンピック招致に買収疑惑 高まる報道不信 名指しされたJOC、電通の反応は?

 

BuzzFeed Japan 5月13日(金)5時0分配信

 

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「電通」も名指し

英紙「ガーディアン」が11日、2020年の東京オリンピック招致を巡り、招致委員会側が当時の国際オリンピック委員会(IOC)の委員で、国際陸上競技連盟(IAAF)の会長を務めていたラミン・ディアク氏の息子が関与する口座に130万ユーロ(約1億6000万円)を支払った疑惑があると報じた。ガーディアンによると、すでにフランス当局が捜査を開始しているという。【石戸諭、山光瑛美 / BuzzFeed Japan】

ガーディアンは、この口座はシンガポールの金融機関のもので、ラミン・ディアク氏の息子で、国際陸連の「コンサルタント」を務めていたパパマッサタ・ディアク氏につながっているものである、とする。

フランス検察当局は12日、東京オリンピックの招致活動で、東京側が2013年にパパマッサタ氏の関連会社宛てに約2億2000万円を支払っていたと捜査状況を明らかにした。当局は声明の中で「(支払いは)日本の銀行口座からで、名義は2020年東京五輪招致委員会だった」と述べたという(時事通信)。

共同通信によると、ラミン・ディアク氏は国際陸連会長時代にロシア選手のドーピングをもみ消す見返りに少なくとも約100万ユーロの賄賂を受け取った疑惑があり、既にフランス当局の捜査を受けている。シンガポールの口座はこのドーピング隠しに絡む金銭授受にも使われているという。

朝日新聞によると、ディアク氏はセネガル出身で2015年夏まで16年間、国際陸連の会長を務めている。パパマッサタ氏ら息子2人、私的な法律顧問ら非公式のグループで周囲を固め、主導的な立場で不正に関与したという。パパマッサタ氏は国際陸連から永久追放処分を受けた。

ガーディアンによると、ディアク氏は当時、IOCの委員も務めており、13年9月に決まった、東京オリンピック開催にも影響力を持っていた。

また、パパマッサタ氏につながる口座を管理していたのは、スイスのスポーツマーケティング会社「AMS」のコンサルタントを務めていたIan Tan Tong Han氏だと指摘。さらにAMSが大手広告代理店・電通関連の「子会社」であるとし、Ian Tan Tong Han氏と電通が関係しているとしている。

 

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樺島郁夫と舛添要一〜歴然たる胆力の違い

2016年05月11日 07時25分41秒 | 政治

 「週刊文春」最新号が舛添要一追及キャンペーンの第二弾で、政治資金の私的流用問題を採りあげている。正月の家族旅行を政治資金で支払ったという、何ともセコイ、舛添らしい話なので、もううんざりした方が多いだろう。

 そんななか、今朝ラジオを聴いていたら、熊本県知事・樺島郁夫と東京都知事・舛添要一の比較論を採りあげていた。両者はともに九州出身、政治学者であり、東大教授(舛添は助教授)だったという共通点がある。だが、その人間性、政治姿勢には歴然たる違いがあると言う。熊本地震への樺島知事の対応を見ると、その胆力、危機管理能力は大したものだと評価していた。一方、舛添都知事はと言えば、情けないほどの「公なきエゴイスト」なのだ。

 この違いは、どこに由来するのか。少なくとも、舛添が単なる受験秀才に過ぎず、人間的には極めて未熟なままであることが明らかになった。「団塊の世代」(1947〜49年生まれ)の最終的勝者だったはずの彼が、このありさま。猪瀬直樹も似た者同士だったから、この世代が持つ病根は根深い。
 一方、樺島知事は1947年の早生まれで、団塊の世代の一学年上。高校を卒業して地元である熊本の農協に就職し、機会を得て、米国留学をして、最終的には東大法学部教授までに上り詰めた、「立志伝中」の人物。樺島は胆力、人間性において、幼児性丸出しの舛添が敵う相手ではなかった。

 樺島氏がもし東京都知事だったら、東日本大震災のあと、東京五輪の誘致運動など直ちに中止して、防災対策を最優先しただろうにと思うのだが…。

 

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「東京五輪」より防災対策を

2016年04月17日 23時15分42秒 | 社会

 「熊本地震」は、18日の朝を迎える現時点でも、一向に収まる気配がない。マスメディアは、相変わらず皮相的な報道ばかりで、肝心なことを伝えない。視聴率稼ぎの「衝撃映像」と被災者への「同情」を煽るのに熱中しているよう見える。

 最新のニュースでは、舛添要一東京都知事がワシントンで記者会見して「東京にもブロードウェイのような場所がほしい。早速検討してみたい」と語ったと伝えられる。熊本地震が起きてもなお、こんな発言をする舛添は、東大法学部を首席で出た秀才だったはず。だが、この「団塊の世代」の勝利者は、ひとかけらの「公」の精神も、他者に対する優しさも持ち合わせていない、冷酷なエゴイストだった。

 「東日本大震災・福島原発事故」があってもなお、「東京五輪」の開催をIOC(国際オリンピック委員会)に申請し続けた日本。オリンピックとノーベル賞は、無条件に「善」と考える国柄だから、森喜郎や猪瀬直樹はその空気を利用して五輪開催を強行した。猪瀬の失脚後、「天下の秀才」たる舛添は五輪開催を見直すのかと思ったら、やはりというか、自らの功名心、権力欲を満たす道を選んだ。

 東日本大震災から5年、こんな大地震が起きるのは、まさに想定内だったはず。熊本地震は死者数も少なく、被災者も少ないから、「被災者に心を寄せる」といった偽善的対応も可能。だがもし、東南海大地震がおきたら、被害総額は220兆円、死者40万人、国民の三人に一人が「被災者」という事態に。これは、まさに「国家存亡の危機」であり、政治指導者の的確かつ強力なリーダーシップが求められる。

 東京五輪まであと4年。この間に、次の大地震が起きる可能性は、一層高まった。舛添が本当に「天下の秀才」だったのなら、今こそ、その真価を発揮して「東京五輪」の開催返上を決断すべきだ。もちろん、ねずみ男はそんなことをするはずもないけれど…。
  


 

 

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日向灘M6.9 緊急地震速報は誤報だったが…

2016年04月16日 19時54分56秒 | マスメディア

 きょう、午前11時29分に流された緊急地震速報には背筋が凍る思いをした人が多かったのではないか。というのも「震源地は日向灘、M6.9の地震」という内容だったからだ。
 この速報は、結果として、誤報だった。だが、日向灘と言えば、「地震予測」で知られる村井俊治・東大名誉教授(測地学)が「日向灘を震源とする大地震が起きれば、それは東南海大地震の引金になる」と指摘している。村井氏のメルマガは「新たな地震予知方法」として注目されていて、そこにズバリそのものの地震が起きると言うのだから、胸騒ぎがしないはずはない。

 YouTube上では、次のような映像がUPされていた。

 もし東南海大地震が起きたら、被害予想額は200兆円以上、国民の三分の一は「被災者」となり、「国家存亡の危機」が到来する。いつか来る「その日」といえども、それが今日ではなくてよかった、というのが偽らざる気持ちだ。  


<熊本地震>緊急地震速報、データ処理で誤り

毎日新聞 4月16日(土)19時50分配信

 気象庁は16日、同日午前に発表した緊急地震速報が2カ所で起きた地震を一つの地震と捉えデータ処理したことによる誤報だったと発表し、陳謝した。

 16日午前11時29分に日向灘を震源とするM6.9の地震があり、九州全域と中国、四国地方の一部に震度3〜7の地震が発生するとの緊急地震速報を出した。同庁によると熊本県阿蘇地方と大分県中部でほぼ同時に起きたM4程度の二つの地震を一つの地震と誤認識し過大に計算した結果だったという。気象庁は2011年の東日本大震災で誤報を頻発させ、小規模な地震は緊急地震速報に利用しないなどの改善を図っていた。【山崎征克】

 

 

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熊本大地震は阿蘇山噴火の前触れか?

2016年04月15日 22時59分23秒 | 社会

 16日(土)午前1時過ぎ、熊本でM7.3の「大地震」が発生。これが一連の地震の「今のところ本震と考えられる」と発表された。
 1911年3月11日の東日本大震災のときも、その前々日から二日間で250回という、異常な数の群発地震が発生した。そのときのデータの一部が次のとおり。
   今回の「熊本大地震」でも、ほぼ同様の経過を示している。

東日本大震災時の「前震」状況の一部

 今回の「熊本大地震」においても、最初の地震は「前震」に過ぎなかった。活断層に起因する地震らしいので、断層の亀裂が阿蘇山方向に向かう可能性を考えれば、素人でも「阿蘇山大噴火」の悪夢がよぎる。
 昨日、TVで次のような発言があった。

「(東南海地震が起きる)そういう見方になりますね…そう思いたくはないが、東南海地震が起きる可能性が高くなった」(4月15日「みんなのニュース」(フジ系)で笠原順三・東大名誉教授(地震学)が発言

 東京大学の地震研究者がここまで明言するとは驚きだった。笠原氏はその根拠として、三重県南東沖を震源とするM6.1の地震(4月1日)を挙げる。また、首都圏直下地震の予兆を示す現象も広まっていると指摘する。

 個別の被害報道ばかりの中で、次に起こる大災害の可能性を指摘したのは、勇気ある発言だったに違いない。
 マスメディアは「東京五輪」「おもてなし」とばかりはしゃいでいる場合ではない。差し迫る危機をきちんと伝えることが「報道の使命」ではないのか? 

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「昭和天皇は戦争を選んだ!」(増田都子著)を読む

2016年04月13日 02時23分20秒 | 

 「昭和天皇は戦争を選んだ!」(増田都子著 社会批評社 2015年)を読む。本書のサブタイトルには「裸の王様を賛美する育鵬社教科書を子どもたちに与えていいのか」とあり、著者の政治的立場がはっきりと示されている。

 著者である増田都子氏は、東京都の中学校社会科教諭を長く勤めたが、東京都教育委員会から「偏向教育」の烙印を押され、学校現場を外され「研修所送り」になった挙句、「分限免職」の処分を受けた。こうした経歴を見ると、本書もすさまじい偏向に満ちているのかと思ったが、意外にも公開資料を丹念に読み込み、実証的な歴史教科書批判になっている。著者がもし義務教育の中学校教諭ではなく、都立高校の社会科教諭だったとしたら、これほど苛酷な処分を受けなかったのではないかと想像される。つまり、都立高校には似たような立場の教員が、何のお咎めもなく、授業を続けられるだけの「教育環境」がまだ残されているからだ。


「昭和天皇は戦争を選んだ!」(増田都子著 社会批評社 2015年)

 本ブログでは、昨年7月に公にされた「昭和天皇、蒋介石支持発言」に触発されて、かなりの数の関連図書を読んできたが、究極の到達点が本書だった。著者の政治的立場は明確すぎるほど明確なので、個々の当否をあげつらうつもりは全くない。むしろ、日本近現代史のスタンダードと目される半藤一利加藤陽子などの著作をいくら読んでも、昭和天皇の戦争責任や個人的資質の問題はよくわからない。何故なら、著者たちが「菊のタブー」には決して触れないからだ。その点においては、本書の迫力は満点だ。加藤陽子には「それでも、日本人は「戦争」を選んだ」( 朝日出版社、2009年)という著書があるから、「天皇は戦争を選んだ」という本書とは極めて対照的だ。

 本書の巻頭には、二つの推薦文が寄せられている。高嶋伸欽・琉球大名誉教授の「安倍政権で勢いを増した歴史修正主義の蔓延、昭和天皇批判に腰が引けているマスコミ」と鈴木邦男・一水会顧問の「天皇制は日本に必要なのかどうか、それは堂々と論争したらいい」だ。
 鈴木邦男の帯文(上記写真参照)は「もう天皇を引き込んではならない。天皇を中心にまとまって戦争する時代に戻してはならない。国論が真っ二つになった時、天皇に判断をあおぐことになってはならない。そんな時代にあこがれをもってはならない」(p.10)とし、「この本は大きな問題提起になるだろう。歴史は、失敗も暗い面も含め、すべて認め、そのうえで、天皇制は日本に必要なのかどうか。それは堂々と論争したらいい」と結ぶ。
 鈴木邦男は「サヨク」に転向したのか?と思うほどの一文だが、ともあれ真っ当な結論だろうと私は思う。

 昨夏、映画「日本のいちばん長い日」(半藤一利原作)がリメイク上映され、「今の平和は天皇の”ご聖断”がもたらした」というキャッチコピーが散々流された。これは本書の「昭和天皇は戦争を選んだ!」とは対極にある認識なのだが、近年公開された外交文書等の分析を見る限り、本書の方がより説得力があるのは間違いないだろう。

 昭和天皇は、沖縄を二度裏切った。沖縄戦で沖縄県民を捨て石に使ったこと、さらに戦後、自己保身と引き換えに沖縄統治を米国に懇願したという事実だ。同様なことは、「大日本帝国」の「臣民」であった台湾人に対しても言える。敗戦によって棄てられた台湾の日本語世代は、昨年夏、『1971年、中国国連代表権問題で昭和天皇が佐藤栄作首相に「蒋介石を支持するように」指示したという事実』の公開で、再び昭和天皇に裏切られた事実を知らされた。1947年、蒋介石の国民党軍は、三万人もの台湾の日本語世代の知識人、リーダー層を虐殺した(二二八事件)。その後、台湾人を圧政の下で支配した独裁者・蒋介石を、自分の「命の恩人」とばかりに庇おうとした昭和天皇。このことが何を意味するのか、論評した人は寡聞にして聴かない。まさに「歴史認識」の根幹に触れる問題なのだから、見て見ぬふりは許されないはずなのに…。「臣民」、否「市民」はもっと憤りを覚えるべきだろう。

 世襲(つまり萬世一系)の天皇が、後世の歴史家の批判に耐えうるような決断を次々と下せるはずなどないことは、常識でも推察できるし、また事実として、その愚かな決断によって「臣民」は「史上最大の負け戦」を戦わさせられ、甚大な被害を被った。鈴木邦男が言うように「天皇に判断を仰ぐような時代に二度とは戻ってはならない」のだ。

 安保法制には賛成の私だが、近年、マスメディアで吹聴される「日本は素晴らしい」という「ホルホル番組」などを見ると、「この国」がどこに向かっているのか、不安を感じたりもする。近未来、次の大震災がおきたとき、わが「列島民族」(西部邁)はどう「脱皮」「豹変」するのか、あるいはしないのか?そのときが分水嶺となりそうだ。 

 


 
 

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お花見あれこれ

2016年04月08日 18時37分47秒 | 散歩

 今年の桜は、天気の具合で比較的長持ち。
 私もいろいろなところに行ってみた。








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「昭和天皇・マッカーサー会見」を読む

2016年04月07日 17時46分14秒 | 

 「昭和天皇・マッカーサー会見」(豊下楢彦著 岩波現代文庫 2008年)を読む。


昭和天皇・マッカーサー会見」(豊下楢彦著 岩波現代文庫 2008年)

 このブログで再三採りあげた「1971年中国国連代表権問題で、昭和天皇 蒋介石支持を佐藤栄作に指示」というニュースは、「平和を愛好した昭和天皇」という作為的なイメージをぶち壊すのに十分なほどの衝撃があった。

 本書において豊下楢彦氏は、昭和天皇関連の複数の第一次資料を突き合わせ、当時の国際環境を考慮しつつ、昭和天皇の実像を描き出している。

 敗戦国日本の主権回復(1952.4)に先立ち、吉田茂首相や外務官僚は、より対等な日米関係を築こうとしていた。朝鮮戦争(1950.6-1953.7)の勃発が、その絶好のチャンスとなるはずだった。しかし、結果として、日米安保条約は著しい不平等条約となり、無条件的な米軍駐留が認められた。その理由を著者は、「天皇外交」の存在に求める。「天皇外交」は吉田外交に並行して、天皇の意向を口頭あるいは文書によって米国側に伝える形で行われた。まさに二重外交である。

  吉田茂及び外務官僚は、朝鮮戦争を次のようにとらえた。
「在日米軍基地は(朝鮮)戦争を戦うにあたって、戦略的に不可欠の最重要拠点となったのである。このことは逆に言えば、日本にとって基地の”プライス”が上昇し、基地提供が重要な外交カードに浮上したことを意味した」(同書P.156)

 一方、天皇およびその側近は次のように考えた。
「朝鮮戦争において仮に米軍の側が負けるようなことがあれば、側近たちの全員が”首切り”にあうのではないかという恐怖感にさいなまれていた」(p.163)
 つまり、昭和天皇は、共産主義勢力の浸透によって、日本に「革命」が起こり、「天皇制」そのものが瓦解することを恐れた。ポツダム宣言受諾の決断を躊躇したのは、「国体」と「三種の神器」を守らななければならないという、昭和天皇の意思だったが、戦後においてもなお、昭和天皇及びその側近は、御身大事が第一で、国家・国民の行く末など二の次だったという事実が、ここに示されている。

 現実の政治過程は、「天皇外交」の通りに進んだ。要するに、昭和天皇は戦後の「平和憲法」下においてさえ、実質上の政治権力を行使してきたことが見て取れる。そうであれば、上述の「蒋介石支持」発言も「さもありなん」と理解できる。

 本書が「岩波書店」刊であることもあいまって、著者・豊下楢彦氏を「左翼学者」だと誤解する向きもあるかもしれない。もちろん、そうではなく、公開された外交文書を丹念に分析した実証的な研究成果が、本書である。勇ましいネトウヨの方々や、「天皇」を無条件に肯定する、評論家・青山繁晴のような人はぜひこの本を手に取ってみてほしいと思う。
 なお、付け加えておくと、著者の昭和天皇を見る目は厳しいが、今上天皇に対しては、日本国憲法の理念を守る存在として、より高い評価を与えている。

 


  

 

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「昭和天皇の戦後日本」(豊下楢彦著)を読む

2016年04月04日 11時01分31秒 | 

 「昭和天皇の戦後日本〜《憲法・安保体制》にいたる道」(豊下楢彦著 岩波書店2015年)を読む。
 これは、実に刺激的で、目から鱗の本だった。


昭和天皇の戦後日本〜《憲法・安保体制》にいたる道」(豊下楢彦著) 

 著者・豊下楢彦は、京大卒の政治学者で、外交史・国際政治論が専門。昭和天皇実録や日米安保体制の成立過程に関する分析には定評がある。

 このブログには何度も書いたのだが、昨年7月、成蹊大学法学部の 井上正也准教授(日本政治外交史)が「1971年、昭和天皇は佐藤栄作首相に中国国連代表権問題に関して”蒋介石を支持するように指示”した」とする外交文書資料を発掘して公表した。日本国憲法下で政治的発言を禁じられているはずの天皇が、かくもあからさまにこのような発言をしていたと知り、これまでの昭和天皇像が完全に覆された。

 昨年夏には、「日本のいちばん長い日」という映画が公開され、「いまの平和はあの”聖断”から始まった」というキャッチコピーが喧伝された。昭和天皇を戦争終結に反対する勢力と対置することによって、「平和を愛好する天皇」というイメージを流布しようとした映画だった。戦争を知らない世代が絶対多数を占めるようになると、こんなトンデモ映画が通用するのかと不安さえ覚えた。

 本書を読むと、上記のような懸念、疑念を解き明かすような記述に満ちている。私が得心したのは、概ね次のような事柄だった。

 ‐赦妥傾弔「国民」(戦前は「臣民」あるいは「民草」)のことを第一義的に考えたことなど、金輪際なかった。頭の中にあるのは、「国体」(すなわち、御身の生命)と「皇祖皇統」(皇室一族の安寧)の護持だけだった。大空襲、沖縄戦、原爆投下で国土が焦土と化してもなお、「三種の神器」をどう守るか、そのことばかりに拘泥していた。
◆‐赦妥傾弔脇鹽找縄を見捨てた。沖縄戦の強行、戦後には戦争責任を免れるために、米国に沖縄統治を懇願した。「沖縄戦で民草(=国民)は私を守らなかったのだから、米国に統治してもらうのがよい」旨、放言したと伝えられる。
 自らの戦争責任を免れるため、連合国に東条英機以下側近を人身御供として差し出した。マッカーサーの回想録などを利用して、史実を改竄し、自己正当化を図った。 
ぁ‐綵劼痢崗娉霎仍抻」発言のように、日本国憲法下においても、あたかも「皇帝」であるかのように、平然と現実政治に介入した。
ァ〃誅世箸靴董⊂赦妥傾弔蓮⊆らの戦争責任を免れるため、本書のサブタイトルでもある《憲法・安保体制》を受け入れ、米国への従属、属国化を積極的にすすめた。戦争責任を免れた後においても、共産主義勢力による「革命」を恐れ、自らの保身のために、米国にへつらい続けた。


 ちょっと前だったら、本書のような内容は、さまざまな「物議」を醸し出したはず。そんな話を聞かないのは、やはり昭和という時代が遠ざかってしまったためか。個人的には、昭和天皇を、「公家」の血筋を引くM小路K秀という国際政治学者の軌跡と重ね合わせてしまった。そのココロは、「公家」という人たちは、極めて自己チューで、容易に変節し、人の痛みなど歯牙にもかけないということだ。そもそも公家、皇室は酷薄、非情な方々なのだろう。
 
 天皇礼賛のウヨク本は論外としても、「昭和天皇実録」を分析した研究書でさえ、いくら読んでも昭和天皇の人となり(というか本性)を知ることなどできない。それは、暗黙のタブーには決して触れないように書かれているためだ。しかし、本書は、公になったいくつもの記録を当時の状況と照らし合わせて、極めて穏当で説得力のある分析をしている。
 


 

 

 

 

 

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「昭和天皇」(原武史著)を読む

2016年03月24日 05時14分08秒 | 歴史

 「昭和天皇」(原武史著 岩波新書 2008年)を読む。本書のデータベースには次のように紹介されている。

 「新嘗祭、神武天皇祭など頻繁に行われる宮中祭祀に熱心に出席、「神」への祈りを重ねた昭和天皇。従来ほとんど直視されなかった聖域での儀礼とその意味に、各種史料によって光を当て、皇族間の確執をも視野に入れつつ、その生涯を描き直す。激動の戦前・戦中から戦後の最晩年まで、天皇は一体なぜ、また何を拝み続けたのか

昭和天皇」(原武史著 岩波新書 2008年)
 
 つまり、 本書は「政治史とは別の天皇像」を描いている。以前、「天皇の玉音放送」(小森陽一著 2003年)を読んだとき、東京大空襲、沖縄戦、原爆投下で日本全土が焦土と化し、百万人近い命が失われてもなお、「三種の神器」「国体」の護持に拘泥する昭和天皇の言動を知って、正直、おぞましい気持ちになった。「昭和天皇実録」などの公文書をつなぎ合わせた従来の昭和天皇論は、左翼学者が退潮傾向にある今、「平和を愛好する昭和天皇」を強調する傾向が強く、その戦争責任を改めて問うというような論調は極めて少ない。だが、宮中祭祀を中心に昭和天皇の姿を描き出した本著は、明治国家あるいは近代日本の実態を暴き出す。それは、古代呪術国家に西欧式の近代国民国家を「接ぎ木」したようなものだったと。

 この本に描かれた貞明皇后の「神がかり」の姿は、そのことをよく示している。昭和天皇はこの母親とは確執があったというのだが、念頭には「皇祖皇統」「国体」しかなく、国民ごときは「民草」に過ぎず、全く二の次だったという点では、まさに似た者親子だった。

 このブログには何度も書いているが、戦後になってもなお、昭和天皇はその本心をうかがわせる発言を繰り返してきた。1975年10月米国から帰国後の記者会見で原爆投下に関して問われて「戦争であるから、やむを得なかった」(下記映像参照)と応え、戦争責任については「そういう文学方面のことは、あまり研究していないのでよくわかりませんから、そういう問題についてはお答えが出来かねます」とはぐらかした。「戦争責任」が「文学方面」だと…絶句するほかはない。さらにまた、昨年7月公にされた史料では、1971年国連の中国代表権問題に関して、佐藤栄作首相に「蒋介石を支持するように」と指示したことが明らかにされた。これは昭和天皇が、戦前戦後かかわりなく、「内奏」という行為を通じて、その影響力を現実政治に行使してきたことを示している。

 近未来、日本あるいは日本周辺に有事が起きたとき、戦後民主主義の「虚妄」(丸山真男)が完全に打ち捨てられ、古代国家の呪術が息を吹き返す。「曖昧な国 日本」ならではだが、決してありえない話ではない…と思う。
 個人的には賛同する「安保法制」だが、一面の危惧を感じる所以でもある。 


 

 

 

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高雄・旗津半島を散歩

2016年03月20日 22時35分05秒 | 台湾

 ちょうど一週間前の日曜日(13日)、台湾・高雄の旗津地区を散歩。
 高雄港のフェリー(20元)に乗って、対岸の旗津半島まで10分足らず。私は二度目、家人は初めての旗津だった。

 家人は旗後天后宮旗後灯台のような歴史建造物よりも、まるで「ブラタモリ」のタモリのように、海岸にある崖の地層に興味を抱いていたので、撮った写真は奇妙なものが多くなった。
 昨年末、夕日が素晴らしかった旗津の砂浜は、今回は雨の中を駆け抜けるありさまだった。島の片隅には国府軍(中国国民党軍)が構築したトーチカの残骸が散在し、つい最近まで戦時体制にあったことを思い出させた。日本統治時代に作られたトンネルを抜けると、半島の反対側に。そこからは、対岸の高雄市街、国立中山大学などの文教地区などが見渡せた。そういえば、台湾映画「百年恋歌」(「最好的時光」2005年)の冒頭では、旗津に渡るフェリーボートが印象的だった。

 「大陸反攻」を掲げた蒋介石時代には、一般市民が沿海部に近づくことは長い間禁じられたという。いろいろなことを思い出しながら、小雨の旗津を彷徨った。


  

《百年恋歌(最好的時光)2005年》より

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台湾糖業博物館再訪

2016年03月20日 05時53分50秒 | 台湾

 2013年12月、台湾人のCご夫妻に案内されて、友人たちと訪れた台湾・高雄の台湾糖業博物館。そのことはこのブログにも書いたことがある。
 
 先週の日曜日(3月13日)、今度は家人を連れてこの博物館を再訪した。現在は博物館だが、日本統治時代に作られた台湾製糖株式会社の高雄工場で1990年代までは稼働していた製糖プラント施設だった。前回は管理部門(事務棟など)の施設が開放されているだけで、工場施設は立ち入ることができなかったが、今回は工場内部にも参観コースを設置。工場周辺には公園風の施設も設けられて、歴史博物館の趣を新たにしている。

 台湾に製糖業を根付かせたのは、「武士道」の新渡戸稲造。彼は、農学者でもあったから、1901年台湾総督府に招かれて、台湾糖業の将来展望を描いた。
 彼の胸像は「台湾糖業の父」と説明がなされて、次のような場所に建っていた。

「台湾糖業の父」新渡戸稲造の胸像(2013年12月撮影)

 計器類等の展示室に飾られていたのだが、今回行ってみると、その展示室はカフェに変身。新渡戸稲造の胸像は、その入り口に少し場違いな感じでおかれていた。

いま、新渡戸稲造はカフェの入口に。(2016年3月13日撮影)



 前回、Cさんに新渡戸稲造のことを尋ねたら、その存在をご存じなかったから、日本の五千円札になった人と説明したら、驚いていた。

 
糖業博物館の入口            台湾製糖会社の事務室
 

参観できるようになった工場施設 


公園部分は花が満開だった     聖母観音像(日本時代のもの)


和風建築の社宅(写真は工場長用
)    「仙草凍」で一息


製糖工場内には鉄道の引き込み線。日本統治時代のSLが保存されている。


花の名前は分からなかったが、南国の鮮やかさが印象に…

 
この「台湾糖業博物館」は台湾鉄道(臺鐡)あるいはMRT(地下鉄)紅線(Red Line)の「橋頭糖廠駅」下車で、駅の目の前に見える。というのも、橋頭糖廠駅は地下駅ではなく、地上駅なので。高雄駅からおよそ25分くらい。半日たらずで、十分見学できる。高雄を訪れたら、ぜひとも…。

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