澎湖島のニガウリ日誌

Nigauri Diary in Penghoo Islands 澎湖島のニガウリを育て、その成長過程を記録します。

モンゴル元大統領 “モンゴル帝国”の地図をSNSに プーチン大統領の主張を皮肉る

2024年02月12日 23時55分16秒 | 歴史

 モンゴルの元大統領がプーチンを皮肉るという面白い記事を見つけた。 

 この元大統領は、エルベグドルジ氏。2009年6月から2017年7月まで大統領を務めた。この人が来日して「プライム・ニュース」(BSフジ)に出演したとき、私は視聴者の一人として大統領に次のような質問をしてみた。

「モンゴル民族はモンゴル国のほかに、内モンゴル自治区(中華人民共和国)、ブリヤート共和国(ロシア連邦)にも居住し、独自の言語・文化を守っていますが、将来、国境を超えモンゴル民族の交流を発展させるお気持ちはありますか?」

 私のこの質問に対して、エルベグドルジ大統領は、次のように話された。

「世界全体で自らをモンゴルと思っている人は一千万人ほどいます。そのうち、300万人が今のモンゴル国にいます。私たちは世界中の自分たちをモンゴルと理解する人たちに関して交流があります。特に文化交流、人道的な交流については、自由に行っています。私は個人的にも、モンゴルと認識する人たちを応援していきたいですし、ひとつの屋根の下で応援していきたいと考えています。」(
モンゴル国大統領に訊いてみた」 2015.5.22)

 モンゴル国は現在モンゴル高原を領土としているが、かつてのモンゴル帝国は、ロシア、トルコ、イラン、東ヨーロッパにまで及ぶ広大な版図を誇った。プーチン大統領が「ウクライナは本来ロシアの領土」と主張するのを皮肉って、エルベグドルジ氏はモンゴル帝国の地図を持ち出したのだろう。「お前がそれを言うなら、こちらにも言い分があるぞ」と。

 「は個人的にも、モンゴルと認識する人たちを応援していきたいですし、ひとつの屋根の下で応援していきたいと考えています」と語った元大統領の心意気を感じた。

    

モンゴル元大統領 “モンゴル帝国”の地図をSNSに プーチン大統領の主張を皮肉る

「ウクライナは歴史的にロシアの領土だ」などとしてウクライナ侵攻を正当化するプーチン大統領の主張に対し、モンゴルの元大統領がモンゴル帝国時代の地図を引き合いに出して当てこすりました。


 ロシアのプーチン大統領は8日に公開されたアメリカのFOXニュースの元司会者、タッカー・カールソン氏とのインタビューでウクライナは歴史的にロシアの土地だったなどと主張し、ウクライナ侵攻を正当化しました。

 これを受けてモンゴルのエルベグドルジ元大統領は12日、モンゴル帝国時代の地図をSNSに投稿しました。

 地図では現在のロシアがモンゴル帝国の一部として描かれています。


 エルベグドルジ元大統領は「モンゴルの歴史的な地図を見つけました。心配しないで下さい。私たちは平和で自由な国家です」と皮肉交じりのコメントを添えています。

 ウクライナメディアは「モンゴルの元大統領がプーチン大統領に歴史の教訓を教えた」「プーチン大統領の主張に沿えばロシアを支配しているのが誰なのかを示唆している」などと報じました。

 また、ロシア政府寄りの一部メディアもこのニュースを伝えていますが、モンゴル帝国の地図は載せていません。


歴史美談に騙されるな~ウズベキスタン「ナボイ劇場」建設の真実

2023年11月09日 00時53分22秒 | 歴史

 2018年7月にウズベキスタンを旅行した私。このブログにも旅行の感想文を書いた。
 ウズベキスタンは首都のタシケントと古都サマルカンドを訪れた。タシケントでは、「ナボイ劇場」というオペラハウスを案内された。

 「ナボイ劇場」は、ソ連に「抑留」された日本軍人によって建設されたと言われる。1969年のタシケント大地震においても倒壊せず、今では日本とウズベキスタンの友好の証となっているそうだ。 
 第二次大戦終了後、満蒙や樺太にいた日本軍兵士は武装解除され、その多くがシベリアに「抑留」され、強制労働に従事させられた。その過酷な体験はすでに知れ渡っていたから、はるかかなたのウズベキスタンに抑留された日本兵士だけが、何か特別な「体験」をしたかのような説明には、私が実際に「ナボイ劇場」の前に立ったときでも、若干の違和感を感じた。


ナボイ劇場(2018.7撮影)

 最近になって、一冊の本を手にした。「ウズベキスタン ”ナボイ劇場”建設の真実」(胡口靖夫著 同時代社 2019年)だ。



 著者は、オペラハウスは日本人兵士によって建てられたものではないことをウズベキスタン側も明言しており、「美談」を広めた張本人は嶌信彦(ジャーナリスト)だったと指摘する。嶌信彦は、十五年ほど前まではTVに頻繁に出ていたから、覚えてる人も多いだろう。彼は、日本ウズベキスタン協会の会長だったとき、ナボイ劇場の日本人建設説を流布して、次のように書いた。

 「現ウズベキスタン共和国の首都タシケント市に建つナボイ劇場は、旧ソ連抑留者のうち、タシケントまで強制連行された日本人捕虜450人の手によって建設され、1947年に完成した。1960年代の大地震の際、他の多くの公共建築物が倒壊したにもかかわらず、ナボイ劇場だけはビクともしなかったため、これを建設した日本人の働きぶりがいつしか”伝説”となり、ウズベキスタンが日本に敬意を持つ大きな背景となった。」(同書 p.11)

 この 「日本人説」をバックアップしたのが、駐ウズベキスタン大使を務め、その後国会議員に転身した人だと言う。これは、中山恭子・元衆議院議員に間違いない。

 ウズベキスタンがソ連邦の崩壊に伴い「独立」を果たしたのが、1991年。このころ、日本は「経済大国」であったから、ウズベキスタン側としては、日本とのつながりを模索したはずだ。そこに持ち出されたのが「ナボイ劇場」物語で、中山恭子・駐ウズベキスタン大使が飛びついた。

 歴史上の美談には気をつけねば。杉原千畝さえも、疑わしく思えないこともない。まさか、八田與一まで‥? まさかとは思うが。


「日中国交回復五十年」の虚妄

2022年09月29日 12時17分01秒 | 歴史

 今日は「日中国交回復五十周年」の記念日、だそうだ。
 そもそも、中国と「国交回復」したのではなく、日本が中華民国政府(台湾)を見棄て、大陸を支配する中共(中国共産党)政府と国交を結んだに過ぎない。「ひとつの中国」という「幻影」に惑わされて、中国の「正統政府」を中華民国から中華人民共和国に乗り換えたということだ。

 今はもう語られることも少ないが、1971年、国際連合の場で中華人民共和国を中国の唯一の代表とするというアルバニア案が提出された時、舞台裏の交渉では、台湾を一独立国として国連に留めるという妥協案が示されていた。だが、中華民国の蒋介石総統は「ひとつの中国」を理由にこれを拒絶した。もし、「ひとつの中国、ひとつの台湾」(二つの中国!!)が実現していれば、この五十年は相当変わっていたはずだ。蒋介石と毛沢東、この二人の中国人の「面子」「天下」意識が、それを拒絶してしまった。

 門田隆将氏が新著「日中友好侵略史」に中共(中国共産党)の対日工作について触れている。日本人は「日中友好」だと信じて疑わなかった事柄の多くが、中共による謀略工作だったと指摘する。例えば、当時有名だった作家・有吉佐和子を囲い込んで、池田大作とともに「日中友好」を称揚させた。

 当時、日中友好ムードのなかで、私は来日した中国卓球代表団の莊則棟から彼のサイン入りの「毛沢東語録」をもらったりして、結構その気になっていた。1976年春に中国の三都市を旅行したときは、「新中国」を見て「感動」したりした。
 しかしその後、岡田英弘氏(当時・東京外大アジア・アフリカ研究所教授)の一般向け著作に触れ、「実際の中国」を知った。岡田氏は、「日中国交回復」に反対し、中共の謀略性を早くから指摘していた。五十年前から、今の新疆ウイグルなどの少数民族問題を見通していたのは、岡田氏などごく少数だ。

 中共の謀略工作による「日中友好」で日本人はすっかりだまされ、カネを巻き上げられた。こんなことがこれからも続くとしたら、この国は間違いなく中国の「属国」となる。米国と中国に「両属」する日本となるだろう。子供や孫には、「ギブ・ミー・チョコレート」を中国語で何と言うか勉強させなければならなくなるかも。

 悪夢の言葉、日中友好。それが私の実感だ。

 

 

日中友好侵略史SP!門田隆将が中国に絡み取られた政治家・関係団体を実名で暴く、知られざる日本侵略の歴史。日本人よ、刮目せよ!山岡鉄秀×門田隆将【リアルマトリックス】9/28水13:00~14:00


内藤陽介(郵便学者)「#大東亜戦争 (#太平洋戦争)の真実と日本の戦争責任」

2022年08月14日 21時25分44秒 | 歴史

 毎年、この季節になると、各TV局は先の戦争に絡んだ特集番組を放送し、「戦争の悲惨さ」と「平和の尊さ」を訴える。今年もNHKを中心にいくつものドキュメンタリー特集が組まれたが、食指を動かされるものは皆無だった。「新たに見つかった資料を基に…」とか言って、感情的平和論を聴かされるのは、もうご免という感じだ。ウクライナ戦争や、直近の台湾危機を見ると、さらにそう思う。

 内藤陽介氏(郵便学者)の「大東亜戦争の真実と日本の戦争責任」は、文化放送(東京ラジオ局)のニュース番組から派生したYouTube映像だが、実に的確に「あの戦争」をどう見るべきか教えてくれる。数多の「戦争回顧」「戦争懺悔」番組を何度見ても分からない問題点を提示している。

 

内藤陽介(郵便学者)「#大東亜戦争 (#太平洋戦争)の真実と日本の戦争責任」


プーチンと「ゾルゲ事件」、そして朝日新聞

2022年06月09日 11時26分03秒 | 歴史

 先日、TBS「報道特集」が「プーチンとスターリン」を特集した。その中で、プーチンが職業としてスパイを志したきっかけが、映画「スパイ・ゾルゲ / 真珠湾前夜」(日仏合作 1960年)を見たことだという。日本では、忘却の歴史の「ゾルゲ事件」だが、実は、日米戦争という決断に大きな影響を与えた、国家の命運を左右する一大事件だった。Wikipediaでは、次のように説明されている。

1936年9月から、リヒャルト・ゾルゲは日本やドイツの動きを探るためにドイツの新聞『フランクフルター・ツァイトゥング』の東京特派員かつナチス党員という形で日本に赴き、東京の駐日ドイツ大使館に出入りしていた。 当時日本におけるドイツ人社会で、ゾルゲは日本通のナチス党員として知られるようになっていた。彼の記者の活動の裏側には、香港を通じてモスクワとの接触を確立する秘密の使命を持っていた。

ゾルゲは無線技士のマックス・クラウゼン、特派員のブラノフスキー[5]、画家の宮城与徳、内閣嘱託の尾崎秀実らをメンバーとする諜報組織を編成し、政治や軍事の情報を無線やマイクロフィルムでモスクワに送っていた。陸軍の防諜部長・藤森大佐は、怪しい電波発信や、クラウゼンがタクシーに忘れた秘密書類の存在から、ドイツ大使館への監視を強化する。

桜井男爵の夫人・ユキは藤森から、ドイツ大使館に行く際に関係者を内偵する依頼を受け、ゾルゲに会う。ユキはスパイ活動の現場を押さえるための船上パーティにゾルゲらを呼んだが、ゾルゲは裏をかいて近くの小舟に乗った漁師の仲間に無線を発信させ、検挙は失敗に終わる。ユキは内偵活動から手を引き、ゾルゲと交際するも、憲兵隊に拘束された。独ソ開戦や、日本の対ソ攻撃がないことをゾルゲらはモスクワに通報する。だが、検挙された宮城が自供したことでゾルゲらは逮捕された。藤森は拘置所のゾルゲの元を訪れ、日本が真珠湾攻撃に成功したと告げる

 
いま歴史を顧みれば、ソ連=コミンテルンのスパイであるゾルゲは、日本政府中枢部にまで入り込み、「南進」政策を決断させ、日米開戦に至らしめるという謀略を図ったことは明らかだ。だが、戦後になっても、ゾルゲ事件の共犯者として死刑に処せられた尾崎秀実を擁護し英雄視する風潮が強かった。プーチンが見た「スパイ・ゾルゲ」は1960年という米ソ対立の真っただ中に作られた映画であったから、間違いなく左翼的(親ソ的)感情が横溢していただろう。少年プーチンは、祖国・ソ連の偉大さと、謀略活動の重要性を学び取ったに違いない。
 一方、1970年代の日本では、尾崎秀樹(ほつき)という文芸評論家が尾崎秀実擁護の論陣を張っていた。この男は、秀実(ほつみ)の異母兄弟で、ゾルゲ事件時、台北帝国大学付属医学専門部に在籍していた。しかし、事件発覚によって台北医専を退学処分になる。秀樹は義兄である秀実を「帝国主義と戦った英雄」として描きたかったのだろう。それが彼の挫折した人生に対する「報復」の感情でもあったろう。もし、ソ連邦崩壊後に公開されたゾルゲ事件に関する外交文書を秀樹が見ることができたら、彼は何と言ったのだろうか。

 周知のとおり、尾崎秀実は「朝日新聞」の有名な記者だった。近衛内閣の内閣嘱託だったのだから、現在だったら、宮家邦彦や藤井聡、高橋洋一といった人たちだ。政府の意思決定に深く関与する専門家という位置づけだ。だが、尾崎の心の祖国は、日本ではなく、ソ連=コミンテルンだった。尾崎、ゾルゲから日本の「南進」(欧州戦線で手いっぱいの欧米諸国の東南アジア植民地に「進駐」しそれを「解放」するという政策)を知ったソ連政府は、日独両国による挟み撃ちの悪夢から逃れ、満洲国国境に対峙していたソ連軍の戦力を大幅に欧州戦線に投入することができた。

 自社の著名記者が敵国のスパイだったという事実を、「朝日新聞」はどう釈明したのか。「従軍慰安婦誤報問題」を言い逃れようとした「朝日」のドタバタ劇を見ていると、戦前も今も、本質は変わっていないのではないか。

 つまり、プーチンは「スパイ・ゾルゲ」で覚醒したのに対し、日本では多くの若者が「朝日新聞」を読み、自虐史観を植え付けられてきたということか。上念司ではないが、私も「朝日新聞縮小団」に加わろうかと思うほどだ。

 

 


海にまかれた遺骨 東條英機の家族は…

2021年06月07日 13時22分08秒 | 歴史

 東條英機ら「A級戦犯」七人の遺骨が海に蒔(ま)かれていたことが、米国の公文書で確認されたというニュース。

 これに対しては、今朝ラジオで経済評論家・上念司が「A級戦犯という言葉は間違っている。GHQによる占領が解除された後、国会の超党派決議でA級戦犯はなくなったはず」と指摘し、安易にこの言葉を使い続けるマスメディアを批判した。
 また、郵便学者・イスラム研究家・内藤陽介は、「遺骨を海に蒔くのは、死後に神格化されるのを防ぐため」で「ヒトラーの遺骨も所在不明にされた」と指摘した。

 このニュースに接した東條家の一人は「(ないがしろにされるよりは)海に蒔かれた方がマシ」とコメントしたそうだ。この発言からうかがわれるのは、ある種の無念さ、世間に対する怨念の感情だろう。東條一族は、A級戦犯という汚名を背負いながら、ここまで生きてきた。東條英機は昭和天皇に代わって、一切の戦争責任を引き受けた。だから遺族の皇室に対する感情は、人一倍複雑だろう。三島由紀夫が自衛隊に決起を促し、皇居の方向に正座し、自決したとき、何を思ったのか。またいま、傲慢、優柔不断の秋篠宮が自分の娘の縁談ひとつ解決できない姿を見て、何を思うのか。

 「海に蒔かれてマシだった」という言葉は、いろいろなことを想像させられる。

 

A級戦犯7人の遺骨「太平洋にまいた」米公文書発見

配信
 これまで謎だった東条英機元総理ら第2次世界大戦のA級戦犯7人の遺骨の処理について、「太平洋にまいた」などと詳細が記された公文書が見つかりました。
 文書は当時、横浜市にあったアメリカ第8軍の少佐が遺骨処理について報告したものです。
 1948年12月23日午前0時すぎ、東京・豊島区にあった巣鴨プリズンで東条英機元総理らA級戦犯7人の死刑が執行された後、遺体は横浜市で火葬されました。
 その後、7人の遺骨は太平洋上空から海にまかれたということです。
 この文書をアメリカ国立公文書館で入手した日本大学の高沢弘明専任講師は、「遺骨を海にまいたことが記載された公文書が見つかったのは初めて」としています。

 

 


日本統治時代の修学旅行 世代の分断をつなぐ過去の思い出

2021年05月19日 13時27分35秒 | 歴史

 日本統治時代の台湾では、当然のこととして日本式の教育制度、教育内容が取り入れられた。それを「日本帝国主義による皇民化教育」だと非難する向きもあるが、事実はそれほど単純ではない。ある社会が近代化するためには、社会基盤(インフラ)の整備が必要で、そのためには巨額の資金、適正執行を可能とする組織が必要となる。台湾社会の近代化に関しては、台湾総督府がその任に当たった。台湾総督府には、後藤新平、新渡戸稲造、八田與一など、錚々たるテクノクラートがはせ参じた。

 日本式教育の特色のひとつとして、修学旅行がある。台湾の日本語世代(日本語教育を受けた世代)が少なくなった現在、修学旅行の記憶が継承しようと、一冊の本が刊行された。

 「日本統治時代の修学旅行」と題するその本について、詳しく紹介した映像がUPされたので、ここに紹介したい。

 

日本統治時代の修学旅行 世代の分断をつなぐ過去の思い出

 

日本統治時代の修学旅行 行先ランキングTOP5 1~2位

日本統治時代の修学旅行 行先ランキングTOP5 3~5位


「内鮮満周遊の旅 満洲篇」(1937年、満鉄映画製作所)を見る

2021年04月28日 12時49分42秒 | 歴史

 「内鮮満周遊の旅 満洲篇」(1937年、満鉄映画製作所)を見る。「満洲国」の貴重な歴史的映像であるとともに、ノスタルジックな満洲国観光映画でもある。
 「満洲」というと、子供心には「日本人がわるいことをした土地」「話題にしてはならない土地」というイメージだった。「満洲」は「中国」の一部であり、日本人はその「中国」を侵略したのだと教わったはずだ。

 だが、後になって知るのは、「満洲」は「大清帝国」(=清朝)の「祖地」であり、大清帝国皇帝は満州人、その被支配者は「漢族」だったという事実。さらに「内蒙古」「チベット」は、チベット仏教の信仰者として清朝と同盟を結ぶ関係だった。現在、中共(=中国共産党)政府が使う「中華民族」という言葉は、清朝を打倒するために孫文が考案した都合のいいスローガンに過ぎない。「中華民族」という実体はなく、漢族支配の正当性を主張するための道具に使われた。最近の新疆ウイグル自治区におけるジェノサイド、内モンゴル自治区の遊牧禁止、モンゴル語の使用禁止を見れば、そのことは明白だ。

 以上のような前提で、この「内鮮満周遊の旅 満洲篇」を見ると、「満洲国」の意外な側面が浮かび上がってくる。日本による満洲への投資、近代化促進の施策は著しく、「中華民国」の他地域を圧倒的に凌駕していた。「豊かな満洲」は羨望の的でもあったのだ。

 台湾や朝鮮半島と同様に、日本は満洲の近代化に大いなる役割を果たした。今もなお、中国東北部(=満洲)の経済力、文化度が高いのは、日本の影響を抜きにしては考えにくい。「だからどうした?」と言われても困るのだが、「大日本帝国」の愚かな選択(日独伊三国軍事同盟~日米開戦)がなければ、中共(中国共産党)による大陸制覇は実現しなかったかもしれない。そうであれば、この映画の8K最新版が見られたのかも知れないのにね。

 

内鮮満周遊の旅 満洲篇(1937年、満鉄映画製作所)


ヒトラーと同列視される昭和天皇

2019年12月20日 10時21分22秒 | 歴史

 「民主主義はドイツと日本の完全な敗北によって達成されるのである」で締めくくられるこの米国製プロパガンダ(宣伝)映画。いまさら、こんな映画を見ることになったのは、「虎の門ニュース」における上念司の次の一言だった。「なんで日本は、日独伊三国軍事同盟なんか結んでしまったんでしょうね?

 近衛文麿の優柔不断、松岡洋右の怨念、コミンテルンの謀略等々、その理由については、数々語られているところだ。米国はこの同盟を邪悪な全体主義の野合と位置づけ、自らを民主主義を守る担い手として参戦に移行するための格好の理由づけとなった。

 「日独伊の犯罪(天皇、ヒトラー、ムッソリーニの犯罪)」と題されたこの映画は、インターネットがなければ、おそらく目に触れることはできなかっただろう。宣伝映画だから鵜呑みにする必要はないが、唯一言えることはある。それは、当時の米国からは、天皇とヒトラーは同列の”悪”と見えたと言うこと。今日、複数の隣国が「南京大虐殺」「従軍慰安婦」「戦犯の息子」「戦犯国の旗」などと難癖をつけるのも、このイメージが焼き付いていることに原因がある。

 日本は同調圧力の国。都合の悪いことはすぐ忘れ、新たな勝ち馬に賭けようとする、この悲しき性(さが)だが、ときには、こんな映像を見てもいいと思った。

 

日独伊の犯罪(天皇、ヒトラー、ムッソリーニの犯罪)


「大東亜会議」の歴史的意義とは…

2019年11月28日 13時24分13秒 | 歴史

 インターネット番組でしばしば言及される「大東亜会議」。以前、「ニュース女子」でも採りあげられたので、ご存知の方も多いはず。特に武田邦彦氏は、この会議にご執心で、ことあるごとに言及している。

 端的に言って、「大東亜会議」はGHQによる東京裁判史観へのアンチテーゼとして使われる。欧米列強、白人による世界支配を打破するために、大東亜戦争は始められた。その理念は、この大東亜会議に示されているという論法だ。

 ひとまず、Wikipediaで確認してみる。

大東亜会議」は、1943年昭和18年)11月5日 - 11月6日東京で開催されたアジア地域の首脳会議。日本(大東亜共同宣言中の表記は「日本国」):東條英機内閣総理大臣中華民国(南京)国民政府汪兆銘行政院長満州国張景恵国務総理大臣フィリピン共和国ホセ・ラウレル大統領、ビルマ国バー・モウ内閣総理大臣、タイ王国ワンワイタヤーコーン親王(首相代理)、インド:この時点では本土がまだイギリスの植民地支配下にあったインドからは、日本と協力しインド全土のイギリス(イギリス領インド帝国)からの完全独立を目指していた亡命政権である自由インド仮政府首班のチャンドラ・ボースが参加した

 この会議の開催時点で欧州はどのような状況にあったのか。

第二次世界大戦におけるイタリアの降伏では、第二次世界大戦中の1943年9月8日に、イタリア王国連合国と締結していた休戦協定を発表して枢軸国から離脱し、降伏に至った。

 つまり、会議の二か月前には、イタリアは「日独伊三国同盟」から離脱していた。戦争を遂行する日本の指導層は、すでに帝国の敗北を予見していたはずだった。ついでに言うと、イタリアはムッソリーニを打倒したあと、1945年5月には日本に宣戦布告さえしている。こうした経緯を顧みずに、「大東亜会議」の「理念」だけに光を当てて、日本の正当性を主張しても、それは虚しい行為だと言わざるをえない。

 三輪公忠日本・1945年の視点」では、次のような記述がある。

「…大東亜共同宣言の文言を読み返してみると、ここには今日の世界が追求している国際社会における理想主義的な原理さえ認められる。……「伝統」に対する姿勢、「民族ノ創造性」への評価である。西洋文明の絶対的優越性を信じ、文明一元論的発想でしか、いわゆる後発国の問題の解決を探そうとはしなかった欧米の植民地国家の姿勢とは根本的な差異がある。……敗戦を予見した日本は、かえって戦後の世界秩序の形成に理想的にかかわる道を発見し、その道を選択したとすることができる。」(同書 p.163-4

 つまり、「ネトウヨ」のようにはあからさまに言わないものの、「軍国少年」として敗戦を目の当たりにし、カトリック信者の中のエリートとして米国大学に学んだ著者(三輪)のような人にとっては、これくらいは言っておかなければならないという心持があるのだろう。
 こと、「大東亜会議」の評価に関しては、このあたりがまともな言説の限界ではないかと思われる。

 

ニュース女子~大東亜会議とは何だったのか?


大韓民国 解体、 反日種族主義の業報(応報)

2019年11月17日 15時40分01秒 | 歴史

 先日、「反日種族主義」(李栄薫 著 文芸春秋 2019年11月)の日本語訳を入手。アマゾンでは、現在ベストセラー第一位というから、日本人の向学心はまだまだ捨てたものではないと一安心。
 まだ途中までしか読んでいないが、本に先立ってYouTube映像を見ているので、おおよそのことは理解できる。



 YouTubeで公開された「反日種族主義」の講義は、全19回、その最終回が分かりやすかったので、下記に貼付した。

 韓国は今、政府、司法、マスメディア、学界等々、すべてが「反日種族主義」を肯定する中で、その結果、滅亡の道を辿っているというのが、最終回の結論。「反日種族主義」が国のすべてを覆いつくし、近代国民国家や国際法の常識を無視し、独りよがりの異様な「反日」「侮日」だけがまかり通っている。国家間の取り決めを最高裁判事の反日感情や「歴史認識」で反故にし、「日韓併合」自体が不法だったとするのなら、そんな国とはまともな国際関係など成立しない。そんなことをイヤと言うほど知らされた。

 「従軍慰安婦」「徴用工」「日韓併合は不法」などを韓国民に吹き込んだのは、日本のマスメディア、学者だと言われる。「朝日」「毎日」「NHK」「TBS」など、学者では和田春樹が筆頭だろうか。こういう勢力は、つまるところ「反日」=日本の弱体化が目標なのだろう。一方、だからと言って、ネトウヨと呼ばれる若者たちが青山繁晴(参議院議員)のような売名的「愛国者」にころりと騙されるという現状は、情けない限りだ。韓国の轍を踏まず、日本らしさを守るためには、やはり自分の力で考えることが必要なのだろう。 

 

19. 大韓民国 解体、 反日種族主義の業報(完)