澎湖島のニガウリ日誌

Nigauri Diary in Penghoo Islands 澎湖島のニガウリを育て、その成長過程を記録します。

『帝国日本の「開発」と植民地台湾』(清水美里 著)

2019年10月30日 03時13分37秒 | 

『帝国日本の「開発」と植民地台湾~台湾の嘉南大圳と日月潭発電所』(清水美里 著 有志社 2015年)を読む。



 著者の清水美里(みさと)さんは、共立女子大国際文化学部卒業後、東京外国語大学大学院地域文化研究科博士後期課程修了、博士(学術)号を取得している。本書は、博士論文をもとにまとめられた。

 本書の帯文には、「開発」の視点から帝国日本と植民地台湾の関係を再考すると書かれていて、嘉南大圳(かなんたいしゅう)および日月潭(にちげつたん)における台湾総督府の「開発」が台湾社会にもたらした社会変動を分析している。
 「あとがき」には著者がこのようなテーマに関心を持つに至った動機として、故郷である神奈川県相模湖町(現・相模原市緑区)の相模ダム建設にかかる出来事について記している。大学の卒業論文のテーマは「戦時期の相模ダム建設における中国人捕虜の強制労働について」だったという。高尾山近くに住んだこともある私にとって、相模湖は親しみのある場所だったが、中国人捕虜の強制労働があったとは、全く知らなかった。著者は「小・中学生時、教室からこのダム湖を眺めながら過ごし、大学では中国文化専攻だった私にとって、それはのどに詰まった小骨のような発話すると痛みが走るテーマだった」と記す。
 このような原体験があったからこそ、著者は台湾総督府による台湾の「開発」に目を向けたに違いない。

 全体的なブックレビューにならないことを承知で書くが、私が最も興味深く読んだのは「補論 八田與一物語の形成とその政治性~日台交流の現場からの視点」(本書p.234~284)だった。
 杉原千畝シンドラーにしても、実像と「物語」の乖離が著しいことは知られていた。杉原千畝に関しては、外務省OBの評論家・馬渕睦夫が「杉原は外務省の方針に従って行動したに過ぎない」として、その「論功」を否定している。
 八田與一については、本来、台湾総督府の業績であるべきものが、大日本帝国の敗北ゆえに、八田本人の偉業に変換されなければならなかった。
 また、八田與一のエピソードについて、日本と台湾ではかなりの差異が見られるという。たとえば台湾側は、敗戦直後、八田を追って烏山頭ダムに投身自殺した妻・外代樹の物語にシンパシーを寄せる傾向が強いというように。
 
 政治的には「八田與一物語」は、中共(中国共産党)の圧力により疎遠になりがちだった日台関係を結びつける絆となった。その内実、プロセスを分析してみせた本論文の意義は大きい。

 共立学園の八王子校舎(中・高部)に通った親族を持つ私としては、あの大学から、このようなテーマで学術論文をものにする研究者が現れるとは夢にも思わなかった。相模湖、高尾の山々そして「台湾」。こんな結びつきに心が躍った。また、著者は「あとがき」で佐藤公彦先生に謝意を表している。7年ほど前、私はこの佐藤公彦教授(当時=東京外国語大学教授 現在=同大名誉教授 中国近代史)の授業(東アジア国際関係史、近代中国とキリスト教、及び現代世界論Ⅰ)を聴講し、その熱意に圧倒された。著者は佐藤先生の弟子だったのかと、改めて親近感を覚えた。


映画『イエスタデイ』 を観る

2019年10月25日 11時14分45秒 | 音楽・映画

 映画「イエスタディ」(2018年 英国映画)を見る。週日の午後、映画館は高齢者と中年がパラパラと点在。

 ビートルズが存在しなかったという、異次元のパラレルワールドに迷い込んだ主人公の路上シンガーが、自分だけが知っているビートルズの楽曲を自作として歌い、世界的な成功を収めていくというストーリー。交通事故でパラレルワールドに迷い込んだという設定はいいとしても、ビートルズの楽曲が無条件に人々の心を打つという「所与」条件にまず疑問を持ってしまう。

 いまから50余年前、都下・立川の映画館は「ビートルズがやってくる ヤア!ヤア!ヤア!」を見るために集まった若者で、文字通り立錐の余地もなかった。たかがスタンダードサイズのモノクロ映画に、大英帝国からはるか離れた「極東」の一角でアジア人の若者も熱狂していたのだ。ネット検索であらゆるものが検索可能、可視化されるようになった現代とは異なり、半世紀前の日本は、海外旅行は高根の花、海外の音楽映像を見る手段は映画くらいしかなかった。そのことを体験した世代にとっては、この「イエスタディ」は何とも中途半端でつまらない映画だとしか思えなかった。

 この映画に星をつけるとすれば、私は迷うことなく★ひとつ。そんなことを言ってるのは私だけかと思って、いくつかレビューを参照してみた。その中で、映画評論家・町山智弘が「ビートルズ現象は、単に楽曲がいいとかだけではなく、アイドル性、ファッション、歌唱(コーラス)で卓越していた。この映画は、そういうビートルズの全体像をとらえていない」と評していた。つまり、ビートルズが存在しなかったパラレルワールドで、2010年代になって、ビートルズの楽曲をソロで唄っても、「ビートルズ現象」は起こりえない。そんな自明な疑問をクリアーできていないと思ってしまう映画だった。

 ちなみに、このパラレルワールドには「コカ・コーラ」は存在せず、「ペプシ」しかない。ローリング・ストーンズは存在するが、ビートルズは存在しなかった。こういうのも、なんだかなあとガッカリしてしまう。また、主人公のシンガーがインド系英国人だという設定にも、大英帝国の斜陽と没落を実感してしまう。さらに、ネタバレになってしまうが、主人公がイングランドの海辺の寒村で暮らす78歳のジョン・レノンに会うという設定もいかがなものか。

 敗戦後二十年、極東の島国(ニッポン)に閉じ込められた「団塊」の若者が、ビートルズに託した夢と幻想。あのときは、お金もなく、海外旅行も夢の夢だったが、熱気だけは確かにあった。そんなことを知る世代は、この映画の不甲斐なさには我慢がならないのではないか。

 

映画『イエスタデイ』予告


「日本の戦争 天皇と戦争責任」(山田 郎 著)

2019年10月22日 10時59分27秒 | 読書

 「日本の戦争 天皇と戦争責任」(山田郎 著 新日本出版社 2019年)を読む。

 「即位の礼」の当日、こんな本の感想を書くことには、別に他意はない。その証拠に、今朝は「虎の門ニュース」を見ていたし…。

  

  先日終了した「愛知トリエンナーレ」における「表現の不自由展」で、昭和天皇の写真が燃やされ、問題になったことは記憶に新しい。このとき、保守派あるいはTouTube系の論者は、天皇の「御真影」が燃やされたと騒いだ。「御真影」は限定的な概念であり、そもそも戦前においても、天皇の写真(印刷物)の処遇は各自の判断に委ねられていた。中国の文化大革命期、毛沢東の写真が載っている新聞紙を包み紙に使っただけで、死刑になったというような国ではないのだ。

 さて、本書だが、左翼史観の立場から昭和天皇の戦争責任を問いかける。目次は次のとおり。

第一部 大元帥としての昭和天皇
 第一章 近代天皇制における天皇
 第二章 昭和天皇の満洲・朝鮮観と膨張主義思想
第二部 昭和天皇の戦争指導
 第三章 昭和天皇と軍事情報:大本営による戦況把握と戦況奏上
 第四章 昭和天皇の戦争指導・作戦指導
第三部
 第五章 徹底検証「昭和天皇独白録」
 第六章 徹底検証「昭和天皇実録」
 第七章 天皇の戦争責任を考えることの意味

 この中で特に興味深いのは、第三部。昭和天皇の「独白録」「実録」を通して、「昭和天皇=平和主義者」のイメージが拡大再生産されてきたと指摘する。映画「日本のいちばん長い日」は、天皇の「ご聖断」の録音盤をめぐる宮廷内騒乱を描き、反乱将校vs.平和主義者・昭和天皇というチープな図式を印象付けた。

 「『実録』における歴史叙述は、従来からの『昭和天皇=平和主義者』のイメージを再編・強化するためのものであり、そのストーリー性を強く打ち出したものである。……ここであえて記述されなかった部分を補ってみると、むしろ非常にはっきりと何を残したくなかったかが浮き彫りになってくる。『実録』は、私たちが掘り起こし、継承し、歴史化していかなければならない《記憶》を逆説的に教えてくれるテキストであると言えよう。」(p.230)

 本書の売れ行きは、おそらく芳しくないだろう。一方、「日本国紀の天皇論」(百田尚樹+有本香 著 産経出版社 2019年)はベストセラーだ。後者の意義を否定するものではないが、本書はやはり「歴史の風化」に対するブレーキ役にはなるに違いない。


  

【DHC】2019/10/22(火) 百田尚樹×有本香×居島一平【虎ノ門ニュース】


台風19号で露呈 避難所は満杯

2019年10月17日 08時25分05秒 | マスメディア

 台風19号は各地に傷跡を残したが、思わぬところで都市部の問題点が明らかになった。

 知人が住む東京都K市は、多摩川の下流域に位置し、1974年には堤防が決壊し、19戸が流失する災害が起きた。いわゆる「岸辺のアルバム」のストーリーだ。

 12日夜、知人の家に知り合いの家族が訪ねてきたという。市が避難勧告を出したので、避難所に出かけたところ、「満員です」とにべもなく断られたという。小さな子供を抱えて行くあてもないその家族を、知人は家に泊めてあげたそうだ。

 このエピソードから考えられるのは次の二点だろう。

①「ハザードマップ」の重要性。知人が住む家は、「ハザードマップ」で水害の可能性を指摘された地域。やはり、「ハザードマップ」はいざというときの指針になる。

②都市部における避難所の問題。人口過密地域では、災害時、避難所が足らず、避難場所の争奪が間違いなく起きる。そのことをK市の事例が実証した。台風でこの程度なのだから、大震災時においては、想像を絶する悲惨な事態が想像できる。

 TV各局は、絵になる災害映像を寄せ集め、被災者に「心を寄せる」報道をしているつもりなのだろうが、実のところ、電波利権に胡坐をかいたおざなり報道。しかし、未曾有の大災害が起きたとき、こんな手抜き、偽善は通じないだろう。

 マスメディアに踊らされていたら、明日は我が身。そう思ったので、ブルーシートや簡易トイレを準備した。

 

 

狛江市 想定以上の避難者で課題

今回の台風19号で、多摩川沿いに位置する東京・狛江市では、想定を超える住民が避難したため、市が急きょ臨時の避難所を開設したほか、避難所が満員になり、避難してきた住民に別の避難所に移ってもらう事態も起きました。
狛江市では台風19号の接近に伴い、住民に早めに避難してもらおうと、今月12日の午前8時すぎに自主的に避難する人たちに向けた避難所を、市の中央公民館に開設しました。 ところが、市の想定を超える200人以上が避難したため、この施設に収容できなくなり、本来は避難所として使う予定のない、市役所のロビーや議会棟などを追加で開放したということです。 その後、台風が近づいてきたため、この日の午後4時半に多摩川沿いの地区のおよそ9000世帯に避難勧告を出しました。 この結果、狛江市では開設した11の避難所におよそ4000人が避難することになりましたが、4つの避難所で施設が満員になったということです。 このうち、およそ1000人が避難した狛江第二中学校では施設が満員になったため、避難した住民に別の避難所に移ってもらう事態も起きたということです。 市は、今回の台風19号では自主的に避難した人も含め、想定を超える避難者が出たことから、民間の施設を避難先として活用することなどを含め、災害時の避難所を増やすことを検討していきたいとしています。 狛江市の総務部安心安全課の杉田篤哉課長補佐は、「多くの人が避難したのはよいことだと思うが、市の施設には限りがあるので、すべての人を受け入れられないのは大きな課題と認識している。少しでも多くの人が避難できる態勢をつくるため、商業施設を活用するなどの対策が必要になってくると思う」と話していました


植物園を散歩

2019年10月09日 12時54分54秒 | 散歩

 季節の変わり目、空の青さが目に染みる。昨晩遅く、昔お世話になった人の娘から電話があり、訃報を伝えられた。諸行無常だなんて、柄にもなく思ってしまう。

 植物園はバラが綺麗だったが、カメラの不調でいい写真が撮れず。屋内にある蓮の花はまあまあに撮れたので、こちらにUP。


「三島由紀夫と天皇」(菅孝行 著)を読む

2019年10月05日 13時05分54秒 | 

 「三島由紀夫と天皇」(菅孝行著 平凡社新書 2018年11月)を読む。

 三島由紀夫と天皇という組み合わせ、しかも’70年代に活躍した老評論家・菅孝行が書いた新刊書。思わず購入してしまった。


 
 三島由紀夫が自決した日、私はたまたま数キロ以内の大学にいた。しかも、私のクラスには三島由紀夫が組織した「盾の会」のメンバーであるI.Tという人がいた。こんな右翼が跋扈する大学なのだと、自分を惨めに思った。のちにこのI.Tさんは「果し得ていない約束~三島由紀夫が遺せしもの」(2006年)を著した。アマゾン・レビューには私も感想を記した。「今ようやく、著者と私の平行線が交差したように思える」と。

 そんなわけで当時、私にとって三島由紀夫の印象は最悪だった。時代の雰囲気もあって、右翼、軍国主義者などという月並みなレッテル貼りを認めていたからだ。三島が単純な天皇崇拝者などではないことを知ったのはかなり後になってからだ。

 何年か前、井上正也・成蹊大学法学部准教授(日本政治外交史)が注目すべき論文を発表した。それは「1971年、国連の中国代表権問題に際して、昭和天皇が佐藤栄作首相に”蒋介石を助けるように”と下命した」という内容だった。日本国憲法下で「象徴」になったはずの昭和天皇が、戦後四半世紀を過ぎてもなお、現実政治に影響を及ぼす発言をしていた。そういう重大な事実が明らかにされたのだ。マスメディアの反応は皆無だったが、私は昭和天皇という人物の正体をここに見たような気がした。菅孝行は、事実を「平然と<なかったことにする>のが、生身の天皇裕仁が天皇裕仁であることの面目に他ならない」と記すが、ぬけぬけと「蒋介石を助けよ」と言う昭和天皇という人物の核心を衝いた言葉ではある。
 昨今、戦争の記憶が遠のくにつれ、天皇あるいは皇室を再神格化しようとする勢力が息を吹き返した。いわゆるネトウヨとされる人たちだが、彼らの「天皇論」は極めて稚拙で幼稚だ。例えば、青山繁晴などは開口一番「本年は皇紀二千何百年…」などと口走ることで、ネトウヨの教組ヅラをする。三島が存命ならば、こんな連中に冷笑を浴びせたことだろう。

 三島は「英霊の聲」(1966年)の中で「などてすめろぎは人間となりたまひし」(なぜ天皇は人間となってしまわれたのか)と昭和天皇に問いかけた。菅孝行は、三島と天皇の関係性について次のように記す。

「役職上、皇室神道に精通している天皇は、三島の自刃が、単なる自刃でも、諫死でもなく、GHQに「国体」を売って戦後体制の基礎を築いた天皇は、天皇でありながら天皇ではなく、皇室神道における天皇の霊性の源泉は、天皇の肉体にもう宿ることはない、という宣告を三島に突きつけられたことを身に滲みて知ったはずである。」(p.214)

「三島は天皇に自分たちの「行動」の意図が伝わることを十二分に計算していた。だから、三島の目は皇居の天皇のほうを向いていた。三島は天皇を殺しもせず、皇居に赴きもしなかったが、自衛隊でのこの「行動」を通して、戦後体制の腐朽と、その起源となる敗戦時の天皇の「人間宣言」を責め、天皇のあるべき身の処し方に想到せしめようとした。三島の背後には特攻隊の兵士がいた。……もちろん、市ヶ谷での「事件」を知っても、そんなことをおくびにも出さないで、平然と<なかったことにする>のが、生身の天皇裕仁が天皇裕仁であることの面目に他ならないのではあろうが。」(p.212 太字は筆者)

 学徒出陣で九死に一生を得た私の親族は、生涯、戦争を語らず、靖国神社には決して行かず、市井の平凡な一員として一生を終えた。だがもし、上記の菅の言葉を知ったなら、万感の思いを込めて賛同したことだろう。

 無人爆撃機やドローン兵器が開発された今日、いかなる独裁者でも神風特攻隊のような残酷で無慈悲な命令を下す必要はなくなった。つまり、昭和天皇は特攻攻撃を命令した、人類史上唯一無二の政治指導者だったということだ。その本人が何ら戦争責任を問われなかったことが、今のような戦後日本を作り出した。
 
 YouTubeで人気のある、保守的な評論家、ジャーナリストは、天皇や皇室に関しては無条件に賛美するか、あるいは意図的にスルーしている。下手なことを言えば、商売に差し障るからだろう。でも、誰でもいいから勇気を出して、三島由紀夫が提起した「天皇論」を継承しようとしないのか。左翼の立場からは、白井聡「国体論 菊と星条旗」のような本がでているのだから…。要は、右でも左でもいい、もっと天皇制や皇室問題に真摯に対峙してもらいたい。でなければ、日本の国体は菊(天皇)から星条旗(米国)に入れ替わったままなのだ。いま我々が目にする天皇や皇室のあり様は、三島に言わせれば、偽りの姿ということになる。「戦後日本の虚妄」は、実のところすべてここから発しているのだ。
 

 



 

 

  




 


中国国慶節軍事パレード

2019年10月01日 12時20分12秒 | マスメディア

 今日は中華人民共和国成立70周年記念日。北京の天安門広場では盛大なパレードを催行中。

 ICBM(大陸間弾道ミサイル)をはじめとして、数々の最新兵器を見せつけらた。第二次世界大戦末期の混乱の中で、満を持して政権を奪取した中国共産党が、70年間権力を維持し続けて、今日に至ったという事実には、ただのオヤジの私でさえ嘆息してしまう。この70年間、最初の半分はほぼ鎖国態勢をとり、大躍進、文化大革命などの政治運動で国民を洗脳、虐殺し、今もなお少数民族居住空間を占領支配する中共(中国共産党)政権。日本人にとっては、「人民中国」の幻想が「中華帝国の再興」という悪夢に変わったと言えようか。

 今日のパレードでは、尖閣諸島を占拠することもできる戦力を誇示していた。憲法上、軍隊ではないはずの自衛隊では、とても敵う相手ではないような気がする。暢気にラグビーや東京五輪の無駄話に浮かれていいんでしょうか、と思ってしまった。

Live: Grand celebration honoring 70th anniversary of PRC's founding 庆祝中华人民共和国成立70周年