澎湖島のニガウリ日誌

Nigauri Diary in Penghoo Islands 澎湖島のニガウリを育て、その成長過程を記録します。

台湾・澎湖諸島ツーリング

2010年10月30日 13時21分38秒 | 台湾
 台湾海峡に浮かぶ澎湖諸島は、歴史的に日本と深い関わりがありながら、現在、日本人が訪れることは少ない。澎湖諸島への旅行は、今月から羽田→松山空港(台北)直行便が開設されたので、従来の成田→桃園空港(台北)路線に比べてとても便利になった。澎湖島・馬公行きの国内航空便は、松山空港からでているためで、乗り継ぎがうまくいけば、従来のように台北で一泊する必要がなくなる。

 澎湖島馬公市には、日本統治時代の建築物が数多く今も残っていて、文化財として保存されている。澎湖県庁や澎湖病院の建物は、今もなお現役で使われている。馬公名物のお菓子には、日本のパン屋さんでお馴染みの黒糖蒸しパンがあったりして、とても親近感を覚える。(これは日本人が製法を伝えたという説が有力。)
 
 主な交通機関はバイク。バスは本数が少なく、自転車ではアップダウンがきつい。馬公市は、軍事的な要衝という役割を担っているために、予想以上に道路網が立派に整備されている。
 日本の運転免許証を持参して手続きをすれば、バイクを借りることができる。バイクを借りれば、あとは自由自在に南国の島を満喫できる。


台湾の離島(澎湖諸島)ツーリング 2010

肉燥(にくそう)作りに挑戦

2010年10月29日 15時33分24秒 | 台湾
 台湾料理によく使われる肉燥(ニクソウ=台湾式挽肉ソース)作りに挑戦。
 先日、BSジャパンで放送された「Made in BS Japan」という番組で紹介されたのを見たのだが、そのときは肉燥の缶詰が売っていると聞いた。だが、入手できなかったので、材料を購入。

(金蘭醤油と紅葱油)

 金蘭醤油(右)は、SOY PASTEと書かれているように、普通の醤油(SOY SAUCE)ではなく、醤油に小麦粉、砂糖などをブレンドしたもの。ペースト状でねっとりとしている。紅葱油は、油で炒めた玉葱(たまねぎ)が入っている食用油。

 挽肉を炒めたあと、この二つを入れて、砂糖などを加えてできあがり。冷蔵庫で保存しておくと、いろいろな料理のベース味として使える。
 台湾の米粉(ビーフン)のベース味は、まさにこれ。夜市の屋台と似たような味になる。

(肉燥ソース)

 レシピは次の通り。


【材料】  豚挽肉 160~180g
       ニンニク
       紅葱油
       金蘭醤油
       胡椒
       砂糖      各適量

【作り方】 ① フライパンに火をかえk、油と豚挽肉を炒める。
       ② ニンニク2片をつぶし、みじん切りにする。
       ③ ニンニクと紅葱油(挽肉の量の三分の二くらい)を入れ炒める。
       ④ 金蘭醤油を入れ、濃いめの味付けにする。
       ⑤胡椒(ホワイトペッパー)をたっぷり入れ、水70mlを入れる。
       ⑥ 砂糖をひとつまみ入れ、さらに炒めたら完成。      
        

ビージー・アデール「いい日旅立ち」を聴く

2010年10月27日 12時31分03秒 | 音楽・映画
 一昨日、小倉智昭の番組でライブ演奏したビージー・アデール。72歳のお婆ちゃんで、演奏もジャズというより、古き良き時代のラウンジ・ピアノという印象。不景気な時代には、こういう癒し系の音楽が好まれるのか。それとも、暇なジジババがますます増殖して、昔を懐かしんでいるのだろうか。



ビージー・アデール「いい日旅立ち」

チベット族デモも拡大 中国語教育の強制に反発 

2010年10月25日 08時59分06秒 | 中国
 東京・西新宿にあるウイグル料理店「タリム」を経営するウイグル人夫妻が、先日、TVのインタビューに応えて 次のように語っていた。
 「今年から、新彊ウイグル自治区では、学校教育で普通話(=北京語)だけが教えられるようになった。これでは、ウイグルの文化が失われてしまうと心配です。」
 この夫妻の国籍は、中華人民共和国。日本に留学して、そのまま日本に滞在しているそうだが、多分、故郷であるウイグルに戻るのは難しいのではないか。

 昨日、蘭州で「反日」デモが行われ、200人の高校生が参加と伝えられた。中国各地でのデモは毎日のように報道されているが、そのすべては漢族による「反日」デモであり、少数民族地域の「反政府」デモについては、全く報道されない。

 そんななか、昨日の「産経新聞」で伝えられたのは「チベット族デモ」のニュース。チベット族に対する普通話(=北京語)の強制に対して抗議するデモだったようだ。「産経新聞」は、英国BBCの報道を下敷きにして、このニュースを伝えたが、おそらく他の新聞では報じられていないだろう。このニュースが漢族による「反日」デモに劣らず重要だと思われるのは、中共政府が少数民族の言語・文化まで収奪しようとしていることだ。新彊ウイグル、内モンゴル、チベットでも、各民族固有の言語文化が奪われ、少数民族の漢族化がいっそう進められているという事実だ。

 ここで思い起こしたいのは、「ひとつの中国」という概念は、清朝の最大版図をそのまま「中華民国」が引き継いだことから始まった、虚構の概念であることだ。英国BBCがチベット問題をきちんと報じるのは、清朝が瓦解したとき、英国がチベット独立を承認していたという歴史的経緯があるからだ。

 連日の「反日」デモに対して、一喜一憂の報道を繰り返す、日本のマスメディアは、もっと歴史に目を向けて、「中国はひとつ」という虚構から再検討すべきだろう。 
 さらに言えば、この「中国はひとつ」という虚構こそが、中華世界に住む人々に不幸と災厄をもたらしてきた元凶なのである


チベット族デモも拡大 中国語教育の強制に反発 

産経新聞 10月24日(日)21時11分配信

 【北京=川越一】反日デモが続く中国で、少数民族による政府への抗議デモも広がりをみせている。中国語による授業を義務づける教育改革に対しチベット族が反発し、青海省チベット族居住区で火がついた学生による抗議行動が首都北京にも飛び火した。民族同化をもくろむ当局のいき過ぎた教育改革が、漢族への不信感を増幅させている。

 チベット独立を支援する国際団体「自由チベット」(本部・ロンドン)によると、青海省黄南チベット族自治州同仁県で19日、民族学校の高校生ら5千人以上がデモ行進し、「民族、言語の平等」を訴えた。20日には同省海南チベット族自治州共和県で学生が街頭に繰り出し、「チベット語を使う自由」を要求。22日には、北京の中央民族大学でも学生がデモを敢行した。

 英BBCによると、24日には黄南チベット族自治州尖扎県で民族学校の生徒に教師も加勢し、総勢千人以上が教育改革の撤回を求めてデモを強行、治安部隊が出動する事態に発展した。

 発端は9月下旬、青海省が省内の民族学校に、チベット語と英語以外の全教科で中国語(標準語)による授業を行うよう通達したことだった。教科書も中国語で表記する徹底ぶりで、小学校も対象という。

 当局の中国語教育の強化の背景には、中国語が話せないため職に就けないチベット族が少なくないという現状がある。就職難はチベット族と漢族の格差をさらに広げ、それがチベット族の当局に対する不満につながっているのも事実だ。

 しかし、2008年3月、チベット自治区ラサで発生したチベット仏教の僧侶らによる大規模騒乱が示すように、中央政府のチベット政策に対するチベット族の不満、漢族に向けられる嫌悪感は根強い。

 今回の教育改革も、チベット族学生の目には「漢族文化の押しつけ」「民族同化の強要」と映っているようだ。「自由チベット」は中国当局がチベット語の“抹殺”を図っていると主張している。

 同省共産党委員会の強衛書記は21日、黄南チベット族自治州で学生代表と座談会を開き、「学生たちの願いは十分尊重する」と約束した。中国当局が反日デモ同様、教育改革に対するチベット族の抗議デモが、体制批判に転じることについて懸念している状況をうかがわせる。


ビビアン・スーの悔し涙

2010年10月24日 19時15分41秒 | 台湾

 
 昨日の「第23回東京国際音楽祭」でビビアン・スーが大粒の悔し涙を流したという。その理由は、例のごとく中国の横暴。中国は、台湾に対し「中国台北 Chinese Taipei」という名称で参加するよう強要。台湾側はこれを拒否して退場という事態になった。

 ビビアン・スーは、台湾原住民・タイヤル族の出身。原住民の中で「台湾は中国の一部」と思っている人は、ほぼ皆無だろう。「台湾は台湾人のもの」と思っているはずだ。
 その涙がここに現れている。

 
 

昨夜のグリーンカーペット欠席にビビアン・スーが大粒の悔し涙

ぴあ映画生活 10月24日(日)16時12分配信

昨夜のグリーンカーペット欠席にビビアン・スーが大粒の悔し涙
拡大写真
特集「台湾電影ルネッサンス2010」のオープニングセレモニーに登壇したビビアン・スー
開催中の「第23回東京国際映画祭」の特集「台湾電影ルネッサンス2010」のオープニングセレモニーが24日に東京のTOHOシネマズ六本木ヒルズで行われ、登壇した女優のビビアン・スーが昨日の映画祭開会式のグリーンカーペットに出席できなかったことに悔し涙を流した。

オープニングセレモニーの写真

「台湾電影ルネッサンス2010」は、近年変化を遂げつつある台湾映画の“現在”を伝えるべく行われるイベント。台湾で今年度最大のヒットを記録した『モンガに散る』や、世界的な撮影監督リー・ピンビン氏のドキュメンタリー作など6作品を上映する。

セレモニーには『モンガ…』のキャスト・スタッフと、『ジュリエット』に出演したビビアンとプロデューサーのリー・ガン氏、『ズーム・ハンティング』に出演したチャン・チュンニンが登壇。ガン氏が、台湾勢が出席予定だったグリーンカーペットへの出席を直前にキャンセルされたことについて「昨日はとても残念でした。ビビアンも一生懸命にお化粧してキレイにして待ってたんですけど、婚礼に参加できなかったみたいでとても残念です」と語ると、ビビアンの目には大粒の涙が。ガン氏はさらに「映画はみんなが努力をかたむけてつくる作品で、映画祭はそのパーティですが、それが映画と関係ないことで台無しになるのは残念です。政治の問題を解決するのは私たち映画人の仕事ではありません。映画に関していいますと、中国も台湾もとっくにひとつになっています。同じ言葉を喋り、一緒に映画を撮っています。大事なのは“映画・中国”というひとつの国だと思います」と語り、集まった台湾映画ファンから大きな拍手を受けた。

ガン氏がスピーチしている間に流れる涙を何とかおさえてマイクを持ったビビアンは「昨日のことは解決できないですね。私たちがどんなにがんばってもどうにもならない」と悔しさを見せるも「昨日、イーサン(・ルアン)はキライなネクタイをずっとガマンしてしてて、なのに18時にキャンセルと聞いて、彼が『これキツいわー!』とネクタイを外したときの素顔が可愛くて、自分の携帯で写真を撮りました。明日からどんどん自分のブログにアップします! 私も昨日、すごくキレイだったんですよ」と笑顔を見せ、「実は『モンガ…』もチュンニンの映画も観たのに、自分の映画はまだ観てないんです。映画祭での上映を楽しみにしています。私は脳性まひの女性の役をやりました。大きな挑戦でしたが、がんばりましたので映画を好きになってくれるといいな。台湾の映画を応援してください」と作品をPRした。



【嫌らしく狭量な国】東京国際映画祭・中国が台湾代表団に圧力


「台湾の声」(2010.10,24)より転載

10月23日に開幕した第23回東京国際映画祭(10/23~10/31)のオープニングセ
レモニーで中国代表団が台湾代表団に「台湾/Taiwan」を「中国台北/Chinese Taipei」
の名義に変更するよう圧力をかけ、台湾映画『ジュリエット』の主演女優である
ビビアン・スーなどを含む台湾代表団が六本木ヒルズ会場の「グリーンカーペット」
を辞退する事態となった。

日本のインターネット上でも「シネマトゥデイ」は23日夜に「なぜ?ビビアン
・スーが急きょ欠席!!」と速報したが、「当初カーペットへの登場が予定されて
いたビビアン・スーが、急きょ出席を取りやめた」と報じただけでその欠席理由
は把握していなかったようだ。

台湾のTVBSの報道によると、中国側の団長である江平が台湾側に「両岸の中国
映画」として台湾映画を「中国映画」の一部と受け入れるよう求め、「台湾」を
「中国台北/Chinese Taipei」に変更するよう迫り、これに対して台湾側団長の
陳志寛・行政院新聞局映画処長は「文化事業を政治とからめるのか?
彼ら(中国側)は『オリンピックモデル』で『Chinese Taipei』とするよう要求
したが、これは映画祭でありオリンピックと関係ない」として中国側の強引な要求
を拒否したとのこと。

東京国際映画祭では「アジアの風」部門で「台湾電影ルネッサンス2010~美麗
新世代」として、台湾映画6作品(『モンガに散る』『ジュリエット』『台北カ
フェ・ストーリー』『4枚目の似顔絵』『ズーム・ハンティング』『風に吹かれ
て~キャメラマン李屏賓(リー・ピンビン)の肖像』)を上映する。

東京国際映画祭で上映される台湾映画を応援しよう!


ビビアン・スーを泣かせた傍若無人―東京国際映画祭で中国勢が政治騒動


【台湾の声】(2010.10.26)より    永山英樹


ブログでは関連写真も↓
http://mamoretaiwan.blog100.fc2.com/blog-entry-1327.html

■尖閣問題でチャン・ツィイーが来日中止?  

今年も東京国際映画祭が十月二十三日に開幕した。華やかな国際イベントではあるが、これを巡って早くも中国絡みの暗い話題も出始めている。

映画祭での「中国映画週間」に参加予定の中国の大スター、チャン・ツィイーやトニー・レオンなどが突然訪日を中止した、と香港メディアや新華社が報じている。理由は「日中関係の緊張や映画ファンのネットでの抗議」だとか。

つまり尖閣問題を受けてのボイコットだというのだが、そもそもこの二人に来日の予定があったのかどうか、つまり事実の報道なのかどうかはよくわからない。

だがいずれにせよ、中国がこの映画祭を政治工作の舞台にしていることはたしかなようだ。

■グリーンカーペットに現れなかったビビアン・スー

「中国映画週間」のキャスト、スタッフは実際には、来日している。ところが映画祭の初日を飾るグリーンカーペットには姿を見せなかった。「移動の遅れ」のためだという。突然連絡も取れなくなったのだとか。

ではこれも日本に対する抗議行動の一環かといえば、そうでもないらしい。こちらは尖閣よりも大きな台湾への侵略のための行動のようだ。

今年の目玉企画の一つに「台湾電影ルネッサンス2010~美麗新世代」がある。ビビアン・スー主演の「ジュリエット」など、台湾の優れた作品六本を紹介するもので、台湾の行政院新聞局なども後押している。

そこでグリーンカーペットには、日本でもおなじみのビビアン・スーや、女性の間で人気急上昇のイーサン・ルアンなど、台湾のキャスト、スタッフも歩く予定だったのだが、こちらもやはり突然登場を取り止め、待ち構えていたファンを落胆させた。

■「中国台北」を名乗れー中国の要求と台湾の抵抗

日本のメディアは「ビビアンはなぜ姿を見せなかったのか」と首を傾げたが、実は開幕直前に中国代表団から妨害圧力があったのだ。それは台湾代表団の名称に「中国」の二文字を付けろとの要求だった。

つまり「台湾」ではなく、「チャイニーズタイペイ」を名乗れというわけだ。しかも漢字表記では「中国台北」。これは「中華人民共和国の台北」という意味だ。

台湾側のリーダーである陳志!)・新聞局電影事業処長は抵抗した。

映画祭の主催者や中国代表団団長を努める江平・中国電影集団公司副総裁らの前で、「このような要求は受け入れられない」と拒否したのだが、江平氏も「これは主権問題。絶対に譲れない」とし、レセプションばかりか映画祭自体のボイコットまで仄めかした。

そうしている間にオープニングカーペットは終了してしまった。

台湾のキャスト、スタッフは、悔しい表情を見せていたそうだ。これまでになく大人数で乗り込みながらも、晴れの舞台から突然引き摺り下ろされた格好だからだ。

■東京で傍若無人の振る舞いに出た中国側の自信

なお、台湾側の引率リーダーは当初、閣僚である江啓臣・行政院新聞局長が務める予定だった。だが来日は取りやめたようだ。もしや中国の妨害を察知し、それに自ら巻き込まれることで問題を拡大するのを避けようとしたのだろうか。

この日の晩、中国の国務院台湾事務弁公室(国台弁)のスポークスマンは、この騒動に関して「事情は知らない」と述べた。だがその国台弁の王毅主任(元駐日大使)は二十二日、訪問先の米国で「台湾が国際機構に参加するのなら、必ず北京を通して行わなければならない」と発言している。

つまり「台湾は国家ではなく中国の一地方に過ぎない」との主張を、台湾ばかりか世界各国にまで受け入れさせようとしているのだが、それほどこの覇権主義国家には、台湾併呑に自信があるのだろう。

だから東京でも、傍若無人の振る舞いに出た。日本人などにもはや中国を批判する力もないと思っていたのだろう。

■中国代表団のボイコットは「敗退」ではない

「台湾」の名称を取り下げろと、映画祭主催者に対して二時間も交渉した江平氏だが、結局要求が受け入れられないと知るや、次のように映画祭ボイコット宣言を行った。

―――世界には唯一つの中国しかなく、台湾は中国の不可分な部分だ。ところが東京映画祭の主催者は我々を中国と台湾とに分けて紹介した。我々はこれに抗議する。

―――「中国大陸から来た」「中国台湾から来た」と紹介するように要求したが、「台湾」の前に「中国」と着けようとしなかった。この問題を理解していないのか。それとも「一つの中国、一つの台湾」を承認しているのか。

―――この映画祭から退出し、関連の活動には参加せざるを得ない。

しかし、こうした結末を迎えたからといって、中国が「敗退」したなどと思ってはならない。今回中国は各地の国際映画祭関係者を含む世界の文化界に対し、台湾問題に関してはトラブルをも辞さない自分たちの強固な意志を、はっきりと見せ付けることに成功しているではないか。

■台湾へ向けられる矛先は日本にも向いている

翌二十四日、ビビアン・スーは「台湾電影ルネッサンス2010-美麗新世代」の舞台挨拶で「昨日参加できなかったのは残念。映画祭が映画と関係ないことで台無しになるのは残念。たしかに政治の問題は映画より大きいものがある」と語り、涙を流した。

今回の一件を、決して台湾と中国との「喧嘩」などと思わないように。そうなればすべてがあの国の思う壺である。

問題はあくまでも、中国側の一方的な膨張政策にあるのだ。あの国は尖閣や東支那海とともに、台湾をも制圧しようとし、ここまで露骨な攻撃を、台湾に加えているのである。そしてもちろんその矛先が、日本へも向けられつつある予感は、現在の尖閣問題を通じて広く抱かれているところだ。

「政治の問題」には無関心でも、「映画」には関心のある日本国民は、ビビアン・スーらが、なぜここまで不条理な仕打ちを受けなければならないのかを、先ずは考えてみたらどうだろうか

「反日」中国と対峙しない民主党政権

2010年10月19日 20時39分52秒 | 中国
 午前中、大学の授業を聴きに行く。担当教授は、中国近現代史の専門家で、特に義和団事件に係る業績が多い。その教授が今日、中国で荒れ狂う「反日」デモについて、次のように話された。

「近い将来、中国は3~4隻の空母を保有する。中国のネットを見ていると、そのとき、中国は琉球群島を領有するために軍事行動に出て、米国・日本と一戦を交えるべきだという意見がおおっぴらに語られている。これから中国はあらゆる面でますます強圧的な態度に出てくることは間違いない。特に軍部の中には、琉球(沖縄)を占領することによって、日清戦争以来の屈辱の歴史を晴らしたいという願望がある。中国人にとっては、日本は憎むべき相手でしかない。そういう面倒な相手であるから、覚悟して付き合わなければならない。」

(尖閣諸島が中国領土だと主張…)

 中国が領有を狙っているのは、尖閣諸島だけではない。かつて琉球王国が清朝と日本に「両属」していたという歴史を根拠にして、琉球(沖縄)さえも中国の領土だと主張しているのだ。試しにネットで「回収琉球」と検索すると、そのような主張が際限なく出てくる。こんな感じだ。
http://search.cn.yahoo.com/search?v=web&ei=gbk&searchFlag=&fr=fp-tab-web-ycn&pid=ysearch&source=yahoo_yhp_0706_search_button&p=%BB%D8%85%A7%C1%F0%C7%F2

 昨日から、特にテレビ朝日とNHKは、中国の「反日デモ」を憂慮する素振りを見せながら、事態の沈静化を日本側の自制に求めるような報道をするようになった。これは「日本の一部の誤った考えが、中国の反日デモを引き起こした」という中国政府報道官の発言をなぞったものだ。要するに、日本側で「右翼」がデモ行進したのがよくないので、中国を怒らせるようなことはやめよう、ということだろう。温家宝は「領土問題は一寸たりとも引けない」と断言したのに対し、何と弱腰の「媚中」メディアなのだろうか。

 菅直人は○○のひとつ覚えのように、「戦略的互恵関係」に基づいて両国の関係を発展させていくと繰り返している。だが、教授が指摘するように、本質的に「反日」の中国人と仲良くやっていくことなど、実はほとんど不可能なことなのだ。にもかかわらず、民主党政権は、脅威を増しつつある「反日中国」を直視せず、問題を先送りするばかりだ。昨日、仙石由人は「日本はずっと前から中国の属国化している」というふざけた発言をした。愛国心のかけらも持たない人が、官房長官になるのだから、日本国の前途はお先真っ暗だ。 


メディアが報道しない5800人の市民デモ 尖閣諸島事件

2010年10月16日 18時49分40秒 | 社会

 いま、NHKの7時のニュースが「中国で大規模デモ 尖閣諸島事件で」というニュースをトップで伝えた。成都、西安、鄭州で反日デモが起きて、成都のイトウヨーカ堂では、ガラスが割られ、日本製品の不買運動が呼びかけられたという。

 NHKは、中国における「反日」デモをトップニュースで報道しながら、まさに同じ日に東京で行われた5,800人(主催者発表)の尖閣諸島事件抗議デモについては、全く報道しないこのデモは、市民グループの呼びかけで整然と行われたもので、中国における「反日」デモのような違法性は全くない。先日、同じ趣旨で行われたデモは、2,600人を集めた。だが、このデモの様子を報道したのは、何と米国のCNNだけだった。日本のTV各局は、このデモを一切無視したのだ。

 私の知人は、このデモに参加して、携帯電話で順次映像を伝えてくれた。多数の市民が整然とデモに参加し、中国に抗議している模様が伝わってくる。次の映像だ。




 本日のデモは、中国漁船による無法な領海侵犯事件に抗議して、六本木や東京の中国大使館周辺で整然と行われた。にもかかわらず、メディアは、このデモを報道せず、中国の「反日」デモだけを報道した。いったいこれは、何なのだろうか、日本のマスメディアは誰のために存在するのだろうかという根本的な疑問を感じざるを得ない。

 特に問題なのは、NHKの報道姿勢だ。東京の「反中国」デモを報道しない根拠とは何なのか。NHKは、北京の日本大使館の前で、わずか十数人の中国人が抗議行動を行った映像を詳細に報道した。東京のデモを報道しない理由が、全く分からない。
 まさかと思うが、東京のデモは日の丸を掲げていたので、日の丸=右翼のデモという独断で報道しなかったというのか。

 このデモに参加した知人は、次のように状況を伝えてくれた。NHKなどのマスメディアは、中国の影に怯えて、この市民デモを報道することさえ躊躇している。「中国には報道の自由がない」などと言っている場合なのだろうか。自ら「報道の自由」を規制しているのは誰なのだろうか?

《追記》

 中国の「反日」デモは、何と日本のデモに反発した行動だという。「 東京で同日行われた集会「中国大使館包囲! 尖閣侵略糾弾! 国民大行動」に反発した行動とみられる。」(下記の新華社電参照)
 そうであれば、メディアには、なおいっそう東京のデモの実態について、報道する責任があるのではないか。共産党独裁の中国では、「反日」デモでさえ当局によって組織されたことが想像できる。これに対する日本政府の無能無策は、どんなに非難されても仕方がない。 
  

 
 
 【デモの様子を伝えた知人の”つぶやき”】


これから中国大使館へ向かう人で、大渋滞。日の丸は可能。一列縦隊で。どの位囲めるのだろう。夜だと大使館側から写真を一人一人撮られても分からないだろう。(1時間前) Twitterから

  • 尖閣デモ・イン六本木。第8提団まで、続々集結。また報道されないのだろうか? 国会議員も現職は0。普通の起こった日本人が5800人も集まったのに。これから少人数が中国大使館へ、とのこと。(1時間前) Twitterから

    5人づつでは朝に成ってしまう。終わった人は右に曲がらず、左に曲がってアラブイスラム学院の方に行かないと包囲に成らない!(1時間前)

  •  尖閣デモin 六本木5800 人なう! twitpic(1時間前) Twitterから

    • それは凄い!(23分前)

  • 中国大使館はスルー。無理か? twitpic(1時間前) Twitterから

  • これから中国大使館へ。大渋滞! http://plixi.com/p/50946503(2時間前) Twitterから
    • 頑張り屋の地方議員の皆さんなう twitpic(3時間前) Twitterから
  • 世論が変われば政治がかわる! twitpic(3時間前) Twitterから

    • イイネ!
    • 目を醒まさなければいけない! twitpic(3時間前) Twitterから
    • アジアの安全の為に手を結ぼう! twitpic(3時間前) Twitterから
    • 不道徳、嘘つき内閣。子供も不安 twitpic(4時間前) Twitterから
  • クライン孝子なう!2500 人位集る twitpic(4時間前) Twitterから

    • また報道されないのだろうか? twitpic(4時間前) Twitterから


      中国各地で反日デモ=尖閣領有めぐり、東京集会に反発

      時事通信 10月16日(土)17時46分配信

       【北京時事】尖閣諸島(中国名・釣魚島)の領有権をめぐり、中国四川省成都市、陝西省西安市、河南省鄭州市で16日、大規模な反日デモが起きた。新華社電が伝えた。東京で同日行われた集会「中国大使館包囲! 尖閣侵略糾弾! 国民大行動」に反発した行動とみられる。
       9月7日に尖閣諸島沖で中国漁船と海上保安庁の巡視船が衝突する事件が起きた後、中国で反日デモが確認されたのは満州事変の発端となった柳条湖事件から79年となった同月18日以来。
       重慶の日本総領事館によると、成都市では午後2時(日本時間同3時)ごろから数百人が「釣魚島を守れ」「日本製品ボイコット」などと書かれた横断幕を掲げてデモ行進。中山広場には1万人が集まり、イトーヨーカ堂などの店舗のガラスが割られたという。同総領事館では「けが人の報告は聞いていない。日系企業から情報を集めている」としている。 


  • 団塊の世代が死滅する日

    2010年10月13日 08時48分14秒 | 社会

     尖閣諸島で漁船衝突事件がおきて、菅直人首相、仙石官房長官は「日本は三権分立の法治国家である」「検察の判断を了とする」「国内法で粛々と対処する」などと見得を切ったものの、結局、中国に威圧され、中国人船長の釈放を受け入れてしまった。
     菅も仙石も「全共闘世代」で、「団塊の世代」(1947-49年生まれ)のすぐ上の年齢の世代だ。自己主張が強く、反体制志向が著しかった世代だが、権力を握ったとたんにその脆弱な精神力を露呈するという傾向が顕著だ。「公」を喪失した戦後民主主義が生み出した鬼っ子、これが団塊の世代に他ならない。

     この団塊の世代が75歳になるとき、すなわち2025年頃の日本社会はどうなってしまうのかを考えてみる。普通の常識で考えれば、日本は超高齢社会になり、、夢も未来もない、停滞した状況になる。
     
     このとき、日本的な伝統社会はとっくの昔に崩壊し、地域社会での相互扶助も失われている。75歳を超えた団塊の世代は、消費意欲も喪失し、ただただ日々の安寧を願うだけとなる。これまでの未来予測は、日本社会が人口減少によって次第に縮小していくと考えていたが、団塊の世代の存在を考えると、彼らがいなくなれば、日本社会は一気に縮小し、あらゆる局面で社会の崩壊現象が起きるのではないか。
     
     ネット上では、「団塊の世代がいなくなれば日本はよくなる」という趣旨の書き込みも多い。確かに、この鬱陶しい世代がいなくなれば、一時の青空は眺められるかもしれない。だが、二度と日本に高度経済成長は起こりえないし、現在のような経済大国という地位からも滑り落ちているだろう。日本は、アジアの片隅にある、中国の属国と化した「三等国」となっている可能性が高い。

     そのとき、自国の没落を止めようと真っ当なナショナリズムが噴出したとしても、人口が極端に減少した結果、軍備の強化などはままならない。現在の「団塊の世代」政権が、すべてを先送りしたツケがここにも現れるに違いない。

     あと15年…それほど遠くもない未来だ。このとき、団塊の世代が遺した痕跡がリセットされ、新たな真冬に夜明けが始まる。この世代でそれを見届けることができるのはどれだけいるのだろうか。



    総人口の3人に1人が75歳以上の高齢者に


     では、「目前に迫る氷山」である超高齢化社会とは、どのような社会なのか。
     まず第一に指摘しなくてはならないことは、今後、日本が直面する超高齢化社会とは、単純に65歳以上の老年人口が増加するだけではなく、75歳以上の高齢者の比率が急激かつ大幅に高まるという点である。一般的に65歳から74歳までは前期高齢者、75歳以上は後期高齢者と区分されるが、この後期高齢者の人口(後期老年人口)が、老年人口全体に占める割合(老年人口の高齢化水準)は、2000年では約40%で、90年代を通じてこの比率はほとんど変わらなかった。しかし今後、この比率は、急上昇するのである。
     日本医師会の委託を受けて、将来人口推計を算出した日本大学人口問題研究所によれば、老年人口の高齢化水準は、2015年には46・63%、2025年には59・61%となる。大手企業の委託で独自の人口推計を行っているコンサルティング企業・アトラクターズ・ラボ(以下、アト・ラボと略す)の推計値でも、2025年時点では60・12%と、ほぼ同じ結果が出ている。つまり2025年には、総人口の3割を老年人口が占め、その内の約6割が75五歳以上のお年寄りとなるのだ。この比率は、国際的にみても突出した高さである。2025年時点で、老年人口の高齢化水準が50%を超えるのは、日本以外ではスウェーデンだけで、51・86%(国連人口部2000年度世界人口推計。以下同じ)。3位がイタリアで49・9%、以下、主要先進国の大半は、40%台にとどまる。比率が低いのはやはりアメリカで、41・95%でしかない。
     ちなみに日大人口研は、2025年までの人口推計しか発表していないが、アト・ラボは長期にわたる人口推計を算出している。それによると、総人口に占める後期老年人口の比率は、2000年時点は約7%だが、2028年には20%台に達し、2076年には30%台に到達するという。国民の3人に1人が、75歳以上の後期高齢者となるわけである。
     奇妙なことに、国立社会保障・人口問題研(社人研)は、今年1月に発表した新人口推計の中で、この後期老年人口ついての詳細なデータを公表していない。グラフの中には後期老年人口の推移の曲線が書き込まれているのに(図(2)参照)、統計数値は、発表していないのである。不可解な話である。グラフとして作図しているのであるから、元になるデータがないはずはない。政府刊行物の中に、後期高齢者の増加について記述がみられるのは『平成14年版高齢社会白書』だが、該当箇所はわずか数行である。
      「高齢者人口のうち、前期高齢者人口は平成27(2015)年をピークにその後は減少に転ずる一方、後期高齢者人口は増加を続け、32(2020)年には前期高齢者を上回ると見込まれており、高齢者数が増加する中で後期高齢者の占める割合は、一層大きなものになる」
      たった、これだけである。事の重大さに見合う質も量もない。また、この『高齢社会白書』は、前期高齢者だけを対象にして「活動的な高齢者」という一節を設け、14頁にもわたって「子供からの自立」「ゆとりある経済状況」「良好な健康状態」「高い就業希望」「高い社会参加意欲」等々と、ポジティブな側面を強調しているが、遠くない将来、前期高齢者を数で上回る後期高齢者については、まったくフォーカスをあてていない。政府は超高齢化の現実という「氷山」からわざと目をそらしている、と言わざるをえない。







    何を寝とぼけたことを…

    2010年10月11日 21時12分49秒 | 社会
     今朝、たまたまNHK・TVで大江健三郎のインタビュー(再放送)を見る。黒田あゆみが大江の「思想」を聴いていたのだが、ふと思い出した言葉がある。それは、10月6日衆議院の代表質問で稲田朋美議員(自民党)が、鳩山前首相の「友愛の海」を評して発言した「何を寝とぼけたことを」というひと言。尖閣事件のこともあるので、まさに至言。このフレーズが頭に残ってしまった。

     大江健三郎は、日本人を全く信用していないらしい。正確に言うと、一般の日本人(大衆?)を見下し、信用できないと思っている。「再び、同じ道(=戦争への道)を走る危険がある」と何度も繰り返していたが、その一方でエリートの内輪話も始めた。戦時中、東京帝国大学では空襲に備えて、教職員の宿直当番があった。文学部仏文科の渡辺一夫教授が泊まる日は、すでに医学部を卒業し医師になっていた加藤周一がやってきて、文学や社会の話に没頭したという。彼らは、この戦争が勝てるはずもないと、フランス語で話し合ったという。このエピソードを聴いて、黒田アナは「当局に知られないためですか?」とすかさず訊く。咄嗟に私が思ったのは、大江の後輩であるはずの黒田アナの無知さ加減だった。黒田は、誰かが「当局」に密告するとでも思って訊いたのだが、大江はそんなことを言っているのではなかった。「そこにいた私たち知識人は、無知無学で愚かな大衆とは違うのだ」という自慢話なのだ。いかなる修辞を使っても、このエリート意識・大衆蔑視は、隠しおおせるものではない。

     日本人が軍国主義に走りやすい民族だという「危険性」を外国人に伝えて、ノーベル賞まで手中にした大江。軽井沢の別荘で、東大、岩波書店系の知識人と談笑する姿が、目に見えるようだ。だが、談笑する内容は、多分「何を寝とぼけたこと」をだ。
     高学歴社会になった日本人は、大江について勘違いしていることがある。大江の言説を支持する読者を、大江自身は、実は愚かな大衆として軽蔑、見下しているのだということを…。 

    大阪地検特捜部の「組織防衛」

    2010年10月11日 20時03分11秒 | 政治

     大阪地検特捜部の元部長、副部長が逮捕された事件は、サラリーマンにとって決して他人事ではない。
     検察のエースと呼ばれた前田・主任検事を部下に持った二人は、この子飼いの部下の事件によって逮捕され、人生を棒に振ってしまった。もし、優秀で仕事の成果も著しい部下がいたら、FD1枚のことだと思えば、われわれでもその部下を庇うだろう。

     村木厚子局長の逮捕は、自民党政権下の出来事。このとき、大阪地検は石井一代議士をターゲットにして、民主党つぶしを図っていたのだ。政権が変わった今、大阪地検内部からは意図的なリーク情報が流され、今日の元部長等の逮捕に到ったのだと思われる。

     逮捕された二人にとっては、「何で俺たちが…」という思いだろう。前田主任検事がFD1枚を改竄したおかげで、地位も名誉も退職金も棒に振ったことになる。二人は、調書への押印を拒否し、検察当局と徹底して戦う方針だという。この二人が「組織の犠牲になった」と本心で思っているのなら、私は大いに戦ってほしいと思っている。

     部下の不祥事と上司の管理責任、これは当然のことのように思われるが、マスメディアに採り上げられないケースでは、組織内で適当に隠蔽し、処理されてきた。世間に知られなければ、仲間内で処理、知られてしまえば、トカゲの尻尾切りということか。組織防衛という名目のもと、弱者は切り捨てられ、正直者は馬鹿を見る。
     宮仕えはどこでも辛いものだ。


    証拠改ざん 「逮捕してください」前部長、覚悟の否認

    毎日新聞 10月11日(月)2時30分配信

    証拠改ざん 「逮捕してください」前部長、覚悟の否認
    拡大写真
    家宅捜索を終えて大坪弘道前部長の自宅マンションを出る検察の係官ら=大阪府吹田市で2010年10月2日午前10時12分、宮間俊樹撮影
     検察への信頼を根底から失墜させた、郵便不正事件に絡む証拠改ざんと隠ぺい事件。最高検は11日、大阪地検特捜部主任検事、前田恒彦容疑者(43)を証拠隠滅罪で起訴し、犯人隠避容疑で逮捕した前特捜部長の大坪弘道(57)、前副部長の佐賀元明(49)両容疑者の拘置延長を請求する。「検察崩壊」の危機に直面した時、内部で何が起きていたのか。水面下の動きを追った。

     「どうするつもりなんだ」

     10月1日午前、大阪・中之島の大阪高検庁舎内で、吉田統宏・最高検公判部長(57)が大坪前部長を問いつめた。容疑を認めれば逮捕見送りの可能性があることを知りつつ、前部長は言い放った。

     「徹底的に闘う。逮捕してください」

     断続的に行われていた聴取は、6日目になっていた。「刑事責任を認めて謝罪すれば在宅起訴も検討する」。それが検察上層部の方針だった。前部長らに考える時間をもう一度だけ与え、逮捕回避を模索した。

     だが、大坪前部長は闘う姿勢を鮮明にした。佐賀前副部長も否認を貫く姿勢を示し、下着を詰めたバッグを持って出頭してきた。

     「逮捕するしかありません」。午前中の聴取が終わると、大阪に派遣されていた最高検の捜査チームは2人の供述内容を東京・霞が関の検察トップに伝えた。

     大林宏検事総長(63)や伊藤鉄男次長検事(62)らによる協議を経て、逮捕の方針が決まったのは、午後1時半だった。

     ◇「尋常ではない」

     特捜部の検事が証拠品のフロッピーディスク(FD)に保存されたデータを改ざんした--。

     衝撃的な情報が最高検に伝わったのは9月20日夕だった。休日出勤していた最高検刑事部の八木宏幸検事(54)が、一報を伝える大阪高検の榊原一夫刑事部長(52)からの電話を受けた。

     「尋常ではない事態だ」。八木検事が池上政幸刑事部長(59)に報告すると、情報はその日のうちに伊藤次長検事を経由して大林総長に伝わった。

     郵便不正事件で検察側は、厚生労働省の村木厚子元局長(54)=無罪確定=が「04年6月上旬」に元同省係長、上村(かみむら)勉被告(41)=公判中=に偽証明書の発行を指示したとの構図を描いていた。

     FDに保存された偽証明書の最終更新日時は、特殊なソフトを使って「04年6月1日未明」から「04年6月8日」に書き換えられていた。1日未明は検察側が描いた構図と矛盾するが、8日ならぴたりと当てはまる。多くの検察幹部が意図的な改ざんと直感した。

     翌21日。「すぐ大阪へ行け」。午前9時半から約1時間の会議で最高検が捜査に乗り出す方針が決まり、刑事部の長谷川充弘検事(56)が現地に派遣されることになった。

     「ブツ(物証)さえ手に入れば事件になる」。FDを保管している上村被告の弁護人に連絡を取るよう指示が出た。

     長谷川検事が主任となった7人の検事による捜査チームは、FDのコピーの任意提出を受ける一方、ソフトに詳しい専門家から意見を聞き、その日の夜に前田検事の逮捕に踏み切った。

     直後から、今年1月末に地検内で改ざん疑惑が表面化していた事実が明らかになっていく。

     前田検事の同僚たちは「部長や副部長は意図的な改ざんと知りながら調査や公表を制止した」と聴取に証言した。前部長らの刑事責任を見極めるカギを握っていたのは、前田検事の供述だった。

     検察庁が容疑者の供述内容を公式に明らかにすることはほとんどない。24日、「容疑を認める」と一部で報じられると、幹部の一人は「誤報だ」と明言し、事態の鎮静を図った。しかし、実際には前田検事は逮捕当日から容疑を大筋で認め始めていた。

     大坪前部長らの立件を視野にいれながら、長谷川検事のチームはひそかに捜査を本格化させていった。

     ◇「おれを切り捨てるつもりだ」

     東京地検特捜部のOBでもある最高検の吉田統宏・公判部長が、大坪弘道・大阪地検前部長から初めて任意で事情を聴いたのは、前田恒彦検事の逮捕から2日後の9月23日だった。

     「吉田さんは何を聞きたいのかさっぱりわからん。『正直に言えよ』って聞くか、黙っているだけだ」。聴取は24日も続いたが、大坪前部長は親しい知人に余裕すら見せていた。「あんなんが特捜の調べか」

     だが、26日に聴取が再開したころから、様子が変わり始める。「認めないと逮捕になるぞ」。吉田部長の追及は厳しさを増していった。「最高検はおれを切り捨てるつもりみたいだ。信じられん」。前部長は知人に電話をかけ、怒りに満ちた声で最高検を批判した。

     聴取は27、28日も続いた。特捜部長経験者を逮捕すれば大林宏検事総長の進退問題に発展することは必至。一部の法務省幹部からは組織防衛のために強行策を回避するよう求める声があがった。

     ◇「罰金で」の声も

     「本当に逮捕する必要があるのか」。検察内部にも消極的な意見があった。念頭にあったのは、99年に発覚した神奈川県警捜査員による覚せい剤使用の隠ぺい事件。犯人隠避容疑を認めた元県警本部長の逮捕が見送られ、在宅起訴で有罪が確定した。

     「罪を認めて辞めれば、罰金で済ませられないか」。検察首脳からはそんな声も漏れたが「身内に甘い」と批判されるのは明白だった。30日、疑惑が表面化した際に前田検事が大坪前部長らの指示で作成し、パソコンから削除したとされる「上申書案」のデータが復元されたとの報告が検察首脳に上がった。選択肢は「逮捕か在宅起訴か」に絞られた。

     1日午後9時47分。再開された聴取で徹底抗戦を宣言した大坪前部長に逮捕状が執行された。佐賀元明前副部長が逮捕されたのはその1分前。前田検事による改ざんを故意だと認識しながら、過失として説明するよう指示したという容疑だった。

     刑事責任の追及に懐疑的だった検察関係者はつぶやいた。「どちらに転んでも批判されるなら、進むのも一つの判断かもしれない」

     だが、前部長らによる「隠ぺい」を認める供述をした前田検事の同僚の中には、昨年7月に改ざんを打ち明けられながら、その事実を上司に報告しなかった疑いが持たれている検事もいる。

     「保身のために『最高検のストーリー』に迎合した」。こんな疑念の声は少なくない。「自ら描いた構図に合うように証拠品を改ざんした前田検事の供述を信用できるのか」。検察内部にすら、前部長らの無罪の可能性を指摘する声がある。

     「過失だと思っていたんだから、過失で処理するのは当たり前だ」。大坪前部長の弁護人は強調した。「改ざんだと知っていたら、上司に報告しないわけがない」。前部長の意思は「否認を貫くことで確定している」という。東京特捜OBが名を連ねる最高検の捜査チームと大坪前部長らの攻防は、なお続く。


    稲田朋美議員の演説は素晴らしかった

    2010年10月10日 22時12分29秒 | 政治
     このブログを「ネット右翼」だと中傷する人がいるが、とんでもない話だ。

     だが、稲田朋美議員(自由民主党)が10月6日に行った衆議院代表質問をあえて賞賛したい。たまたま、リアルタイムでTV中継を見る機会があり、彼女の気概と迫力に圧倒された。
     菅直人首相は、たじたじという印象。「私も厳しい言葉を使ったが、これほどまでに(稲田議員ほどには)汚い言葉を使ったことはない」「(稲田議員は私に)原稿を読むのではなく、自分の言葉で答弁しろと言うが、稲田議員も原稿を読んでいるではないか。人に要求するのなら、自分から率先したらどうか」※など、一国の総理とは思えない感情的な言葉が飛び出した。

    ※ http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20101007-00000536-san-pol 

     稲田朋美議員の追及は確かに厳しい言葉遣いだったが、嘘と言い逃ればかりの菅直人の答弁とは大違いだ。確かに誰かが名付けたように、下野して崩壊の道を辿る自民党の「ジャンヌ・ダルク」かも知れない。




    稲田朋美 主権国家としての気概を示す大演説1
    稲田朋美 主権国家としての気概を示す大演説1 [稲田朋美 主権国家としての気概を示す大演説2
    稲田朋美 主権国家としての気概を示す大演説3

    トニータナカ 一人の日本人として、親として

    2010年10月07日 12時21分05秒 | 台湾
     トニータナカというと、自らが女性的な感じで、女性に化粧を施す人(メークアップ・アーティスト)という印象しかなかった。ところが、彼は結婚していて、千絵さんという娘さんがいた。その娘さんが、台湾映画の傑作「海角七号」に主演した田中千絵であると知ったときは、意外な感じで、とても驚いた。
     実生活でのトニータナカは、決して子供達を甘やかさずに、立派な社会人に育て上げた。娘が台湾に留学しているときも、遠くからその成長を見守っていて、むやみに干渉したりしなかった。昔ながらの、折り目正しい日本人の父親という印象で、これも意外だった。

     意外だらけ(?)のトニータナカだが、最近設立された「日台文化芸術交流協会」の会長に就任したという。
     この協会の発展を心から願いたい。




    『台湾の声』より転載

    【トニータナカ】 一人の日本人として、親として

    【編集部】

    10月6日、東京都内にて「日台文化芸術交流協会」が設立され、
    「海角七号」主演女優田中千絵氏の父親であるトニータナカ氏が会長に就任されました。


     http://www.libertytimes.com.tw/2010/new/oct/7/today-show17.htm

    (自由時報記事)

    *******************************************************

            トニータナカ (日台文化芸術交流協会会長)

    日台文化芸術交流協会の構想は今から5年前、一人の日本人女性が台湾へ渡ったことに端を発します。

    留学生として単身台湾へ渡った彼女は、自分の小さい頃からの夢である映画女優への道をこの地で歩み出します。親元を離れたことない彼女にとっては、まさに一大決心の末のことでした。日本に留まれば、なに不自由なく過ごせたかもしれないのに、夢への強い思いが彼女を駆り立てました。

    しかし、その人生を賭けた彼女の決心に、現実は鉄槌を下すように容赦なく襲いかかります。異国の地、見知らぬ人、聞き慣れない言語、習慣も文化も違う生活環境。経験した者しか味わうことのない心細さと孤独感。思い描いた通りに進まない夢への道のり。現実に対する知識不足の自分。なかなか好転しないもどかしさ……。海外生活のストレスは、本人の想像をはるかに超えるものでした。

    何度も何度も帰国しようと思った彼女。普通なら早々に挫折していたかもしれません。そこを踏みとどめたもの。それが「台湾ママ」の存在でした。もちろん血の繋がった母ではありません。現地の台湾人女性が、文字通り母親のように接し、彼女の身の回りの世話をやいてくれたのです。「台湾ママ」は、彼女の生活を我が子のようにサポートしてくれました。風邪を引いたと聞きつけてはアパートまで来て食事を作ったり、言葉がままならないことを知って病院にまで連れていってくれたりしました。他にも、多くの台湾人のみなさんが彼女を応援してくれたのです。まるで身内を世話するように。子を持つ親ならば、どんなに感謝してもし尽くせないほどです。

    その後、彼女はたった1つの映画をきっかけに、多くの台湾国民から愛される女優へと成長していきました。彼女が夢を掴んだ映画は、台湾国内はもとより日本などでも話題になった「海角七号」です。この映画に出演したのが、私の娘、田中千絵です。
    結果だけを見れば幸運だったと、人は言うかもしれません。ただ、その背景には「台湾ママ」との出会いや多くの人たちの支えがあったのです。

    「台湾へ渡って、一からはじめたい」、そう言われたときには反対もしました。その彼女が、見ず知らずの異国の人々に支えられ成長していく。多くの人に愛される。親としては感無量の思いでいっぱいです。いつしか、この感謝の気持ちを何か形にしたいという思いが強くなりました。

    映画『海角七号』は、奇しくも台湾と日本の男女が織りなす物語です。時代を超え、国境を超え、世代をも超える内容は、様々なものを現代へ投げかけました。この映画を通じ、また千絵の成長を通じて得たもの、それこそが国境や世代を超えた「交流」に他なりません。「両国の若者に互いの国のことを、文化や芸術の交流を通じて正しく伝えたい」─これが今回の日台文化芸術交流協会設立の動機です。

    日本には、古来より「恩送り」という言葉があります。 受けた恩を直接その人に返す「恩返し」ではなく、別の人に送る「恩送り」。その恩を送られた人はさらに別の人へ送る。そうして恩が世の中をぐるぐる回るという意味です。娘の千絵も、私も、台湾という国に多くの恩をいただきました。

    日台両国が培って来た伝統や芸術、文化、教養などを、両国の次代を担う人々の交流により、お互いをより深く理解しあえる国へと発展が望める、その一翼を担えればと願っています。

    ***************************************************************************

    【参考】

    日台文化芸術交流協会 設立趣意書

    <設立趣旨>

    日本と台湾は国交のない現状においても、両国国民の心理的距離は極めて近い。その背景には、両国がかつては同じ国として歴史や文化などを共有した経緯や、国交断絶後も継続されてきた地下水のごとき深い交流があるのだろう。たとえば映画「海角七号」の台湾における大ヒットは、そのことを証明するに足る現象であった。両国間の貴重な財産と言える豊かな交流が、今後も維持、拡大、深化されることが求められている所以だ。

    そうした中において、政治や経済もさることながら、重要な基盤となるのが文化・芸術面における交流の促進だ。それも、両国の次代を担う世代の交流により、日本と台湾において伝承されてきた伝統や文化、あるいは新しい時代を創造する演劇や映像、ファッションやモードなどを互いに紹介し、理解し合うことは、両国国民の心の絆をさらに一層深めることに役立つに違いない。

    ところが、このような交流活動を望む人々は少なくないにもかかわらず、残念ながら受け皿となる正式な組織がこれまでなかった。そこで、微力ながらその任を担いたいとの思いから、本協会を設立する次第である。

    <活動内容>

    日本と台湾において伝えられてきた文化芸術の交流を通して、両国の若者に夢や希望、生きる活力をもたらし、輝ける未来を考える基盤づくりに寄与する活動を推進する。なお、積極的な参加意志があれば参加制限は設けない。

    1. 台湾における日本の文化芸術活動の開催。
    2. ファッション、モード、アニメ、放送等に関する最新情報交流会の開催。
    3、台湾の文化、芸術、放送等を広く日本に紹介する場の提供。

    「週刊ポスト」が明らかにした中国の地図~尖閣諸島が日本領である証拠

    2010年10月04日 22時18分01秒 | 中国

     きょう(10月4日)発売の「週刊ポスト」10月15日号には、1970年以前に中国が発行した尖閣諸島の地図を掲載しているという。
     その地図は、尖閣諸島を日本領として明示しているので、中国側にとっては「不都合な真実」。在日中国人が神田神保町の古本屋を回って買い漁り、焚書処分にしたという曰く付きの地図だ。

     (
    (「週刊ポスト」10月15日号)

     文革期の中国地図は、非常に政治的だった。縮尺が大きな地図でも、東京の隣に三里塚と書かれていた。ちなみに三里塚とは、成田空港近くの地名で、空港反対運動の拠点があったところだ。 私自身もこの時期の地図を持っているはずだが、どこにあるのか分からない。

     「台湾の声」に水間正憲氏が詳しく記している。以下に引用させていただく。

    【10月4日発売『週刊ポスト』】尖閣領有にトドメを刺す中国発行の尖閣の地図
                                         (「台湾の声」より転載)
    水間政憲

    ■予告していました中国の情報戦に打ち勝つ仕組みを明らかにします

    今回、中国で発行した地図の在りかを告知する決断をしたのは、反日民主党政権が、中国漁船の追突ビデオを公開しない状況では、焚書される危険性があったからです。
    そして、ギリギリまで明らかにしなかったのは、在住中国人と観光中国人80万人以上との総力戦になることを承知していたからです。
    中国人は、日本国内にあった中国で発行した1970年以前の地図を、数億円以上と思われる資金を投入し、40年間をかけて買い漁り、焚書を完了しております。それらの行動も裏を返せば、中国がそれらの地図帳を決定的証拠として認識していたことの、なによりの証明になります。
    そこで、数億円以上を使って焚書していた労力を徒労にしてあげる国際的情報戦を、小生が仕掛けてあげたのです。
    この戦略は、発行部数5万冊前後のオピニオン誌に掲載しても世論になり得ないので、発行部数50万部の『週刊ポスト』誌のモノクログラビアに掲載して頂けることになったのです。

    前原外務大臣が「中国で発行した1960年発行の地図帳に尖閣と日本名で表記されている」と、発言している地図は、小生が2004年に中国の地図探索過程で偶然に発掘したもので、日本国内に一冊が奇跡的に残っていたものなのです。
    その地図を、中国側の焚書活動を諦めさせるために、日本国民が永久保存版として『週刊ポスト』のモノクログラビアを切り取り、額縁に入れて飾って頂ければと思っております。
    そこで緊急のお願いですが、中国人の買い占めを阻止するたも、一人でも多くの友人・知人に情報を拡散し、日本人が先回りして買い占めていただきたく思っております。
    また、2004年11月10日号『SAPIO』誌に寄稿した同地図が掲載されているリポート「中国の恥地図改竄史にみる『尖閣領有の大嘘』」も、インターネットで読めるように「ニュースポスト」に掲載されます。
    同リポートは、中国の地図改竄史を明らかにしてありますので、国際的に拡散されると、泥棒国家中共の体質が全世界に一目瞭然に晒しものになります。
    覚醒されていらっしゃるインターネットユーザーの皆様の総力で、10月4日(月曜日)発売の『週刊ポスト』を買い占め、週刊誌ではほとんどあり得ない、増刷するまでなれば、日本国内での情報戦には勝利しますので、何卒宜しくお願い申し上げます。

    以下、2004年の同リポートを発表できた経緯を解説します。

    ● 歴史を改竄して、日本固有の領土を強奪する決断をした中国は、なりふり構わずロシアと連携して強行手段に出てきました。

    小生は、2004年3月に中国人が尖閣諸島に上陸したことに危機感をいだき、中国の恥を世界中に知らしめる為に、中国が自ら発行した地図帳で尖閣を日本固有の領土と証明するために、半年かけて徹底的に中国版地図帳を探し回ったのでした。
    その探索結果は、2004年11月10日号『SAPIO』誌に発表した「中国の恥地図改竄史にみる『尖閣領有の大嘘』」です。
    そのリポートの目玉は、1960年に北京で発行した地図帳でした。
    当時、1970年以前に中国で発行した地図は、自衛隊にも国立国会図書館や全国の大学・自治体の図書館などだけでなく、神田古書店街を虱潰しに探しても一冊もないのが実態でした。
    その地図探索過程で驚いたのは、神田古書店街に中国人が徘徊し、かなり前から中国発行の地図を買い漁っていたとのことでした。

    中国は、歴史を改竄する長期戦略を日本国内にいる中国人を使って実行していたのです。
    また不思議なことは、国立国会図書館が1970年以前の中国で発行した地図帳を、収集の対象にしていないとのことだった。それが、どのような経緯で収集の対象から外したのか、今後、徹底的に国会で問題にする必要があります。
    1960年に中国で発行した地図の発見は、探索過程でたまたま掛けた一本の電話で明らかになったのです。
    それは、決定的な資料となる1970年以前に中国で発行された地図が、日本国内にいる中国人によって焚書されていた状況で、小生の怒りは当然のように外務省に向かいました。
    それは、1972年の日中共同声明以降、「日中友好」一色の報道の中で、中国は着々と尖閣を強奪する準備をしていたからです。


    そこで、それら一連のことを外務省中国課に抗議の電話をしました。
    その時、小生は「これだけ尖閣領有問題が起きているのに外務省は、なにをして来たのか。中国の日本大使館の職員は天皇誕生日のパーティーや宴会にうつつを抜かしているだけじゃないのか。中国で発行した1970年以前の地図帳を収集することとか、やれることがいろいろあるだろう。中国課に中国の地図帳は無いのですか。」との申し入れに対して、中国課の担当者は、「確か古いのが一冊あったと思います」とのこと。
    小生「それじゃ電話口にもってきてください。」
    担当者「もってきました1960年の地図帳です。」
    小生「沖縄尖閣が出ているところを見てください。」
    担当者は「あれぇ~!」と、すっとんきょな大きな声を電話口で発したのです。
    小生「どーしました!」
    担当者「尖閣諸島が日本名で表記してあります。」と、驚いていました。
    そこで小生は、「外務省の批判をリポートで差し控えるから、その部分の地図と表紙・奥付のコピーをいただけますか。」と申し入れ、それで資料を発表できたのでした。
    これは、国民が参加できる情報戦です。40年間の中国の長期戦略を一気呵成に叩き潰すことのできる千載一遇のチャンスです。
    皆様の徹底的な周知活動が情報戦の帰趨を決しますので、重ね重ね宜しくお願い申し上げます。


    無私物の範囲~加藤徹「貝と羊の中国人」

    2010年10月02日 20時46分20秒 | 

     先日、BSフジ「プライム・ミュース」に加藤徹・明治大学教授(中国文学)が出演し、尖閣事件に関連して、中国人の思考様式を話していた。

     興味深かったのは、次のエピソード。何故、中国が尖閣諸島の領有を主張するのか分かったような気がした。こういう中国人の国民性を知らないと、とんでもない話になるのではないか。そう、「無私物の範囲」というエピソードだ。

    「筆者が中国で、中距離列車のセミコンパートメント(四人向かい合わせの座席)に座ったときのこと。窓のところの小さなテーブルの上に、駅の売店で買った雑誌を置いておいた。すると、向かい側の席にすわっていた見知らぬ婦人が、ついと手を伸ばし、その雑誌を手に取り、黙って読み始めた。筆者に「読んでいいですか」と一言たずねることもなく、著者の顔を一瞥すらしなかった。まるで、病院や理髪店の待合室(の雑誌を読むかのような態度だった。彼女は、小一時間ほど雑誌を読んだあと、それを黙って元の位置に戻した。雑誌を戻すときも、筆者の顔をちらりと見ることさえなかった。ただ、さすがに、この雑誌が自分のものではない、という意識はあるらしく、彼女は筆者の雑誌を勝手に持ち去ることはしなかった。」

    近年の、東シナ海の日中中間線におけるガス田開発をめぐるニュースを見ると、ふと、列車の雑誌の体験を思い出す。こちらが黙っていれば、相手は当然のように、中間にある雑誌に手を伸ばしてくる。それが中国人のなわばり感覚である。」(p.63-65)

     「法匪」の仙石、外交音痴の菅首相には、ぜひ読んでもらいたい本だ。


     

    貝と羊の中国人 (新潮新書)
    加藤 徹
    新潮社

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