澎湖島のニガウリ日誌

Nigauri Diary in Penghoo Islands 澎湖島のニガウリを育て、その成長過程を記録します。

【白川司】安倍首相の代わりはいない【WiLL増刊号#260】

2020年08月29日 13時35分32秒 | 読書

 昨日、安倍首相が辞任表明。TV各局は、記者会見の様子を切り貼りして、「潰瘍性大腸炎とは?」「首相後継は誰?」「街の声は?」などと大はしゃぎ。「朝日」「毎日」などは、どんな記事を書いたのだろうか。読むつもりは全くないけれど…。

 月刊「WiLL」と言えば、「Hanada」「正論」と並んで、保守系月刊誌のひとつ。その「WiLL」のネット版番組が「安倍首相の代わりはいない」という特集をUPした。
 私の印象では、この映像が最も安倍首相の真価を言い当てていると思う。安倍首相を越える後継者は見当たらない。特に外交・安全保障の面で喪失感が大きい。

 安倍首相の再登板を語る白川司(国際政治評論家 元WiLL編集長)の言葉に耳を傾けたい。

 

【白川司】安倍首相の代わりはいない【WiLL増刊号#260】


平和を礼賛する日本が強者にだけ謝罪する偽善(楊海英)

2020年08月26日 16時34分43秒 | 読書

 最新の「ニューズウィーク」(九月一日号)に「平和を礼賛する日本が強者にだけ謝罪する偽善」(楊海英・静岡大学教授)という記事が掲載されている。
 実は私、この記事をスマホで偶然見つけ、何となく読み始めて、少しばかり鳥肌が立つ思いがした。「誰が書いたんだろう」と思いながら読んだのだが、文末に楊海英氏の名前を見つけて、すべて納得した。

 夏になると繰り返される「戦争懺悔」「平和の誓い」だが、何故、かつてこの国が「戦争の道」を選び、人類史上稀に見る「大敗北」「大破局」を経験しなければならなかったのか、論理的に説明するものは極めて少ない。大半は、史実を見て見ぬふりのキレイごとばかりだ。
 この楊論文は、「大日本帝国」統治下の満蒙(満洲、蒙古)、朝鮮、台湾に着目し、「帝国」の崩壊後これらの地域が経験した歴史に対しては、日本が責任を持たねばならないと指摘する。
 何故、日本人がこの歴史を直視できないのかと言えば、戦後の「国体」は「菊から星条旗に変わった」(白井聡)という指摘が説得的だ。すなわち、ただ一人の「国体」(それは昭和天皇を指す)を守るために、他のすべては犠牲にされたという。この「真実」に焦点が当たらないように、すべてが「曖昧」にされたのだ。 
 
 私としては、この論文は今夏の最高の収穫だと思う。短いが、すべての問題点を整理し核心を衝いている。
 

 

平和を礼賛する日本が強者にだけ謝罪する偽善 

2020年08月26日(水)12時00分

満蒙は黙殺されてきた(1931年、満洲を占領した日本軍)DE AGOSTINI PICTURE LIBRARY/GETTY IMAGES

<日本の植民地支配のせいで中国の専制統治下に置かれている弱者にも目を向けよ>

8月になると、あらゆるメディアが示し合わせたかのように戦争の特集を組むのは、世界でも日本独自の現象だろう。

日本人は皆、先の大戦を回顧し、口をそろえて反省の言葉を発し、平和を礼賛する。この日本的な美徳は必ずしも世界から評価されているわけではないようだ。日本人同士で語り合い、日本国内での平和が強調されるだけで、国際性が低いと批判される。周辺国がいまだに時機を見て日本に歴史カードを切っていることが、その実態を雄弁に物語っている。なぜ、日本は歴史問題が解決できないままでいるのだろうか。

原因は多々あろうが、最大の問題は日本が他者の立場に立って物事を考えることと、他者の視点で世界史を見渡すことができないからだろう。第2次大戦中の日本の行動が「侵略」かどうか、日本の開拓した植民地が悪か否かの問題ではない。同様なことは欧米列強もしており、日本はむしろ列強の後塵を拝していた。周辺国は、戦時中の行為だけを批判しているのではない。むしろ戦時中よりも、戦後の姿勢を問うているのだ。

軍国主義体制下から自由主義陣営に脱皮した戦後日本の言論人はリベラルと保守に分けられているようだ。リベラルの知識人と政治家は一党独裁の中国当局に謝罪し続けてきたが、台湾と満蒙(満洲と内モンゴルの大半)には一貫して冷酷な態度を取ってきた。

彼らは、「台湾は中国の不可分の一部」「満蒙は古くから中国の領土」といった中国共産党の主張を代弁してきた。台湾の将来は台湾人が決める、との目標を掲げていた史明(シー・ミン)のような独立派は、そもそも日本で左翼思想を受け入れた人たちだった。本来なら日本のリベラル系闘士らと独立派は相性がよいはずなのに、彼らは一向に台湾人の悲哀に耳を傾けようとしなかった。

満蒙も同じだ。戦前と戦中においては、満洲国に渡ったことがあるリベラル系の人たち、例えば大宅壮一や石橋湛山らは声高にモンゴル独立を唱えていた。保守派は当然、大日本帝国の属国としての満洲国を擁護していたので、両者は対立していた。戦後になると、日本のリベラル派は中華人民共和国の中国人にだけ謝罪し、満洲人とモンゴル人の存在を黙殺してきた。まるで中国人が満洲人とモンゴル人の主であるかのように、主にだけ謝罪し、「下僕」は無視していてもいい、という顔をしているのではないか。

これは強者にだけ陳謝し、弱者を無視するという偽善に満ちた思考方法ではないか。保守派は、植民地運営の功績を強調したがる。インフラ整備など近代化の促進に宗主国日本が熱心だったのは事実だろう。

しかし、植民地化されたが故に「台湾は中国の一部」とされ、満洲人とモンゴル人がいまだに中国の桎梏(しっこく)から独立できないでいるのではないか。欧米の植民地は独立できたが、日本の植民地は独立どころか、かえってほかの帝国、それも諸民族の好敵手であった中国の支配下に置かれたままである。日本の植民地支配が新たな支配、中国による専制主義的統治を招いたとの性質も認識しなければならないだろう。ここに、日本と西洋列強との根本的な差異があるからである。

日本はどうすればいいのか。欧米諸国のように、イギリスが香港に関心を抱き続けるように、旧植民地に積極的に関与するしかなかろう。台湾の民主化と独立を支持し、モンゴルなどの少数民族が中国に抑圧され虐待されている状態から解放しなければならない。そうなれば、日本は周辺国だけでなく、世界中から尊敬される国家になるに違いない。

                                  楊海英(静岡大学教授)

 


「元OLの登山日記」に癒される

2020年08月23日 17時16分36秒 | 散歩

 コロナ禍でうんざりの毎日。TVをつけたら「愛は世界を救う」みたいな番組がON AIR中。コロナ禍を煽るか、そうでなければ偽善の押し売り、TVはもう末期症状だ。東京五輪をどうするのかは誰も議論しないし、福島原発事故の現状を伝える声もない。この国は誰も責任をとらない、見て見ぬふりのとんでもない国だと気づく。

 でもまあ、「列島人」(西部邁の言葉)の一人である私は、一蓮托生の逃げ場のないこの列島に居住するしか能がないのだから、「愚かな合唱」に加わることなく、静かに過ごしたいと思う。

 そんな中、YouTubeで格好の映像を見つけた。「元OLの登山日記 by かほ」という番組で、「かほ」さんという若い女性が一人で登山をして、山々の映像を撮り、ナレーションを加えて紹介している。そのシンプルさにかえって新鮮さを覚える。コロナ禍、いや本来は「武漢肺炎」と言うべきだが、その騒ぎが鎮まったら、私も上高地を訪れたいと思う。 

 

【上高地ハイク】自然あふれる北アルプスのふもとを散策♪見どころ&グルメ満載!


『政権批判と視聴率至上主義、日本中をコロナ恐怖に陥れるワイドショーの罪!』ゲスト:ITジャーナリスト 宮脇睦氏

2020年08月22日 14時00分31秒 | マスメディア

 「松田政策研究所チャンネル」が特集した『政権批判と視聴率至上主義、日本中をコロナ恐怖に陥れるワイドショーの罪!』が、視聴者を「コロナ脳」に洗脳させようとするTVワイドショーの実態に迫った。
 
 インターネットならではの鋭い切り口で実に興味深い、いや面白い。過度にコロナの脅威を煽る背景には何があるのかを教えてくれる。

特番『政権批判と視聴率至上主義、日本中をコロナ恐怖に陥れるワイドショーの罪!』ゲスト:ITジャーナリスト 宮脇睦氏


「特別な夏休み」のある一日

2020年08月19日 01時47分15秒 | 新型コロナウイルス

 小学一年生になったSちゃんは、6月になってようやく初登校。学校では、ちょっとはしゃいだだけでも、「コロナがうつるから静かにしなさい」の連続で、しばらくの間、クラスで友達もできなかったという。

 「自粛」だらけのこの国は、何やらアヤシイ。TVは感染者数の増加を煽り、PCR検査が必要と言い募る。だが、実のところ、厚労省、日本医師会、製薬業界などの思惑がらみで、コロナ禍が誇大報道されているような気もする。
 これから、こんな「新しい日常」を生きなければならない子どもたちは、実に気の毒。それやこれやで、Sちゃん一家(パパは仕事で欠席)を近くの公園に誘い、ランチを食べた。33度の暑さでも、木陰は結構涼しく、子どもたちは大満足。

 

 帰りにSちゃんはこんな絵を描いてくれた。大人にとっては、変哲のない日であっても、子どもは生き生きとしている。それが救いだなあと、思った。


NHKドラマ「太陽の子」と自虐の夏

2020年08月15日 11時48分03秒 | マスメディア

 「終戦記念日」の今日、TVではさまざまな「戦争回顧」番組が放送されるようだ。このブログを続けて十数年になるが、この時季の同種のTV番組が次第に変容する過程を眺めてきた。

 この間の特徴は、戦争体験の風化に伴って観念的平和論(戦争批判)が蔓延したことに尽きる。つまり、戦争体験者から「それは事実とは違う」とクレームが来る心配がなくなり、TV番組制作者は「平和」「人権」「民主」などのキーワードを駆使しつつ、ポリティカル・コレクトネス(政治的正当性)ばかりを気にした番組を作るようになった。その結果、「平和」「人権」は何よりも大事で、それに「寄り添う」ことばかり強調される、皮相的な番組ばかりになってしまった。

 今夜、NHKが放送するというドラマ「太陽の子」。これを期待している人も多いのだろうが、ちょっと水を差しておきたい。この番組は事実に基づいて「核の恐ろしさ」「戦争の悲惨さ」を伝えるものではなく、観念的な「平和論」の強要、あるいは視聴者へのお説教を一歩たりとも超えるものではない。

 無抵抗な一般国民に一方的に原子爆弾を投下した米国。一方、戦争末期の日本では、京都帝国大学物理学教室を中心に原爆開発が進められていたというのが、この「太陽の子」のストーリー。事実として、日本側も原爆開発に手を染めていただろうが、その研究者が良心の呵責にさいなまれるなどというストーリーには、「歴史の後知恵」的な欺瞞を感じる。当時の研究者は「国のため」「国策遂行のため」に真摯に研究を進めたはずで、その研究が「人類の平和」「人権」に抵触するなど夢にも思わなかったはずだ。というか、「人類の平和」などという観念は全くなく、同等の概念を挙げるとすれば「大東亜の解放」ではなかったのか?

 この「太陽の子」の目的は、歴史を現在の視点から描くとともに、米軍による原爆投下は戦争犯罪ではなく、「お互い様」なのだとするためだ。そこには、もし「大日本帝国」が先に原爆開発に成功していたら、同じことを米国に対してしていただろうという暗黙の含意がある。

 毎年、この季節になると繰り返される「戦争回顧番組」。それらは時を経るにつれて、リアリティが薄くなり、ご都合主義に陥ってしまった。こんなものを鵜呑みにして、空虚な平和主義にすがる人が増えれば増えるほど、それこそ隣国やそれに追従する勢力の思うつぼなのだと思えてくる。

 コロナ禍においても「自粛」が事実上「強制」となったこの国。空虚な戦争回顧と平和主義の主張には、またかと看過するだけでは済まされない危険性を感じる。 

 

 

三浦春馬さん出演 NHK「太陽の子」今夜放送「想像力を皆様に届ける仕事 戦争を考えるきっかけに」

スポニチアネックス - 8月15日(土) 10時30分

 

 

 戦争に翻弄された若者たちを描くNHKの国際共同制作・特集ドラマ「太陽の子 GIFT OF FIRE」は終戦の日の15日、午後7時半から総合テレビ・BS8K・BS4Kで同時放送される。俳優の柳楽優弥(30)、女優の有村架純(27)、7月18日に急逝した俳優の三浦春馬さん(享年30)らが出演。柳楽は核分裂のエネルギーによる新型爆弾の研究を進める科学者の卵、三浦さんはその弟、有村は兄弟の幼なじみを演じる。
 太平洋戦争末期、京都帝国大学の物理学研究室で原子の核分裂について研究している石村修(柳楽)は、海軍から命じられた核エネルギーを使った新型爆弾開発のための実験を続けていた。空襲の被害を防ぐための建物疎開で家を失った幼なじみ・朝倉世津(有村)が、修の家に居候することになる。そこに修の弟・裕之(三浦さん)が戦地から一時帰宅し、久しぶりの再会を喜ぶ。爆弾開発の実験がなかなか進まない中、研究室のメンバーは研究を続けることに疑問を持ち始める。そして、裕之が再び戦地へ行くことになった矢先、広島に原子爆弾が落とされたという知らせが届く。研究者たちは広島に向かい、焼け野原になった広島の姿を目撃するのだった…。
 番組公式サイトに発表されたコメントは以下の通り。
 ▼柳楽優弥 とても重大な事実をベースにしたストーリーということで、撮影が始まる前は正直とても怖かったです。その中で、演出の黒崎さんが勉強する機会を設けてくださったり、有村さんや春馬くん他、何度か共演させていただいたキャストの方々が多かったので、とても心強く感じました。スタッフ・キャストの皆さんと一緒になって、しっかり学びながら撮影に挑むことができました。
 ▼有村架純 完成した作品を見た時に、今だからこそ見ていただきたい作品だと強く思いました。新型コロナウイルスなどの影響で世界中が変わりつつある中、国同士、人間同士の混乱も生じており、改めて平和について考える時だと思います。構想から制作まで十数年と温められ、今このタイミングで「太陽の子」を見ていただけるのは奇跡だと思いますし、そこに参加することができて、とても光栄です。
 ▼三浦春馬さん 太平洋戦争を描いた作品は数多く存在しますが、「太陽の子」は当時を力強く生き抜いた科学者の視点を強く描いた作品であり、これまでとはまた違った側面・角度から見返すことができました。このドラマは戦争、そして平和という大きなテーマが掲げられていると思います。僕たちの仕事は想像力を皆様に届ける仕事ですし、この作品を通して皆さんが戦争というものを考える大きなきっかけになればと思っています。
 ▼黒崎博氏(作・演出)1冊の古い日記を手にしたことが、始まりでした。そこには科学に情熱を注ぎ、青春を燃焼させる若い研究者の日常が書かれていました。原子物理学という新しい学問へのじりじりするような憧れと、一方でそれを兵器に転用することへの疑問。その姿は知らない誰かではなく、私たちと同じように生き方を探し続ける等身大の若者として迫り、僕は心を揺さぶられました。どうしてもその青春の形を物語にしたくなり、シナリオを書きました。テーマに強く共鳴してくれた人々によって、この物語は作られました。海外からも大勢のスタッフが参加しています。国籍に関係なくたくさん議論し、考えました。柳楽優弥さんは日本海に飛び込み、比叡山を駆けずり回って演じてくれました。キャスト・スタッフと合宿しながら撮り進めた「格闘の記録」が1人でも多くの方に届くことを願っています。


【李登輝元総統の足跡】なぜ日本で李登輝ファンが多いのか?武士道と政治哲学

2020年08月14日 19時46分28秒 | 台湾

 李登輝氏逝去。日本のマスメディアは、一斉に李登輝氏を「台湾民主化の父」「親日家」と報じた。その表現を間違っているとは言わないが、何か違和感を感じるのは私だけなのか。
  
 台湾のTVニュースを見たら、台湾・桃園の李登輝氏の自宅にある書斎を映し出していた。「小図書館」と言っていいその部屋には、岩波文庫がずらっと並び、旧制高校及び帝国大学で学んだ教養の深さを物語っていた。「私は22歳まで日本人でした」としばしば語った彼は、物事を考えるときの言語はずっと日本語だったという。

 林建良氏(医師・台湾独立運動家)が李登輝氏という人物を次のように評している。「李登輝という存在は、ひと言で表現すれば、神様が台湾に与えてくれた宝物。しかもその宝物は「Made in Japan」なんです。「Made in Japan」の最高の日本製の日本魂の入った宝物を神様が台湾にくれた」と。数ある李登輝評の中で、これは実に的を射ていると感じた。

 興味ある方は、次の映像をぜひ。

【李登輝元総統の足跡】なぜ日本で李登輝ファンが多いのか?武士道と政治哲学


「特別な夏」を考える

2020年08月09日 18時33分23秒 | 新型コロナウイルス

 米国空軍による広島と長崎への原爆投下から75年。先日、広島の式典で選ばれた小学生が「ともに笑いあっていた人々の日常は突然奪われました」と”宣言”したのを聴いて、「戦後は遠くなりにけり」どころか、追悼式典自体が平和ボケのファンタジーと化してしまった、と感じた。
 
 この「こども宣言」は、教員など大人の手が加わってできたものだろう。「…寄り添う」などの今風な言葉が多用されていて、何とも薄気味悪い。75年前の夏、日本は「本土決戦」に備えて、「一億玉砕」が叫ばれていた。制空権は米軍に奪われていたから、地上の住民は米軍機の射撃の標的に過ぎなかった。奪われるに値する「平和な」日常など存在せず、「寄り添う」べきものなど何もなかった。

   戦後、日本は”経済大国”になったと自惚れ、言うに及んで「平和憲法は世界に誇るべきもの」「地球市民として平和を語ろう」というような自画自賛的妄想がマスメディアや学校教育を通してふりまかれた。その結果が、薄気味の悪い「平和宣言」だ。

 西部邁はしばしば日本人を「列島人」という言葉に置き換えた。その意味は、米国の「属国」であることに目をつむり、目先の金儲けに狂騒する日本人を「劣等人」であると冷やかしたのだった。福島原発事故の総括もせず、その目くらましに「東京五輪」を画策したものの、武漢肺炎(新型コロナウイルス)でその東京五輪は間違いなく中止になろうとしている。西部が存命であったら、このドタバタを何と評しただろうか。

 「新たな日常」(New Normal)、「with corona」などという、新造語。これも西部なら、冷笑を浴びせたことだろう。
 連日、「きょうの感染者は〇〇名」「PCR検査、PCR検査!」と煽るマスメディア。これに呼応するかのように、「女帝」都知事は、都外への外出と帰省の自粛を呼びかけた。

 そして「女帝」都知事は、この夏を「特別な夏」と名付けた。気の利いた言葉を見つけたつもりだろう。だが私には、後になって日本の命運を分ける分岐点となった夏になるような気がする。思いいたるのは、暗澹たる未来だけなので、ここには書けないが。

 


関口宏に「喝!!!」 「関口宏のもう一度!近現代史」

2020年08月03日 02時35分58秒 | マスメディア

 BS-TBSが「関口宏のもう一度!近現代史」を放送中。あの「サンデーモーニング」で名高い?司会者・関口宏が近現代史を語るというから、からかい半分で見ている。
 
 結論を先に言うと、関口宏は近現代史を採り上げるような知見や能力を持たない、ただのボンクラ爺(ジジイ)だということ。第一次世界大戦を採りあげた前々回では、評論家・保坂正康との掛け合いの中で、関口が「第一次世界大戦に参戦したソビエトは…」と言い出したので、驚愕しそして絶句した。世界大戦直後の混乱があってこそ、ロシア革命が成就したという、それこそ現代史のイロハさえ、この人は理解していないのではないかと思った。
 さらに前回の関口は、「第一次世界大戦後、ドイツ帝国は崩壊、民主的なワイマール共和国が生まれた。一方、日本は大日本帝国のまま残ってしまった。だから帝国主義的な政策を続けた」という趣旨の発言。これは、第一次世界大戦で戦勝国になった日本が「大日本帝国」のままだったから、帝国主義を続けて、破滅の道を辿ったという、お定まりの話。極めて皮相的で何の知見も知性も感じられない。「帝国」は古臭く、「帝国主義」は悪い。これが、関口の「歴史認識」なのだろうか。

 この関口、立教大学法学部卒だという。立教の法学部と言えば、東大法学部の植民地と言われ続け、今も昔も教授陣だけは優秀だ。関口が「ヨーロッパ政治外交史」てな科目をちゃんと勉強していれば、近現代史の知識もそこそこ豊富になっただろうが、その痕跡は見られない。
 戦後日本では、近現代史がきちんと教えられていない。昼行燈(ひるあんどん)のバカぼんが近現代史を語る。これこそ、戦後民主主義の精華なのかもしれない。

「関口宏のもう一度!近現代史」2/15(土)ひる0時は「明治28年~31年 日清戦争後のアジアとロシア南下の脅威」