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寒さ厳しいですが移り変わる季節を待つ夢農園

2020-12-31 13:41:20 | 日記

夢農園(野菜作り)

梅の木 芋ほり

今年も梅の木は、順調に花芽が膨らんできています寒さの厳しい時期に花芽を付けています。あまり寒いと痛まないように、霜よけが必要かもしれないです。

さつまいも

今年は、10時頃から日があたる場所にさつまいもを植えました。葉は良く成長していましたが、芋があまり大きくなっていなくて12月まで置いていたのですが、芋は小さかったです。モグラが、あっちこっちと穴をあけて、走り回って芋を食い荒らして薬も入れましたが、効き目がなかったようです。

吊るし柿

一回目は10月に50個ほど吊るし柿にして竿に干しました。11月に知り合いに貰ってきて皮をむいて干しました。西条は渋柿ですが、干し柿にしたら甘みが強い柿です。今年は数えるほどしかなりませんでしたが、ほしがきにしました。他の木二本は沢山なって今年は、全部で150ぐらいは干し柿にしました。少し乾いて色が変わってきた時が自然な甘さでとても美味しいです。

東光寺 岡寺(龍蓋寺)

本堂には、奈良時代末の制作にかかる巨大な如意輪観音座像が本尊としてまつられています。如意輪観音の最古の遺例としても重要視されており、塑像(土でできた仏像)としては日本最大の仏様で、日本三大仏にもあげられており、重要文化財に指定されています。日本三大物とは、銅像の東大寺 毘慮遮那仏(奈良の大仏)木像の長谷寺十一面観音菩薩、そして塑像の岡寺御本尊です。寺伝によると弘法大師が日本・中国・インド三国の土を以って造られ、それまで本尊とされてきた金剛如意輪観世音菩薩半跏思惟像(重要文化財)を胎内に納められ本尊とされました。

本尊の高さは4,85メートルにおよび、通常は平安時代以後に、密教の流入に伴って流布した六臂(六本の手を持つ)で、方漆をたてて思惟する像容が多いのですが、岡寺本尊は二臂(二本の手)で、右手は施無眉畏、左手は与願の印を結んで、結跏趺坐をする姿をしています。しかし台座内部の調査結果から、当初は左足を踏み下げて座る半迦像であったと推測されています。同様のお姿の如意輪観音は少なく、大変貴重な仏様とされています。興福寺の伝えによると弘法大師は法相学を義淵僧正一道慈ー慶俊・勤操ー空海(仏法大師)という系統でまなばれたとなっていますので、義淵僧正の高徳を偲び、その菩提を祈る意味で、義淵僧正の廟のある岡のもとに一字を造り、如意輪観音の塑像大仏を造顕安置されたと考えられます。

古来より現在に至るまで長きにわたって「やくよけの観音様」として信仰を集めています。

重文金銅 如意輪観世音菩薩 半跏思惟像

御本尊体内仏。

銅造で31,2センチのちいさな尊像。上記御本尊の説明でもふれましたが、弘法大師様が御本尊 塑造大如意輪観音座像をおつくりになられる時にその胎内に納められたと伝わる仏様です。 

その昔、唐の仏師、稽首勲が災難にあった時に岡寺にやつてきて一搩手半(いちじゃくしゅはん)の尊像をお造りになって一心に拝んだところその災難から逃れられた。という寺伝が伝わっています。一搩手半とは古来より仏像をはかる尺度のことをいい、現代の単位に直せば31,5cmとなりこの尊像とわずか3ミリの誤差しかなく古来より伝わるお姿などからも、その時の尊像はこの如意輪観音菩薩 半跏思惟像であると言われており、またこの由来から岡寺の『厄除け信仰』の所以の一つとも言われています。重要文化財に指定されており、現在は京都国立博物館に寄託されています。

岡寺の名前の由来、開祖

 義淵僧正が民をくるしめていた悪龍をその法力を持って寺の池に封じ込め、厄難を取り除いた所から岡寺『やくよけ』の霊場になった所以の1つとも伝わっています。

岡寺に行く

古くからこの土地の名前から丘にある寺 岡寺として親しみを込めて呼ばれておりいます。わたしたちも厄除け神社にいって手を合わせてきました。来年もいい年でありますようにと拝んできました。

 

コメント
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