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春を呼ぶ花 梅の花 夢農園で蕾を見る

2012-01-30 16:22:57 | インポート

夢農園(野菜作り

梅の花

Dsc00088 4年前に植え付けをして、2年前には数えられるほどの梅がなっていました。去年は小さなかごに一杯とれてお隣さんが梅干しにすると言われたので貰って貰いました。大変喜んでもらいました。今年は沢山花も付いています。実がなるのがたのしみです。

般若寺

Dsc00096 Dsc00127  般若寺飛鳥時代(629)創建、のち(735)平城京の鬼門を守る寺として寺観が整えられました。度々の兵火をのがれ、南宋の石工・伊(い)行末(ぎょうまつ)が建てた日本一の大石塔をはじめ笠塔婆、本堂、楼門、経蔵、文殊菩薩、白鳳阿弥陀仏など多くの国宝、重要文化財を今に伝えています。

歴史Dsc00108Dsc00104

      般若寺は飛鳥時代(7世紀)古代朝鮮の高句麗から仏教を伝えた慧潅(えかん)という坊さんがひらいた寺です。奈良時代(8世紀)には般若寺が平城京の鬼門(東北、人に災いをおよぼす鬼が入ってくる人口)の方角にあるので、聖武天皇が「大般若Dsc00107_3経」というおDsc00126経をおさめ寺を立派にし都の安全を願われました。

そののち寺は栄えて多いときは坊さんが千人も修行していたそうです。1180年、奈良の寺々と平家のいくさで焼けてしまいました。その大事業をすすめた中心人物は叡尊上人で寺を建て直すとともに、文殊菩薩をまつり仏様の数えをひろめ、貧しさや病Dsc00125気で苦しむ人々Dsc00124_2を救おうとされました。

今も近くに「北山十八間戸」という当時の病院に使われた建物が残っています。般若寺はなんども焼かれたり壊されたりしましたが、今も鎌倉時代の建物や仏像が残り大切に守られています。またコスモスをはじめ季節の花が美しい名所としてよくしらDsc00128若寺では40年まDsc00129えから花が咲く寺で知られており、やまぶき、あじさい、ボタン、すいせん、コスモス、四季折々さく花が美しい寺です。

般若寺は東大寺大仏殿や正倉院の北方、奈良坂と呼ばれる登り坂を登り切った地点位置する。般若寺門前を南北にに通る道は「京街道」と呼ばれ、大和(奈良県)と山城(京都府)を結ぶ、古代以来重要な道であった。こDsc00123_2の道はまた、平城京の東端を南北に通っていた東七坊大路Dsc00113(東大寺と興福寺の境をなす)の延長でもある。

創建

  (般若寺)飛鳥時Dsc00118_2Dsc00122代創建。天平年間には聖武天皇が平城京の鬼門鎮護として伽藍を整備。「国宝桜門」「重要文化財十三重石宝塔」を始め数々の文化財を今に伝える。信仰の中心は獅子に騎乗した文殊菩薩で、原本尊は後醍醐天皇祈願仏です。 10月には花、光、音楽の祭典が開かれます。

コスモスの花

(あかDsc00135_2り花の光と音楽の夕べ)コスモスの満開の頃には境内が Dsc00142 行燈と照明でてらされ、色とりどりの花に飾られた石仏や堂塔が夜空に浮かび上がり、幻想的な世界が出現するそうです。

重要文化財Dsc00089Dsc00091

笠塔婆(花崗岩整 南塔総高4,46メートル北塔総高4,76

  笠塔婆形式の石塔では日本最古最大の作例。また刻まれた梵字漢字は鎌倉時代独特の特の雄渾な「薬研彫り」の代表例とされる。広長元年(1261)7月、宋人石工 伊行吉(いぎょうきち、いのゆきよし)が父伊行末の一周忌に当たり、その追善と現存の悲母の供養のために建立した。両塔の前面下部に伊行Dsc00093 Dsc00092 末の出身地、東大寺再建に従事したことなどその業績を記す。当初は寺の南方にあった般若野五三昧(南部の惣墓)の人口、京街道に面して建っていたが、明治初年の廃仏殿釈に遭い破壊され、明治25年に境内へ移設再建される。能の謡曲『笠卒塔婆』は本塔を題材にした平重街の修羅もので室町の頃は重衛の墓と見られていた。

般若寺の句碑・歌碑            

Dsc00098Dsc00133 唐びとが月をろがみし笠塔婆              秋桜子           

 般若寺のつり鐘ほそし秋の風              子規

散りたまる花や般若の紙の向き              去来

Dsc00094Dsc00115 般若寺やほとけの庭に秋ざくら             明奎                 

 秋の日の十三塔や日は西に               素十  

獅子の背の菩Dsc00141薩涼しくおがまるる            Dsc00095玉骨  

  般若寺は端ぢかき寺仇の手を              玉骨

十三重石寳塔奈良時代 重要文化財、

平城京の鬼門鎮護のため聖武天皇が大般若経を地底に納め塔を建てられたと伝えるが、現存の塔は東大寺の鎌倉復興に渡来した宋人石大工、伊行末(いぎょうまつ、いのゆきすえ等と読む)が建長5年(1253)頃建立した。発願者は「大善巧の人」としか判明しないが、完成させたのは観良房良慧で、つづいて伽藍を再建し、般若寺再興の願主上人と称され た。以後数度の大地震や兵火、廃仏毀釈の嵐に見舞われるも、昭和39年(1964)大修理を施し現在に至る、初重軸石には薬師・釈迦・阿弥陀・弥勤の四方仏を刻む。なお修理の際、塔内から発見の白鳳金銅阿弥陀仏とその胎内仏は秋に特別公開されている。

晴天で少し風が吹いていて、寒さも厳しい日に般若寺に出かけました。住宅の密集した中にひっそりと建っていました。般若寺に着くと、車は少なくなかったです。花の無い時期なので人出も悪いようでした。券を買って般若寺に入っていくと水仙が石像の回りに植えられていました。本堂に入って手を合わせて拝んできました。鐘つき堂や、石仏が多く見られました。所々に歌碑が置かれていて、読みながら歩いて回り、誰が読まれたか解るので楽しめました。見て回る範囲が狭いので直ぐに終わりますが、古い石仏や、十三重宝塔を見て回り楽しみました。花は水仙と、蝋梅が咲いていました。近くによるとすごく良い香りが漂っていました。

夢農園野菜作り

Img_5289Dsc00087_2 今の時期、畑は温度が低く5度以下になることも多く、寒冷紗が掛けてあります。時々収獲に行くと雪が寒冷紗の上に積もっていたり、風でめくれ上がっていたり、朝早くいくと、土がかたまっているので収獲も大変です。早く暖かくなるのを待っています。

夢農園看板造り

何ヶ月も前から構図をみんなで考えて、ムーミンの絵はどんな絵にしたら良いか薔薇の花はどのように入れるか試行錯誤して、何ヶ月も前からコツコツと彫刻刀で彫り続けました。彫りが出来上がったら色塗りで何回もぬって雨が降っても大丈夫な様にしました。可愛く仕上がりました。 Img_52661  Img_52651Img_52731_2Img_52781


年明けに新雪を見る夢農園で

2012-01-06 15:22:45 | インポート

夢農園(野菜作り

新年明けましておめでとう御座います。今年も宜しくお願いいたします。

橿原神宮

Dsc00048_2Dsc00049 橿原神宮畝傍山の南東麗、約五十万平方メートルもの広大な神城に建てられた檜皮葺き(ひわだぶき=檜の樹皮を屋根に使った物)で素木(しらき)造りの本殿と神楽殿が、玉砂利の参道と背景となる深い森の縁に調和して何とも言えない爽やかさと、厳かな雰囲気をうみだしています。

Dsc00066Dsc00062  初代天皇であると伝えられる神武(じんむ)天皇が、橿原宮で天下を治めたという「日本書記」の記述に基づき、明治23年に建てられました。祭神は神武(じんむ)天皇とその皇后・媛蹈鞴五十鈴姫(ひめたたらいすずひめ)です。本殿(重要文化財)は京都御所の賢所(かしこどころ)を移築したものです。橿原市をDsc00067 Dsc00068 代表する橿原神宮(かしはらじんぐう)で、本殿と神楽殿を訪ねると日本の伝統的な建築美に出会うことがことができます。

2日の日に橿原神宮にお参りに行ってきました。お昼から出かけました天候は曇りで、あられが降ってきていました。神宮 でお参りをして震Dsc00076 災に遭われた方達が安泰に暮らせますようにと拝んできました。少しでも何か出来るようにしたいとおもっています。去年は色々な事があったのでお参りにも多くの人が来られていました。参道に店も並んで出ていて焦げた良い匂いがしていました.食べながら歩いている人もいて賑わっていました。神宮の回りを歩いていると寒桜が咲いていました。今年は良い年にしたいです。

ABCラジオまつり2011(万博記念公園)

Img_5055 Img_5057 毎年、同じ時期に行われているラジオまつりに行ってきました。何十年も毎日、朝ラジオを聞いていて、農園の作業をしながら聞いています。朝日放送は親しみやすく何時も良い勉強になっています。朝早くから車で出かけて万博につくと、多くの人がこられていて数珠つなぎになって歩いて行きました。太陽の塔を見ながら目的地に着くと、おはようパーソナリティの人やラジオに出ているImg_5065 Img_5071 アシスタントの方達の声が聞こえてきていました。ドッキリハッキリの三代澤康司さんの元気な声が聞こえていました。他の場所ではダンスをしたり、歌を歌ったり色々な催し物が開催されていました。楽しく見せて貰いました。

Img_5086_2ご当地グルメはどんぶり物からスイーツまで、多くの人が楽しんでおられました。私たちも楽し

んできました。

万博記念公園

Img_5106博記念公園(ばImg_5088んぱくきねんこうえん)は日本万国博覧会(大阪万博)の跡地を整備した公園。万博公園と呼ばれ、正式名称は日本万博博覧会記念公園。大阪の中心部から約15キロ北方にあります。広場やスポーツ施設や文化施設があります。総敷地面積は264ヘクタールで、甲子園球場の 約65倍の広さに相当します。

Img_5103在地は大阪府Img_5092_2吹田市千里万博公園。公園を管理するのは、独立行政法人日本万博博覧会記念機構である。1972年3月15日の日本万博博覧会一般公開2周年の日にエキスポランド と自然文化園の第1期及び日本庭園・大阪日本民藝館などを公開して開園する。その後自然文化園が第3期分けて整備・公開され、国立民族学博物館が開設される一方、エキスポランドなど、開園後に閉鎖された施設もあります。

開幕~解体

閉会式は9月の13日御前10時参加国政府代表ら 内外の貴賓、招待者約6000人が出席して開かれました。電光案内板には「さよならEXPO’70」の文字、「蛍の光」が流れ、太陽の塔も火が消されました。しかし、そのImg_5111瞬間から進歩Img_5101と調和に向かっImg_5100て新しい未来は動き出していしたた。開幕の数日後には、スカンジナビア館を皮切りに撤去工事がスタート。一部の施設除き半 年間にパビリオン群は解体され会場は夢の後へと姿を変えました。

農園で収獲出来る野菜

丸大根

Dsc00008 丸大根は8月の始め植えました。もう少しで大きくなる所で寒くなってきて成長はおくれています。土を掘ってみたら、少しずつ大きくなってきています抜いてみるとまだ大きくなる過程ですが、切ってみると実が良くしまっていて、おぜんにするととても美味しく評判も良かったです。

長大根

Dsc00010 Dsc00022 長大根も8月の始め植えました。今年は大根は良く育って食べ頃の大根が何十本も育ちました。一度に食べられないので置いておくと、長さ58センチ、回りが32センチにもなって大きくなりすぎてスが入っているかなと思っていましたが、切って見るときれいで生で食べてみると甘くてとても美味しかったです。大根おろしは最高でした。

キャベツ

Dsc00014 キャベツは8月の初めに種を買ってきて、種蒔きをして育てましたが、ドンドン育って大きくなっていましたが、もう少しで巻いてくるというところで寒くなってきたので少し断念ですが、晴れの日が続くと巻いていってくれると嬉しいです。

万年青

Dsc00056 万年青は、2年前に山で採取して植えています。寒い中、何も花がない時期に、大きな赤い実を付けていて、見てもほっとします。

夢農園小屋造り

玄関の通路の石踏み造り

石も色々なところから寄せ集めて、2011年の12月の初めごろまで作っていました。今は、少しImg_5030   小休止で土が氷って凍てつくので出来ていません。 暖かくなるまでまImg_5042_2Dsc00069Img_5258っています。