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爽やかな 春の日差しに誘われて 雛巡りに行く ・夢農園

2018-04-05 08:14:34 | 日記

夢農園(野菜作り)

土佐街道の由来

6世紀、大和朝廷の労役で土佐の国から、ここに召し出されたものの任務が終わっても帰郷できなかった者が住み着いたことから土佐街道となったそうです。

奈良・高取町の土佐街道で「町家のひなめぐり

奈良県の中部に位置する「高取町」は、旧高取藩の城下町です。高取山中には、山城としては日本一を誇る高取城跡の石垣が連なり、土佐街道と呼ばれる城下のメインストリートには古い町屋が残っています。その「土佐街道」沿いの町家や商店街100軒で、大切にしてきたひな人形を公開し、毎年3月に開催されるのが「町家のひなめぐり」です。お雛様を楽しみながら、ゆったりとした早春の1日を高取町で過ごしてきました。

高取町・土佐街道への最寄りの駅である近鉄壷阪山駅から会場に向かうと、最初に出迎えてくれるのが、観覚寺地区の人たちが制作した「ジャンボ雛」です。ジャンボ雛と一緒に記念写真を撮ってみましょう。12回目の開催となる、2018年の高取「間茶のひなめぐり」の開催期間は、2018年3月1日(木)~3月31日(土)の午後10時から午後4時までです。会場内を散策するのに便利な「町家のひなめぐり」マップは、近鉄壷阪山駅や、第一観光駐車場などで入手することが出来ました。なお、会場となる土佐街道は、歩行者天国ではありません。

会場には、一閑張り(いっかん)のミニジャンボ雛もあります。一閑張りとは、日本の伝統工芸の一つで、木型に紙を張り重ね、後で形を抜いて素地とし、これに柿渋や漆を塗ったものです。名称の由来は、中国の明から日本に亡命した。飛来一閑が伝えて広めた技術なので一閑張りは、一貫の重さに耐えるほど丈夫です。

メイン会場の「雛の里親間」には、天段のお雛様が、17段の特製ひな壇に天井まで届こうかという、約500体の人形が並ぶ「天段の雛」は見る人を圧倒します。その光景には思わず目を奪われました。

天段のお雛様の隣には、さらに町の方々による手作りの「吊るし雛」が。

吊るし雛の発祥の地は、江戸時代後期の伊豆の稲取温泉です。ひな祭りの歴史は、京都で生まれた「ひいな遊び」が江戸に広まって、庶民に定着したのが「ひな祭り」であり、江戸時代中期には、現在のような段飾りが飾られるようになりました。しかし、当時の雛人形は高価なもので、庶民の手にはとても届かなかったので、庶民の雛段代わりに、手作りで子供や孫の初節句を祝おうという親心から生まれたのがつるしびなです。今では、桃(長寿)、猿っこ(魔よけ)、三角(薬袋番袋)、を基本として50番の細工があると言われています。

ひな人形の種類には、「京雛」と「江戸雛」の2種類があります。見た目ですぐ違いが分かるのは、男雛と女雛の左右の並び方です。

京雛は、男雛を右に、女雛を左にならべました。これは、官位など階級を記録するときに、位の高い方を右から順番に記入していたことに由来します。「右にでるものはいない」とか「左遷」などの言葉もこれに由来したものです。これに対して、男雛を左、女雛を右に配したのが江戸雛です。これは、昭和になり、天皇殿下のお写真が、天皇が左、皇后が右となったことにより、関東の方では、これに習ってひな人形が飾られるようになったからです。

歴史的背景によるひな人形の違いも楽しめます。

臼井家伊勢谷屋敷跡

高取藩の効用伝馬の役や大年寄を務めた伊勢谷の屋敷跡。屋敷は、重要文化財に指定された際に奈良県民族博物館に移築され、同地で見学することが出来ます。

高取町のひなめぐり

今年は、凄く寒い日が続きやっと暖かくなった3月24日に、高取町のひな人形をみにいってきました。車で高取まで行って決められた駐車場に止めて、私たちが行くと多くの人たちが、町家のひな人形が並べてある家々を見て回っておられました。年々盛大になってきていて道路沿いに、食べ物の店も出ていて、賑わっていました。私たちも、ひな人形が飾ってある家々を一軒、一軒見せてもらいました。100年前のひな人形があったり、珍しいお雛さんがあり家の中に上げてもらって見せてもらった所もあり、お茶を御馳走になったりして、メイン会場では、ひな人形が、部屋全体に埋め尽くされていて貴重なお雛様がいっぱいでした。1日ゆっくりと楽しめました。

 

 

 

 

 

 

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