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雲一つない空に少し遅れて彼岸花・夢農園

2020-09-30 09:14:46 | 日記

夢農園(野菜作り)

芙蓉

花壇に植えている芙蓉はアメリカ芙蓉、花は大きくて赤いの花を咲かせています。木は、大きくなって2メータ位は伸びています。日本芙蓉は1メーター位伸びます。花は大きな花ですが、薄ピンク色をしています余り伸びないので農園に行く登り口の所に二、三年前位から芙蓉を植えました。車で上ってきたときに美しい花が咲いていたら気分も爽快だろうと思って植えました。芙蓉は、良く育つ花で何本も増えていきます。思っていた通りになって先月から農園に行くたびに美しい花を咲かせています近隣の人にも好評で皆に喜んでもらっています。萩、白ユリ

萩は、秋に自然にツツジの所に毎年咲いてきて可愛い花を咲かせています、秋を実感させてくれる花の一つです。白ユリは、私の好きな花の一つで農園に行った時に、駐車場に車を入れようとした時、入り口に30センチ位伸びた白いユリが三本咲いていました。こんなところに百合が咲いているよとビックリしました。どこから球根が飛んできたのかビックリしました。隣の土地も少し探してみると何本かはえていて採取しました。百合を増やしていこうとしていた所に白ユリを見つけて嬉しかったです。

ミニトマト

ミニトマト二種類の苗を買ってきてうえて育ててきました。プチぶよというトマトは、、果実は光沢があり美しくサクランボのようなミニトマトです。皮が薄く口に残らないので美味しく食べられます。果房が長く、収穫も多く楽しみです、生っている房も可愛くて食べてもおいしいです。大きなトマトは、今年は二本植えて育ててきましたが、キュウリは病気にかかりやすく横に植えたのでうどん粉病にかかり、木はしっかりと大きくなっていましたが、消毒をしても一度病気にかかったら終わりでした。植える場所も考えないと、反省しています。トマトは、挿し木もできて育てたトマトが成長して伸びたのを選定しますが、選定したトマトの木を開いているところに植えておきます。美味しいトマトが増えますよ。今年は実がなりだしてからカラスに食べられてガッカリしていました。ほとんどの野菜に網をかけて防御してきました。ナスビもキュウリもピーマンもシシトウまで食べます南瓜も食べています。色々な動物がいるようで野菜を育てるのも大変です。

九品寺彼岸花

九品寺を開いたのは奈良時代の僧、行基は聖武天皇のとき奈良東大寺の大仏道営にかかつた僧で、その生涯は民衆救済のため布教活動を続けています。布教とともに灌漑や港湾施設建設や僧尼院建設に心血を注ぎ、大仏建律の功績によって、日本で最初に大僧正となっています。九品寺はサンスクリット語で、その意味は布教でいう上品・中品・下品で・人間の品格をあらわしています。上品のなかにも上中下があって中品や下品にもそれぞれ上中下があります。全部で九つの品があるので九品となづけられています。その九品寺の御本尊は木造阿弥陀如来像で、国の重要文化財に指定されています。楢原氏は南北朝の戦いのとき、南朝に味方していた楠本正成公のため一族を引き連れて参戦しています。その戦いに行くとき、一族は身代りのため石仏を彫って菩提寺だった九品寺に奉納したのが、今に伝える千体石仏です。九品寺の少し上がったところに畑がありますそこに彼岸花がびっしりと植えて有り毎年綺麗に咲かせています。

農園にも彼岸花を植えています。彼岸花を植えるとモグラが減ると聞き栗の木の下に一列に並べてうえています。ツツジの中にも植えています。ツツジの中から顔御出す位伸びています。農園の彼岸花が咲いているから他の所も咲いているだろうと見に行きましたが、少し早かったようで、まだつぼみが多くあと少ししたら満開に咲くところですが、人は多くて彼岸花の植えてある中に入って折ったり踏んだりしていました。少し憤慨しました。

北海道旅行13回目 

余市蒸溜所  ニッカウヰスキー

1934年(昭和9年)、寿屋(現代のサントリー」を退社した竹鶴正孝は、かねてからウイスキーづくりの適地としていた北海道での工場建設を実現しょうとしていた。竹鶴正孝が目出したのはスコッチウイスキーであり、ハイランドの蒸溜所と同じように力強くしっかりとした味わいのモルト(麦芽」原酒をつくることであった。北海道には原料や燃料となる大麦、石炭。ビート(泥炭)酵母の入手が容易であり、寒冷地の気候に加えて良質な水や樽に必要な木材も豊富にあるため、ウイスキーづくりに必要な条件が揃っていた。当初念し、酒造家で資本家でもあった旦馬の十次の紹介もあって余市での工場建設を決めた。余市での工場建設を決めた。余市は三山に囲まれ北には日本海があり、適度な湿度を持ちながらも澄んだ空気や与市川の良質な水があるなどの緒条件を満たしていたほか、果汁のて原料となるリンゴの産地であることも工場建設の決め手になった。ウイスキーが熟成するには長い年月を必要とするため、まずはノンコジュースを作ってウイスキーづくりを支えようと考は現代の江別市を工場予定地にしていたが、予定地が氾濫する恐れのあることがわかったために断え、同年に「大日本果汁株式会社」を建立した。1935年(昭和10年)の冬になってウイスキーを蒸溜するためのポットスチル(単式蒸溜器)が器届き翌年から製造を決めた。1940年(昭和15年)の後「ニッカウイスキー」発売後、程なくしてウイスキーなとは贅沢品として製造販売が制限された。その後、蒸溜所は大日本帝国海軍の指定工場となったウイスキーは海軍が買い上げとになったが、物資が乏しい中でも大麦の配給を受けることなどができたため、原酒を作り続けることが出来た。

ふきだし公園

ふきだし公園は、北海道虻田郡京極町字川西にあります。羊蹄山の伏流水が湧出す。区画を公園として整備し、湧水の採取スペースが設備されている。

概要

1973年(昭和(48年)3月30日、北海道より噴出し環境緑地保護地区(5,72hr)として指定される。公園の湧き水は、1985年(昭和60年)3月に環境庁(現・環境省)より「羊蹄のふきだし湧き水」として名水百選の1つに選定された。1990年(平成2年)には。建設省(現・国土交通省)による手作り郷土(ふるさと)賞にふきだし公園は「生活を支える自然の水」(30選の1つとして選定された。また、京極町は、1996年(平成8年)3月に国土庁(現・国土交通省)より「名水の里きょうごく」として水の郷百選に選定されており、同町を代表する観光と水の資源として重要な役割を果たしている。

コメント
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