山城めぐり(兄弟ブログ biglob)

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多気山城

2017-09-25 20:57:16 | 山城ー野州
多気山城は栃木県宇都宮市田下町の多気不動尊(持宝院)の西山にあります。

多気山城地図

国道293号線で田野町公民館を過ぎて東に100mくらいで案内板(多気不動尊)があり、これを左折し案内通りに進めば多気不動尊(持宝院)に着きます。


多気不動尊(持宝院)長い階段を登って奥の院の西側

多気山への登り口

多気山に登り始めて見下ろしています。

登って25分程度で御殿平

本丸南下、4・5・7と曲輪があるようですが酷い薮です。

縄張り図は「余湖くんのお城のページ」真冬であれば、葉が落ちて木々が多少あっても見て回れるかもしれません。

今回は御殿平周辺しか写真に収めれませんでした。本丸北虎口

本丸北曲輪

本丸西虎口から西曲輪

西曲輪北の空堀

空堀の先に第二西曲輪

北曲輪の北側下の腰曲輪

この尾根から曲輪2・3へと北尾根に通じていますが、こちらも薮です。

今回は御殿平で退却しました。また真冬に出かけたいと思います。 次回 宇都宮市新里町 雨乞山城

宇都宮氏について
出自
藤原氏一族の藤原北家の藤原道兼の曾孫を称する[1]藤原宗円が、源頼義、義家の奥州安倍氏討伐(前九年の役)での功により宇都宮(現・栃木県宇都宮市二荒山神社の別称)別当職に任じられ、宗円の孫の宇都宮朝綱から苗字(名字)として宇都宮氏を名のる。しかし『宇都宮市史』や『姓氏家系大辞典』では、宗円を藤原道兼の子孫とするのは後世の仮冒で、宇都宮氏は中原氏の出、あるいは古代の毛野氏の後裔とされているなど、諸説ある。
宇都宮氏嫡流(下野)
宇都宮氏は下野国が本貫であったため、各地の庶流に対してしばしば下野宇都宮氏といわれることもある。下野国一之宮名神大社であった宇都宮二荒山神社座主および日光山別当職等を務め、紀清両党を率い22代・500年に亘って下野国、さらには日本国土の治安維持を司った名家。国司や守護も歴任し、現在では戦国大名とも評されている。
鎌倉時代
源頼朝をして「関東一の弓取り」と言わしめた宇都宮朝綱は第3代宇都宮氏当主である。また第5代宇都宮頼綱(藤原頼綱)は武人で奥州藤原氏討伐にも功績があったが、鎌倉幕府から謀反の嫌疑をかけられたのを機に法然に帰依して出家、実信房蓮生と号して京に隠棲して宇都宮歌壇を確立した。京都嵯峨野の小倉山麓の庵に住まい、その襖色紙には親交があった藤原定家によって選じられた首歌が書かれ、これが小倉百人一首の起源として伝統文化に受け継がれている。浄土宗を信仰した頼綱は、京常盤、桐生、宇都宮に念仏堂を建立し、現在もそれぞれ入逢山西方寺、梅田山西方寺、芳宮山清巌寺に受け継がれている。頼綱は幕府から許された後の1215年には園城寺(現在の三井寺)再建に尽力し、その功によって伊予国守護に任じられた(1220年頃 - 1235年頃)。
鎌倉時代中期、第8代宇都宮貞綱は元寇の際、鎌倉幕府による討伐軍の総大将として九州に赴き、これに勝利すると鎌倉幕府引付衆に任じられた。貞綱は亡母の13回忌に全国的にも珍しい巨大鉄製塔婆を奉納した(宇都宮市清巌寺蔵:国の重要文化財)と言われている。ウィキペディアより





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