山城めぐり(兄弟ブログ biglob)

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和田城

2017-06-23 19:36:23 | 山城ー信州
和田城は長野県長和町和田にあります。

和田城地図

国道142号線の信号役場前から県道178号線に入ります。信定寺(この寺は大井信定の菩提寺)を過ぎて、東へ廻ると大きな碑があり、登り口があります。


信定寺

遠景

和田宿、街道沿いの町並みには中山道の宿場町の面影が残っています。ここで食べたおそばがおいしかったです。

和宮様が宿泊した本陣跡、700円?史料があり見学ができます。

信定寺を過ぎて100mくらい東回りに、この釈迦堂橋の碑があり、この奥に登り道があります。

遊歩道を登って10分くらいで尾根に着き、土橋

曲輪にお堂が建てられています。

中曲輪

宮坂氏はこれを本丸としています。

本丸を南から見ています。右手に東虎口

東虎口を見下ろしています。

本丸南西下の大堀切

大堀切の先は一段の曲輪

この尾根を見て、最初に来たときは戻ってしまいました。ここからとんでもなく長い縄張りが控えていますが次回とします。

大井氏について
大井氏は清和源氏小笠原氏の一族で、信濃国佐久郡大井郷を名字の地とする。すなわち、小笠原長清の七男朝光が大井庄の地頭となり、岩村田を本拠にし大井氏を称するようになったという。大井氏の系図については、『小県郡史』『尊卑分脈』『系図纂要』『群書類従』など、各本伝わっているがいずれも史料に照らして正しいものはない。
 大井氏の祖とされる朝光は、承久三年(1221)五月の「承久の乱」に幕府軍に従って、小笠原長清父子らと甲斐・信濃の軍勢五万を率いて東山道より上洛し、宇治川の合戦で功を挙げ、戦後、その功により大井庄を賜ったという。朝光の子光長は、鎌倉幕府四代将軍藤原頼経、五代藤原頼嗣、六代宗尊親王の三代に仕えた。七人の男子があり、嫡子時光は大室に、二男光泰は長土呂に住し、四男の行氏は耳取、五男宗光は森山、六男光盛は平原に住し、七男の光信は僧になり、大井法華堂を開基したと伝える。そして、大井氏の家督は三男の行光が継いだ。
 行光のとき、同じ佐久郡内伴野荘の地頭で小笠原家惣領職にあった伴野氏が「霜月の乱」によって一族誅滅にあうということが起こり、以後、佐久郡は大井一族が繁栄することになった。 武家家伝より




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