山城めぐり(兄弟ブログ biglob)

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猿小屋砦②

2017-04-28 20:20:13 | 山城ー信州
新聞記事情報
 福井県立一乗谷朝倉氏遺跡資料館(福井市安波賀町)は27日、越前国の戦国大名・朝倉義景(1533~73年)の書状が新たに見つかったと発表した。朝倉氏滅亡の5カ月前に室町幕府の奉公衆で近江国朽木の領主だった朽木元綱に宛てた手紙で、「織田信長と将軍・足利義昭が対立した当時の状況を知ることができる貴重な史料」としている。【岸川弘明】
 昨年5月に県外在住の所蔵者が持ち込み、資料館が調査した。縦11センチ、横36.7センチの紙に書かれ、日付は義景が敦賀に出陣した翌日の1573(元亀4)年3月12日。信長と敵対した義昭が、義景に出兵を要請していた。義景は手紙で「佐々木弥五郎」(朽木元綱)が「公方様」(足利義昭)に従うことを評価。「浅井」(浅井長政)と示し合わせ、「上意」(義昭の意向)を受けて動くと伝えている。
 元綱は1570(元亀元)年に朝倉攻めで退路をふさがれ窮地に陥った信長が敦賀から京都へ戻るのを助けたが、手紙が書かれた当時は義昭の側近として反信長勢力と連携を図っていたことが読み取れるという。
 愛媛大教育学部の川岡勉教授(日本中世史)は「朝倉義景が足利義昭周辺と結び、反信長戦線を固めようとしていた動きが分かる」と話している。
 今回見つかった書状は29日~5月31日に資料館で開かれるテーマ展「朝倉義景の出陣」で公開される。30日と5月5、27日には展示解説がある。問い合わせは資料館(0776・41・2301)。


5月5日は高森町へ
「井伊直虎と直親(亀之丞)」講演会と松岡城跡を歩く会
高森町は大河ドラマ「おんな城主直虎」の主人公・井伊直虎のいいなずけであった井伊亀之丞が青少年期を過ごしたゆかりの地です。
その歴史舞台を、静岡大学名誉教授・日本城郭協会理事長で、大河ドラマの時代考証も担当している小和田哲男氏を講師に迎え、講演会と松岡城跡を巡るツアーを行います。
 
講演会
1、日時:平成29年5月5日(金曜日)
 12:30 受付開始
 13:00 青葉の笛ななつ星による篠笛演奏
 13:30 講演会「井伊直虎と直親(亀之丞)」-亀之丞時代の松源寺・松岡城ー
2、場所:高森町福祉センター2階大ホール
3、参加費:無料
4、定員 200名
5、申込み:時の駅(0265-35-7083)または教育委員会事務局(0265-35-9416)までお申し込みください。(先着200名)
 
松岡城跡を歩く会
1、日時:平成29年5月6日(土曜日)
 9:30 開始
2、場所:松源寺集合(駐車場は間が沢下駐車場です。場所は、パンフレットをご覧ください。)
3、内容:中世の伊那谷を代表する段丘の城「松岡城跡」と関連史跡を、全国の城郭を研究されている小和田哲男氏の説明を聞きながら巡ります。
3、参加費:無料
4、定員 50名
5、申込み:時の駅(0265-35-7083)または教育委員会事務局(0265-35-9416)までお申し込みください。
 
講演会・歩く会パンフレット (PDF: 4.2MB)
この記事に関するお問い合わせ先
教育委員会 文化財保護係
電話:0265-35-9416 / ファックス:0265-35-2973
お問い合わせはこちら


この記事は興味を引きます。朽木元網は信長が敦賀から京都へ逃れるときに、義景の側近として連携していたということが分かった。とすれば、朽木氏の支配下にある若狭路をどのように信長は移動したのか、また疑問がわきます

猿小屋砦の曲輪4から3へ

曲輪5から南尾根を進み

曲輪4へ

曲輪4から見返しています。

南に尾根を進み

堀切

堀切の上に曲輪3、その先大きな堀切が口を開けていますが次回とします。

俯瞰図は「信濃の館と山城 4」より


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